<55>悪役令嬢は外堀を埋められているようです
控えの広間に戻ったシャーロットをブルーノは放そうとしなかった。すでにリュートやチーム・屋上の学生達は退室していて、シャーロットは自分の手を握ったまま離さないブルーノの顔を見た。
「シャーロット、お昼ご飯、まだだろう? 僕の両親と君の家族とで公爵家へ一度帰って会食することになっているんだ。」
謁見が終わった後いったん家に帰って食事をして、夜開かれる舞踏会に向けて着替える話は聞いていた。ただ、ブルーノの両親と会食という話は初耳だった。シャーロットは、また何か企んでるわね、うちの親は、と両親をちらりと見た。
エリックの手を放そうとしないリルルに、大使と通訳が何かを言っている様子だった。両親はエリックを説得しているように見えた。
「うちの親はそうでもないみたいだけど?」
シャーロットは小声でブルーノに尋ねた。
「あれはいったい何を揉めているのかしら。」
「ああ、どうやら大使は王女と次の訪問国へ向かいたいようだけれど、リルル王女がもう少しこの国を見学したいと言ってるみたいだね。」
「そう。この国で泊まるあてはあるのかしら。」
約束もなく外国の王族を歓迎するなんて貴族は、そうそういない。
「たぶん揉めてるのはそこだよね。」
ブルーノは肩をすくめた。
「大国だから借りを作りたくないけど、貸しを回収したいところなんだろうな。うちの親の持つ別荘がいくつでも他の国に行けばある。この国にもいくつかあるけど、今、王都の別荘は親が泊まって使ってるんだ。」
「だったらうちに泊まればいいわ。私はあの人、好きよ?」
シャーロットはリルルが嫌いではなかった。言葉が通じないだけで人を嫌っては可哀そうだと思った。
「シャーロットがそう言っても、エリックがいるからダメなんだろうね。一応婚約が成立した間柄だから。」
婚約したら結婚までは同じ家に寝泊まりできないのかな。シャーロットは首を傾げた。同じ家に泊まったからと言って、何かが起こるわけでもないだろうに。
「いろいろ大変なのね。」
「何しろ海の向こうの国だからね。この国と文化に違いくらいはあるよ。」
ブルーノの言葉は、シャーロットの胸に響いた。
「私も、ブルーノと違う国の人だわ。」
「そうだな。何から教えればいい?」
ブルーノは人前だというのに、シャーロットの顔を両手で包み、瞳を見つめた。
「愛の言葉がまず先かな?」
「そういうのは恥ずかしいからやめて。」
シャーロットはブルーノの腕をとんとんと叩いた。手は離れたけれど、ブルーノは距離を詰めたままだった。シャーロットを見つめたまま、優しく微笑む。
照れ臭いなあと思いながら、シャーロットは提案する。
「ご飯食べに行こう、ブルーノ。一緒に行って、リルル様と一緒にご飯を食べようって誘ってみようよ?」
シャーロットの言葉に、ブルーノは「シャ-ロットは優しいね、」と頷いた。
リルルと大使達を連れて、シャーロット達は公爵家へ戻った。ブルーノと両親も一緒だった。先に行かせた使いの者が手際よく手配してくれ、そのまま昼食会となった。
「私が我儘を言ったの、ごめんなさいね。」
父や母が何かを言う前に執事や侍女達にはそう説明して、シャーロットは大きな長テーブルのブルーノの向かいの席に座った。本当はエリックの婚約者となった女性を一番近くの席で観察したかったのだけれど、仕方ない。
エリックはリルルの向かいに座っていた。リルルの隣に座る大使が通訳に何かを話しかけて通訳させながらの昼食会は、それなりに和気あいあいとした雰囲気で進んだ。
リルルはエリックの言葉を必死で真似ているようで、何かをリルルが質問し、通訳がエリックに伝え、エリックが答えた言葉を、リルルが復唱していた。意味はその後、通訳が伝えた。
「ブルーノの国の言葉は難しい?」
シャーロットはその様子を見ながら食事していて、ブルーノに話しかけた。
「この国の言葉とあまり変わらないよ?」
ブルーノはシャーロットの瞳を見た。
「僕がつきっきりで教えるよ、シャーロット。そうやって、僕の父さんも母さんを手に入れたんだ。」
「私は3か国語が話せる。」
ペンタトニークが会話に参加する。シャーロットとブルーノを見比べて、言った。
「私自身の母国語と、私の母の国の言語と、妻の母国語だ。他は話せる者を雇えばいい。必要なのは、夫婦が意思疎通できること、だからな。」
夫人もうっとりとした視線をペンタトニークに送って、微笑んで言った。夫人はこの国の伯爵家の出身だった。没落してしまった貴族で、今は後を継ぐ者はいないと聞いたことがあった。
