<79>悪役令嬢はデート中に親の思惑を知るようです
中央市場を過ぎてすぐの中央広場も通り過ぎ、シャーロットはブルーノに連れられて地図の北側にあったハープシャー公爵の紋章のあった場所を目指した。
結構歩くのね。街の入り口に停留していた馬車を借りた方が早かったんじゃないかしら、とシャーロットは思った。学校から街へ行くまでにすでにそこそこ歩いている。
ブルーノは時々鼻歌を歌ってはいたけれど、話をしなかった。機嫌は良さそうなので、もしかしてこの人、機嫌が良いと黙る人なのかしらとシャーロットは思った。ブルーノと図書館で資料を山積みに抱えて帰った日も何も話さなかった。昨日会ったサニーは不機嫌だと黙っていた。人によって黙るって意味が違うのね。その点、ミチルなミカエルはなんでも口に出すので、機嫌が良いと笑っているし、機嫌が悪いとぶーたれている。判りやすくて可愛いなと思う。ただ、ミカエルの時は機嫌が良くても悪くても黙っているのでよく判らない。
みんな顔を使い分けているんだわ。シャーロットも猫を被って生活している。
やがて、高い塀に囲まれた大きな門の建物が見えてきた。クリーム色の外壁に明るい茶色の屋根の建物が、門を入ってすぐの沢山の広葉樹に囲まれた小路の奥に見えた。馬車寄せには何台かの馬車が停まっているのが見えた。住宅街の奥まった位置にあるからか静かな場所で、門の中央にはハープシャー公爵家の紋章が見える。
門の傍に立っている二人の守衛に、ブルーノが話し掛けた。年若いカップルが場違いなところに来ていると思われたらどうしようと、シャーロットは思った。いくら公爵家の娘とはいえ、守衛が私を知っているのかどうかは怪しい。
「ダシェス・リジー。予約したペンタトニークだけど、」
エリザベス公爵夫人って、もしかしてお母さまのこと? シャーロットは心の中で母の顔を思い浮かべる。ここはお母さまのやってる事業なのかしら。
「お待ちしておりました。ペンタトニーク様、そして、シャーロットお嬢様。今日はお越しいただいてありがとうございます。」
シャーロットを知っているのか、嬉しそうに挨拶をする。守衛達の意外な反応に、シャーロットは目を丸くした。会ったことない人に顔を知られているのは立場上仕方ないと割り切っているけれど、この施設自体を知らなかったシャーロットには驚きだった。
「こちらこそ、今日はよろしくお願いします。」
さっぱり事情は分からなかったけれど、シャーロットは得意の猫を被って微笑んで挨拶をした。あとでこっそりブルーノに聞かなくては、と思う。
奥まった建物の方から何人かの執事や淡い藍色のメイド服姿のメイドが静々と現れた。公爵邸の侍女の着ているものとは色が違うけれど、メイド服の両腕には金糸で公爵家の紋章が刺繍されていた。執事もどの顔も見たことはなかった。シャーロットとブルーノの前に立つと、お辞儀をして、「お待ちしておりました」と道を案内してくれた。
ますます訳が判んないわね、と猫を被って微笑んだまま、シャーロットは心の中で首を傾げた。
街の端にあるからか、建物の奥の方には開けた庭園が広がっていた。よく手入れされていて、まるでお城のお庭のようだわとシャーロットは思った。王都にある公爵家の庭園の倍はありそうだった。
建物の中に入ると、3回扉をくぐった。やっと玄関というよりは衣裳部屋のような部屋に通された。シャーロットとブルーノはコートを脱いでメイド達に預けた。貴重品や貴金属を箱の中にいれるように促され身軽になった二人には、靴も履き替えるように勧められる。やわらかい布製の室内履きの靴に履き替えて、先頭を歩くメイドについていく。施設内は暖かく、メイド達はスカート丈も短く半袖の淡い藍色のメイド服だった。
廊下の壁には大きな姿見が何枚も壁に置かれていた。
「ちょっと待って、」
ブルーノがシャーロットの手を引いて立ち止まらせた。
鏡の中には、水色のセーターに明るい灰色のフレアースカートで黒いタイツを履いたシャーロットと、灰色のタートルネックのセーターにチャコールグレイ色のズボンを履いたブルーノが手を繋いで立っている。寄り添った二人には甘い空気が漂っていた。
「まるで新婚の若夫婦みたいだね、」ブルーノが嬉しそうに言った。
「違うから。」
本当は同意見だったシャーロットは、賛成する訳にもいかずに口を尖らせて否定した。
メイド達は微笑ましそうに微笑んでいた。歩き始めたメイド達がドアの無い部屋にシャーロット達を案内した。
「ブルーノ様、お嬢様、今日はお越しいただいてありがとうございます。この施設は会員制のスパで、公爵様の御口添えの無い方は会員にはなれません。ダシェス・リジーという施設の名前の御存知の無い方は予約すらできない施設でございます。今日はお嬢様達の他には3組のお客様しかご案内がありませんから、ご安心して寛いでいただけると思います。」
