<36>悪役令嬢がヒロインのイベントを攻略しているようです
祖父との時間が思ったより短く終わったシャーロットは、まだ間に合うかなと思いながら購買でパンとコーヒー牛乳を買い、中庭の噴水池を目指した。
お昼休みならローズがいるかなと思ったのだ。ローズと話がしたかった。噴水の周りには生徒もまばらで、変だなあと首を傾げた。ローズはどこに行ったんだろう。
手に持つのは毎度おなじみのクイニーアマンである。
購買で店員のおばちゃんに、パンを選ぶ前に、「いつものね、」とコーヒー牛乳と一緒に渡されたのだ。せっかくだし違うパンに挑戦してみようと思っていたシャーロットは、無言で微笑み、それを買ってきたのだった。なんだかなあ…。
噴水の縁に座り空を見上げ、パンを齧りながらシャーロットは演武が何なのかを考えていた。
騎士コースの学生はもともと縁がない。屋上で知り合ったけれど、顔は判るけど名前が判らない。家同士のつながりがあるのかすら知らない。そういう事を教えてくれる友達もいない。
私、もしかしてものすごい人脈薄いんじゃないのかしら。シャーロットは言葉を失う。パンを齧る口も止まる。
ポン、と肩に手を置かれ、シャーロットはパンを落としそうになる。
「え、ナニ?」
傍にはエリックとブルーノが立っていた。エリックが肩に手を置いたまま、シャーロットににやりと笑った。ローズではなく煩い弟と接触してしまい、シャーロットは気が重くなる。
「シャーロットお姉さまを発見。捕獲にも成功、だね。」
ブルートとエリックは、シャーロットを挟むようにして噴水の縁に座った。シャーロットは意識してブルーノから視線を外した。トリュフの一件以来、ブルーノの顔が見れないでいた。
「お姉さまは一人?」
「ええ、人を探しに来たの。」
「へえ…、見つかった?」
エリックの瞳が鋭く光った。シャーロットはどうしたのかなと思ったけれど、あえて聞かなかった。
「見つからなかったから、一人なの。」
「そうなんだ?」
ブルーノが何か聞きたそうに返事をする。視線を合わせないままシャーロットは話も逸らした。
「あなた達、お昼ご飯は済ませたの?」
シャーロットが尋ねると、エリックが学食を指差した。
「さっき終わったぞ、お姉さまが見えたから中庭に来たんだ。デートの話を後でするって言ってあっただろ?」
「ああ、あれね…、」
シャーロットの中ではなかったことになっている話だ。
パンを食べて無言で誤魔化そうとしていたら、エリックがシャーロットの手を掴み、大きな口でパンの丸い部分を齧った。一瞬にして三日月が出来上がる。
「ちょっと、エリック、あのねえ、」
つい家での口調になってしまうシャーロットに、エリックは、「このパン旨いね、」と笑った。
夏に領地で一緒に過ごしたブルーノは、エリックと同じように「一口貰うね」と、シャーロットの手を掴んでシャーロットの食べかけのパンを齧る。
「甘いね、シャーロット。」
二人してほとんど食べてしまった。
「私のクイニーアマンが…!」
シャーロットは小さくなってしまったパンを見て、「一応これ、私のお昼ご飯なんだけど…、」と黄昏た。
「じゃあ、お姉さま、お昼ご飯のお詫びに、街にお昼ご飯を食べに行こうぜー、」
「行かない。」
そんな先の話よりも、今お昼ご飯を食べることの方が重要だわ…、とシャーロットは思った。
小さくなってしまったパンを口に放り込み、コーヒーの香りする牛乳を飲んだ。放課後ミカエルとお茶しよう…。もう購買に行く時間などないだろうと思った。
「三人でまた出かけよう、シャーロット、」
ブルーノも肩を寄せてくる。
「夏も一緒に出掛けただろ?」
今はもう夏でもないし、公爵家の領地でもない。人目もあるし、自由な振る舞いはできない。
「あんまり嬉しくない。」
「お姉さまに御馳走するから許してよ、」
ななしやを見に行くいい機会かもしれない、シャーロットは少し心が揺れた。
「お店は私が決めてもいい?」
「シャーロットが決めるところなら何でも、なあ、エリック。」
ブルーノもエリックもななしやを知らないからローズを見つけたらびっくりするだろうなあ…。ローズにはひとこと言っておいた方が良いのかな、黙っておいて行った方がびっくりするのかなとシャーロットは思った。
