四話目 花束の名前は
恋を自覚したライラルを一言で表すなら〝しつこい男〟だった。
休みの日以外は、毎日かかさず食堂に通いつめ、ニコニコと悪気のない笑顔で彼女に話しかける。
彼女を見ていると幸せな気持ちになるので、ライラルの目線は甘くとろけきっていた。
しばらく通うと彼女は警戒心をむき出しにした猫のような態度をとった。
「い、いらっしゃいませ」
自分を見ると顔を強ばらせた。
でも、ライラルは気にしない。
「こんにちは、イルザ。今日も可愛いね」
息を吸うように甘いことを口にした。
好きな気持ちをおさえきれずに、口が勝手に話し出してしまうのだ。
彼女は困っていたが、しぐさ一つ一つが可愛くみえてしまってやめられそうにない。
困惑されたまま、席にうながされる。
「お、お好きな席へどうぞ……」
「うん。ありがとう」
店内の席を全て座った結果、角の席が一番、彼女が見やすいと気づいた。
テーブルに肘を立てて、彼女の行動を目で追いかける。
時折目が合うと、そらされてしまう。
猫みたいに簡単には触らせてくれないみたいだ。
そのしぐさもまた可愛くてライラルはでれでれしていた。
「ど、どうぞ……」
日替わり定食を顔をひきつらせながら持ってきた彼女に微笑みかける。
「ありがとう、イルザ」
彼女はびくっと体を震わせ、目をつり上げて行ってしまう。
タッタッタ。
彼女の足音を聞きながら、ライラルはてんこ盛りの昼御飯に向き合う。
食べ終わると彼女が食器を下げにくる。
彼女の顔が一番近くで見えて、ライラルの心臓はざわつきだす。
ほんのり赤い頬。
きゅっと引き結ばれた口元。
それを見ているとたまらなくなって、ライラルは口を開いた。
「ねぇ、イルザ。俺はね。君のことが好きだよ」
口にするとなんて味気ない言葉なんだろう。
好きって言葉は短くて、物足りない。
もっと伝えたくて、ライラルは硬直する彼女に話しかける。
「俺はね。君のことがとってもとってもね────ぐっ」
言おうと思ったのに両手でふさがれてしまった。
──それ以上、言わないで!
明確な意思を感じて、心に咲いた花が萎れる。
でも、ライラルはめげなかった。
むしろ、イルザになぜ、言ってはいけないのか聞いたこともあった。
昼時が終わって、客がはけるのまで粘って粘って、彼女を呼び出した。
彼女はムッとした表情をしていたけど、素直に付いてきた。
「お店の片付けがあるので、ここで……」
店裏の人通りがない場所で止まって、ライラルはずっと不満だったことを言った。
「ねぇ、イルザ。どうして、君に好きと言ってはいけないの?」
「っ!」
彼女は顔を真っ赤にさせて、これでもかってほど、目をつり上げた。
「そ、そうやって……私をからかって楽しいですか!」
「は?」
思ってもみなかった答えに動揺する。
彼女は今までの不満をぶつけるように声を張り上げた。
「す、好きだとか……簡単に口にしないでください。困ります!」
(簡単なんかじゃないのに……)
彼女は軽口や挨拶とでも思っていたのだろうか。
ちゃかすような軽い男に見えたのだろうか。
息苦しくなり、心の中に咲いた花が萎れていく。
綺麗な花が元気をなくして頭を下にむけていく。
「イルザ……俺は、簡単には口にしていないよ。イルザを見ると、好きって感情しかでてこない」
「っ……」
「俺はね。初めてイルザに会った時に、救われたんだ。とても疲れていてね。イルザが作ってくれたスープが美味しくて、君のことが忘れられなかった。だから、早く会いたくて、会いたくて……会ったら、好きしか出てこなかったんだよ」
どうすれば伝わるのだろう。
言葉にすると安っぽい台詞しかでてこない。
でも、言えるのはこれしかない。
「俺はね。どうしようもなく、君が好きだよ」
そう言ったら、彼女は顔をますます赤くさせて肩を震わせた。
長い沈黙の後、彼女の震えがとまって、悲しげに眉尻が下がっていく。
「──ダメです……ダメなんです」
彼女は苦しそうに何度もそう言った。
「イルザ?」
「っ……」
彼女は泣きそうな顔をして、スカートを握りしめる。
