<42>ヒロインと悪役令嬢が仲良くしようとすると引き裂こうとするのはゲーム補正なようです
シャーロットが目が覚めた時、目の前には手を握る母と、心配そうに顔を覗き込む父と、ベッドに座るエリックと、傍に立って見守るブルーノの姿を見つけた。
「シャーロット、」
母が嬉しそうに微笑んだ。
「あなた、倒れたのよ? ここがどこかわかる?」
見覚えのある天井と、見覚えのある部屋。オレンジ色とピンク色を多く使った部屋は、シャーロットの、公爵家の自室だった。装飾は母の趣味で、水色と青色を多く使った部屋がエリックの部屋だった。
「私の…部屋、です。」
「エリックとブルーノ様があなたを運んでくれたのよ?」
「ありがとう、ブルーノ、エリック、」
シャーロットはうわごとのように感謝を告げた。まだ頭がぼんやりとしていた。
「えっと…、私は、街で倒れた、のね?」
「そうね、そうみたいね。」
「うちの執事や、騎士の、声を聞いた気がしたわ、」
瞳を閉じると、ついさっきの出来事のように、最後に見た光景や音を思い出す。
「あなたを心配して出てきてしまったと、言っていたわよ。」
「エリックがいたわ。ブルーノが、私を抱きしめてくれたの。」
「あなたは頭から倒れたそうよ、ブルーノ様が抱き留めてくれなかったら、今頃どうなっていたことか、」
「そう、ありがとう、ブルーノ。」
ブルーノを見ると、静かに首を振っていた。
「ここまであなたを抱いて馬車で運んでくださったのよ? ブルーノ様がいなかったら…、あなたは頭を打っていたかもしれないわね、」
ブルーノには丁寧に対応しようとシャーロットは思った。命の恩人である。
「お医者様が仰るには、過労と栄養不足による貧血じゃないかって話だったわ。あなた、何を食べて生活してるの?」
「え…?」
「ちょっと、ここ一週間の食生活を話してごらんなさい。まずは月曜から、」
急に言われても思い出せないんだけどなあ。ぼんやりとした頭のままシャーロットは答えた。
「月曜日は、忙しくて…、朝ご飯は学食で、お昼ご飯は中庭でパンちょっと、おやつにスコーンちょっと、夕ご飯は学食だったわ。」
母の顔はいきなり険しくなった。
「ちょっとってなにかしら。」
「おじいさまに呼び出されて時間がなくて…、あとはエリックに食べられたかな…、」
クイニーアマンをエリックとブルーノに食べられたのだ。エリックは母に睨まれて気まずそうな顔をした。
「お母さま、あれは昼ご飯と言うよりお菓子だったぞ。」
エリックが言い訳している。母はさらに険しい顔になる。
「火曜は?」
「忙しかったの…、ローズが風邪で寝込んでたから…、朝学食で、お昼パン一個とコーヒー牛乳、夕ご飯は学食。」
「あなたの言うパンって、どんなパンなのかしら。」
「クイニーアマンです…。」
「それはお菓子だと思うわ。」
母はどんどん険しい顔になる。
「それで今週は、ハウスキーパーが頻繁にあなたのところに行ったのね、」
「ええ…、水曜日は学食で3回食べたわ。木曜も金曜も同じ。忙しい日で…、ローズが寝込んでたから何度か買い出しに行ったかな。」
ミカエルが一緒だときちんと食べているのだと自分でも気が付いた。学食のメニューはなんだかんだ言って栄養が管理されている。
「土曜日は?」
「朝から出かけたの。朝は学食で、お昼はカフェオレと、何か摘まんだわ。演武会を見に行ったんだけど、打ち上げ会というのがお昼ご飯で、挨拶ばかりしていたら食べ損ねちゃった。夜はおじいさまとエリックと出かけたの。なんだか疲れて食欲がなくて…。」
「シャーロットお姉さまはスープばかり飲んでたぞ、」
エリックが答えた。煩い弟は余計な事を言う。シャーロットはエリックを睨みつけた。
「あなた今週ずっと忙しかったの?」
「ええ、…ローズはハウスキーパーがいないから、寝込んでたし、何かと手伝ってあげたかったの。できるだけ詳しくノートも作ってあげたかったし。」
「またローズなのね…。」
母は溜め息をついた。
「あの娘に関わると、あなたは碌な目に合わない気がするわ。」
「そんな。ブルーノがいるのに、そんな言い方をするのは困るわ、お母さま、」
「いいえ、本当のことでしょう? ブルーノ様も、ローズという娘はご存知でしょう? シャーロットの誕生会にもいたのはご存知でしょう?」
ブルーノは頷いた。当然だろう。ついさっき、ななしやでも会っている。
「ええ。あの、貴族らしくない貴族の娘ですね。今日もななしやで働いているのを見ました。」
母は憮然とした表情になる。怒っているのか、声が大きくなった。
