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よろしくお願いします。
神殿というがそれは大きな建物ではない。礼拝堂の奥にある特別な部屋という形容が当てはまるだろう。
大きな部屋の真中には祭壇が設けられ創造神が祀られている。本来神子はその場へと上がり神託を授かることが出来る。
しかし、この時神子は祭壇へと上がらず祭壇の下でその歩を止める。つられるようにしてシュバルツもその場で止まる。
祭壇を囲むように平伏している巫女姫の祈りの声が部屋を覆っている。
レイラは一歩前へと進み神楽舞を静かに舞い始める。それはシュバルツの知っている神楽舞いではない。伝承にある降神の儀でのみ披露される舞い『天鈿女命』であることは容易に想像できた。両手に持たれた神楽鈴を巧みに使い、静かにそして力のある舞いが神前へと披露される。
国王となり数十年、父の代、祖父の代、いやその前から降神の儀が執り行われた記録はない。そう言う儀があるという事だけを知っている程度のものだ。
巫女たちは来るべきその日に向け、その儀における催しの全てを伝承してきている。そして数十年いや数百年になるかも知れないその時を経て、今眼前で降神の儀が執り行われている。
シュバルツの理解は置き去りにされ、その舞いを呆然と見ているだけだ。そして降神の舞いの披露が終わり、御神子様は静かにその身を地に伏せる。
その時
祭壇の上がまばゆく輝いたかと思うとソレは現した。
『控えよ』
その一言、ただそれだけでシュバルツは慌ててその身を地に伏せた。本来国の王たる人物が地に体を伏せる事などあってはならない。しかし、それを全く意に介さない程にシュバルツは即行動に移した。移せざるを得なかった。今、目の前に間違いなく『神』は居る。その計り知れないプレッシャーに頭を下げる。周りは静寂に包まれ、自身の呼吸する音だけが響いているような錯覚に陥る。
『リンクルアデルが国王シュバルツ・フォン・アデル三世、並びに神子レイラ・フォン・アデルに神託を授ける』
その≪声≫は深く心の底まで響いてくる。男性なのか女性なのか≪声≫という表現が正しいのかさえ理解できない。
シュバルツは言葉を発さず、ただより一層深く頭を垂れた。名前を聞くどころか声も発してはいけない、頭を上げてもいけない。そのような事は断じてしてはいけない。そのような不敬が許されるはずもない。
『アザベルの名において、アイハラ・ヒロシに関する一切の情報について言及することを禁ずる。更に本人の意思に反する一切の行動についての強制を禁ずる。たとえ互いの益となろうとも本人の意思を尊重するものとし、奸計によって成されてはならない』
一瞬の沈黙の後、
『一度だけ発言を許す』
「恐れながらご質問させて頂きます。アイハラ・ヒロシをリンクルアデルはどう扱えば良いのでしょうか?」
『其方が道を違えない限り答えは自ずと示されるであろう。それらは全て其方自身に返ってくると心得よ。リンクルアデルの未来を考えるのだ』
「ははっ」
『近い内、大陸はまたその形を変えてゆく。その時々に其方が取る決断で未来へと続く因果は大きく変わる。其方が道を違わなければ殻を破った真の英雄がリンクルアデルの未来を切り拓いてくれるであろう』
『リンクルアデル稀代の名君、シュバルツ・フォン・アデル三世よ。言葉の意を違う事無く正しく理解するのだ。そしてレイラ・フォン・アデル、そなたもまた神子として王を支えるのだ。先ほどは実に見事な舞いであった』
光は祭壇の上部へと集束していき、やがて消えた。
残ったのは辺り一面を覆う静寂のみ。
「終わった...のか?」
隣ではレイラが激しく震えている。シュバルツでさえ自身のその手は見てわかる程に震えていた。周りを見れば何人かの巫女は気を失って倒れている。
シュバルツはレイラの肩を抱き寄せその背中をさする。
「レイラ、よくやった!よくその責務を全うした!」
「はい...はい!勿体なきお言葉」
シュバルツは神殿の外に出ると巫女や衛兵に指示を出し、レイラや重臣を直ちに城へと招集した。重臣には侯爵家だけではなく公爵家も当然含まれている。政務を司るアデリーゼの重臣達はその執務の為リンクルアデル城の近辺に居を構えるのが一般的だ。本来居住する城が離れている場合、避暑地や家族の家として定期的に行き来する。報せを受けた重臣達は文字通り飛び起きた。真夜中に国王からの緊急招集など例がない。国家の一大事の報せを受け『直ちに王城へ急行せよ!』その一心で馬車を走らせたのだった。
