<50>悪役令嬢はヒロインをズルい女という攻略対象者に悩んでいるようです
シャーロットはミカエルの言う言葉を信じて、ローズには何もしなかった。ローズ自身の言葉を信じていたから、でもあった。
二人の言葉を信じるなら、今は何もしないのがいいだろうと思っていた。
移動教室で中庭を廊下の窓越しに見ると、つい、いないと判っていてもローズの姿を探してしまうのだった。
「シャーロット、先に行きますわよー?」
まだ授業の残っているガブリエルは、急ぎ足で去って行ってしまう。シャーロットの今日の授業はこれが終わりで、教室に帰ったら寮に帰るだけだった。
「ええ、先に行っちゃっていいわよ、ガブリエル。またね。今日はありがとね。」
シャーロットは中庭を気にしながら、手を振ってそう答えた。空は曇っていて、雨が降りそうだった。
雨の日は、ローズはどこでお昼ご飯を食べているんだろう。ぼんやりと空を見上げていたシャーロットを、誰かが腕を引っ張った。
「え、ナニ?」
歩き出した誰かに腕を引っ張られて、シャーロットも歩きだした。
「また調子が悪いんですか? シャーロット。」
サニーだった。シャーロットの顔を見て微笑んだ。
「いいえ、大丈夫ですよ? 空を見上げていただけなの。」
大きな雨音を立てて、雨が降り出した。
「ああ、降り出しましたね。」
サニーはシャーロットを見て、優しく尋ねた。
「傘は持って来ていますか?」
「忘れてしまったの。だから、購買の防火扉が開くのを待つわ。」
五時になれば学生寮へと続く廊下の購買傍の防火扉が開くので、それまでどこかで時間を潰せばよかった。図書館であの本を探してもよかった。シャーロットは諦めたように微笑んだ。
「じゃあ、一緒に帰りましょう。私は用意してますよ?」
「え、いいです、お気になさらず、」
掴まれていた腕は、いつの間にか腕を組まれていた。解こうにも解けない。
「遠慮しないで、一緒に帰りましょう、」
がっちり掴んで離さない気だな…。サニーを見上げれば微笑んでいた。
仕方なくシャーロットは教室まで一緒に戻り、荷物を持つとそのままサニーの傘に入れて貰って帰ることにした。
「お気持ち嬉しいです。ありがとうございます。」
教科書でも読んで、教室で時間潰して帰ってもよかったんだけどなー。シャーロットは心の中で呟いた。
「そんな言い方しないで、シャーロット。畏まらないで。」
いや、そう言われても、こんな至近距離で一緒に帰るとか、ちょっと警戒しちゃうよね。シャーロットは心の中で答えた。
しかも腕を組まれていて逃げられない。ぴったりとサニーに寄り添って歩くシャーロットは、恥ずかしくて顔を上げられなかった。
雨はだんだんと強くなってきた。辺りは暗くなり、まるで暗闇の中を二人で歩いているようだわとシャーロットは思った。サニーの腕から伝わる暖かさが救いだった。
「今週は週末から、建国記念行事で忙しくなりますね。」
サニーは前を向いたまま、ぽつりと話し始めた。
「そうね、来週の中頃まで、学校もお休みになってしまうものね。」
「シャーロットも、記念行事や舞踏会に出るのでしょう?」
「ええ、」
問題が山積みだわ。シャーロットは考える。今からいろいろ覚悟を決めなくてはいけない。リュートからは今朝、どこに集まるのか書き込みがある式次第を手渡されていた。チーム・屋上としての謁見が待っている。
「健やかなる時も、病める時も、私はこうやってあなたと一緒にいたい。」
サニーは降る雨を遠く見つめながら、呟いた。いつになく真面目な横顔に、シャーロットは戸惑いながら見つめた。
「あなたとなら、どんな道も、一緒に歩いていける。そう思います。」
ふっと微笑んだサニーの顔に心が惹かれて、シャーロットは胸がキュンとなった。
え、私、今、キュンとした?!