「奨学金を貰っているのに、満足に自分の体調管理もできずに寝込んで他人に面倒をみさせて、治ったら勉強もせずに働いているような娘です。私はそのような娘とシャーロットには仲良くしてほしくありません。」
ガブリエルみたいなことを言っているなあとシャーロットは思った。
「お母さま、おやめになって。私の友達を悪く言わないで。」
ブルーノにまでそんな話を聞かれたくはなかった。ローズをどう思っているのかなんて、内輪だけの話にしておいてほしかった。
「あなたはそう言うけれど、あなたの真心が通じない相手を友達と言えるのかしら? お母さまは違うと思うわ。」
母は不快そうに続ける。
「看病をしてくれたあなたに対して、お礼の一つくらいあったのかしら。して貰って当然と思っているような育ちなのかしら。そういえば、シャーロット、あなた、もしかして、食事のお世話も無償でしてあげたの?」
シャーロットは友達だから当たり前のことと思い、代金の請求も口にしなかったし、その話題すらしていなかった。ローズもその話題をしなかったので、シャーロットはそれでいいとさえ思っていた。
「あなたがそこまでしてあげなくてはいけないの? そこまで尽くさないといけないような相手なの?」
畳みかけるような母の勢いに、シャーロットは言い返せないでいた。
母は家の立場から、シャーロットとローズは対等ではないと言いたいのだろう。
「今日ななしやにいかなければ、ローズが働いている事すら知らずに、あなたは裏切られていたんじゃないのかしら?」
母の言葉に、さっそく今日ななしやで働いていたローズの顔を思い出す。
シャーロットは唇を噛んだ。母の言う通りだった。寮にいると言ったローズは働いていた。ローズを信用したから、シャーロットはななしやに行った。
「それは…、体調は良くなったのなら、少しくらい体を動かしてもいいのでは?」
「奨学生なんだから、そんな余計な事は考えずに、休んでいた分の遅れを取り戻せばいいのではありませんの?」
母はぴしゃりと言った。
「あなたがそんな甘い考えなら、私にも考えがあります。」
母の目は座っている。
「ブルーノ様と婚約してこの国を離れてしまえば、あの娘とは縁が切れるのではなくて?」
とうとう恐ろしい未来を言い出した。シャーロットは瞳を伏せた。
「シャーロットは僕が守ります。不自由はさせないし、過労で倒れるような真似もさせません。」
傍に近寄ってブルーノは、シャーロットの手を握って微笑んだ。
母は鋭い目でシャーロットを見て、忌々しそうに言った。
「過労になるまで他人の看病をする必要はあるのかしら、シャーロット、」
「看病はしてません、私にできる手助けをしただけです。」
シャーロットがしたのは、朝学校に行く前と夕方とに、ローズに差し入れして励ましていただけだった。あとはハウスキーパーに頼んでいたのだから、倒れるまでも看病はしていない。食べられなかったのは自分の責任だし、食べなかったのは自分の選択だった。
「余計タチが悪いわ。」
母は怒りで声を震わせた。いかんいかん、母がブチ切れそうだ。
「お母様…、今度からは、祝賀会と言った大きな会の前は事前に食事を済ませてから出向くようにします。油断したのは私の失敗です。食事を満足に取れていないのは、ローズのせいではありません。」
公爵家で何か催しがある際、事前に家族で食事を済ませていた習慣をすっかり失念していた自分が悪いのだと、シャーロットは思った。
目を伏せたシャーロットを見て、父と母は顔を見合わせた。
「私達は…、あなたがかわいそうでならないの。」
母はシャーロットの手を擦った。
「あなたが友達だからとローズを庇う度に、私はローズを引き裂いてやりたくなるわ。私の娘をよくもこんな目に合わせてって腹が立つの。」
ますますガブリエルと言うことが似ている気がしてきた。
「あなたは公爵家の娘で、間違っても男爵家のような者に軽んじられる立場じゃないのよ、シャーロット。」
母は何かを決心したような表情になった。
「お母さま、ローズの一件は俺にも考えがあります。少し時間をください。」
エリックが口を挟む。二人とも、何を考えているのだろう。
「エリック、余計な事はしないで?」
「公爵家と、シャーロットお姉さまを守るだけだ。余計な事はしない。」
それが余計な事だと思うんだけどなーとシャーロットは思った。
「とにかく、お医者様は3日間の静養を仰ってたわ。その間はここで寝ているのですよ? 学校へは連絡しておきます。3日後にお医者様がもういいよって仰ってからじゃないと学校へは行かせませんからね?」
