<49>悪役令嬢はミカエルルートが攻略できません。
寮に戻ったシャーロットは、自分の部屋でミチルなミカエルを見つけると、「この格好から着替えるから、少し待って」と頼んだ。ミカエルはゆるゆるのピンクのワンピースに灰色のスパッツを履いて胡坐をかいて椅子に座っていた。
「お茶しに行こう?」
白い膝丈のワンピースの部屋着に着替える。パーカーを羽織ってしまえば、学食に行くいつもの格好だ。
「そういうだろうと思って、お菓子も用意してあるし、お茶の用意もしてあるよ?」
ミカエルはシャーロットにマグカップを差し出した。
「ありがとう。」
シャーロットはカップを机の上において、ミカエルに背を向けると大急ぎで着替えた。
ミカエルはジーっとココアを飲みながらその様子を観察している。シャーロットはミカエルに下着姿を観察されているとは毎度のことながら気が付いていない。
着替え終わったシャーロットは脱いだ服を折りたたんで片付けると、椅子に座り、机の上に置いたままのマグカップを手に取った。少し冷めていて、火傷しない程度の温かさだった。
カップの中はココアで、甘い香りがした。
「ふふ、嬉しい。ミカエル。」
シャーロットが微笑んで礼を言うと、ミカエルも手にしたカップを口に当てて微笑んだ。牛乳仕立てのココアは、甘くて、ちょっとほろ苦かった。
「あのね、沢山…、沢山、話があるの。」
シャーロットがそう言うと、ミカエルは「判ってるよ、」と微笑み返す。
シャーロットは家族の考えを細かくミカエルに伝えた。ブルーノと帰って来たことは、話さなくていいだろうと思ったので話さなかったけれど。
「ふうん。」
ミカエルはカップを膝の上において、何かを考えている様子だった。シャーロットが見つめていると、視線に気が付いたのか顔を上げた。
「まずは…、ローズのななしやの件だけれど、気にしなくていいんじゃないかな。ローズは以前言ってたんでしょ、隣近所の店との兼ね合いで、半焼した店を取り壊す作業がなかなか進まないって。」
「そうね、確かそんな話もしてたわね。」
資金面はどうにかなるけれどと言っていた気がした。
「じゃあ、その店を手放して、見舞金が付いた状態で売った方が得策だと思う。好都合じゃないかな。」
エリックみたいなことを言うのね。シャーロットは意外な気がした。
「次に…、ローズの婚約の件だけれど。」
ミカエルはいったん話を区切った。シャーロットは思わず口を挟んだ。
「そうだよね、びっくりだよね。そんな話、ゲームには出てくるの?」
「出てこなかった。男爵家自体がノータッチだったよ? 学校を舞台に行われる学生達の恋愛攻略ゲームだから、家の事なんて出てこないね。爵位だって、最後のエンドでどういう結果になったかで、やっと、結婚には爵位が影響するんだって判った程度の扱いだったよ?」
シャーロットはその言葉で思い出す疑問があった。
「あのね…、ローズを見てて思ったんだけど、もしかして、ミカエルやローズが生きてた前世の日本ってところは、爵位とか貴族とか…、そういった立場の人達はいないの?」
「いるんだろうけれど、平民だらけだから平民の考え方が主流な世の中だったよ? 対等だから、してあげるのもしてもらうのも普通で、お互いさまって言う言葉で済まされてたかな。爵位が上の人に何かして貰ったらそれ以上の見返りを返さなくてはいけない、なんて考え方はなかったね。」
ミカエルは、シャーロットがローズが寝込んでいた際に取った行動についてのローズの反応を言っているようだった。そんな風に捉えているということは、ミカエルは今の生活での価値観で行動していると言えた。
「ローズは、公爵家のシャーロットにあれだけ面倒を見て貰ったんだから、身を捧げる勢いで礼を返して、男爵家の総力をあげて返礼の品を公爵家に送り届けるべきだったんだろうけど、しなかったよね。」
ミカエルでもそう思ったのなら、他の者が聞いてもそう思うのだろうとシャーロットは思った。でも、そういった細かい事情を知らないクララ達がローズに対して怒っていたのは、何か別に理由があるのかもしれない。
「たぶん、前世の感覚でシャーロットを対等な友達と見ているからであって、男爵家に、そういう事があったから公爵家に御礼をして欲しいとも伝えてはいないんだと思うよ? 僕はシャーロットからローズが転生者だって聞いてるから、前世での感覚が残っているんだろうなと思っているけれど。でも…、」