オレンジ色のスカートは強く掴かまれ、よれて皺になっていた。
「あなたはミルハーン家の長男ですよね? ……優秀な貿易商だとお客さんが言っていました。あなたは、ずっと家業をするのでしょう? なら、ダメです。私は一人娘なので、お嫁にはいけません」
彼女の声は震えていた。
「あの食堂は亡き母と父の思い出がたくさんつまっています。タタタンタン食堂を無くすわけにはいかないのです……将来は、父の料理をついでくれる料理人と添い遂げたいと思ってます」
彼女は顔を上げる。
「私は恋をしていられません! 私は……私は……あなたを好きになっちゃダメなんです!」
悲痛な叫び声に眉根がひそまる。
彼女は乱暴に目元をこすった。
泣くもんかと強い意志がそうさせているようだった。
「イルザ……」
抱きしめたかった。
でも、抱きしめたらそのまま拐ってしまいそうでできなかった。
だから、ライラルは手を固く握りしめた。
暴れだしそうな手をきつく握りしめた。
「……イルザ……」
顔を上げた彼女は目が腫れていた。
それに微笑みかける。
「ごめんね。俺は……それでも、諦めきれないんだ」
きつく握った手に爪が食い込んで痛みが走った。
「君に好きって言いたい。だから、その道をさがすよ」
はっとした表情に微笑みかけた。
そして、彼女の答えを待たずにライラルは歩きだした。
いつの間にか走っていた。
フツフツと怒りに似た黒い感情が沸き上がる。
その衝動のまま、家に戻ってきた。
「あ、兄貴?」
屋敷にはパッドがいた。
彼を見たライラルは額の汗をぬぐい、口角を上げる。
「ねぇ、パッド。君にお願いがあるんだ」
「お、おぅ。なんだ?」
にじりよるとパッドは及び腰になる。
「君に家業を継いでほしい」
「………………?」
「君も俺の片腕として随分やってくれたし、できるよね?」
パッドはたっぷり時間をかけて硬直した後、座っていた椅子から転げ落ちた。
「いや、なんで!? なんで、そうなる!?」
「家業があると、イルザに好きって言えない」
「は? え? ちょっと待ってくれ。イルザって……兄貴が通っている食堂の……」
「当然、人も雇うようにする。君だけじゃ仕事が回せないだろうし……だけど、まずは君の自立からだ」
「いやいやいやいや! 待て! ちょっと待ってくれ!」
パッドの制止もライラルの耳には入らない。
「パッド。俺は、料理人になる」
「は?」
「家は俺が継ぐと思っていたから、君には優しくぬるい対応をしていたけど、今から情は捨てる」
ライラルは口の端を上げた。
目は笑っていない。
「今日から死ぬ気で頑張って」
パッドは唖然とした後に、肩を震わせて叫んだ。
「なんで、そうなるんだよおおお!!」
彼の絶叫を無視して、その日を境にライラルはパッドが自立するように厳しいを通り越した地獄のような対応をし始めた。
同時に、ライラルは料理の勉強を始めた。
今まで料理はパッドに任せっきりだったのを反省して教えてもらうことにした。
「頼むから、教えて」
「いや……だけどさ……」
「パッド」
「……わかったよ。サラダからな。火は使わない。火は色々とやばい気がする……」
「うん。お願い」
白いふりふりのエプロンを二人は つける。このエプロンは母のもので、父の趣味だ。
「まずはトマトを切るか」
「トマトだね。じゃあ──」
「まてまて兄貴! 指を伸ばすな! 包丁で切る! 指を切るからああ!」
──さくっ
ライラルは指の端を切った。
「あ……」
「ぎゃああ! 包帯ー! くすりー! どこだー!」
パッドが慌てふためく中、ライラルの視界に生きたイカが見えた。
うねうねと動くイカと目が合う。
(イカって焼けばいいんだよな……)
鉄フライパンをコンロに置いて、火を全開にする。
油を注ぐと、鉄フライパンからもうもうと煙が立ってきた。
イカを手で掴む。
その時、パッドが戻ってきた。
ライラルの姿を見て、パッドは青ざめ、持っていたものを床にばらまいて絶叫をする。
「やめろ兄貴!! イカはだめだあああ!」
「──え?」
ライラルがパッドの声におどろいて手を滑らせた。
生きたイカは油の中へ。
──バチバチバチ!