「私も、夫の国の言葉と自分の国の言葉しか知らないわ。それも、夫の国の言葉は少しだけなのよ、シャーロット。私の夫は、私の為に、いつも先回りして助けてくれるの。だから、必要のない言葉を教えてくれないの。」
「まあ、素敵ですこと!」
夫人の向かいに座る母も、会話に参加してきた。エリックと通訳とリルルの3人での会話を見守るのを諦めたようだった。結構じれったいもんねー、とシャーロットは思った。
「お互いの文化の違いを埋めていく作業は、とても難しくて、とても楽しい時間なんだ。シャーロット、一緒に歩いていく楽しみが、異国人との結婚にはあるんだよ?」
ペンタトニークはそう言って、夫人と微笑み合った。
ブルーノはシャーロットを愛おしそうに見ていた。シャーロットはエリックとリルルの会話を聞いている方が楽しそうだな、と思った。これ以上実にならない会話をブルーノと続けても仕方ない気がした。
「リルル様は、今日はどちらに泊まられるのですか?」
話を変えたシャーロットに、名を呼ばれたと理解したリルルはシャーロットを見つめた。
「うちでお泊り頂くことにしたわ、シャーロット。」
母が口の端を上げて言った。あ、これ、何か企んでる顔だ。母の娘歴の長いシャーロットは母の表情を読み取った。
「リルル様達には申し訳ないけれど、お父さまの別邸にお泊り頂くの。あそこなら広いし警備も厳重だし、何よりお城に近いわ。」
なるほどね、とシャーロットは思った。で、うちに祖父が堂々と泊まりに来るのね。つまり、今晩は反省会が待ってるんだわ…。
「父上には急ぎの手紙で知らせる。まあ、それが一番良いだろう。」
父は母の顔を見て頷いた。
エリックはずっと無表情だった。後が怖いわ…とシャーロットは思った。今晩私は寝られないかもしれないわね…。エリックの愚痴を聞いてやらないといけないかもしれない。
父は通訳に説明をし、通訳が大使とリルルに説明した。二人は納得したのか嬉しそうにエリックを見ていた。
エリックが頼れる男だと認識したんだろうな、とシャーロットは思った。以前ミカエルに聞いたゲームの中のエリックの、ローズではない結婚相手ってもしかしてこの人なんじゃないのかしら。シャーロットはなんとなくそう思う。これだけ初対面でエリックに興味を示してくれる女性は、この先、現れないかもしれないな、とも思う。
「シャーロットは一人で眠れそう?」
「ええ、当たり前じゃない。」
ブルーノの質問にシャーロットは即答する。寝れる時間が取れるかどうか問題だけどね、とも思うけれど、黙っておく。経験上、こういう日のエリックの話は非常に長い。
「添い寝が必要ならいつでも言ってね。」
冗談にならない冗談を言うブルーノに母の顔色が変わったので、シャーロットはあーあ、知らないよ~と思い、母から顔を背けた。
昼食会がお開きになると、父はゲスト達を歓談室に招き、食後の休憩に誘った。
シャーロットは自室で侍女達に手伝ってもらってドレスを脱ぎコルセットを外した。下着姿でそのままお風呂へと向かう。身綺麗にして出てくると、髪を乾かしてもらい化粧もし直し、侍女達に言われるままに体を委ねながら、夜の舞踏会の準備をしていた。
ただ立っているだけですべてをしてもらえるのは素晴らしいことだと、着せ替え人形になっているシャーロットは思った。
舞踏会用のドレスは、白地に金糸で細かい刺繍が施されたエンパイアラインのドレスだった。結い上げた頭に飾るのは大きな真珠の付いた白い花飾りだった。
鏡の中の自分はどう見ても花嫁に見えて、これ、本当に婚約破棄された後に着る予定だったのかなとシャーロットは不思議に思った。
スズランの香水を吹きかけられながら、香りが落ち着くのを待ってシャーロットは尋ねた。
「ねえ、これ、お母さまが本当にこれを着ろと仰ったの?」
美容担当の侍女達は驚いたようにシャーロットを見た。全部仕上がった後で聞く質問じゃなかったわね、ごめんね、とシャーロットは心の中で反省する。
「ええ、初めからの予定通り、このドレスを、と奥様からは伺っておりますが。お嬢様、何か不都合でも?」
「いいえ。それならいいの。なんだかとても…、花嫁衣裳って言われてもおかしくない格好だなと思って。」
ほっとした様子で侍女達はシャーロットを励ました。
「そうですね。でも、今日のエスコートはエリック様と伺っておりますから。エリック様もお嬢様とお揃いの柄で金糸の刺繍が施されたアスコットタイをされるそうですよ? ご安心くださいませ。」
男性の夜会服はタキシードの一択だった。個性を出せるのはアスコットタイぐらいなのだろう。
「そうなの…、でも、エリックはリルル様をエスコートするんじゃないかしら。」
