<46>ミカエルが王子様として女子に囲まれているようです!
その日、珍しくシャーロットは図書館にいた。
ローズの勉強の進捗具合を気にする必要が無くなってしまったのと、ミカエルがミカエルな日な今週は、時間にゆとりがあった。
この前ローズが見ていた本が気になっていた。どういう本なのかタイトルは見えなかったけれど、絵本のような平たくて薄い本で、トゲトゲした一筆書きのような王子様の絵が描いてあった。
学術書ばかりの図書館で、絵本のようなその本を探すのはかえって簡単に思えた。
生徒の姿はまばらで、シャーロットはローズが言った『奥の方で見つけました』という言葉を頼りに書庫の奥の方へと進んだ。
入り口付近にしか窓のない図書館は三階建で、今シャーロットがいる階を除いて上の2階部分は閲覧禁止書庫になっていた。
「薄暗いのね…。」
思わずつぶやいたシャーロットの声も、棚一杯に埋まる本や壁中にある本が吸収してしまう。天井に均等に付けられた明かりも、高い本棚が遮って満足な明るさとは思えなかった。
奥の方ってどこの方なんだろうと思って見ていたシャーロットは、歩きながら沢山の本を眺めているうちに、ミカエルが話していたゲームのミカエルとローズのなれそめを思い出していた。
確か辞書の棚で一緒に一冊の本を手に取るんだったっけ…?
辞書の棚ってどこなんだろう、シャーロットはきょろきょろとあたりを見回した。辞書って色々あるよね、外国語の辞書なのかな。
見つけた辞書は地理学の辞典だった。分厚いその本は一番下段にあった。こんな奥の棚の辞書なら、何も起こらないだろう。
これがきっかけで恋に落ちたりするのかしら。シャーロットは心の中で嗤った。そんな都合のいい話、あるのかしら。
シャーロットは屈んで手に取ろうとした。反対側からやってきたのか、誰かの手が見えた。
「あ、」
声に聞き覚えがあった。声がした方を見れば、ブルーノの手が、同じ辞典を手にしていた。
積み上げた資料を抱え、しゃがんだブルーノの動きが止まった。
「シャーロット…、」
「ごめんなさい、邪魔するつもりはなかったの、どうぞ、」
小声で謝り、手を引っ込めようとしたシャーロットの手を、ブルーノは掴んだ。
「ちょっと来て…、」
ブルーノは積み上げ抱えていた本をその場に置いて、シャーロットを人気のない奥の方の棚の陰に引っ張り込んだ。そのままシャーロットを腕の中に包み込んでしまう。
どれほどそうしていただろう。
時が見えるなら、随分降り積もっていそうだわ。シャーロットはブルーノの腕の中でアンバーウッディーの香りを嗅ぎながら、雪のように重なる時間を思った。
「ブルーノ、」
シャーロットはブルーノの背中に手を回した。背が高いブルーノは、肩幅も大きい。
「どうして、こんなところにいるんだ、」
シャーロットの耳に、ブルーノは囁く。
「中途半端な自分は卒業して、ちゃんとした成績を取って親の仕事を継いで、シャーロットを攫いに行こうと決めたばかりなのに。」
攫いに行くって穏やかじゃないよね、シャーロットは思った。
「本を…、探しに来たの。」
シャーロットは言い訳をする。決して、ブルーノを追いかけてきた訳ではなかった。
「どんな本?」
ブルーノはシャーロットを抱きしめたまま離そうとはしない。囁く声だけで表情を判断するのは難しいなとシャーロットは思う。
「よその国の言葉の…、たぶん、物語だわ。トゲトゲした金髪頭の王子様が丸い星の上に立って、薔薇の花にじょうろでお水をあげてるの。」
「何でそんな本を…?」
「絵が…、辛そうだったんだもの。星には王子様と薔薇の花しかいないの。薔薇の花は嬉しそうなのに、王子様は、悲しそうなの。太陽の光を遮ってまでして水をあげてるのよ。薔薇の花は嬉しそうなのに、王子様は困った顔をしてたの。」
だから、気になったのだ。ローズが薔薇に見えて、ローズは誰かに愛してほしいと願っているように思えて、内容が知りたかった。
「地理学の辞典は?」
「あれは…、」
恋のきっかけってホントにあるのかなって思った出来心だった。まさかこんなことになるとは思っていなかった。
シャーロットは言葉に詰まる。ブルーノはきつく抱きしめてきた。
「シャーロット、」
「偶然なの。」
そうとしか言えなかった。
黙ってしまったブルーノの背中を、とんとんとシャーロットは叩いた。
「あのね、ちょっと苦しくなってきた。」
