<34>悪役令嬢は嘘だらけの王子様がそれでも好きなようです
ねえねえと、宙を見つめて考え込むミカエルの頬をつついてみた。考えているミカエルの横顔はやっぱり好き。シャーロットは微笑んだ。
「話は変わるけど、ミカエルって、愛人とか欲しい人?」
「は?」
ミカエルはシャーロットを見て激しく瞬きをしている。
「話変わり過ぎじゃない?」
「この前テストの前のお休みにね、実家に帰って久しぶりに婚約誓約書を見たの。」
「はあ、最近よく話題にしてる気がするね。」
「そこには愛人とか書いてなくて、」
シャーロットはがっかりしたのを思い出した。わざわざ確認に帰ったかいがなかった。肝心なことを決めていない気がした。
「まあ、書かないだろうね、普通。」
「あ、そういうもんなのね。で、お父さまに聞いたの、」
「公爵も大変だったろうなあ…。」
ミカエルが遠い目をした。
「お父さまは、結婚宣誓書を作るときに、ミカエル王太子殿下と考えてみたらどうかって。」
「はあ、そうだねえ、確かに考えておいた方がよさそうだよね。」
「でしょ? で、今、思い出したから聞いてみたの。」
「シャーロット…、君はテスト前にそんなことを調べるために実家に帰ってたのか…。」
ミカエルは溜め息をついている。シャーロットはびっくりしたように瞬きをした。
「え、重要じゃない?」
「テストには関係ない気がする。」
「大ありよ。テストで変な点数取ったら、またサニーとエリックによく判らない会に参加させられちゃいそうじゃない?」
「…サニーがどうして関係があるの?」
「え、サニーは婚約したら私以外の妃や愛人は諦めるって言ってたわよ?」
ミカエルは黙り込む。あれ? まずいこと、言ったかしら?
「…シャーロット、いつ、どういう状況で、そんな話になったの?」
「え…?」
「僕がミチルの時、サニーは近付いてこないと思うけど?」
そう言えばそうだったっけ? シャーロットは首を傾げた。言われてみればミチルがいる時、サニーは近付いてこないし、ミカエルといる時も近付いてこない。
「あ…。」
あの保健室の話は話してなかったし、話すつもりもなかったんだった…。シャーロットは、まずい、逃げよう、と思った。
「えっと、夕ご飯食べにいかないと、ね…、」
立ち上がろうとしたシャーロットの腕を、ミカエルが力強く捕まえた。
「シャーロット?」
まずい。非常にまずいわ。シャーロットは震えながらミカエルの顔を見た。ミカエルは笑顔だけど、目が笑っていない。
「ちょっと座って。何があったのかな? シャーロット?」
抱き寄せられて、床に座らされてしまう。こういう時、やっぱりミカエルは男の子だと思う。自分にはない力強さにたじろいでしまう。
あーあ、サニーとのことは言いたくないなあ。シャーロットは困ってしまう。
「ご飯食べてから話す…。」
上目遣いにミカエルを見て、シャーロットは小声で言った。話が長くなって夕ご飯抜きになるのも嫌だった。
「ちゃんと話すから、ご飯食べに行こう?」
「仕方ないなあ、約束だからね、」
小指を差し出したシャーロットに、ミカエルは指きりをする。昔からしている、お嫁さんになっちゃうやつだ。
夜は長くなりそうだけど、着替え始めたシャーロットが時間が稼げたと思ったのは言うまでもない。
学食での夕ご飯の後、女子寮の部屋に戻ってきたシャーロットは、床の上に正座させられていた。
「あ、足が痛いわ、ミカエル。」
「もうしばらくそうしていようか、シャーロット、」
ミカエルは腕組をして傍に立っている。ゆるゆるの部屋着の灰色のトレーナーにピンクのスパッツを履いているミカエルは、怒っていても可愛い。
シャーロットは夕食後はミカエルの部屋に行くものだと思っていたので、白いカットソーに藍色のフレアスカート姿だった。正座をしているとスカートが朝顔の花のように丸く広がる。
「さて、質問があります、」
サニーのことだろう。あー、面倒なことになって来たなーとシャーロットは思った。足が痛いのと泣き落とし作戦でもして誤魔化そうかしら。
「サニーとはどこで結婚前の約束をしたのかな、シャーロット。」
「…保健室?」