顔が真っ赤になって慌てるシャーロットを見て、くすりと笑ったサニーは、嬉しそうに言った。
「式典には私の父や妹、兄も来ます。」
なんとなく理由は判っている。シャーロットは少し冷静になって、黙った。
「楽しみですね。」
意味ありげにシャーロットを見て、サニーは微笑んだ。
「ええ、とっても。」
シャーロットは社交辞令で笑みを返した。本心はちっとも楽しみなんかじゃなかった。
「いいことがあるといいですね?」
サニーがそれを言うと、とっても嫌なことがある予感しかないわ。シャーロットは心の中で思うけれど黙っておいた。
「そうですねえ。」
シャーロットにとっていいことになるように、シャーロットも努力しなくてはいけない。
学生寮の明かりが見えてきた。人が生活する暖かい気配がする。女子寮の入り口まで傘で送ってくれたサニーに、シャーロットは微笑んで礼を述べた。
「今日はありがとう。」
サニーは「濡れなくてよかった、」と笑った。シャーロットは、「またね、」と手を振った。
「また、一緒に帰りましょうね、シャーロット。」
屈んで耳元で囁くと、サニーは傘を差して歩きだした。シャーロットはまた真っ赤になって照れてしまった。おかしい…今日の私はおかしい…。
部屋に帰って、シャーロットは自分の制服があまり濡れていないと気が付いた。一人用の傘を二人で使って、こんなに濡れてないなんて…。サニーは何も言わなかったけれど、もしかしてあの激しい雨に濡れながら歩いたんだ…。
窓の外は雨雲で暗い。窓に映った自分の顔が泣いているように見えて、カーテンに手を掛けたまま、シャーロットは息を飲んだ。
「サニーが風邪をひきませんように。」
暗い窓の向こうにあるはずの男子寮にいるサニーを思い、そっと願った。
窓の外は雷鳴が轟いていた。シャーロットが外を気にしながら勉強していると、ミカエルがミチルの格好で帰ってきた。今日はミカエルの日だったので、わざわざミチルの格好に着替えていた。
「シャーロット、雨に濡れなかった? すごい雨だね。」
サニーに送ってもらったのとは言えず、シャーロットは微笑んで誤魔化した。
「大丈夫だったわ。ミカエルは?」
「防火扉の前で時間潰した。ガブリエルがたまたまいたから、二人で話してた。」
「そう、仲がいいわね。」
「結構学生がいてね。そういえば、ローズもいたよ。」
「元気そうだった?」
「ガブリエルを見つけて、下向いてたよ、あの子。」
「そう…。」
「ガブリエルが、ひとの顔見てあの態度、失礼ですわって怒ってた。そういう風に思われるようなこと、言ったのにね。」
ミカエルはくすくすと笑った。
シャーロットは字を書く手を止めて、ぼんやりと窓の外を見た。窓を叩く雨の音で、今夜は煩いだろうなと思う。
「週末、記念式典が始まるよね。雨、早くやむといいね。」
11月の建国記念日は今年はたまたま日曜日なのだけれど、毎年前夜祭や記念行事が土日に合わせて行われるので、今年は土曜日から行事が始まる。土日の式典があり、その後に関連行事があるので、来週は学校へ行く日が少ない。
「シャーロットはもう、ドレスは作ってもらったんでしょ?」
「ええ、この前帰った時に、採寸合わせをしたわ。あとは細かい調整をするんじゃないかな。」
「何色だった?」
「青とか、紺色とか、白とか?」
「ふうん。」
ミカエルはつまらなさそうに返事をした。
「青は騎士団の色だね。」
「私の瞳の色も青色よ?」
自分の瞳を指差したシャーロットに、ミカエルは優しく微笑んだ。
「そうだね。綺麗な青色。シャーロットは金曜に帰るの?」
「ええ、土曜日に王城の祭典に出るから、その時に会おうね。」
「出城の方へ行っちゃダメだよ? 同じお城でも、あっちでは別の祭典やってるはずだから。」
「判ってる。わざわざあんな辺境のお城まで行かない。」
ミカエル達が住んでいる王城とは別に、出城と呼ばれる城が北方の果ての地にはあり、そこでも一応祭典はある。ただ、夜間にあり、星空観察会のような神聖なだけで退屈な祭典があるらしかった。