母は父とエリックに部屋を出るように言った。
父は部屋を出る前にシャーロットの頭を撫でて、「父様はお前が一番だよ?」と言った。シャーロットに念を押すように語りかける。
「お前が幸せなのが一番なんだ。」
エリックは無言で部屋を出て行った。母は父とエリックの後ろ姿を見て何か言いたそうな顔をしていた。
「ブルーノ様にきちんとお礼を言うのよ」
母はそう言って二人を追いかけ、自分も部屋を出ていった。
残されたブルーノが、シャーロットを抱きしめるように、ベッドの上に身を乗り出した。ブルーノの長い髪が、シャーロットの顔に当たる。そっと手を伸ばしてブルーノの耳に髪をかけると、ブルーノと目が合った。
ぺろりと唇を舐められる。この前、触らないでって約束した気がするんだけどなあ。
「シャーロット、」
おでこに掛かる前髪を撫で上げて、ブルーノはシャーロットの瞳を見つめた。
「今ここで君を抱いて、既成事実を作ってしまえば、君をこのまま連れ去ってしまえるのに。」
「そういうのは嫌よ。」
シャーロットはブルーノの瞳を見つめた。優しくシャーロットを見つめる碧い瞳は、出会った時からずっと変わらない。素のシャーロットを知っている。
手を伸ばして、ブルーノの頬を撫でた。ああ、私はこの人が好きだ。だから、真摯に向き合おう。
「今日はありがとう。でも、それとこれとは別の問題だと思うわ。」
ふふ、と笑って、ブルーノはシャーロットにキスをした。優しいキスだった。
「…シャーロット、」
ブルーノの瞳が、シャーロットを見つめていた。シャーロットも静かに見つめ返した。
「今日はもう帰るけど、学校で待ってるから、」
待たなくていいの。だから、シャーロットは言う覚悟を決めた。
「ブルーノは好きだけど、婚約は解消するつもりはないし、ローズと友達を辞めるつもりもないわ。」
シャーロットは今しか言う機会はないと思った。
「あなたのことを好きなのは認めるわ。でも、ミカエルが一番好きなの。」
どうしようもない気持ちに、シャーロットは戸惑っていた。ミカエルと婚約を解消してブルーノと結婚したら、楽しいだろうとは思う。南国のブルーノの母国は、公爵家の領地のように青い空と暖かい気候で穏やかなんだろうなと思う。こことは違って、自由なんだろうなとも、思う。
「君は、僕のことが好きなんだね?」
「ええ、あなたが好きよ。」
ブルーノは体を起こし、ベッドに座ると、嬉しそうな表情になった。
「僕も君が好きだ、シャーロット。」
「でも、結婚したいのはミカエルなの…。」
前世なんかがあって、理解できない孤独を抱えていて、努力家で、女装が好きで、ちょっと変な子で、でも、魅力的なミカエル。シャーロットはミカエルが一番好きだと思った。今一番会いたいのはミカエルだった。
「わかった。シャーロット。」
瞳を伏せたブルーノが、シャーロットの手をそっと撫でて、背を向けた。美しい人は、最後まで美しいのだとシャーロットは思った。
「僕は君が好きだ、シャーロット。」
背を向けたまま、ブルーノは言った。
「さようなら、ブルーノ。私も、あなたが好きよ。」
好きだと言ってもどうにもならないのだとシャーロットは思った。
ブルーノが部屋の外に出ていったのを確認すると、シャーロットは両手で目を覆って泣きだした。ブルーノとエリックと遊んだ夏の日は楽しかった。でももう、あの夏じゃない。
部屋に戻ってきたエリックが、泣いているシャーロットの顔を見つめて言った。
「好きなら、諦めないで、飛び込めばいいのに。」
「諦めたんじゃないわ。」
「じゃあどうしてシャーロットは泣いてるんだ? ブルーノが好きなんだろう? ブルーノを選べばいいだろう?」
弟はシャーロットと時々呼び捨てにする。それは昔から本音が出ている時だ。
「好きだからって、傍にいていい人じゃないの。」
「そんなにあいつが好きなのか…、」
「好きでも、結婚したいのはミカエルだけなの。」
ブルーノよりもミカエルが好きなだけだとシャーロットは思った。結婚できるのは一人だけなのだ。
寝ているよう言われた3日間はとても退屈で、毎日寝てばかりいたので3日目にはシャーロットは飽きてしまっていた。
医者がようやく学校へ行く許可をくれたので、4日目は午後から授業に出た。学校へ戻ってきたシャーロットを出迎えたガブリエルは涙目で、「私のノートを貸してあげますわ」と言って休んでいた分のノートを貸してくれた。ミカエルはミチルの日だと思っていたのだけれど、今日はミカエルの日だとガブリエルは言った。