「じゃ、決まりね。」
エリックが満足そうに言った。結局流されているのにもかかわらず、シャーロットは弟の変な会に巻き込まれなくてちょっとほっとしていた。
「今週の土日のどっちか?」
「あ、ごめん、土曜日は演武を見に行くの。」
シャーロットは義理堅く思い出していた。あんまり行きたくはないけれど、約束してしまった以上行かざるを得ない。
「なに、演武って、」
エリックが不機嫌な顔になる。あまり興味がないのだろう。
「武芸3コースの学生の記念行事なんだって。おじいさまも来るらしいよ?」
「へー、」
「誰と行くんだい、シャーロット、」
ブルーノは誰と行くのかが気になるようだった。ブルーノじゃない誰かだよ、とシャーロットは思った。
「サニー王子ではなさそうだけど?」
エリックは知ってて言っているとしか思えなかった。
「…リュート。」
そういえばリュートとも時間の打ち合わせが必要なんだったっけ。シャーロットはすっかり忘れていたので、あとでリュートを探そうと思った。
「じゃあ、俺もそれ、一緒に行く。」
エリックは不機嫌そうな顔のまま言った。
「おじいさまとお姉さまと二人でお出かけ、ずるい、」
「リュートもいるけど。」
「リュートも行くなら、一人増えたって二人増えたって構わないだろう? 一緒に行くよ、シャーロット。」
「構うんじゃないかな…? 一応一位のお祝いらしいし。」
どちらかというと、リュートのお願いというよりは騎士コースの人達の賑やかし要員なのだろうとシャーロットは思った。女子生徒なら誰でもいいんだろうなと思う。
「ならなおさら行く。土曜日は演武ね、」
「1位のお祝いのやり直しを言われても困るから、嫌。あなた達との約束は日曜に3人で、でいいじゃない。」
シャーロットは眉を顰めた。男子がこれ以上増えたって嬉しくない。
「じゃあシャーロットお姉さま、日曜にブルーノと三人で出掛けるの決定ね。約束だから。」
エリックは一応納得したらしい。ブルーノは無言でシャーロットを見ていた。シャーロットはそれでもブルーノと視線を合わせなかった。
土日、忙しいなあとシャーロットは思った。ななしやでエルメを見れるかもしれないのは楽しみだった。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響き、シャーロットはゴミを手に立ち上がった。
「どうしたの? 行かないの?」
座ったままのエリックに、シャーロットは尋ねた。
「ああ、俺は、次の授業は休講だったから、このまま休憩してる。」
膝を組んで座り、エリックは手を振った。シャーロットも「またね、」と手を振った。弟が素直だと不気味だなと思ったのは内緒である。
「じゃあ、教室までシャーロットを送ってくる、エリック、また帰ってくるから待ってろよ?」
ブルーノがそう言って立ち上がると、歩き始めたシャーロットを追いかけた。
ブルーノはあっという間に階段の陰にシャーロットを押し込んで、壁を背に立たせ、両腕で閉じ込めた。
暗がりで二人きりの世界を作られてしまう。シャーロットは焦っていた。視線をブルーノに合わせないように、言う。
「あのね、ブルーノ、昼休みが終わるチャイム、鳴ったよね?」
目を伏せたシャーロットの顎を掴み、ブルーノは無理やり目を覗き込んだ。
「どうして目を合わせようとしないの?」
シャーロットは視線を逸らしたまま、答えた。
「目があったらキスするでしょ?」
「しない。しないからこっちを見て、シャーロット。」
ブルーノの手をそっと外して、シャーロットは仕方なく視線を合わせた。碧い瞳の中にシャーロットが見える。
「シャーロットとずっとこうしていたい。」
甘い囁きに、シャーロットの心は乱れる。どうしてそんなことを言うんだろう…。
「ブルーノは勝手だわ。」
シャーロットは吐息と共に言葉を吐き出した。少し腹が立っていた。
「いつだって勝手だと思うわ。」
自分の婚約者がいなくなったからって、ブルーノはシャーロットに無理難題を吹っかけてくる。そう思えてならなかった。
ブルーノの手が優しくシャーロットの頬を撫でて、そのままシャーロットの唇を親指でそっと撫でた。
「好きなんだから仕方ないだろう。」
「それが、勝手だと思うの。」