「あれはあれでいい式典らしいんだけどね。」
ミカエルは遠くを見つめた。
「季節が季節だもの、夏なら行ってみたいな。」
シャーロットの頭の中には、からくり屋敷で見た星空が思い浮かんでいた。
「ミカエルと一緒に、星を見に行くのも素敵かも。」
「行っちゃう? 二人だけで。恋の逃避行だね。」
ミカエルはくすくすと笑った。シャーロットも笑った。本気にはしていなかった。
「日曜の建国記念日の式典でも会えるね。」
「その後の舞踏会も、一緒に踊ってね。」
シャーロットは小指を差し出した。エリックはエスコートを自分がすると言っていた。それでも、ミカエルと踊りたかった。
ミカエルはシャーロットの小指を見て、ゆっくりと笑みを作った。
「約束する。」
ミカエルがしたのはいつもの指きりで、シャーロットは、約束を破ることになってもお嫁さんにしてよね、と思った。
遠方から来ている生徒が土曜にある式典行事に家から出席できるように、金曜日は学校は休校になっていた。雨はあがり、澄み切った空気は朝とはいえ、ひんやりとしていた。冬が近くなってきたわ。シャーロットはカーテンを開け、空を見上げた。
シャーロットは遠方出身ではないけれど、エリックと一緒にお昼までに家に帰ることになっている。
朝ご飯をミチルと一緒に食べて、シャーロットは時間に間に合うように帰り支度をしていた。母好みの膝下丈の桃色の上質なワンピースに着替え、気持ちも家での自分に切り替える。
「ミカエルはいつ帰るの?」
「僕は、ラファエルとガブリエルと一緒に帰る約束をしているから、シャーロットを見送ってから帰るかな。」
ミカエルは余裕そうに椅子に座っていた。
シャーロットはミカエルに見送られてエリックと馬車に乗った。
「なんだあいつ、こんな日なのにあの格好なのか。」
エリックは馬車が動き出した後、こっそりと呟いた。ミチルなミカエルは笑顔で手を振っていた。
こんな日だからミチルなのよ? シャーロットは思った。昨日の夜からミチルで一緒にいてくれたから、ミカエルの時よりも一緒に長くいられたのよ?
でもそんな大切な事をエリックに教える気はなかった。
シャーロットは微笑んで、「いいじゃない?」と呟いた。
「ローズは男爵家には帰らないようだ。」
エリックがシャーロットの顔を見た。
「ななしやに帰るんじゃないの?」
シャーロットはきょとんとした。式典だからと言って国中の貴族の子女まで集められるのではない。
「どうして、そんなにローズが気になるの?」
「決まってるだろ? お姉さまの邪魔をいつもあの女はするじゃないか。」
ああ、警戒しているのね。シャーロットは納得した。この前シャーロットが倒れた原因だと思っているのだろう。
「邪魔なんてされてないわ。エリック。」
「ふん、どうだか。」
シャーロットを鼻で笑って、エリックは続けた。
「ああいう女を無神経って言うんだと、俺は思ってるけど?」
「随分な言われようね。」
シャーロットはエリックを睨みつける。
ローズは私の為にマフィンを焼いてくれたわ。あなたにそんなことが出来るの? そう思ったけれど黙っておいた。エリックにはローズの良さを無理やり判ってもらおうと思っていない。
「せいぜいローズには気を付けるんだな、シャーロットお姉さま。」
エリックは念を押すように言った。エリックは自分の心配をした方がいいんじゃないの? とシャーロット思った。そんなに気になるならいっそのこと、ローズに攻略されちゃえばいいのに。
「ええ、気を付けるわ。そのつもりよ?」
シャーロットは思った。ローズが悲しまないように、私は注意を払い続けるわ。
黙ったまま窓の外へ視線を向けたシャーロットに、エリックは不満そうに声を掛けた。
「お姉さまが思っているよりも、あの女はズルく生きていると思うぞ?」
エリックはローズの何を知っているというのだろう、シャーロットはちょっとだけ気になったけれど、聞き流すことにした。誰だってズルい面を持っているんじゃないの? そう思った。
