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<56>悪役令嬢のお母さまはエリックルート押しなようです

「仕方ないじゃないの。予定では婚約解消を終えていて、この後の舞踏会は実質あなたと新しい婚約者のお披露目を予定していたんですもの。」

 舞踏会用に着替えを済ませていた母は、開き直ってシャーロットに答えた。破棄じゃなくて解消と言う辺りが、すべてを計画していたと伝わってくる。

 シャーロットは、後ろに回って抱き締めてくるブルーノの腕を解こうと頑張っていた。次第に指を絡まれて、握られてしまう。

「あのね、お母さまもブルーノも、気が早すぎると思うの。とにかくこのドレスを脱いで違うものを着ていくから、いい?」

 ブルーノは後ろから、シャーロットに甘く囁く。

「そんなことを言わないで、シャーロット。よく似合ってるよ?」

「そうそう、せっかく作ったんですもの、今日はそれを着て行ってほしいわ。」

「お母さま…。同じ作るなら普通に舞踏会用のドレスを作ればよかったでしょう? 婚礼衣装を結婚式でもないのに着るなんておかしいわ。」

「この国の婚礼衣装は違うもの。気が付かないわよ?」

 この国の婚礼衣装は金糸で刺繍など入っていない、普通に真っ白な純白のドレスだった。

「シャーロットだって、その刺繍を美しいと思うでしょう?」

「美しいとは思うけれど…、それとこれとは話が違うわ。」

「同じよ? 美しいと思うならそれを着ればいいじゃない。」

 へ、屁理屈だ…。シャーロットは思った。

「着替えは終わったかい、シャーロット。」

 母が開けっ放しにしたままのドアから、父とブルーノの両親が部屋に入ってきた。

「まあ、なんて素敵なんでしょう…!」

 夫人が感嘆の声をあげる。

「ブルーノ様の分もお作りしてありますのよ? お部屋をご用意しますから、着替えてみてはいかがです?」

 母の提案にブルーノは嬉しそうに答えた。やっぱり揃いで作ってたんだ…。シャーロットは自分の親の抜け目無さが怖く思えてきた。

「ええ、ありがとうございます。行ってくるから、シャーロット、ここで待ってて。すぐ来るから。」

「ブルーノ、ちょっと、待って。」

 シャーロットの引き留める声を無視して、優雅に母がブルーノを案内して部屋を出て行ってしまう。

 部屋にはシャーロットと侍女達、父とブルーノの両親が残った。

「お父さま、私には何の説明もないなんて、」

 不満そうなシャーロットの顔を見て、父は言い淀んだ。

「すまんな、シャーロット。説明したものと思っていたんだ。」

「シャーロット、素晴らしい格好だ。君の意思表示として、今宵はその恰好で舞踏会にブルーノのエスコートで出席してほしい。」

 ペンタトニークが言えば、夫人が深く頷いている。

「いえ、あの、私はまだ、ミカエル王太子殿下との婚約中です。さすがに他国の婚礼衣装を着て国の記念行事に出ることはできません。」

 王太子であるミカエルの傍で他国の婚礼衣装の格好は、無理だろうと思う。それこそ国家反逆罪で断罪されて婚約破棄されちゃうじゃない、とシャーロットは思った。

「私も、婚約者を捨ててこの人と結婚したのよ?」

 夫人が微笑んだ。意外な人の意外な経歴に、シャーロットは目を見開いた。

「私の場合はもともと望んだ婚約じゃなかったから、婚約者を捨てる結果になっても後悔なんかなかったわ。40も年上のよく知らない貴族の後妻なんて、うちの親も何を考えていたのかしらね。」

「あの頃は私も若かったからね。違約金が発生するなんて気が付いたのは、妻の家が消えかけた頃だったよ。」

 ペンタトニークが面白そうに言った。

「そうね。私にはざまあみろとしか思えなかったわ。私を売り飛ばそうとしてたんだと思うと、発生した違約金を払う為に家が没落してしまっても、自業自得としか思えなかったもの。」

 夫人は自嘲気味に笑った。シャーロットはおずおずと尋ねる。

「今は…、ご家族の皆さんはどうなさってるんです?」

「さあ。連絡を取っていないもの。元気にやってるんじゃないかしら。兄が一人で生きていくには困らない程度に資産はあるようだし、兄一人ならどうにでもなるんじゃないの?」

