世界を束ねる男
「さて、キミか」
突然現れた黒服の男は鉄のような無表情であったが、どこか疲れているように見えた。
君か、と言われても俺はあなたを知らないんだけど。あ、俺に話しかけたんじゃないのかもしれないな、と周りをちらと見てみても、俺以外に人はいない。確かにさっきまで数人くらいはここを通っていたはずなのに。……何故? どこかへ消えてしまったのか? いや、でもそんなSFとかファンタジーな世界線なら俺はもっと毎日わくわくして暮らせるはず――
「キミ、それをやめなさい」
ぱっと骨張った手が目の前を過ぎ去り、ハッとしたときには黒服の男はすぐ目の前まで来ていた。
「……あ、やっぱぼくですか」
「キミの視界にはキミと私しかいないだろう」
「まあ、そうですね」
俺が頷くと男はそれでよろしい、と言って何かの電子端末のようなものを取り出し、操作しだした。半ばこちらにも見せるようなくらいの角度で操作するもんだから、覗けということなのだろうかと画面を登る文字列や画像のようなものに目を凝らす。画像は誰か知らない人たちの顔写真だったが、文字列と思われたそれらは日本語でも英語でも、ましてや地球上のどこの言葉でもなさそうな形をしていた。
「それで、今のキミはどういった身分なんだ? やはり中学生?」
となるとこのフォルダではないか、と言ってまた複雑な操作をしだす男。
「えっ? いや、高校生ですけど」
「そうか。なら少し見つけやすい」
比較的母数が少ないからな、と呟く男に俺はそろそろツッコミを入れるべきだと思い、初めてこちらから言葉を投げた。
「ちょっと待ってくださいよ。その前にあなた、あなたは誰なんですか?」
俺がわりと思い切ってした質問に男はふん、と鼻を鳴らして端末を持った手をだらんと垂らした。とても面倒くさそうな顔だ。
「ああそうだったな。キミとは初対面だった。私は端的に言うと超次元的で知的な存在だ。キミの誇大かつ傍迷惑な創造行為を咎める為にキミに会いに来た」
ちなみに固有名詞はその都度変わるのでよろしく。そう付け加えてまた端末を持ち上げその画面を見下ろした男から、俺は一歩離れた。
「……あー、駅前によくいるセミナー勧誘の方? 面倒くさいな、それなら金がある大学生でも釣っててくださいよ。ぼく今からちょっと用事があるんで……」
「コラ。私はセミナー勧誘の方ではない」
「ええ……じゃあやっぱ宗教の人ですか……?」
二歩、三歩と距離を置くと男はまた手を止めて俺をじっと見る。その顔の皮膚に刻まれた皺と眼力になんとなく威圧されて、立ち止まりたくないのに立ち止まってしまった。
あーあ、変な人と会話をしちゃったな。あとから監禁とか殺人とかの事件に巻き込まれたら嫌だな。
「キミはいざというときに空想回路を使わないんだな。いつもそのように超現実的なものに冷淡であれば私もここへは来なくて済んだのに。全く世話の焼ける……」
やれやれと首を振られ、よくわからないうちに俺が悪い感じの構図になったように見えた。嘘だろ、俺まだなんもしてないのに。なんでこのおっさんはこんなに迷惑そうなんだ。
「いいか、よく聞きなさい」
「やです」
「ダメです。聞きなさい」
「ぼくホント宗教とか興味ないんで」
「宇宙や別世界には興味があるんだろう」
「全然」
「平然と嘘を吐くな。そのせいで私はここにいるんだぞ」
ああ、もう。
「はい。ハイハイ、それで? なんですか? 何がしたいんすか結局アンタは」
「だからね、私の仕事を増やすなって言ってるんだよ」
「アンタの仕事って何? 俺べつにアンタの仕事の邪魔した覚えないんだけど」
「しているさ。毎日のようにしてるんだよ。だから、」
「だから私はここにいるって?」
「ああ。……話が還わっているな」
再度、さっきしようとした話を聞けと男が言う。どうせ聞くまでこの馬鹿みたいなやりとりが続くか、あるいは逃げても、なぜかわからないけれど地の果てまで追っかけられそうな気がしたので、俺はしぶしぶ頷いた。
「キミのよく思うことを私は知っているんだ」
「はあ」
「例えばキミが感動的なナニカに出会ったとき。嗚呼、自分はこのナニガシカがいる世界線に生きることができてよかった。と」
「あれ、おっさんわりとオタク?」
「……今の例えの参考元はキミの過去の空想回路だ。確実にキミが考えたことで、私はその記録を読み上げただけだ」
あ、ちょっと不機嫌な顔になった。そして相変わらず何を言っているか分かんないな。
「それで、キミが他の世界を空想することで厄介なことが起こるのだ。というのも私の仕事が、誰に決められたかも忘れてしまうくらい前に決まったやつが……なんだったか。正式な役職の名前は忘れてしまったが、とりあえずキミの言うような『世界線』の束を束ねて管理するという雑用でね。この束ねる仕事というのは本来一人でやるような仕事じゃないのだが、私は当時その任命者と仲が悪くて無理やり一人仕事として押し付けられたのだ。おかげで毎度の分裂と融合の作業だけで発狂しそうなのだが、それはさておき。それで、私の職とキミが世界を空想することの何が問題なのかというと、空想によって新しい世界線が実体を持つ『線』として生まれ、私の管理する世界束が馬鹿みたいにでかくなってしまうということだ」
わかるか。
わかりません。
ちゃんと考えてから答えなさい。君、いつもこういう次元のことを考えているだろう。
……なんとなくわかりますけど、あの、あなたは正気ですか?