「明日、シャーロットは学校に来ると思うから、ミチルで一緒にいたいって、言ってましたわよ?」
そう囁いて、ガブリエルは微笑んだ。
放課後、シャーロットがガブリエルに借りたノートを写していたら、エリックも寄ってきて、「これやる」と、休んだ分の授業のノートの写しの紙を何枚かくれた。エリックとは半分くらいの授業が重なっていた。教室の出入り口付近にいるブルーノは髪を切っていた。ブルーノの髪はエリックよりは長かったけれど、それでも、さっぱりとした頭になっていた。遠くからシャーロットを見つめて、何も言わずに微笑むだけだった。これでいいんだ、とシャーロットは思った。これが、本当にあるべき距離なんだ。
「正々堂々と勝負しないと、勝ってもつまらないからな。」
エリックは期末試験のことを言っているのだろう。シャーロットは素直に「ありがとう」と伝えた。
シャーロットを見つけたローズが嬉しそうに近寄って来た時、ガブリエルが、「こちらには来てはいけません」とはっきり言った。
「ハウスキーパーも呼べない、お医者様も呼べない身分の者が、シャーロットに何の用なんです?」
いくら放課後で人が少ないからとはいえ、そこまで言うのは言い過ぎだとシャーロットは思った。
「ガブリエル、私は気にしていません。大丈夫です。ローズ、大丈夫ですよ?」
シャーロットが微笑むと、ガブリエルはさっきよりも酷く怒った。
「あなたが良くても、私は良くありません。私は友達を守る義務があります。」
ついさっきまで嬉しそうだったのに、ローズは悲しそうに下を向いた。
「お休みされていた姫様がお元気になられたようで嬉しくて来てしまいました。すいませんでした。姫様には迷惑ばかりおかけして申し訳ありません。」
「あなたのせいで、シャーロットは倒れてしまったのですよ? シャーロットは優しいから、あなたのようなものにまで優しくするんです。もう少し考えて行動なさったらどうなんです?」
ガブリエルは言いたい放題だ。
ローズはガブリエルの言葉に顔色を失くした。知らなかったのだろう。
「すみませんでした。そんな、私が理由で倒れたなんて…。知らなかったとはいえ、すみませんでした。」
ローズは頭を下げた。なんでそんなに謝るの? シャーロットは慌てた。
「ちょっと、やめて、私がしたくてしたことよ? そんな風に謝らないで。」
「いいえ。もう、姫様には話し掛けないようにします。身分をわきまえて身を引きます。」
シャーロットは立ち去ろうとするローズの手を捕まえた。
「あなたが友達を辞めたいと言っても、私はあなたを捕まえ続けるわ、」
「姫様…、」
涙目になったローズが俯いた。私は、あなたにそんな顔をさせたいんじゃないわ。シャーロットは悲しくなった。
「シャーロット、いけません!」
ガブリエルはますます怒った。
「過労なんて私の好きでした結果だもの、気にしないで。」
「でも…、姫様、私は自分で頑張って奨学生を維持できるように努力します。」
「そう、それはえらいと思うわ。」
「体調管理だって気を付けます。もう一人で十分やっていけます、」
学力を維持して体調を管理したら、どうしてシャーロットと友達を辞める話につながっていくのだろう。シャーロットには理解できなかった。
「私が嫌なの。私が友達を辞めたくないの。」
「シャーロット、この者と縁を続けてもよくありません。あなたが損をするばかりです。」
ローズはガブリエルの言葉に唇を噛んだ。
「二人とも勝手に私の身の振り方を決めないで。私は、ローズを選んだの。」
そうとしか言えない選択だった。
ミカエルの言うゲームに例えて言うなら、シャーロットはいろんなルートのうち、ローズのルートを選択したのだ。それはただ、友達になるかならないかの2択でしかなかった。
「シャーロット、あなたは私の大事な人です。あなたを苦しめるような者を友達にふさわしいとは思えません。」
ガブリエルはローズを睨んでいた。
「あなたが自分でシャーロットにふさわしい人物となれるように努力できないのであれば、私は王女としての権限を最大限に利用してあなたを排除します。よろしいですか?」
「…はい、」
ローズは言わされているとシャーロットは思った。そんな風に言われて『いいえ』と言える訳がない。
どうしてこうなっちゃうんだろう。シャーロットは怒るガブリエルと悲しそうに俯くローズを見て、言葉を失くした。
ありがとうございました