「ありがとう、よろしく頼むね。」
ブルーノが言うと、メイド達は微笑んで、お辞儀をした。
「では、しばらくの間、ご休憩をお願いします。すぐにお茶の支度をいたします。」
中央にひとつだけ置かれた茶色のカバーの3人掛けのソファアにシャーロットを抱き寄せて座ると、ブルーノは言った。ソファアからは右手と左手に部屋が続いていくのが見えた。背の高い観葉植物の植木鉢が衝立の代わりなのか、入り口から中を隠すようにいくつも置かれていた。
「ここはね、シャーロット、公爵領にある観光施設を国内向けに作った会員制のスパ施設でね、美容専門のメイド達が体のコリをほぐすマッサージをしてくれたり、領地から運んでくる温泉水を使って薬草風呂を楽しんだりする宿泊施設でもあるんだ。僕の母さんは公爵領で気に入って会員にして貰って、この国に来るときは利用しているんだよ。」
「そうなの? 私、娘だけど知らなかったわ。」
「公爵家の事業は主に美容と観光だからね。領地にある観光施設や保養施設で十分儲けてるみたいだけど、王都や主要な街にいくつかこういう施設を作ってるみたいだよ。どこも会員制だから公爵の紹介がないと入れないし、庶民は知らないから話題にも上らないよ。存在を知らなくても不思議じゃない。」
学校の購買で売っているレモネードもその事業の一環なんだろうなと、シャーロットは思った。
ブルーノは考え込むシャーロットの瞳を覗き込んだ。
「今日は母さんのコネを使ったし、シャーロットの母上にも話をして予約をしたから、シャーロットがここに来ることはみんな知ってると思う。」
「あら…。だからここの人はみんな、ああいう態度なのね。」
「シャーロットには何も話してなかったのは、驚かせようと思ってたからなんだ、ごめん。」
お茶の支度をしたカートを押したメイド達が入ってきて、小さな丸テーブルの上に紅茶が用意される。
紅茶は柑橘系の爽やかな香りがした。砂糖は見当たらなかった。紅茶は嫌いじゃないけど好きでもないのよね、と思いながら一口だけ飲んで、シャーロットは香りを楽しむことにする。ブルーノは口すらつけなかった。
そんな二人の様子を見て、二人のメイドがブルーノとシャーロットの傍に立った。
「では、お一人ずつご案内させていただきますね。こちらのメイドについてきてくださいませ。」
シャーロットは目の前の、優しく微笑む茶色の瞳の丸い顔のメイドを見つめた。
「ようこそ、シャーロットお嬢様、今日お世話をさせていただきます、マリーと申します。では、こちらに。」
ブルーノとは違う左手の方向の部屋へ案内された。最近どこかであった顔立ちだと思いながら、シャーロットはマリーについていく。
「ここで着替えて頂きます。こちらをどうぞ。この施設内ではこの水着でお過ごしください。」
白いビキニの水着を手渡される。「すべてここで脱いでこの籠にお預けください。まずは薬草風呂をご案内いたします。」
え、水着になるの? ミカエルにさんざん水着はダメだと言われた気がするんだけどなあ…。
「大丈夫ですよ? ここではお客様同士が鉢合わせることはありませんから。」
照れて着替えないのだと思われているらしかった。シャーロットは覚悟を決めて背を向けると水着に着替えた。室内履きも脱いで揃える。
裸足になり、籠を渡すと、マリーがにっこりと微笑んだ。
「では、こちらにどうぞ。」
広いシャワールームに通されると、何人かの待ち構えていた他の従業員達に、さっき着替えたばかり水着の上から丁寧に頭の先から足の先まで洗われる。彼女達は髪を頭の上でお団子にまとめ、白い半袖半ズボンという動き易い恰好をしている。泡を流し洗い終わると、今度はタオルであちこちから水気を拭き取られる。彼女達は丁寧にタオルで髪を乾かし終わると、頭の上にお団子を作るようにまとめてくれた。
「では、薬草風呂にご案内いたしますね。」
目を瞑って羞恥心に耐えていたシャーロットは、再び戻ってきたマリーに大人しく手を引かれて歩いた。
隣の部屋には部屋の中央に大きなバスタブがあった。高い位置に窓があって、日差しがバスタブに注ぎ込んでいた。大人が3人は寝ころんで入れそうな大きさで、なんだかよくわからない緑色や黄色い葉っぱや赤色や黄色い果物が沢山浮いている。
シャーロットはマリーに中に入るように勧められた。恐る恐る浸かると程良い湯加減で、縁に頭を乗せて、清々しい葉の香りや柑橘系の爽やかな香りに目を細めて身を浮かせ、シャーロットは瞳を閉じた。