「リルル様はこの後、舞踏会には御出席されずに、別邸に移動されると伺っておりますよ?」
舞踏会には初めから出るつもりはない予定での、この国への訪問だったのだろうか。
「なんだか、急ぎ足の旅行をされているのね。」
シャーロットが感想を述べると、侍女達は笑った。
「お金を出すのがもったいないから、ペンタトニーク公主様の別荘を渡り歩く旅行をされているみたいですよ? 大国と海運王の関係をうまく使っておられる御様子ですから、エリック様と御結婚された暁には、エリック様は大変でしょうね。」
「あんなに可愛らしい女性なのにとても計算高いと、私達は感心して拝見しておりましたのです。」
侍女達はどこでそういう情報を仕入れてくるのかと、シャーロットは感心しながら聞いていた。
「そうね…。私もそう思うわ…、」
シャーロットは妙に深く納得した。エリックは煩い弟で面倒と思っているけれど、リルルはさらに吝嗇家で面倒かもしれない。ちょっと大変なカップルが成立しちゃうんじゃないかしら。
部屋のドアをノックする音が聞こえて、「大丈夫です、どうぞ、」と、シャーロットは母かと思い丁寧に返事をした。
母が仕上げを確認しに来たのかと思ったら、ブルーノが立っていた。
目を見開いたままシャーロットから視線を外さないブルーノは、何も言わずに近付いてきて、侍女に髪を弄られていて別の侍女達に両手の爪を磨かれて立ったまま動けないでいるシャーロットの腰に、両腕を回した。
「ブルーノ、なあに?」
ブルーノはシャーロットの顔を見つめたまま、腰に回した手を動かそうとしない。シャーロットの質問にも微笑んだだけで答えなかった。シャーロットとおでこをくっつけて、何も言わないまま瞳を閉じてしまう。
「お嬢様、もう動いていただいて構いません。大丈夫ですよ?」
気を利かせた侍女が、小声でシャーロットに囁いた。
「だって、ブルーノ。聞こえたでしょう? 私、動くわよ?」
シャーロットはゆっくりと背に手を動かして、ブルーノの腰で組んだ手を解して動かそうとした。
ブルーノはシャーロットの指を絡め取り、シャーロットの手を掴んで自分の背中へと引っ張った。引き寄せられたシャーロットは、ブルーノの胸に飛び込んでしまう。ブルーノの腕はきつくシャーロットを抱きしめ直している。
「え、ちょっと、ブルーノ、」
シャーロットと抱き合って、ブルーノは動かなくなってしまった。ブルーノを見上げたままシャーロットも動けなくなってしまう。
ブルーノの碧い瞳はキラキラ輝いていて、シャーロットは夏の海の煌めきを思い出す。吸い込まれるような碧い色にシャーロットは心を奪われる。
「花嫁衣裳でしょ? 僕の国の。」
ブルーノの言葉は、シャーロットの耳に甘く響いた。
「金の刺繍は喜びの証。白いドレスは純潔の証なんだ。」
思っていた以上の衝撃に、シャーロットは頭痛がしてきた。
今から着替えようかしら。エリックと両親は、侍女まで巻き込んで私を嵌めようとしているんだわ。そうとしか思えなかった。
「あなたの国の花婿さんは、どんな格好をするの?」
「同じデザインの、揃いの生地の礼服を着るんだ。」
「じゃあ、あなたの今の恰好じゃないわよね?」
シャーロットは冷静に指摘する。ブルーノは黒いタキシード姿だった。
「そうだね。君の母上が用意してるか聞いてこよう。」
「どうして用意してると思うの?」
「そのデザインは僕の国の者が手掛けたとしか思えない。なら、僕の両親もこの件に関わっているってことだ。新郎の礼服くらい、揃いで作らせていると思う。」
ますますこのドレスで外には出られないなとシャーロットは思った。
「ちょっと、私もお母さまに話があるわ。」
シャーロットは侍女に母を呼んできてくれるよう頼んだ。
「ブルーノ、ちょっと放してほしいの。あのね、苦しいの。」
シャーロットの言葉に、ブルーノは腕を放し、自然に両手でシャーロットの顔を包んだ。
「誓いのキスをしても?」
「しない。やっちゃダメ。」
シャーロットは効果がないとは思ったけれど、睨みつけてみた。
じっとシャーロットの瞳を、ブルーノの碧い瞳が覗き込む。
「んんまあ、何をなさっているのかしら、」
やって来た母が部屋に入るなりそう言って、やっとブルーノはシャーロットから離れた。
はあ…長かった…。溜め息をひとつつく。シャーロットは、来るのが遅いよお母さまと心の中で文句を言った。
「説明してほしいの、お母さま。このドレスは、婚礼衣装なの?」
シャーロットの問いかけに、母はオホホホと誤魔化し笑いをした。
ありがとうございました