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謁見の間に集められた重臣達の前に国王が御神子様を従え入ってくる。彼らは臣下の礼を取り王座への着席を待つ。
「皆の者、楽にせよ。今夜諸君に集まってもらったのは先ほど授かった神託の為である」
「神託をさずかったのですか?」
「そうだ、ただでさえ神託を授かるのは特別だというのに今回は事情がまるで違う。そこで先ほど何があったのか、そしてこれから我々がどう動くのか、そしてどうしてくのかを議論する」
皆は沈黙で次の言葉を待つ。
「よいか、これはリンクルアデルの行く末に大きく関係する事と心得よ。余が許可を出すまでこれから話す内容は秘匿事項とする」
神託とリンクルアデルの行く末、そして箝口令。皆が緊張に身を引き締める中、レイラは話し始めた。
「先ほど神託が降りました。通常の神託ではありません。神託が降りる気配を我々巫女はそのスキルで感知することが出来ますが、今回は降神の儀で神託を授かる必要があると感じました。降神の儀が行われた記録は過去にも例がありません。巫女達は準備を急ぐ一方で直ちに陛下へと連絡しました」
「降神の儀、でございますか」
無理もない、臣下達も耳に覚えがない言葉だ。
「降神の儀とは神々を前にして行う儀式の中で最上級の儀礼となります。伝承には本来は時間を掛けて準備に準備を重ねるものとありましたが、事態は急を要しました。私は神罰をこの身に受ける覚悟で儀式に挑みました」
皆は掛ける言葉がない。神罰を受ける覚悟を前に簡単に相槌など打てるはずもない。
「本来神殿で私が神託を受けるのですが、礼拝堂に入る前より既に神が現れました。後から考えると恐らくは上級神、またはそれに属する地位のある神々だと推察されます」
「な、なんですと! 礼拝堂の前に上級神様が?!」
「そう、何もかもが特別なのです。そのお言葉は巫女達と陛下以外の入室を禁ずるものでした。私たちは礼拝堂に入り神殿へと向かいました。神殿で降神の舞いを神々へ納めた後、眩い光が室内を照らしました。私たちは平伏し言葉を待ちました。そして神は仰ったのです...」
一同は次の御神子様の言葉を待つ。
「アザベルの名において神託を下すと」
「その意味が分かるか、ゴードンよ?」
「神の神託が降りる状態になったという事でしょうか?」
「そうではない」
「え?」
「神が言ったのは『アザベルの名において』だ。間違いなくそう仰った。分かるか? 『アザベル様の御名において』ではないのだ。つまり、今回の神託は他の神々が代弁したわけではない!アザベル様自身からのお言葉という事だ!」
「なんと...そ、そ、そのような...」
「リンクルアデルに創造神アザベル様が降臨されたのだ!」
「なんということか...この城にアザベル様が直々に」
重臣達は皆驚きと共にその身を震わせている。神とはこの世界においてそれ程までに絶対的な存在なのだ。
「余は一度たりとも頭を上げることが出来なかった。言葉を発することもだ。地に平伏しアザベル様の言葉をひたすら待った。体中で感じた喜びと畏れは筆舌に尽くし難い。これらの内容については御神子様により全て書に残し後世へと残される。厳重に管理されるその書は国宝に値する。お前たちはこの奇跡の一夜に余と共にあるのだ。その意味をもう一度よく考えるのだ」
そしてレイラはその内容を皆に伝えて行った。アイハラ・ヒロシに関する事、そして大陸がその形を変えていく事。リンクルアデル王がその鍵の一部であるという事。道を違えた時に起きると思われる危機。そして殻を破る英雄の事。
「明日の昼にはレイヴンがアイハラ・ヒロシを連れてくる。隣の特別室にてそれまでにその方向性と取り扱いについて協議せよ! アイハラ・ヒロシを政治的に利用するなどと絶対に考えてはならん! よいか! 道を違えてはならん! その事を今一度肝に銘じておくのだ!」
「はは!」
侯爵は一斉に動き出し特別室へと消えていった。
「アイハラ・ヒロシ...まさか神の子であるとでも言うのか?」
シュバルツはそう呟き、それすら不敬であると考えて自身も特別室へと向かっていった。
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