 夫人はなかなかすさまじい経歴だったんだなあとシャーロットは思った。婚約破棄しても無事だったんだ…。大丈夫ならちょっと安心…。あ、いかんいかん、とシャーロットは首を振る。うっかり流されそうになっていた。

 シャーロットは父を睨みつけた。

「お父さま、とりあえず着替えますから出て行ってくださいませんか? お話はその後で、」

「まあ、待てシャーロット、お母さま達を待ってからでもいいじゃないか。」

 いや、それがまずいと思うんだけど? シャーロットは侍女達に目配せする。部屋の隅に控えていた美容担当の侍女達は、シャーロットと目が合い何度か頷いて、支度を始めた。

 シャーロットのドレスルームへ何人か消えていく。シャーロットは、母が趣味で誕生日に勝手に何着か作らせている事を知っていた。お誕生会に着たあのピンクのドレス以外に着たことのないドレスを見つけていた。

「お待たせ、シャーロット、」

 ブルーノの着た白い上下の礼服には、シャーロットと同じデザインの金糸の刺繍が施されていた。

 完全に婚礼衣装っていうか、結婚式だよね? シャーロットは眩暈を感じた。さすがにこの格好で舞踏会とか、ないから絶対!

「二人並んでごらんなさい、」

 嬉しそうな母がブルーノをシャーロットの傍に立たせる。うんざりした表情のシャーロットの腰を抱いて、ブルーノは嬉しそうにシャーロットの頬にキスをした。

「このまま国を出よう、シャーロット、」

「いや、出ないし、まず着替えるから。」

「お似合いねえ、シャーロット。」

「舞踏会は出席しなくていいんじゃないか?」

 シャーロットは腹が立ってきた。優雅に微笑むと、できるだけ優しい口調ではっきりと言った。

「皆さま、お褒め頂いてありがとうございます。では、着替えますので、退室してくださいませ。出て行っていただけないようでしたら、皆さまの目の前で着替え始めますけど、よろしいかしら。」

 侍女達を手招きして、シャーロットは強硬に着替えようとした。

「仕方ないわね、シャーロット、」

 母は諦めたように父にも退室を勧めた。

「申し訳ないですけれど、部屋を出ましょうか。またこのドレスを着る日までのお楽しみにしましょう、皆さま。」

 ブルーノはもう一度シャーロットを抱きしめて、自分の背でシャーロットを母達から隠した。

「早くきちんと式を挙げよう、シャーロット。」

 そう囁いて、あっという間にキスをする。シャーロットがブルーノの胸を叩くと、ブルーノは離れ、口についた口紅を舐めた。

「続きはまた今度。」

 そう言ってブルーノは部屋を最後に出た。続きなんて絶対ないから。シャーロットは手を固く握った。

「はあ…、」

 溜め息をついたシャーロットに、ドレスルームから何着かドレスを持ってきた侍女達が集まってきた。

「みんな、ごめんなさいね。知らなかったとはいえ、無駄に支度をさせてしまって。」

 謝るシャーロットに、侍女達は首を振った。

「めっそうもない。滅多に帰っていらっしゃらないお嬢様の御着替えをさせて頂けて、私どもは楽しいですよ?」

 侍女に気を使ってもらうって、私って一体…と思いながら、またシャーロットはじっと立って、着せ替え人形に徹するのだった。


 赤紫色の大きく背中と胸元の開いた流れるような、袖無しの流行のデザインのドレスに着替え、髪には真珠の付いた白い花飾りの他に桃色の花飾りも加えた。

 シャーロットが大人しく臙脂色の肘まである手袋を嵌めて貰っていると、母が入ってきた。

「まあ、それはそれで素敵な仕上がりね、シャーロット。」

「お母さま、」

 しれっとした表情の母を、シャーロットは睨みつけた。何か他に言う事があるんじゃなくって? 