締め付けていた腕を少し緩めて体を離すと、ブルーノはシャーロットの瞳を見つめた。
髪を切ったブルーノは、顔立ちがよく判った。美しい顔の美丈夫なのは変わらなかったけれど、清潔感や真面目さが感じられた。
ブルーノはシャーロットの顔を両手で包むと、貪るようにキスをした。腕を捕まえ、シャーロットは腕を叩いた。流されてしまう訳にはいかなかった。
息を荒げてキスを止めたブルーノは、またシャーロットを抱きしめた。
「シャーロット、」
囁く声が、何度もシャーロットの名を呼んだ。シャーロットは瞳を閉じて聞こえないふりをして、冷静になろうと必死で息を整えた。
そんなつもりじゃなかったのに。
ブルーノは動こうとしなかった。シャーロットはブルーノの腕の中で戸惑いながら瞳を閉じる。暖かいけれど馴染んではいけない。そう思った。
やがて、5時を告げるチャイムが鳴り響いた。図書館の閉館の時間の合図だった。
「もう、行かないと、」
呟いたシャーロットの声に、ああ、と上擦ったような声でブルーノは返事をした。それでも、ブルーノは抱きしめる腕を解かなかった。
「ねえ、帰ろう?」
シャーロットが囁くと、ブルーノは拗ねたように言った。
「また会ってくれると約束してくれるまで、離れたくない。」
「毎日学校で会ってると思うわ。」
「…二人きりで、会いたい…。」
「結婚はできないと、この前伝えたわ。私に触っちゃダメよって、約束もしたわ。」
「君は僕のことが好きだと言った。」
「それとこれとは別の話だわ。」
シャーロットはブルーノの背中に回した手で、ブルーノをぎゅっと抱きしめた。シャーロットに今できる精一杯だった。
「もう、帰ろ?」
「一緒に帰ってくれるなら、帰る。」
「今日だけよ?」
やっと離れたブルーノの顔を見た。碧い瞳は優しく微笑んでいた。
「資料を借りてくるから、待ってて。」
ええ、と頷いて、シャーロットはブルーノの後ろ姿を見送った。
結局ローズの本は見つけられなかった。また今度探しにこよう、図書館の出口に向かって歩き出した。
そういえば、ブルーノとの話は、ミカエルに話をしたことがないな、とシャーロットは思った。ミカエルからも聞かれたことがなかった。まあ、キスした話ばかりになるから話したくはないな、とも思う。
資料を借りたブルーノと一緒に図書館を出た。ブルーノのあまりに沢山の荷物に気の毒に思い、シャーロットも何冊か本を受け取った。
ブルーノは帰り道、話をしなかった。シャーロットも黙ったまま一緒に歩いた。こんなブルーノは初めてだとシャーロットは思った。
男子寮の階段近くまで運ぶのを手伝ってついていくと、エリックと会った。
「へえ…、一緒に帰って来たんだ。」
物珍しそうにするエリックに、「持ってあげて」と本を押し付け、シャーロットは「またね、」と手を振った。
ブルーノは黙ったままで、シャーロットの言葉に、頷いただけだった。変なの、とシャーロットは思った。喋らないなんて、一緒に帰る意味なんてあったのかしら。
首を傾げたシャーロットに、ブルーノが「待ってて、シャーロット、」と呟いた声は聞こえなかった。
金曜のお昼休み、シャーロットはミカエルとお昼ご飯を食べる約束をしていたので一人、学食の前の渡り廊下で待っていた。
今日は学校が終わったら家に帰る予定だった。昼休みはミカエルと会える最後の時間だった。
遅いなあ…と思いながら待っていると、ミカエルが女生徒達と一緒にやって来た。
? 誰あれ? どういうこと? シャーロットはイラっとしたけれど、猫を被っていつも通り微笑んでミカエルを待った。
「シャーロット、遅くなってごめん。」
ミカエルは王子様のミカエルだった。いつものミチルなミカエルじゃなかった。
「シャーロット様、私達もご一緒しても?」
優雅な微笑を湛えた顔には見覚えがあった。ミカエルの腕に絡ませた腕を解こうとしないままな彼女は、2年生の統治のコースのクララ・サバール侯爵令嬢だった。彼女の友人達は、初対面なシャーロットは知らない。
「ええ、構いませんわ。」
そう言って微笑んでいたけれど、シャーロットの内心は、あの腕は何? と言う疑問で一杯だった。ミカエルの腕に絡ませている腕をクララはまだ解こうともしない。一応私、婚約者なんだけど? とシャーロットはイラつきながら猫を被り続ける。
6人掛けの席にミカエルとクララ、その友人、向かいの席にシャーロットとクララの友人二人が座る。
