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よろしくお願いします。
一台の馬車が滑るようにして『海風色の貝がら』へ入っていく。
この店は窓から海岸線を一望できるようにテーブルがアレンジされ、夜には軽いジャズのような音楽を生バンドが演奏する。また裏側からプライベートビーチへ踏み出すと満天の星が迎えてくれる。
教育されたウエイターを始めとするスタッフ、シェフによる海の幸を存分に生かした料理。厳選されたワイン。ここはアルガスが誇る一流料理店でもある。
馬車が止まるとドアマンが近寄りドアを開け一礼する。
「Namelessの社長ヒロシ様でございますね」
「ああ、今日は頼むよ」
「はい、全て承ってございます。こちらへどうぞ」
ドアマンは俺を先導するかのように丁度いい速さで歩く。そして歩きながら大きな両開きのドアの少し前で軽く両手を左右に払う仕草をする。すると奥に控えていたであろう別のドアマンが両開きのドアをサーッと開く。ドアマンはドアの脇に立ち、改めて一礼する。
「お連れ様は既にお着きでございます。ここからは係りの者がご案内させて頂きます」
「ありがとう、助かる」
俺はポケットから銀貨を取り出しドアマンに握らせる。こういうチップは何でもないように自然に渡すのがマナーだ。
「ありがとうございます、それでは良いひと時を」
ドアを抜けると係りの者が控えており、再び俺を先導するように歩く。
ホールを抜けて窓際の席、そこに彼女は居た。
彼女は立ち上がり俺を迎えてくれる。
「ごめん、待たせたかな?」
「ままま、待ってないわよ」
彼女は赤を基調とした太もも辺りまでスリットが入ったタイトなオフショルダードレス、黒で所々アクセントが付けられている。緩くウェーブが掛かった長い髪は後ろに流され、足元はハイヒールを履いていた。
「月並みな表現で悪いけど、すごく素敵だ。よく似合ってるよ」
「ば、バカね。何言ってるのよ。あなたも、そうね、その...似合ってるわよ」
俺は薄い茶系のドレススーツ、白のシャツでネクタイはしていない。シンプルだがこの日の為に仕立てたものだ。
「今日は来てくれてありがとう、嬉しいよ」
「良いのよ、全然良いのよ。な、なんか調子狂うわね」
俺たちは軽く笑いながら着席する。二人のウエイターが椅子を引き、また座る直前に軽く座席を前へ動かす事で椅子は絶妙な位置へ。
側で控えていたもう一人の男が俺たちのテーブルの脇に立ち自己紹介を始めた。
「サティ様、ヒロシ様、本日はようこそ当店へお越し頂きました。私レストラン『海風色の貝がら』のフロアマネージャーのドメートルと申します。よろしくお願い致します」
「ああ、今日はよろしく頼むよ。恥ずかしい話なんだが、勝手がよく分かっていなくてね。色々と教えてくれたら助かる」
こういう時に場慣れ感を出しても良い事は何一つない。ある程度任しておいた方が楽だし、本来の目的である会話に集中できる。マネージャークラスが給仕についてくれるなら全く間違いない。
「もちろんでございます。何なりとお申し付けください。それでは、まずこちらの食前酒とチーズをお楽しみ下さい。今日はコースでのお料理をご用意させて頂いております。都度お持ち致しますが何かご用命の際には何でも結構ですのでお声掛け下さい」
そういう説明をしている間に、ウエイターが用意されている小さいグラスへと食前酒を注ぐ。
「そうだな、ワインを1本選んでくれるか?白が良いな。ラベルに関してはドメートルさんに任すよ。おすすめを頼む」
「畏まりました、僭越ながら料理とこの夜に相応しいものを私の方で選定させて頂きます」
「はは、頼むよ。しかし、今日は何だろうか?失礼だが他のお客さんが少ないというか居ないんじゃないか?」
「はい、今夜はヒロシ様とサティ様のお二人の貸切りとなってございます」
「え?そうなの?」
「左様でございます」
「沢山ウエイターさんとかいるけど」
「それは今夜のお二人様のため」
「あっちに見えるバンドの皆さんは?」
「それも今夜のお二人様のため」
「マジかよ」
「クロード様からご予約の案内を頂きました後、改めてロングフォード男爵家より連絡が入りまして、今日は貸切にせよとの内容でございました」
「は?」
ドメートルはこのリアクションには返答することなく一礼してその場を後にした。
「じいさん、何で知ってんだ?」
「ソニアがゾイド様に言ったからよ」
「は?」
「一昨日ヒロシが来たでしょ? 昨日食事の事をソニアに言ったのよ。そしたらソニアも聞いたって言っててね。そのまま昨日と今日はギルドで色々と相談に乗ってもらったの。それで一緒に男爵家にも行ったのよ」
「は?」
「それでその後あれやこれやと」
「相談って何?」
「何でも良いじゃない」
「あれやこれやって何?」
「何でも良いじゃない」
と言うような、一貫性のあるような無いような話をしながらも次々と運ばれてくる料理に舌鼓を打つ。魚料理は絶品でカルパッチョやアクアパッツァ。肉料理ではタリアータも出てきた。
俺たちは色々な話をした。
