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よろしくお願いします。
私は受付嬢の方を見た。
「入って良いのかしら?」
「奥様が良いと仰られております以上、私どもからは何も言う事はございません」
まあ、それはそうね。
「今日はソニア様だけなのかしら?」
「申し訳ございません。利用されているお客様については一切申し上げることが出来ません」
それも一理あるわね。
「早くいらっしゃい」
これ以上待たせる訳にはいかない。私は後ろの二人を見ると目で覚悟を決めろと伝えた。二人は泣きそうな顔をしていたが何とか頷き返し、私の後ろをついてきた。
私たちはVIPルームへと足を踏み入れた。少し仄暗い雰囲気、良い香り、見事な調度品が並びバーカウンター、ソファが並ぶ。会員のロビーとは数段、いえ、もはや次元が違うわ。これが特別会員の世界なのね。それまで素晴らしいと思っていた会員ロビーですら霞んでしまうほどに。
「こっちにいらして」
ソニア様は歩きながら部屋の奥へと進んでいった。談話室のようなものがいくつか設けられているのかしら? 空いている部屋を横目に私たちは一番奥の部屋へと到着する。部屋の前には一人のメイドらしき女性が立っている。
歩きながらソニア様が軽く手を払う仕草をすると、女性は部屋の中に何事か伝えゆっくりと扉を開けた。ソニア様が中へと入ったあと私たちも後に続く。しかし部屋に入ったその瞬間、『ヒュッ』と私は息をのみ硬直した。
「カレンというのはどなたかしら?」
私の前には見間違うはずもない。マリー王妃様が座っておられたのだった。その横にはアンジェリーナ第一王女様、レイラ第二王女様がいる。そしてソニア様の座った隣にはサティ様。
「カ、カフ」
ちょっとヴァーリン、変な声が出ているわよ。エスタは金縛りにあったかのように変な姿勢で動きが止まっている。ロングフォード伯爵家の奥様方、そしてリンクルアデル王妃様と王女様、突然目の前にした光景に私たちは混乱した。
金縛りにあった体を何とか元へと戻し私たちは速やかに膝を折り平伏、臣下の礼を取った。心臓がバクバクなっているのが分かる。目で見えると思えるほどのオーラ。威厳と言うのだろうか。
私はどう言葉を発してよいのか分からなかった。下を向きながら後ろの二人にちらっと眼をやると、ガタガタと震えているのが分かる。分かるわ、私もよ。不敬があった瞬間に私たちの人生は終わる。とにかく王妃様へ返事をしなくては。
「は、はい。お目に掛かれて大変光栄に存じます王妃様。私がカレン・イスマイルです。お初にお目に掛かります」
「そう」
『そう』とはどう解釈すればいいのか。どう返答したら良いのか全くわからないわ。私から何か話しかける事など出来るわけがない。一拍間をおいて王妃様は再び声を発した。
「顔をあげなさい」
私たちはゆっくりと顔を上げた。王族の纏うオーラとはかくも凄まじい雰囲気を持つのだろうか。王家の畏怖に当てられて私の意識は飛びそうになる。
加えて当然の如くソニア様やサティ様にも間違いなく普通とは全く違う雰囲気が纏われているのが分かる。凄い、凄すぎる。今なら私にも分かるわ。如何ともしがたい絶対的な差。
即ち『格』、私は今それを全身で感じているのね。
「そのままでは話し辛いわね、そこのソファにお座りなさい」
「は、はい。ありがとうございます」
私たちはソファへと腰を掛けた。すると待機していた恐らく侍女たちだろうが直ぐに飲み物を用意してくれる。喉がカラカラで飲みたいがとても手を出して良い雰囲気ではない。
「広場で陛下から話はありましたがヒロシさんからあなたのご主人、ラザック士爵に世話になったと聞いているわ。そのお礼を言いたかったのよ。偶然とはいえ会えてよかったわ」
「ありがたきお言葉を頂き大変恐縮です。王家のお役に立ったと聞けば主人も喜びましょう」
「ソニアとも仲が良いそうね?」
「いつもソニア様には気に掛けて頂き良くして頂いております」
「そう、お隣の二人は?」
「彼女たちは私の友人でエスタとヴァーリンと言います。商店を経営しております」
「ソニア知ってるの?」
「初めてですわ。失礼、どのようなお仕事をなさっているのかしら?」
「私はエスタと申します。卸の仕事を営んでおり、ラザック家と取引がございます」
「わ、私はヴァーリンと申します。栄養剤やアロマなどを販売しておりNamelessのレイナ副社長とはよくお話させて頂いていると主人から聞いたことがあります」
「あら、それではあなたのご主人とは面識があるかも知れませんわね」