「保健室に二人で行ったの?」
「…そうね、他にいなかったわね。」
ガブリエルは見送ってくれたからね。
「どうして保健室に行ったのかな?」
「どうしてかしら?」
連れ込まれたという感じ、よね? 自分から行った訳じゃないわ。
「二人で保健室で話をしたんだよね?」
「はい、しました。」
なんだか慣れてる気がするなあ、とシャーロットは思った。毎回ミカエルにこうやって取り調べられているからかしら。
「そこで、婚約の話になったんだね。」
その前に告白めいた言葉を誘導されて言わされた気がするし、キスもしたけどね。
「そうですね。」
「で、そこでサニーはシャーロットに愛人は作らないって約束したんだね?」
「はい。えっと、シャーロットが望むなら他に妃も愛人も娶らないって言ってました。」
なんだか先生に質問されてるみたいだなーとシャーロットは思った。
ミカエルは椅子に胡坐を組んで座っている。ミチルの格好でそれをやられると、シャーロットの頭の中は女の子がなんていう格好を! と思ってしまう。
「で、シャーロットはミカエルにも確認しなくちゃ、と思ったんだね。」
「そうです。なので、実家に帰って婚約誓約書を確認してきました。」
「ふうん。」
ミカエルは黙ってシャーロットの顔を見つめた。
「な、何かしら。」
「他にもなんか言うことあるでしょ。」
ジーっとシャーロットの瞳をミカエルは見つめている。
「なんでしょう、言うことって。」
猫を被っていても、内心冷や汗だらけなのがバレているのだろうか。
「隠し事をする時、シャーロットって決まって瞼が痙攣するんだよね。」
「え、」
自分では意識してないけれど、そんな動きしてたの? シャーロットは自分の瞼を手で撫でた。
「引っかかったね、シャーロット、」ミカエルはニヤニヤ笑った。
「はい?」
「瞼は痙攣してないよ。」
「まあ、騙したのね!」
「騙してません、これはテクニックです。」
どっちも同じじゃないの? シャーロットは頬を膨らませた。
「で、何があったの? 最初から話してごらんよ?」
「最初って…、」
「どうして保健室に行く事になったのか、からだよね、」
当然と言わんばかりにミカエルはシャーロットに告げた。
「言う気になったら椅子に座ってよ、シャーロット。正座は許してあげるからさ。」
「言わないとどうなるの?」
「ずっとこのまま。そこでお説教。」
言ってもお説教になりそうな気がするんだよね…。シャーロットはしぶしぶ椅子に座った。
ガブリエルの不在から始まり、授業をサニーと受けていたこと、お昼休みに出し抜いたこと、リュートとの屋上のこと、保健室に連れていかれたことを話す。シャーロットはざっくり話をしたのだけれど、ちょこちょこミカエルが質問するので、結局細かく説明する羽目になる。
ミカエルが話し終えたシャーロットに、「しばらく、シャーロットはマスクして生活しようか」、と言った。
マスクって、お面のことだよね、仮面舞踏会でつけるあれだよね。
やっぱりお面をつけて生活するのか…。シャーロットは項垂れるのだった。
テスト明けの週末で羽を伸ばそうと思っていたシャーロットは、ミカエルの監視の下、出掛ける事もなく朝からミカエルの王族用の部屋で過ごすことになった。
女子寮の部屋だとミチルと仲がいいという噂は立つけれど、ミカエルと仲がいいという噂が立たないかららしかった。
「初めからそうすればよかったんだよね、」
ミカエルは口を尖らせた。
「僕の部屋にいつも出入りしていたら、シャーロットはミカエル王太子と恋仲だって噂が立つ事くらい初めから予想できただろうに、女子寮に居たら無理だよね。」
まあそうだよね。シャーロットも思った。ミカエルの部屋にミチルとしているよりも、シャーロットの部屋にミチルとしている方を選んだんだから仕方ない気がする。
ミカエルはミチルなゆるゆるふわふわなピンクな部屋着のワンピース姿でソファアに座っている。 シャーロットはその隣で、ピーコックグリーンのブラウスを着て首には黒いチョーカーをつけて茶褐色のフレアスカート姿で座っていた。
「あのさ、ミカエル。」
