<57>悪役令嬢も心が揺れ動いてしまう夜なようです
王城での建国記念日の記念行事の〆は、夜に行われる祝賀舞踏会とされていて、国中の貴族が一応集められ一緒に祝うということにはなっていた。
でも参加は強制ではなく自由なので、一応国中の貴族が集まっているという建前になっていた。海外からの要人や貴人も多く参加する祝賀舞踏会にはそういう伝手を求める商人も呼び込んで、貴族とは思えない人も混じっていた。おかげで厳重に招待状がお城の入り口で確認される。
エリックにエスコートされ会場入りしたシャーロットは、招待状の確認に並ぶ人のあまりの多さに帰りたくなってきていた。人の動きを見ているだけで疲れてきたのだ。
「あのね、エリック。」
シャーロットは小声で弟に話しかける。
「二人でこっそり帰らない? これだけ人がいたらバレないわよ、きっと。」
エリックはシャーロットの顔を見て、少し口の端を上げた。
「それもいいと思うけど、お姉さまと一緒にいた方がずっと話が出来そうだ。家に帰ったらきっと家族会議だぜ。」
あ、そういえばそれがあった…。シャーロットはそれもそうね、と思った。
「できるだけ一緒にいてね、知らない人ばかりに見えてきたわ。」
「学校の生徒が沢山いるじゃないか、お姉さまはきっとずっと踊らされるんだろうな。まあ、頑張れ。」
「えー、」
シャーロット達の番になり、受付係の侍従達の手で紹介状の確認が終わる。
先の方に騎士団や騎士コースの学生達が見えた。リュートもいた。会場には隣国の民族衣装を着た王族の集団の中にサニーの横顔も見えた。王族の中に、ミカエルとラファエル、ガブリエルも見つける。ブルーノはすぐ後ろでエリックとシャーロットの話を聞いている。
「ローズはさすがにいないのね。」
「こんなに人がいるのに、まずローズを探すんだな。」
「当たり前でしょう。私の大事なお友達なのよ?」
「そう思ってるのはお姉さまだけかもね?」
エリックはそう言ってにやりと笑うと、ブルーノにシャーロットの手を渡した。
「気が変わった、ブルーノ、変わって。」
立ち止まり、ブルーノと交替する。この国の舞踏会のルールを、それとなくブルーノに囁く。
「一曲目は婚約者と踊る決まりなんだ。その後は自由だ。まだお姉さまは婚約中だ。それまで、お前にお姉さまを譲ってやる。」
「エリック、ブルーノの方が年上なのよ?」
エリックは澄ました顔でブルーノを見つめる。
「譲ってもらうよ、エリック。」
ブルーノは嬉しそうにシャーロットの手を取った。エリックはさっさと先に行ってしまい、シャーロットはブルーノとゆっくり廊下を歩き始めた。
「あのカフスボタンは、何か意味があるの?」
ブルーノはシャーロットに問いかけた。
「8月に…、一学期の期末テストで、エリックが上位3人で交換会をしたいって言いだして。たまたま二人のお誕生日が近かったから、お誕生日祝いも兼ねて、お互いにプレゼントを贈り合ったの。」
「上位3人って、誰? エリックとシャーロットと?」
「サニー。」
ブルーノは急に不機嫌になる。
「サニーも、カフスボタン、貰ったんだ?」
「ええ。」
「僕も、欲しいな、シャーロット。」
「ブルーノはいろんなものが欲しい人ね。」
「ああ、欲しいものがあるから頑張れるんだ。」
くすくす笑うシャーロットを見て、ブルーノは微笑んだ。
「その方が、楽しい。そうじゃない? 11月22日は僕の誕生日なんだ。期待してるから。」
そう言ってブルーノはシャーロットの手の甲に口付けた。
「君でもいいな、シャーロット。」
宮廷の管弦楽団の演奏が優雅に始まり、国王が登場すると、会場の大広間は途端に静かになった。
背が高い大男の国王の開催を告げる声は良く響き、歓迎の大歓声とともに舞踏会は始まった。音楽に合わせて踊る者達や、酒の入ったグラスを片手に歓談する者、立食スペースで食事を楽しむ者と、それぞれが舞踏会を楽しみ始める。
シャーロットは近付いてきたミカエルの姿を見つけて、ブルーノに預けていた手を離した。
「シャーロット、」
ミカエルはシャーロットを見て嬉しそうな顔をしたけれど、シャーロットのドレスと同じ色のタイをしたブルーノを見て、真顔になった。