まさしく正気だ。君よりずっと。
「じゃあ、えっと、俺が今まで考えた世界線は全部実在してるってこと……?」
「そうだ。想像できるものごとは全て創造されているのだ。この区間の世界束のどこかであれば、必ず」
果てしない話を常識的な顔で肯定された。今まで、現実に生きている人に正気の場で真剣な顔して話したら、間違いなく頭の調子を疑われたような話を。顔を突き合わせた全く知らない赤の他人によって。
なんとも言えぬ新鮮さがあった。
「だから私は無駄に夢見がちな『思春期の民』、つまりキミのような輩には辟易している。キミ達はことあるごとに超現実的な空想に耽り、世界線を乱立させる。その一本一本を無責任に放るだけ放って、治ればいいのだが場合によっては生涯そんなふうに生きていくのもいる。小説家などの作家が産むような、職として必要な空想であるならばまだしも、端緒を開くだけでそのままそれを放置するキミのような輩には全く、困ったものだよ」
「はあ、すみません」
あ、ついに謝ってしまった。
男は変わらずの仏頂面だった。
「謝罪も大事だが、キミの場合は行動の方がより重要だ。どういうことかわかるか」
「え……妄想をやめる……的な?」
「違う。妄想や空想は最低限なら問題ないし、そもそも仕方ないのだ。キミ達にはそれができる知性があるからな。そうではなくて、キミはキミの世界を見つめて創造を最低限にすることを目標とし、行動する必要があるのだ」
「えーっと、はい……つまり?」
「現実的に生きなさい。キミ、高校の……二年生か。そして就職ではなく進学希望と。なら、将来の就職先とそれに合わせた進学先、もっと計画を立てるとしたら就職後の人生設計なども考えて、その実現に向けて勉強なり交友・交際なりをして自分の人生をまず生きなさい」
うわ、急に小うるさい進路指導の先生みたいなことを言い出したぞ。
非現実的な話から、現実、しかもそろそろ鬱陶しくなるくらい迫られそうな話題を振られ、相当露骨に嫌な顔をしてしまったようで、男は呆れたふうに片眉をあげた。
「何故そんな顔をする」
「いや、だって……まさか高次元の存在っぽい人からそんな現実的な説教されるとは思ってないし……」
「高次元の存在は文字通り超現実的なものではなく、誤用的な意味で超現実的なのだ」
「チョー現実的ってこと?」
「そうだ」
「ギャルかよ……」
「ギャルではない」
でしょうね。ていうかギャルって通じるんだ。現実でも死語に近くなってるのに。いや、むしろおっさんの姿だからこそ通じるとか? じゃあもっと若い姿だったらもっと――
「はい、そこまで。今キミの馬鹿な想像でまた世界線が分岐した」
「えっ、じゃあ白石明日香みたいな姿のもいるの?」
「おい」
「いや、だってそんなん、そんなん誰でも想像しちゃうじゃないですか! 白石明日香ですよ!」
「知らん。やめろ」
「あ、じゃあこうしましょう。白石明日香の姿をしたあなた的な存在と交代してください。そしたらマジメに将来のこと考えて行動できます。絶対に」
「それは大変喜ばしく幸いなことであるが、キミがいるこの世界線は残念ながら私が対応することになっている。そしてあれやこれやという超次元的規則により、キミがそのシライシアスカの姿をした私と接触する世界線の私とこの世界線の私を交換することはできない」
「はぁ!? マジかよ! なんで俺の担当者こんなおっさんなんだよ!」
「それは勿論別世界線のキミが『黒服で、こういう感じのおっさんの姿をした超次元的な存在と会いたい』と想像し、私を創造したからだ」
マジかよ。クソだなその俺。いやたしかにこのシチュエーションとこのおっさんの風貌、俺の好みの設定って感じだけど。でもこんなのってねえよ。白石明日香が来てくれるんなら白石明日香に来てほしかった。
「さあ、諦めて現実を生きるのだ。それともキミが創作者になるかでもしないと私はずっと君の傍に付きまとうからな。嫌だけど」
心底嫌そうな顔をしてそう宣言したおっさんに、俺も嫌だわ、と言い返した。
「まあ、少なくとも話が堂々巡りする世界線でなくて助かった」
「へえ、そういうのもあるのか」
「……待て。やっぱ今のナシ」
「えっ?」
「あぁ、私としたことが……!」
「……あ、そういうことか。意外と抜けてますね……」