ミカエルは困った表情になってシャーロットを見つめる。
「この世界の平民の世界でも、あれだけ世話になったのなら御礼の一つをしたいと何か行動で返すんだろうけれど、ローズはしないよね。」
それはシャーロットも気になりはした。
「そういう事を教えてくれる人が周りにいないのか、シャーロットから受ける恩恵を貴族からの施しだと捉えて貰って当たり前だと思っているのかの、どっちかだろうと思うけど…、そうだとしたら悲しいよね。」
施しをしたつもりはなかった。もしそう受け取られているなら、悲しいなとシャーロットも思った。
「君の手を振り払ったと、噂になっているのは知っている? シャーロット。」
「え、ナニソレ。」
ミカエルはやっぱりな、と呟いて続けた。
「昼休みの中庭で、公爵令嬢は過労で倒れるまで尽くした奨学生に使い捨てられた、って噂があるんだよ。」
また噂かあ…。いったい誰がそんな話を流すんだろう。
「シャーロットが倒れたのは注目の話題だからね。それを裏付ける形でガブリエルがローズを詰っただろう? そんなところに中庭で仲違いなんてしたら、注目を浴びない訳がないだろう。」
「ローズと、話がしたかったんだもの…。」
シャーロットは小声になった。仲違いなんてしてないと言いたかったけれど、拒絶されたのは確かだった。
「クララ嬢達と君を会わせたのは、実際そういった噂話で憤りを感じている者達がいるって現実を知らせたかったからなんだ。公爵家のシャーロット様がお可哀相、身の程知らずな男爵の娘を懲らしめてやりたいって思っている者が一体どれだけいるのか、僕も見当がつかないよ。」
シャーロットは唇を噛んだ。本人が望んでいないのに、懲らしめないでほしい。
「話を戻すけど、ローズだって、このまま黙って伯爵家に後妻として輿入れする気はないと思うよ? 一度9位にまでなった頭の良さがあるんだし、必死になって今まで以上に勉強するんじゃないかな。奨学金を維持さえできれば婚約の話は進まないって判ってるんだもの。」
それを聞いて、シャーロットは少しほっとした。
「だいたい、前世のローズって、大学で経済を学んでたような人なんでしょ? 何が得かなんてよく判ってるんじゃないかな。そこそこ頭はいいんじゃないの? 受験勉強も経験済みだろうし。」
「そういうもんなの?」
「そういうもんなんだよ。」
ミカエルは微笑んだ。
「でも、僕とシャーロットの婚約の件は…、どうしようか。」
「どうしようかって。ミカエル、ひどくない?」
シャーロットは口を尖らせた。気が楽になるような言葉を言ってほしかった。
「クラウディア姫のことはずっと保留にしてある。今度の建国記念行事でその話題が出ても、何もしないつもりだとお父さまは言ってたよ。」
「リルル・エカテリーナ様の件はもう知ってるの?」
あのラウラ・クリスティーナの妹姫は、そう簡単に引くとは思えない。
「リルル・エカテリーナ王女がそういうつもりがあるという話は知っているけれど、あの国の婚約の話は前にもしたけれど、沢山いる候補の中から絞るんだよ。僕はたぶん、次の建国記念行事で本人が大使と一緒に挨拶に来て、品定めをして初めて話が正式に決まるか流れるかになると思ってるから、今のところ、何もするつもりはない、かな。」
ミカエルは目を細めて言った。
「ゲームだとミカエルとシャーロットは、ローズが原因で拗れてミカエルから婚約破棄するまで関係は維持できてたから。この世界でも何があっても今のまま婚約は維持できると思うし、シャーロットは安心していいと思うよ?」
「何を根拠に?」
「僕自身が婚約破棄を望んでいないから。」
当然のように答えたミカエルに、シャーロットはほっとしていた。
「そっか、良かった。」
微笑んで、もう冷めてしまったココアを飲んだ。その言葉が一番嬉しかった。
「でも、シャーロットが婚約解消を希望してるんなら、どうなるかわからないね。」
ゲホゲホゲホとシャーロットは噎せ込んだ。
「ど、どういうこと?」
「シャーロットの代わりに家族が動き出してるんでしょ? そういう風にお父さまが受け取ったら、お父さまが婚約破棄を宣言してしまうかもしれないね。」
「ちょっと、待って、それはあんまりだわ。」
「僕はシャーロットと結婚して楽ちん生活が一番なんだけどなあ。」
チロり、とシャーロットをミカエルは見た。