タキシードに艶めくベージュのタイをしたミカエルは、シャーロットの手を取りながら、ブルーノに告げた。
「僕の婚約者を守っていてくれて感謝する。もういいよ、ありがとう。」
あ、怒ってるわ。王子様なミカエルに手を預けながらシャーロットはブルーノに、「またね、」と手を振った。
ブルーノは微笑んで手を振り、シャーロット達を見送る。楽団が軽快に奏で始めたワルツ曲に合わせて、シャーロットはミカエルと踊り始めた。
「シャーロット、白いドレスじゃなかったの?」
身を寄せて踊っているので、囁き声でも十分に話が出来た。
「いろいろあって、やめたの。代わりに急に選んだドレスなの。」
「ブルーノのあのタイは?」
「本当はエリックがつける予定だったんだけど、そっちもいろいろあったの。」
「ああ、リルル王女。」
ミカエルは思い出したように答える。
「シャーロットの家で、お世話するんだって?」
「ええ。早速おじいさまの別宅に行ってもらってるわ。」
「エリック不機嫌だったよね。」
「そうなの。」
シャーロットは今日の謁見での出来事を思い出していた。
「ミカエルと話し合いをする事になっちゃったね。」
「そうだね、あの後、お父さまに根掘り葉掘り聞かれて大変だった。」
「ふふ。どうして誰もが、婚約破棄に話を持っていきたがるのかしら。」
「君は一人しかいないからでしょ?」
ミカエルはシャーロットを見つめた。髪を後ろで一つに括った王子様なミカエルは、ミチルの時とは違って綺麗だけれど男性的な、ハンサムな顔つきに見えた。
「ミカエルは…、婚約破棄したいの?」
「したくない。」
「私もなの。」
シャーロットは笑った。
「もう答えは出てるのに、何を話すんだろうね。」
「そうね、決まってないなら話もあるけれど…。」
チロりと国王を見た。国王は王妃と寵妃と、海外からの要人や貴人と話をしていた。
曲が終わり、次の曲が始まった。シャーロットはミカエルとそのまま踊り続ける。
「ずっとミカエルといたいな…、ほんと、沢山いろんなことがあったの。」
「ああ、知ってる。」
「やっぱり、聞いてたんでしょう?」
シャーロットはくすくす笑った。
「走ってきた割にはすぐに持ち直したし、すごく近くにいたんだろうなって思ったわ。」
「ちょっと遠くまで廊下を走ってから登場したつもりなんだけどなあ。」
「ミカエルとミカエルルートを攻略していけば、このまま婚約していられるのかな。」
「シャーロット次第じゃないかな。」
ミカエルは遠くを見て、黙った。
「あの本のこと、ありがとう。ガブリエルに聞いたわ。」
「ああ、読んであげないと、ね。少しは僕と親密度を上げてほしいし。あの本の話はびっくりしたよ。そんな話、してくれなかったでしょ?」
「あれは…、探せるなら自分で探したかったから…。」
図書館で探すのに失敗したとは言えなかった。
「前に、ミカエルルートの、愛の詩集以外の本を聞いたでしょ? あれが、親密度がぎりぎりに低いと出てくる本なんだ。」
「ガブリエルが昔読んで貰ったことがあるって言ってたわ。その時、ミカエルがシャーロットには内緒だよって言ったって聞いたわ。」
ミカエルは眉を顰めた。
「ローズとミカエルの親密度に関係する本なんて、シャーロットは知らなくてもいいでしょ? あの当時はこんなにシャーロットがゲームを攻略していくとは思っていなかったし。」
「ミカエルはあの本、読んでどう思ったの?」
ミカエルは少し黙る。シャーロットの視線に気が付いて、話始める。
「回りくどいなあって。じれったいなって。」
「いつの話?」
「前世の話。」
マリちゃんだった頃にも読んだことあるから、外国語の本でもガブリエルに読んであげることが出来たんだ、とシャーロットは気が付いた。
「じゃあ今は?」
「子供だなあって。」
「誰が?」
「僕が。あと、王子様も。」
ミカエルは真顔で答えたので、シャーロットはびっくりした。
「ミカエルは大人だと思うわ。いつも私の傍にいて、支えてくれるじゃない?」
「でも、不仲を疑われて、婚約解消を周りからされてしまいそうなんだよ? 子供だから干渉されるんだろうなあって、結構凹んだ。」
「私は悪役令嬢にならなくても、婚約破棄されちゃうのかしら。」