シャーロットが答えると、ブルーノは嬉しそうに微笑んだ。
「シャーロットは悩んでくれてるんだね。」
ブルーノはそう言って、シャーロットの耳たぶを甘噛みする。吐息が熱い…、シャーロットはくすぐったくて肩を竦めた。
「ちょっと何するの、」
「味見。」
「しなくていいから、」
シャーロットはブルーノの腕を掴んだ。壁から背を離し、自然とブルーノの腕の中に飛び込む形になる。
「もう行くよ?」
シャーロットが上目遣いに睨むと、ブルーノは微笑むと壁から手を離しシャーロットを抱きしめた。頭一つ分は背が高いブルーノに抱きしめられると、ブルーノの心臓の鼓動に耳を傾けてしまう。ブルーノの冬服の制服からは微かにアンバーウッディーな香りがした。鍛えた体はしなやかで、抱きしめられると心地いいとさえ思えてしまう。
「ご褒美は、これで我慢する。」
「ご褒美って。ブルーノ、転入してきたばかりなのによく頑張ったじゃない。それだけで十分じゃないの?」
「ご褒美がないと頑張れない。」
シャーロットの耳に囁くブルーノの声に、少しときめきながら胸に手を当て、ブルーノの体を押した。いかんいかん、流されてはいかん…。
「私もご褒美が欲しいわ、ブルーノ。」
シャーロットはブルーノの碧い瞳を見つめて、甘えるように上目遣いに微笑んだ。
「何? なんでも叶えてあげるよ?」
甘く微笑むブルーノの声は少し上擦っている。なんでも叶えてくれるのかあ…。シャーロットはそれは良かったと思った。
「じゃあ…、しばらく、私に触っちゃダメよ?」
シャーロットはくすくす笑いながら約束させる。
「何でも叶えるって言ったわよね?」
ブルーノは困った顔をしていた。美しい人がする困った顔は、それでも美しいと思えた。
「しばらくっていつまで?」
「成績で、私に勝つまで。」
ブルーノが私に勝っても負けても、無理なことなら断ればいいわ、とシャーロットは思った。
「仕方ないね。」
ブルーノの瞳が強く光った気がしたけれど、たぶん気のせいだろう。シャーロットは欲しかったご褒美が貰えて嬉しかった。
教室に戻ると、ガブリエルがどういう風の吹き回しか、ローズとサニーと話をしていた。
声の感じから、どうやら揉めている様子だった。中庭でローズを見つけられなかったのはここにいたからなんだ。シャーロットは納得した。
「…いくらなんでも、ちょっと虫が良すぎるんじゃなくて?」
強い口調で詰り、ガブリエルはローズを睨みつけていた。理由は判らないけれど、随分と怒らせてしまったようだった。
「ガブリエル、予鈴鳴ったんじゃないの? 先生来るわよ?」
わざと話を変えたシャーロットの声に、ガブリエルは表情を明るくした。
「まあ、シャーロット、理事長先生とのご用はもうお済ですの?」
「ええ、おかげさまで。ガブリエルは、予習、大丈夫?」
「ばっちりですわ。ではシャーロット、今晩ゆっくりと私の部屋でお話を聞いていただきたいですわ。」
ガブリエルは微笑んで、有無を言わさず約束を呑ませた。
聞いて楽しい話ではなさそうだ。サニーは困った顔をしているし、ローズは泣きそうな顔をしている。
いったい何があったんだろう。
サニーを見ると頷いてローズをこの場から離してくれた。ガブリエルが案外引き摺っていない様子なので、シャーロットはほっとして、授業に臨んだ。
お昼ご飯を満足に食べられなかったシャーロットは、放課後、ミカエルに付き合ってもらって学食でお茶をしていた。
学食では奥の方では、テスト明けで浮かれた生徒達が騒いでいた。
シャーロットは優雅に4人掛けのテーブルにミカエルと二人並んで座り、アフタヌーンティーセットを楽しんでいた。
スコーンを食べながら、シャーロットはミカエルと二人きりでいる喜びに笑みを隠せなかった。
「嬉しそうだね、シャーロット。そんなにおいしいの?」
見かけは王子様なミカエルの時は、ミカエルは意識して王子様を演じている。微笑んだ顔も気品がある。
前はもっと、ミチルの時もミカエルの時もシャーロットの前ではミカエルは砕けた感じだった気がするんだけどなあとシャーロットは思ったけれど、ミカエルの言う『王子様のコスプレ』の一環なのかもしれないなと思い、理由は聞かないでおく。