「ぎゃあああああっ! 燃える! 燃えるって!! 火事になるううううう!!」
パッドの絶叫が響き渡り、ライラルは跳ねた油でやけどをした。
ライラルは絶望的に料理の才能がなかった。
「兄貴が料理すると、死人が出る! やめてくれ! お願いだから!」
パッドには毎日、泣いて懇願された。
しかし、ライラルの意志は強かった。
料理に悪戦苦闘している日々の中、タタタンタン食堂に来たライラルの腕には包帯が巻かれていた。
その日は彼女とよく目が合ったけど、態度は変わらずそっけなかった。
目がよく合ってラッキーだな……とのんきに思っていると、食器を下げる時になって声をかけられた。
「その傷、どうしたのですか……?」
「え? あぁ、これ……? 料理をしようとして火傷した」
苦笑いすると、彼女は仰天する。
「火傷って……大丈夫ですか?」
「うん。傷は大したことないよ」
ほっとした顔をされて微笑む。
微笑する顔が見れるなんて、怪我してよかった。
「料理されるんですね……」
何気なく会話が始まり、頬がゆるんだ。
「うん。才能はないけど、夢を叶えるために頑張っている」
「夢……ですか?」
「うん。絶対に叶えたい夢」
ライラルは朗らかに笑った。
「料理人になりたい。そしたら、イルザに好きって言える」
彼女は頬を紅潮させる。口をへの字の形にして、目をつり上げる。
「それは……諦めてください……」
「ごめんね。それはできない」
彼女は肩を震わせて、みたことがない形相になった。
(あれ? 怒っている……?)
首をひねっていると、彼女は叫んだ。
「怪我をするくらいなら、料理なんてしないでください!」
あまりの声の大きさに、ライラルは鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。
「そんな無茶して! 私は怪我される方がよっぽど嫌です!」
彼女の瞳がうるみだす。
「料理人になんてならなくていいですから……やめてください……」
息が止まりそうだった。
泣かせたいわけじゃなかったのに、うまくいかない。
「……やめられるわけないよ」
自嘲の笑みがでた。
生き生きと咲いていた好きの花が萎れて花弁を落としていく。
萎れて枯れたら、この花は土に還るのだろうか。
その時、自分はどうなるのだろう。
分からなくてうつむいていると、彼女が小さな声をだした。
「……もう、諦めなくて……いいですから……」
小さな声を拾って顔をあげると、彼女が困った顔が見えた。
困っているのにどこか自分を色づいて見ている。
彼女の瞳の中に、花が見えたような気がした。
「イルザっ」
たまらず椅子から立ち上がる。
勢いがよすぎて椅子が倒れた。
派手な音がしたけど、それどころではない。
元気のなかった心の花たちは、ぱっぱっぱっと咲いて、もうすぐ満開だ。
摘んで花束にして彼女に渡したい。
この花束の名前はなんだろう。
好き?
……少し、違う気がする。
じゃあ、この花束の言葉は。
「イルザっ……俺は──!」
口は彼女の両手で塞がれてしまう。
彼女は、パクパクともどかしそうに口を動かすだけで音にはならない。
口をふさがれながら、自分の心に芽生えた感情を振り返る。
「好き」ではなかった。
もっと、深い言葉だった。