土曜日の祭典には、母は紺色のドレスを選んだ。大きく開いた胸元から足元にかけて、まっすぐ縦にラインが下りるように段々に白いフリルが裾まであしらわれていて、シャーロットは滝みたいだわと思った。
口にすればこのドレスを選んだ母が激怒しそうなので、シャーロットは黙って侍女達の手でコルセットを締めあげられ丁寧に着させられていた。母はとっくに自分の支度を終えていて、シャーロットの支度にあれこれと口を出しているのである。母は無難に赤紫色の深い色合いのドレスを着ていた。大きな宝石をあしらったネックレスや指輪で彩を明るく添えていた。
シャーロットの髪は美しく結い上げられ、小鳥を模した髪飾りを髪にいくつか差し込まれた。
「ほんとにこんな感じの仕上がりなんですか、お母さま。」
シャーロットは姿見で、自分の髪形の出来上がりを見て不安になった。頭に小鳥が刺さっていて滝とか…。母の趣味には閉口する。ドレスは昔ながらのバッスルで後ろが膨らんだ、丸いふんわりとした形のドレスだった。布が多くて重いし動き辛いし、私、こけたら自力で起き上がれる自信ないわ、とシャーロットは思った。
「仕方ないわね、じゃあ花も差し込みましょう。」
え、そういう感じなの? 身動きが取れないシャーロットが戸惑っているうちに、美容担当の侍女達の手によって桃色や白や黄色の花も結い上げた髪に差し込まれていく。
「まあ、シャーロット、なんだか平和な感じよ?」
平和な感じ? それっていいの? シャーロットはいろいろと母に突っ込みを入れたかったけれど我慢した。
部屋のドアから様子を見ていたエリックが、笑いを堪えていた。
「あー、シャーロットお姉さま。普通に美しい仕上がりだから。安心して。平和に美しいから。」
絶対違うよね? シャーロットは思ったけれど我慢した。今から髪をまた弄り直すのかと思うと憂鬱になったからだ。
「大丈夫。俺が一緒にいてやるから、誰もシャーロットが変だなんて言わせないから。」
やっぱり変なんだ…、とシャーロットは思った。頭には普通に鳥の羽飾りじゃダメだったのでしょうか、お母さま。
項垂れたままのシャーロットは、大人しく両親とエリックと馬車に乗って王城の祭典へ向かった。
お城に着くと、エリックは宣言通りシャーロットの傍にいて、手を引いて歩いてくれた。
美しい光沢のある黒いタキシードの礼服を着たエリックは、年以上に落ち着いて見えた。黙っていればこの煩い弟も確かに攻略対象と納得の美少年なんだよね。シャーロットは背の高い弟を見上げながら思った。
土曜日の祭典は各国からの大使を招いた国外向けの行事で、無礼講の立食パーティでもあった。
お城の大広間が会場で、さっそく父も母も優雅に挨拶して回り始める。シャーロットはエリックにエスコートされたまま、会場内をぐるっと一周した。男性はタキシード、女性は様々なドレスを着ていた。
知っている者には挨拶して回ると、バルコニーへと二人は出た。日差しは柔らかく、室内の喧騒から少し離れている。
「ローズはやっぱりいなかったな、シャーロットお姉さま。」
「そうね、まだこれからかもしれないわよ?」
「またあの恰好なんだろうか、」
エリックは口元だけで笑いを作った。
ピンクのドレスを着ている者は誰も、今年結婚が決まったばかりだった。
「まさか。」
ふと、会場を振り返ると、ミカエルが深紅のドレスのラファエルとピンクのドレスのガブリエルに腕を組まされて登場していた。きちんと王子様らしく振舞っていて、タキシードで正装している。
エリックがにやにやしながらシャーロットを見た。
「向こうを見てみろ、サニーの家族がいるぞ。あっちにはブルーノが両親といる。リュートはおじいさまと宰相と一緒だ。」
それとなく視線を向けてシャーロットも姿を確認した。
「さあ、お姉さま、面白くなってきたな。」
シャーロットは、ちっとも面白くなんかないわと思いながら、猫を被り直した。今日は猫が重要なのよね。そう、思うのだった。
ありがとうございました