初めて会った日の事、男爵家の裏庭で手合わせした時の事。獣人化したとはいえ男爵家の客人を本気で殺しに来るわけはない。少し困らせようと思ったら掠りもしなかったこと。獣人自体を知らなかったと知ったこと。一緒に訓練をした時の事。狂犬との戦闘で共闘した事。スラムで人を保護した事。アッガスとの一騎打ちでその強さを目の当たりにしたこと。
そして、元々はこの世界の住人ではなかったと知った事。
美味しい料理と飲み物が二人の会話のスパイスとなり楽しい時間は過ぎていく。バントの生演奏のリズムが沈黙さえも心地よい『間』として演出される。
そして最後のデザートが出てきた後ドメートルが近づいてきた。
「サティ様、ヒロシ様、如何でしょうか?お口に合いましてございましょうか?」
「ええ、とっても美味しいわ」
「うん、本当に美味しいよ」
「そうですか、誠にありがとうございます。それで大変恐縮なのですが、当料理店で総料理長をしておりますシェフのキューイが是非ご挨拶をと申しております。一言よろしいでしょうか?」
「ああ、もちろんだ。すまないな、本来はこちらからご挨拶させて頂くところだ。申し訳ない」
「いえ、とんでもございません」
ドメートルは後ろを振り返り合図を出す。奥から一人の男性が近づいていた。
「サティ様、ヒロシ様、お初にお目に掛かります。シェフのキューイと申します。本日は当店にお越しいただき誠にありがとうございます。お食事の方はお気に召しましたでしょうか?」
「キューイさん、ご丁寧にありがとうございます。お陰様で堪能しております。本当においしい食事をありがとうございます。いや、上手い言葉が出て来なくて悪いんだけど、ホント美味しいよ」
「滅相もございません。お気に召して頂き大変ありがたく存じます」
「いいよ、もっとラフに話してもらっても」
「とんでもございません。ロングフォードの街で今やヒロシ様のお名前を知らぬ者は居ないと言ってよいほどの御仁です。男爵家御用達の商会Namelessを率いて数々の薬品や装飾品を世に送り出し、またお噂では武の方にも非常に秀でておられる方とお聞きしております」
「その通りでございます、ヒロシ様」
「なんで噂になってんの?」
「噂はあくまで噂。しかしながら今夜貸切りでサティ様と食事をなさるところを見るに...でございます」
「そうなの?」
「ふふ、でもちょっとお喋りじゃないかしら?」
「これは失礼致しました」
「でも俺は商人だからね。戦うってのは言わないでね」
「お客様からの情報を秘匿するのも私たちの務めでございます。あと、サービスでシャンパンをご用意させて頂きます。その前に如何でしょうか? 今日は星がきれいな夜です。一度あちらのテラスから外に出て頂いて浜辺を歩いてみては如何でしょうか?」
「そうか? じゃぁ、そうさせてもらおうかな。サティも良いかい?」
「ええ、もちろん」
「じゃ、行こうか」
俺はエスコートするために腕をそっとサティの方へと差し出す。サティは顔を赤らめながらもその腕に手を通す。
キューイはそんな俺たちを見て一礼して奥へと戻っていった。ドメートルは俺たちをテラス側へのドアへと誘導しドアマンに軽く合図を出す。
「それでは私は中でお待ちしておりますのでどうぞごゆっくり」
ドアの向こうには階段で砂浜に降りれるようになっている。階段の両脇には奇麗なキャンドルが並べられ足元をほのかに照らし出している。
俺たちはゆっくりと階段を降り、寄せては返す波を見ながらゆっくりと散策する。耳に聞こえてくるのはさざ波の音。しばし俺たちは波打ち際に立ちその音を聞いていた。
そして見上げれば満天の星。落ちてきそうな星々が俺たちの頭上に輝く。
「サティ」
「な、なによ」
「受け取って欲しいものがあるんだ」
俺はゆっくりとサティの腕をほどき、ポケットから小箱を取り出した。
「な、なによこれ」
「開けてみてくれないか?」
サティはゆっくりと小箱を開ける。
「指輪? 奇麗ね」
俺は小箱から指輪を取り出す。
「俺の元居た世界ではこういう時に指輪を渡すことに大きな意味を持つんだ」
「そ、そうなの?」
「あぁ」
俺はサティの左手を取りその薬指に指輪をはめていく。
「この指輪はエンゲージリングと言って、愛する女性を一生大切にしたいと誓う時に使用するのさ」
「ヒ、ヒロくん...それって」
「あぁ、お前から剣を捧げられてから随分待たせてしまった。本当にごめん。まだまだ不甲斐ない俺だけど、商売の目途もたったし何とかサティを養っていける自信もついた」
「ヒロくん...」
「サティ、お前が好きだ。一生大切にする。どうかこの指輪を受取ってくれないか」
「ビロジィ...グス」
「サティ、愛して...うぉっ」
サティが抱きついてきてキスされた。
両腕としっぽでホールドされている、いやそんな事は今はいい。
「サティ、返事を聞かせてくれるかい?」
「グス...そんなのイエスに決まってるじゃない。バカね」
星空のキャンバスを駆け抜けていく沢山の流れ星。
その幻想的な景色をバックに、
俺たちは改めてキスをした。
お読み頂きありがとうございます。