「今、僕が悪役みたいだもんなあ。健気に尽くす公爵令嬢を束縛する病弱で神経質な王子って感じだよね。」
「ナニソレ。冗談にしては面白すぎよね。病弱って誰よ。」
シャーロットはくすくす笑った。
「毎日学校に出てないと、そういう噂になっちゃうんだよ。でも一応学校には毎日行ってるんだけどねえ。」
可愛い転校生な女子生徒ミチルの生活を、ミカエルはやめる気がないのだろう。
「どんなあなたも好きよ?」
シャーロットはミカエルを見て微笑む。
「ありがと、シャーロット、」
ミカエルはシャーロットに頬寄せて囁いた。
このままずっと一緒に踊っていられたらどんなに素敵なのかしら。シャーロットはミカエルともっと一緒に居たかった。
二人の甘い空気を打ち消すように曲が終わり、ミカエルは近寄ってきたクラウディアに交代した。シャーロットもサニーにパートナーを代えた。
タキシード姿のサニーは、シャーロットのドレスを誉め、耳元で囁いた。
「まるで薔薇の花のようだ、シャーロット。」
甘い言葉に顔を赤くして、シャーロットはサニーの首元に視線を下した。耳元で囁き続けるサニーは、優しくシャーロットの背中を撫でる。
「私があげたイヤリングを、してはくれないのですね。」
「あれは…、サニーが私のものなんて言うから…、」
薔薇は愛の象徴とも言われたし、そんな意味を聞いたらほいほい着けられない。シャーロットは困ってしまう。
「あの本は、本当は私に読んで欲しいんでしょう?」
「はい?」
「シャーロットが読みたいのではなくて、その本を読んだ感想を聞きたいのでしょう?」
「どうしてそう思うの?」
「私はその本を知っているからです。」
だから、あの時、お返しを望めたんだ。用意できる自信があったということなんだとシャーロットは納得した。
サニーはシャーロットの頬を撫でた。まっすぐ瞳を見て、囁きかける。
「この国に来たばかりの頃、学校の図書館でローズ、いえ、あの当時はフリッツでしたね。読んでいる姿を見たことがあったのです。辞書の棚ではないはずの本を、こっそり辞書の棚の上に置いて帰っている様子を見て、興味を持ったのです。」
だから図書館を探しても見つからなかったんだわ…。シャーロットは辞書の棚自体が何か意味があるように思えてきた。
「この国の言葉で子供向きに書かれた本だったので、目の前にあった辞書を引きながら読みましたよ?」
「よその国の本じゃないの?」
シャーロットは目を見開いた。あの時ローズが見ていた本には、見覚えのない単語が綴られていた。
「この国の言葉でしたよ? 難しい単語は出てこなかったので、子供向きかと思いました。言われてみれば内容は大人向きですね。」
シャーロットはサニーを見つめた。同じ本の話をしているのか疑問に思え、瞳の奥の、深いところにある本音を見つけてみたかった。
「題名は同じだった?」
「ええ、リトル・プリンス。薔薇と王子様の本ですよ?」
気を悪くしたそぶりも見せず、サニーは優しく微笑んだ。同じ本が2冊あるのかなあ…。シャーロットは不思議に思い首を傾げる。サニーはシャーロットの手を握る手を、何度か握り直した。
「あの薔薇は、私にはシャーロットに見えました。だから、フリッツもシャーロットが好きなのだと、ずっと勘違いしていました。」
だから、私とロータスの仲を勘繰ったりしたんだ。シャーロットは納得がいく思いだった。
「手に入りそうで手に入らない薔薇が、私には愛おしく思えました。手間暇かける価値があるのに、それを違うどこかの薔薇でやり直そうなんて、王子は身勝手だとさえ思えました。」
「私が薔薇…。」
お父さまにとってお母さまは唯一の薔薇だとシャーロットは思っていた。そんな風になりたいとも。目の前のサニーは私を薔薇だと今、言った。急にサニーが特別な人に思えた。
「私の国の言葉で書かれたあの本はまだ見つけてはいませんが、私の感想は今お伝えした通りです、シャーロット。」
サニーの茶色い瞳が、優しくシャーロットを見つめていた。
「サニー、あなたは、どうしてそんなに私に優しいの?」
シャーロットの疑問に、サニーはゆっくりと微笑んで囁いた。