「Namelessは全て商業ギルドを通しているかと思ったけどそうではないのね?」
「ええマリー様、全てと言う訳ではありません。特に薬品以外のものは直接商店へ販売することもありますわ。ヒロシさんがそう言う道も残しておいた方が良いと」
「まあとやかく言うつもりはありませんが、彼が言うならそうなのでしょう」
「当然ですわ、ヒロシ様がそう言うなら間違いありませんわよ、お母様」
「ふふ、分かってますよアンジェ。それであなた達もここをよく利用するのかしら?」
「はい、毎週と言っていい程通っております」
「分かるわ。良いわよね、こんな場所が近くにあるんだから。流石ヒロシさんね。サティ、ヒロシさんにアデリーゼでもエステサロンを開くように言って下さいな」
「マリー様、ヒロくんはドルスカーナの件と、あと何やら考えている事があるって言ってたからすぐには難しいかも知れないわ」
「あら、残念ね。どうしましょう、私は毎日でも来たいのよ? 直接お願いしようかしら? でもドルスカーナの件は聞いているわ。流石ヒロシさんね。後の話は知らないけど。ごめんなさい、話が逸れたわね。カレン、あと最後に大事な事よ」
王妃様は一息ついてから私に言った。
「今頃あなたの家には通達が行っていると思うけど、明日ロングフォード伯爵家にラザックを連れて来なさい。いいわね?」
「か、畏まりました。その......」
「内容は来てから話をします。急な話だけど問題はないわね?」
「もちろんです」
「結構、私からは以上よ」
「は、はい」
「ああ、最後に」
「はい」
「貴方悪くないわね、合格よ。ヒロシさんとソニアの友達だから心配はしていなかったけれど」
「あ、ありがとうございます」
「よろしい、では下がりなさい」
急な話で訳が分からず、突然の王妃様との謁見はあっという間に過ぎ去った。私たちはいつものオープンカフェに場所を移し先ほどの緊張と興奮について語り合った。
「まさか、王族が使用しているなんて腰が抜けるかと思ったわ」
「私は抜けてたわよ」
「なぜ王女様がヒロシ様の事をヒロシ様って呼んでるのよ?」
「知らないわよ。何かしらヒロシ様に対する絶対的な信頼度を感じたわ。王妃様もそんな感じだったわ。流石ヒロシさんねって何度も言ってたわ」
「そうね」
「それにしても王女様たち凄いお奇麗でしたわよね。あ、そうそう。アンジェリーナ様もドルスカーナでの留学を終えてお戻りになられたと言うのは本当だったのね」
「そうみたいね。信じられない程の知識をお持ちだとの噂よ?」
「誰よ? 王城から出てこないとか言ってたのは?」
「そもそも王家が認めてないのだもの。ガセだったんじゃないの? ホント噂なんてあてにならないわね」
「ホントいい加減よね」
「じゃあスキルが無いとか言うのも嘘なのかしら?」
「恐らくね。でもあれだけお奇麗で知識があればスキルなんて別に無くても良いんじゃないかしら?」
「同感ね」
「しかし、カレンあなた凄いわね。王妃様に名前を呼ばれたわよ? 合格ってどういう事かしら?」
「言わないで、いまだに理解が追いついていないのよ」
「明日は何の話をするのかしらね?」
「良い話だと良いんだけど......」
「合格って言うくらいだから大丈夫よきっと」
「私もそう思うわ」
「良い報せなら一緒に喜んでね」
「もちろんよ。その時には私の店にも仕事を回してね」
「私にもね」
「ちゃっかりしてるわね、全く。でもありがとう」
そして次の日、ラザックは陛下より直々に准男爵の地位に格上げされることが申し伝えられたのだった。准男爵の地位で陛下より任命を直々に承るのは極めて異例の事である。
ヒロシ様からの口添えがあったことは想像に難くなく、イスマイル准男爵家はこれまで以上にロングフォード伯爵家に仕えていく事になる。
その日のラザックの喜びようは半端ではなく、例の如く広間で両手をあげて叫びながら飛び回っていた。
准男爵とはよほどの失敗がない限り将来男爵家になる事は約束されているようなものだ。士爵のそれとは立場が全く違うのだ。私は今も夢でも見ているかのような気持ちだった。
と同時に、私には一つの決意を胸にしていた。この先何があってもラザックを正しく導いていかなくてはならない。絶対に王家と伯爵家に泥を掛ける事があってはならない。
ラザックはバルボア騒動の時にヒロシ様と行動を共にした時から、既に一生仕える人として心に決めていたのかもしれないわね。
私は走り回る彼を見てそう思ったのだった。
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