来世と部長な彼女
「君は来世の存在を信じるかい?」
現在二人しかいない小さな文芸部の部室に彼女の声が朗々と響く。
窓の外は赤みがかっていて、部室の半分を埋める長机に夕陽が射し込んでいる。ぽつんと置かれた花瓶から照り返される陽が眩しい。
すっかり肌寒くなった風が窓から廊下へ勢いよく吹き通る。余波が彼女の髪やカーテンを弄ぶ。
「どうしたんすか、部長。今度はどの本に触発されました?」
俺がぶっきらぼうに返したその言葉に、いやいや……と首を振って、
「ただ純粋に気になっただけだが。ふと、な」
と彼女は対面に座る俺から目を泳がせて言った。
俺は、いやまあ、と口を濁してから、「あったらいいんじゃないすかね」と答えて手元のラノベに視線を戻す。
「逆に部長はそこんとこどうなんですか? 信じてます?」
「そうだな……まあ端的に言えば全く信じていない」
「おお、またばっさりと」
「まあ死んだことがないから断言もできないんだけどな」
そう言ってはにかむ彼女に、じゃあ死んでみたら……と言いかけて流石に不謹慎かと代わりに「そりゃそうですね」と相づちを返す。
「いやな、この前スマホ見てたら、こめんと?で、来世がないと断言するとかバカだとかなんとかっていうのを見かけて私の周りの人間はどういう考えなのだろうと思っていたのだ」
彼女の前において、動画を見ることを始めインターネット端末を使用する一切の行為は「スマホを見る」という表現に帰着する。実際はタブレットでユーチューブを見ていたであろう彼女は、要するにかなりの機械音痴である。
「どういう考えってどういう? うーん、どうなんですかね。相手がどういう来世を信じてるかにもよって話も変わってきそうですけど」
「それはそうだが。と言うかだな、そもそも『信じる』という言葉が嫌いなのだ。各々の信じる何かの存在を正しいとも間違いともせずうやむやにそれを認めてしまっているというようなその表現が」
「わからなくもないですけど、それ言っちゃおしまいでは? 誰も正解を知らないんですから」
「それが嫌なのだ。どうしようもないのは重々承知なのだがな」
「まあ、それが部長らしいんすけどね」
軽く笑う俺に対して、笑い事じゃないぞと軽く笑いながら部長は咎める。
俺は軽く肩を竦めて、野球部のかけ声の飛び交うグラウンドへと目を見やる。夕陽に照らされた彼らはその上空を舞うカラスと同じように黒く染まっていた。
「つまりだな。我々は今まさに脳で物事を考えている訳だが。それを、科学というものを、信じておきながらまた一方で死後の世界や前世来世といったものも信じているということが気持ち悪いのだ」
「じゃあ科学を一切信じてなかったら来世を信じてもいいんですか?」
冗談まじりに聞いたその言葉に、意外にも肯定の言葉が返ってくる。
「そこは個人の自由と言われても……まあ人間賢いようでいて案外何でも信じますしすごいバカしますしね。世の中こんなもんでしょ」
「相変わらず悟ったようなことを言うな君は。実際勉強はできるようだから何とも言えないが、自分もその舐めてる人間と同じ種族ということを忘れたらおしまいだぞ」
「毎回期末テスト学年トップの部長に言われても皮肉にしか感じませんって。ご忠告痛み入りますけど別に舐めてませんし部長こそ悟らないでくださいよ」
あからさまに拗ねた素振りをする俺に、拗ねないでよごめんって、と笑って彼女は膝を折る。
許してあげますと言うと調子乗るなと小突かれた。
「まあ、あれです。何の話か忘れましたけど、来世がどうであれ現世すら上手くできない人間にたった一つ先の世で上手くできる保証もねーよ、みたいな」
「本当、何の話をしてるんだったっけ? なんと言うか、来世のために今世の全てを費やして死が本当のエンドだった人間はどうすれば浮かばれるんだろうな」
「浮かばれるも何も死んだら無ですよ。そこに死人の感情の入る余地も無いでしょ。案外来世を信じる人間だって身近な人が亡くなったら悲しんで、信じきれてないのかも知れませんよ」
「君の方が私よりよっぽど来世を信じてなさそうだな」
と彼女は苦笑する。