「あなたには話しておかなかったのは悪かったとは思っているけれど、あのドレスでもよかったと思うわ。あれなら、知らなければただのドレスでしょう?」

 シャーロットにはそうは思えなかった。

「ミカエル王太子殿下は、リルル様の国の婚約方法の回避の仕方をご存知だったのよ? それくらい調べてるんじゃないかしら?」

「あら、あの方はご存知だったのね。エリックはまんまと引っかかっちゃったみたいだけれど。」

 母はおかしそうに笑った。

「エリックで13人目の候補ですって。」

「13人…。」

 私には無理だなとシャーロットは思った。

「で、エリックはなんと言ってるんです?」

「帰国するまでは付き合うが、帰国したら忘れることにする、って言ってたわよ?」

 エリックらしいや。シャーロットは思った。それでも今晩はいろいろ話がありそうだな…。

「お父さまに聞いたんだけれど、今度、ミカエル王太子殿下とあなたと国王陛下とで婚約の見直しをするのでしょう?」

「ええ、お父さまとブルーノとペンタトニーク公がそうお願いしたから。」

 それに祖父とリュートと、同じお願いをしたのよね。

「私は…、」

 母は何故かシャーロットの目から視線を外して、言葉を止める。

「あなたが話してくれた薔薇の話を聞いて、少し、あなたへの見方が変わったと思うわ。私はあなたのお父さまを婿養子にしての結婚だったから、私の望みを叶えてくれることが前提の結婚だったの。」

 母の瞳をシャーロットは見つめる。いつになく優しい口調の母は、ゆっくりと、言葉を選びながら話をする。

「そう思っていたけれど、この前、あの人は、結婚は運命なんかじゃなくて、運命を作っていく過程なんだと言ったわ。私は私を望まれて結婚したんだと、やっと気が付いた思いがしたわ。」

 言葉を再び詰まらせ、母は言った。

「そういう私達を見て、あなたは好きだと言ってくれた。お母さまはお父さまの唯一の薔薇とも言ってくれた。お父さまみたいな王子様を見つけれたらとも言ってくれた。」

 言葉を止めた母の瞳が潤んでいるように見えて、シャーロットは母の手を取って握った。

「今も、大好きよ、お母さま。」

 時々暴走するけどね。

「私があなたにしてあげられることは、あなたの選んだ道を肯定してあげることかもしれないって、少しだけ思ったの。あなたは私のとっては悩みの種だけど、ちゃんと考えてるんだって、少しだけ判った気がしたのよ。」

 鼻を啜る音がして、母は我に返り口調を変えた。振り向けば、母に付き添って入ってきた古参の侍女がハンカチで涙まで拭っている。傍に控えていた侍女達も下を向いて鼻を啜っている。

「あなたが思うようにお話ししていらっしゃい、シャーロット。」

 母は優しく微笑んだ。

「今日はその格好でいいわ、シャーロット。まだ、ミカエル王太子殿下の婚約者だものね。」

「これから先も、よ、お母さま。」

 シャーロットはミカエルと婚約破棄する気はない。婚約破棄される気もなかった。

「じゃあ、行きましょうか、シャーロット。」

 母はシャーロットを促して部屋を先に出た。

 なんだか嫁ぐ花嫁みたいな雰囲気になっちゃった気がするんだよね、とシャーロットは思いながら後を追った。部屋の中からは侍女達の鼻を啜る音が聞こえてきていた。


 ブルーノは結局元のタキシードに着替え、シャーロットの赤紫色のドレスを見て、「同じ色のタイが欲しいな、」と呟いた。

「同じ布でエリック用にタイを作らせてありますから、それをお持ちになって。」

 母はまた余計な提案をして、ブルーノにアスコットタイを都合していた。

 エリックはタキシードに深緑色のアスコットタイでやってきて、ずっと無言だった。リルルとその一行は姿が見えず、祖父の別邸に移動したらしかった。

「シャーロットお姉さま、エスコートは俺がするからな。」

「リルル様はいいの?」

 シャーロットが一応尋ねると、エリックは不機嫌な顔つきになった。

「ああ、もう明日には帰国するだろう。とりあえず、今晩はお姉さまの部屋でお茶会決定だから。」

 いやいや、そんな決定いらないから。シャーロットが首を振ろうとすると、ブルーノが話に加わってきた。

「エスコートなら、するけど?」

 侍女に持ってこさせたタイに代えたブルーノは、シャーロットとお揃いの色合いになった。

「俺はお姉さまにこれを貰った。ブルーノは貰ったことないだろう?」

 タキシードの袖を捲って、カフスボタンをブルーノに見せた。8月の交換会でシャーロットがエリックにあげた、金細工の装飾の美しいペリドットのカフスボタンだった。もしかして、サニーもこれをつけてくるのかしら。シャーロットは少し不安に思った。今日はもしかして薔薇のイヤリングの話になるのかしら…。

「だから今日は俺がエスコートでいいんだ。ね、シャーロットお姉さま、」

 もしかすると舞踏会の間中ずっと煩いエリックに捕まって話を聞かされるかもしれないな…と、シャーロットは思っていた以上の不機嫌さに閉口した。

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