「今日はね、いろいろあってお昼もあまり食べれなかったし、いろいろこの後ある予定なの。」
「ナニソレ、」
ミカエルは八つ切りのオレンジの皮を剥いて、実を口に放り込む。隣に並んで座っているので距離が近く、声も小声になる。シャーロットはミカエルに膝を寄せた。
「ガブリエルが話があるって言ってたから、寮に帰ったら寄ってみるつもりだし、リュートと打ち合わせが待ってるの。」
あれ、リュートの話はしちゃいけなかったっけ? シャーロットがしまったと思った時にはすでに遅く、ミカエルが冷やかに笑みを浮かべていた。
「変な約束してないって言ってなかった?」
「してないです。」
ミカエルはスコーンを2つに割ってイチゴのジャムをたっぷりとつけ、シャーロットに無理やり食べさせる。甘いから、それ、付け過ぎだから。シャーロットはもぐもぐと抗議する。
「じゃあリュートとの打ち合わせは何?」
もぐもぐと食べているシャーロットは、食べながら考えた。面倒なことになって来たな…。
「…。えっと…、1位のお祝いらしいです。」
言い出したのはリュートと騎士コースの人達であって、シャーロットからではなかった。
「ふーん、で、何の打ち合わせなのかな? シャーロット。」
残りのスコーンを自分も食べながらミカエルは尋ねる。
「えっと…、演武会らしいです。」
「いつあるの?」
「今週の土曜日?」
「はあ…、よりによって今週末…、僕は金曜の夜からお城に帰らないといけないんだ。土日2日とも、公務で王子様のお仕事が待ってるんだ。」
一緒にいられないのは残念だけど、怒られなくて良かったとこっそり思っているシャーロットだった。
「しかも演武会…! どうしてきちんとイベントをこなしていくのかな、君は…、」
紅茶の入ったカップを置いて、ミカエルは溜め息をついた。スコーンをまた一つ取り、2つに割るとカッテージチーズを塗りたくる。
「あのね、それ、リュートルートの前半の山場だから。本当ならローズが手作りのお弁当を作ってリュートと一緒に観戦に行くイベントなんだ。お弁当の内容はリュートからのリクエストで、親密度が高ければ分厚いバゲットのサンドイッチ、ほどほどなら薄いバゲットのサンドイッチ、ぎりぎりなら普通のサンドイッチだから。何を言われてもサンドイッチは持って行っちゃだめだよ?」
え? この前中庭でリュートや騎士コースの男子生徒達と一緒になった時、みんな分厚いバゲットのサンドイッチを食べてた気がするけど? まさかね。
内心だらだらと冷や汗を流し微笑を浮かべたまま言葉を発しない猫かぶりなシャーロットの顔を、スコーンを食べながらミカエルは見つめた。
「イベントが成功すると、このままリュートルートだから、くれぐれも何か持って行ってあげちゃダメだからね?」
「えっと。あのね。手ぶらで観戦って、いいのかしら、」
シャーロットは公爵令嬢が手ぶらで観戦って、いろいろ問題がありそうな気がした。
「じゃあ、演武会に何を持っていくつもりなの?」
言われてみれば差し入れは今駄目だと言われたばかりだし、花を持っていくような相手ではない気がする。
「確かに、思いつかないわ。」
「じゃあ、手ぶらで行けばいいよね?」
ミカエルはシャーロットに念を押した。スコーンを2つに割ってクリームをたっぷり盛って口に放り込む。甘そうだな~と、シャーロットは見ていて震えた。さっきのジャムも塗り過ぎて甘かった。
「ほんと、うかうかしてられないよ、」
ミカエルの言葉に、シャーロットも、頷いた。うっかり返事をすると大変だわ…。
「で、ガブリエルの話って何? 何かあったの?」
紅茶を飲んでいたシャーロットはカップを置いて、今日お昼休みの終わりに見た光景を話した。
「ふうん?」
ミカエルは面白くなさそうに呟いた。
「ローズとサニーか。ガブリエルが怒るような事態かあ…。」
「その話を聞いてほしいってことなんだろうと思うの。」
「聞いても解決しなさそうな話だと思うけどねえ。」
ミカエルの返事に、シャーロットは首を傾げた。解決しないような怒りって、ローズは何をしたんだろう。
「まあ、あとで寄ってみようか。僕も一緒に行くよ。」
「ありがとう。」
シャーロットが微笑むと、ミカエルは「妹だしね、」と微笑んだ。
ありがとうございました