「前世の記憶を何も持ってない俺達は結局生まれ変わっても今の記憶は無くって死んだも同然って嫌な話ですよね」
と死ぬほど適当に話を続ける俺に、彼女は言う。
「生きてても記憶は無くなる一方だから、そこら辺はまあ自分の何かが残ってるってだけでもいいって人もいそうだけどね」
「部長自身はどうなんすか?」
「うーん、来世があるという仮定がまず想像つかないからわからないなぁ」
思わず笑うと、彼女はじとっとした視線を向けてきた。
「いやすみませんって、そこからですかってつい」
なんで謝るのだ、と変わらずじと目の彼女に、すみませんよ拗ねないでください、と再びからかい口調で謝る。
拗ねてないと言い張る彼女と笑って謝る自分との押し問答が数分続いたのち、彼女がついに折れて「わかった私が拗ねた悪かった。もう、またいじわるなことを言って」と、じと目を強めて言った。
ひとしきり笑って涙目を拭いながら俺は、すみません、とまた言葉を重ねた。
空はすっかり藍に染まっていた。
「もう、君のせいで話の趣旨が飛んでしまったではないか。ともかくだ、来世とは結局のところ全くの終わりという概念の受け付けられない人間が生み出した根拠のない与太話ではないかと私は思うのだ」
「まあ、その意見だって根拠がないし、与太話かも知れませんけどね。科学なんて聞かされただけのお話を信じちゃってる時点で同類ですよ、俺達も」
「そこを突かれると痛いよ。しかし中立ぶったことばかり言うが、君自身はどうなのだ?」
「だから言ったじゃないですか、来世はあればいいなって。結局死ななきゃ分かんないんすから」
「身も蓋もないな」
とどのつまりはそうなってしまうのだろうけど、と彼女は呟いて苦笑する。
「あろうが無かろうが、今が全てですよ、人間ってのは結局のところ。知りませんけどね」
適当だなぁ君は、と彼女はまた笑った。晴れやかな笑顔にも見えたし、諦めたような苦笑いにも見えた。
俺はただ、綺麗な笑顔だなとだけ思った。
手元の本はすっかりおざなりになっていた。
「じゃあ、我々は今、何のために生きているんだろうな」
「それこそ知りませんよ。毎日が楽しいからだったり、死ぬ理由がないからだったり、美味しいご飯や温かい風呂に柔らかいベッドのためだったり、それぞれ生きてるんでしょうよ」
「それじゃあ、君は今、何のために生きてるんだい?」
「なんですか? そんなに俺が空虚な人間に見えます?」
そんなことを宣う俺に、彼女は慌てたように、そんなつもりじゃ……と首を振る。
「冗談ですよ。まあ、なんです? 未来の俺に可能性を託すために生きてるんじゃないんすかね」
今も別にほどほどに楽しんでますしね、と付け加えて言った。
肝心なところでやっぱり雑なんだから君は、と彼女が拗ねたように言うのを尻目に俺は再び手元の本に視線を戻す。
「あれ? 私の生きる理由は聞かないのかい?」
「いいですよ。興味ありませんし」
「何気に酷いこと言うな!?」
今度こそ拗ねたのかこちらに伸びてきた彼女の手から、「ちょ、何するんですか」と体を仰け反らせて避ける。
「部長への敬意の足りない部員にはお仕置きしてやる」
「え、ちょ、待ってくださいって、すみません俺が悪かったですから」
本格的に俺を襲いかかろうと両手を広げ迫ってくる彼女に、腰を浮かして臨戦態勢に入る俺。
「ほう? だったらなぜ逃げる?」
「いや襲いかかられそうなのに逃げない人いませんって!?」
「ふぅん? 部長に対する誠意が感じられないなー?」
なすすべもなく、ついに彼女に捕獲される。俺の手を掴んだ彼女が口に笑みをたたえたままに、こちらを見据える。
「い、いや、目が笑ってませんよ? ほんとすみませんって、ちょ、ま、ぎゃああああああああああ」
今日も校舎の片隅の一室に賑やかな人声が響く。
そんな日常のために生きているのかな、と一瞬頭を過ったが、それは部長には言わなかった。
いや何のためとかじゃなくてただ日常があってただ生きている、それだけでいいよな。ごちゃごちゃ考えても面倒だし。
やっぱり適当だなぁ、と彼女に苦笑された気がした。