「あなたが好きだからです、シャーロット。傍にいて欲しい。傍にいて、私はあなたに愛を囁き続けていきたい。」
曲が終わりかけ、2曲続けてシャーロットと踊ろうとしたサニーに、別の女性が手を差し伸べた。
「では、また、シャーロット。」
シャーロットは頷いて、手を伸ばしてきた別の誰かと交代した。
頬を染めてぼんやりとしたまま踊っていたシャーロットは、「シャーロット嬢、」と名前を呼ばれて自分の踊る相手に気が付いた。
瞬きをして見上げれば、リュートだった。
「どうしました? 調子が悪いのですか? シャーロット嬢。」
「いいえ。大丈夫です。」
よっぽど体力のない子だと思われてるんだなあ、とシャーロットは思った。
「そうですか。ならいいです。」
リュートは黙ってしまい、無言で踊り始めた。シャーロットは強く抱き寄せられて、リュートから視線を外せないまま無言で踊った。
それは惹かれ合う二人と思わせるような親密さで、見つめ合い無言で踊るからこそ余計に何かあるように思わせわれて、周りを踊る者達からは好奇の視線が寄せられていた。
シャーロットはそんな視線に気が付かないまま一曲踊り終え、その後は騎士コースの学生達や騎士団の者達と延々と踊り続けた。エリックが言っていた通り、休憩もなくずっと踊らされていたのだった。
ラストダンスに曲が切り替わる頃には、シャーロットはへとへとになっていた。舞踏会は体力がないときついわね、とシャーロットは思った。やっぱり参加はたまにでいいわ…と早寝早起き派のシャーロットはしみじみ思う。
「シャーロット、最後は僕と、」
ブルーノが手を伸ばしてきた。慌ててミカエルを探すと、ミカエルはすでにクラウディアと踊り始めていた。ミカエルよりも背の高いクラウディアに、ミカエルは余裕を持って踊っていた。婚約者は私なのに…!
シャーロットは悲しく思ったけれど、父が言っていたように、向こうは一国の王女、自分は一貴族の娘だった。諦めなくてはいけない場面なのだろうと思った。
ブルーノはシャーロットの腰に手を回すと、ゆっくりと揺れ始めた。ラストダンスのバラード曲は、抱きしめあって体を揺らす程度の動きでよかった。
背が高いブルーノは包み込むようにシャーロットを抱きしめ、耳元で囁いた。
「今日は踊れないかと思ってた。」
ラストダンスがブルーノになるなんて…。シャーロットは言いかけた言葉を飲み込んだ。
「踊ろうと思えばいつでも踊れるわ?」
「君が結婚してくれたらね?」
「どうしてブルーノは私に拘るの?」
「君が好きだから。拘ってるんじゃなくて、君しかいらない。」
「他に…、今まで好きな人はいなかったの?」
シャーロットはミカエルずっと好きだし、今も好きだった。
「いたかもしれないけれど、忘れた。」
ふっと微笑んで、ブルーノはシャーロットの頬に口付けた。
「この先も一緒にいたいのは、君だけだ。」
囁くブルーノの声は熱くて、シャーロットは心が震えた。
「君が、好きなんだ。シャーロット。」
ゆっくりと揺れながら踊り、囁くブルーノの声は、甘く甘く、シャーロットの心に響いた。身体を揺らすリズムに身を委ね、言葉に酔いしれる。
曲が終わり、国王が閉会の言葉を述べると、拍手とともに退場が始まった。シャーロットは人の流れに乗って、シャーロットの腰を抱いたままのブルーノと歩き出した。
「このまま送って行こうか、シャーロット。」
ブルーノの優しい声に、シャーロットはつい、そうしようかなと思ってしまう。
吹き抜ける夜風が頬を撫でて、意識が戻る。はっ、いかんいかん。
「大丈夫よ?」
シャ-ロットは即答して、流されそうになる自分を律した。いかんいかん、それはいかん…。
ブルーノに礼を言って別れ、馬車寄せで見つけたハープシャー公爵家の紋章の付いた馬車に乗り、シャーロットは他の家族が来るのを待った。
ホッとして窓の外を見ると、馬車の前でブルーノが立っていた。馭者と執事は戸惑った様子で様子を見守っていた。
「どうしたの? ブルーノ。」
馬車を降りて尋ねたシャーロットに、ブルーノは気不味そうな顔をした。
「君を一人で置いておくなんてできないだろ。誰かが来るまでここにいるよ。」
美しい人はそう言うと、優しく微笑んだ。
ありがとうございました