「なあに?」
「ミカエルルートを攻略しようよ、シャーロット。」
「はい?」
「明日から放課後は、中庭で愛の詩集だね。」
「や、やめて…、」
腰が砕けて立ち直れなくなるから、それ! シャーロットは心の中で答えた。とても声が出せる状態ではなかった。恥ずかしくて顔が真っ赤になってしまっていた。
「今週末から始まる建国記念行事に向けて、僕達でやれることをやっていこうね、シャーロット。」
そう微笑んで言ったミカエルの顔は、ミチルの恰好なのにとてもかっこよく見えて、シャーロットは不思議な錯覚を覚えていた。
シャーロットとミカエルは、月曜の放課後、二人で中庭の噴水の縁で過ごす予定だった。このためにミカエルはミカエルな月曜日を過ごし、シャーロットはガブリエルと行動を共にしたのだ。
「まあ、ミカエル様にシャーロット様、」
クララやクララの友人の令嬢達が、噴水の縁で並んで座った二人に近付いてきた。前回名前はきちんと聞いてあった。2年生の統治のコースのアントワーヌに二コラ、アンリエットの、クララと合わせて侯爵令嬢4人組だ。
クララはミカエルの隣に座り、ミカエルが膝の上に広げた本に目を落とした。
「その本は何の本ですの?」
愛の詩集とは言えず、シャーロットは顔を赤らめた。
「これから、シャーロットに読んで聞かせる予定の本なのだよ。」
ミカエルは王子様な微笑で余裕に答えた。
「まあ、素敵。私達もご一緒しても?」
クララと友人達は期待の眼差しでミカエルとシャーロットを見つめた。何が起こっても知らないからね、とシャーロットは思った。
「ああ、構わない。そうだろう、シャーロット。」
「ええ、構いませんわ。」
微笑むミカエルに倣って、シャーロットも猫を被って微笑んだ。
ミカエルは立ったまま聞いているクララの友人達にも微笑んで、本を手に取って、詩集を読み始めた。
「君の瞳は…、」
ミカエルの美しい声で淀みなく語られる愛の言い回しに、聞いているだけでシャーロットは鳥肌が立ってきた。
な、何この恥ずかしい詩集…!
冷静でいられなくなってきて、思わず耳を塞ごうと自分の手を見たシャーロットは、目の前で立って聞いているクララの友人達とクララとが、顔を真っ赤にしてミカエルの声に聞き惚れ、ミカエルをうっとりと見つめている様子を目の当たりにした。
え、どうしちゃったの、そんなに効果があるの…。
ミカエルの愛の詩集の効果にびっくりしている間に、詩の朗読は終わってしまった。
「素敵でしたわ…!」
うっとりとした表情のままクララがミカエルの手に触れて、名残惜しそうに言った。
「こんなに素敵な時間があるなんて…。なんてすばらしいのでしょう…。」
「シャーロット様が羨ましい。このような朗読される機会があるときにはぜひ、私達もお誘い願いたいですわ…。」
「素敵すぎて、私、痺れてしまいましたわ…。」
効果絶大じゃん、とシャーロットは思った。
「素敵な時間をありがとうございました。」
顔を火照らせたままクララ達が感慨深そうに礼を述べて去っていった後ろ姿を、シャーロットはきょとんとした面持ちで見送った。
「あのね、ミカエル。」
「うん、わかってる。」
シャーロットを見て、ミカエルも意外そうな顔をした。
「シャーロットには効果がないみたいだね、愛の詩集。」
「そ、そうね。」
「これは…、ミカエルルートの攻略は、ちょっとシャーロットには合わないみたいだね。」
「そ、そうね。何か別の攻略方法を考えましょうか。」
二人は立ち上がって歩き出した。
「まずは寮に帰って作戦会議だね。」
「そうね。」
自然とミカエルと手を繋いでいた。シャーロットは首を傾げた。
「愛の詩集って、どういう人に効果があるのかしらね。」
「片思いしている人?」
「じゃあ、私達、両思いだから、その段階を終えてるんじゃないのかな。」
「ははは、そうかもね。」
ミカエルは乾いた声で笑って、シャーロットに囁いた。
「恋人同士なら、言葉じゃなくてもっと深い愛の形があるんじゃない?」
「あ、そういうの、禁止だから。」
シャーロットは笑ってミカエルの鼻を弾いた。
「痛い、何するの。」
「健全な関係でいないと、ミチルの部屋が無くなっちゃうでしょ?」
「そっか、それも困ったね。」
ミカエルはそう言って微笑んだ。シャーロットにはミチルなミカエルとの時間も大事だった。
ありがとうございました