なんか納得いかないわね…、シャーロットは微笑みながらイライラしていた。約束に遅れてきたミカエルのことは仕方ないと割り切れても、クララとその友人達は一体何だというのだろう。
ランチを食べながら一応微笑んでいるシャーロットに、クララは話し始めた。
「前々から、ミカエル様とはお昼をご一緒させていただきたいと思っておりましたの、私達。シャーロット様とのお約束があるとは知らなくて。今日は思い切ってついてまいりましたのよ?」
「シャーロット様とも仲良くなりたいですものね、」
名乗らない友人達も話始める。一応彼女達は年上の先輩になるので、学校の学生間のルールだと、学年が下のシャーロットから尋ねない限り名乗っては貰えない。しかも、貴族のマナーだと王族を除く貴族では公爵家のシャーロットの方が爵位は上なので、シャーロットから尋ねなければいけない。
使える者か使えない者か判らない状態で、名前を聞くのは躊躇われた。
「ふふふ、シャーロット様はお忙しいですものね、今度、騎士コースの方達と国王陛下にも謁見なさるのでしょう?」
「シャーロット様がお忙しい様子でしたら、私達がミカエル様のお相手をさせていただきますから、安心なさってくださいませ。」
どうして騎士コースの学生達と記念行事に参加する話を知っているのか聞きたかったけれど、シャーロットが思っているよりも大きな話になってきているのかもしれないなと思うと尋ねられなかった。
「まあ、ありがとうございます。」
社交辞令で微笑んで、シャーロットは心の中では、どういうことなのミカエル? とミカエルを問い質したい気持ちで一杯だった。
「彼女達にはいつも、休んだ時に授業のノートを借りているのだ。感謝している。」
ミカエルは王子様な微笑で、シャーロットにそれとなく関係を話した。
「あら、それはお優しい方々ですのね。素敵なお姉さま方ですわ。」
シャーロットも関係を理解したとやんわりと伝えた。
「学年は違いますが、私達、シャーロット様を応援しておりますの。」
クララと、その友人達はシャーロットを見て優しく微笑んだ。
「男爵家のような身分が下の者に負けずに、公爵家の令嬢としてシャーロット様には輝いていて欲しいものですわ。」
「過労などと…、公爵家の令嬢になんて仕打ちをあの者はするのでしょう。身の程を思い知るといいのですわ。」
「シャーロット様がお心が美しいのはよく判りましたが、シャーロット様のお心を乱すような者を、私達は良しとしませんのよ?」
え? 何? どういうこと?
シャーロットは猫を被って微笑んだまま絶句した。ローズを攻撃すると、彼女達は言っているのだと悟った。ミカエルを見ると、ミカエルは静かに微笑んでいる。
「あのような恥知らずは、一度痛い目を見て身分を思い知った方がよろしいんではなくって?」
クララが目に嫌な光を湛えて微笑んだ。
「お心遣い嬉しいです。お姉さま方、お気持ちは嬉しいですが、私が至らないばかりになってしまったことですから、皆さまの優しいお心を煩わせるのは、申し訳ない限りですの。お気持ちだけ頂きますわ。」
やんわりとそんなことはしなくていいと伝えてみたけれど、シャーロットはこういって面と向かって言ってくるだけ彼女達はましかもしれないと思った。何も言わずに行動を起こす者も、もしかすると出てくるかもしれない。
微笑んだシャーロットに、クララ達は少しだけ納得した様子で、少しだけ不満そうな表情を浮かべた。
お昼休みの終わりに、シャーロットはクララの友人達にそれぞれの名前を尋ねた。最初に尋ねなかった非礼も詫びた。彼女達は「上級生に聞くのはなかなか出来ない事ですから気にしないで?」と微笑んだ。
ああ、この人達は貴族のマナーと学校のルールとで行動する人達なんだとシャーロットは思った。初めから決めてかからずに対応してよかった。彼女達は4人とも、侯爵家の娘だった。上流貴族の娘としての立場なら下級貴族のローズの行動が許せなかったのだろう。だから男爵家のローズにあんなに攻撃的なんだ…。
この人達とできるだけ仲良くしてローズを攻撃させない様にしよう、とシャーロットは思った。ミカエルがこの人達を連れてきたのはそういう意図があったのかな、とも思った。
ミカエルと見ると、ミカエルはシャーロットに気が付いて、ゆっくりと口の端をあげて笑顔を作った。
ありがとうございました