まるで沼の主になった気分だわ…。シャーロットは頭の中に大きなガマガエルを思い浮かべた。口を半開きにしたガマガエルが、草や実の浮いた沼で大の字になって浮かんでいる絵を思い浮かべる。
しばらくガマガエル気分で湯に浮かんでいると、マリーがタオルを持って部屋に戻ってきた。
「いかがですか?」
「とても気持ちいいです。」
「では、その気持ち良さのまま、次のお部屋に案内いたしますね。」
マリーに体を拭いてもらいながら、シャーロットはマリーの横顔を見つめた。
「もしかして、マリーには御兄弟がいますか?」
「ええ、お嬢様。先日、私の妹にお会いになっていると思います。」
「街の、異国の鉄板屋さんですか?」
だから、シャーロットの事をお嬢様と、あの店員は呼んだのね。シャーロットは納得した。でも、名乗ってないのによく判ったわねー。シャーロットは自分が思っている以上に父に似て穏やかな雰囲気をしていて母に似た美しい顔立ちをしているとは気がついていない。父は母の親戚筋からの婿養子なのだから二人は顔が基本的に似ている。
「ええ、あの店はあちらの言葉で『一期一会』というのです。わざわざあちらの言葉で看板を書いているので、読めない人が多い店なんです。」
「私も読めませんでした。」
ふふっと二人は笑うと、廊下へ出た。
「私がここでお仕事をしているので、妹は学校に通えました。公爵様には感謝しています。」
「基本学校ですか?」
あの女性店員はそこまで幼くは見えなかった。自分よりも年上なのだろう。
「ええ、私は親を早くに亡くしたので、女性で働き口を探すのは難しかったのですが、この街にこの施設が出来て、運よく私はここで職を得ました。ここで働く従業員は親を早くに亡くした者が多いのです。奥様はそういう事情の者達を優先して雇用して下さったと聞いています。」
母がそんな気を使える人だとは思っていなかったシャーロットは驚いた。
「学校に通っているかどうかで、その先の人生は変わります。あの子はきちんと学校に通えて、今では街で一番の店で働かせて貰える機会が得られました。親を早くに亡くした私達にとっては、奇跡のようなことです。」
マリーはシャーロットの瞳を見つめた。
「私も、ここで働かせて貰いながら基本学校で最後まで学べました。ここへいらっしゃるお客様は公爵様のお知り合いの方ばかりなので、安心して働けて妹と安定した生活が送れるのです。親を亡くしたばかりの頃は、どんな汚い仕事をして生きていく事になるのだろうと絶望していましたが、今はそんなことは忘れてしまう程、幸せなのです。」
母も父も、そんな話をしたことはなかった。シャーロットも、知らなかった。
マリーはシャーロットの手を握った。身分に差があり過ぎて、シャーロットには不用意に触ってはいけないと判ってはいた。でも、マリーは感謝を伝えたかった。
「お嬢様に来ていただけて、今日は私達は嬉しいのです。奥様によくしていただいている御恩が少しでも返せたらと思います。今日はごゆっくりさなっていって下さいませ。」
シャーロットは頷くしかなかった。知らない事ばかりで、母をちょっと見直していた。
次の部屋には中央に籐細工のベッドが一つ置かれていて、白い服を着た女性達が4人控えていた。みんな半袖の白い服を着て、動きやすいように白いズボンを履いていた。部屋に人工的な灯りはなく、中庭に面した大きな窓からの明かりだけだった。窓辺の大きな観葉植物の葉が、外からの視界を遮っていた。
「では、あちらにねそべって下さいませ。」
あ、家でよく美容担当の侍女達がやってくれるマッサージね、とシャーロットは思った。どこからか聞こえてくるゆったりとした異国の音楽が、かすかに聞こえる。
シャーロットがうつ伏せに寝そべると、「失礼します」と声を掛けられて、ビキニの紐を解かれてしまう。体のあちこちにオイルを塗られてあちこちから揉み解される。
うちのとは違う…。程よく痛いわ…。シャーロットはうとうとしながら思った。
やがて、タオルでオイルが拭い取られ、ビキニの紐が結び直された。シャーロットは起き上がるようにと声を掛けられた。
「お嬢様、では、お昼をお召し上がりくださいませ。すっかり遅くなってしまいましたが、こちらでご用意がございます。」
渡されたバスローブを羽織りながら、次の部屋に進んだ。やはり中庭に面していて、天井まである大きな窓から景色が見えた。窓辺に観葉植物はなく、手入れされた庭園が見えていた。
部屋の中央には大きな籐細工のテーブルがあって、魚を野菜を中心にした料理が隅々まで並べられていた。
白いバスローブ姿のブルーノがすでに、藤椅子に座って待っていた。
ありがとうございました