シャーロットはさっき部屋に入る前にガブリエルに会ったなーと思い出しながら、尋ねてみた。ガブリエルは出掛けるのか、芥子色のカーディガンを手にボルドー色のワンピースを着ていた。
「なあに、シャーロット。」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど。」
「んー?」
「ガブリエルがミカエルのことを『嘘だらけの王子様』って言ってたんだけど、何か言ったの?」
「んー。」
ミカエルは黙り込んでしまう。
頬を指でつつくと、「言うからやめて、」と言われてしまった。
「前世の話したことあったよね。」
「うん。」
「最初に、前世の知識を話したのは、ガブリエルなんだ。」
「へー、」
知識って、何を話したんだろう。シャーロットは気になった。
「話し方を失敗しちゃってね。あれは…、ガブリエルがピンク色に嵌ってた頃だから、僕が7歳で、ガブリエルが6歳になる誕生日の話だったと思うんだけど。ガブリエルがお誕生日ケーキはピンクにしてってお母さまに言ってて、僕は揶揄うつもりで、カバのうんちってピンク色なんだよって言ったんだよね。そしたらガブリエル、嘘つきって言って、泣いちゃって…。」
それ、普通に泣くから、子供。シャーロットは突っ込みを入れたくなるけど我慢する。続きが気になる。
「で、ケーキは無難に白いクリームのケーキになったんだけど、ガブリエルはしばらくピンクのドレスも着なかったなあ。」
「ちゃんと仲直りできたの?」
「してないんじゃないかな。ラファエルがカバなんて空想の生き物よって慰めてたから、今もそう思ってるんじゃない?」
シャーロットもカバという生き物がいるということは、授業で使った資料にあった『南方の国の生き物集』で見て知っているので、なんとなく判る。
「カバをどこで知ったの?」
「前世の知識。今生きてる世界が前世と違いがあるなんて知らなかった頃の話。」
ミカエルは寂しそうに笑った。
「あとは…、」
え、まだ何か言ったの?! シャーロットは心の中で突っ込みを入れる。この調子でいろいろと言ってそうだよなあ…。
ミカエルはシャーロットのチョーカーの顎の下の方結んだリボンを引っ張って、解いてしまう。
「な、何?」
シャーロットが驚いて身構えると、ミカエルは笑った。
「ガブリエルには悪いことをしたと思ってるよ? 子供の頃、ラファエルのドレスを借りて女の子として生活してたりもしたから、ガブリエルは結構最近まで僕を女の子だと思ってたんだと思うよ。」
チョーカーをまたシャーロットの首に戻してうなじの方で結び直すと、ミカエルはそのままシャーロットを抱きしめた。
「前世の記憶に引き摺られてた頃は何故か女の子の格好がしたくて、僕はラファエルのドレスを着て、僕の名前はミチルなんだよって教えたんだ。ラファエルはごっこ遊びだと思ったみたいで、合わせてくれたんだよね。僕もお姫様ごっこだと思ってたし。だからガブリエルはミチルって名の女の子が自分の姉妹にいるんだって、しばらく勘違いしてたんだよね。」
シャーロットには、ミカエルとラファエルが幼いガブリエルの心を弄んでいたような印象がしてきた。ガブリエルに同情してしまう。
「今思うと、ガブリエルは混乱してたんだろうね。たまに男の子の格好のミカエルに戻ると、お久しぶりですお兄さまって言われたから、ほんと、よく判ってなかったんだろうなと思う。」
「マリちゃんが女装が好きだったから、ミチルが始まったのね。」
シャーロットはミカエルの鼻を人差し指で撫でた。シャーロットはミカエルでもミチルでもどっちも好きだと思う。
「そうだね。シャーロットの事を思い出した時に初めて自分が何なのかもはっきりしたから、マリという名のマサミチはミカエルとは違う人生を歩んできたって分けて考えれるようになったんだ。それからは前世の僕は過去、現世の僕はミカエルとミチルだね。」
「思い出せてよかったね。」
「はっきり思い出してからは、前世の記憶は知識として使えるものは使うけど、現世の立場を考えるようになったから、昔よりは前世の自分に引き摺られてないと思う。」
チュッとシャーロットの頬にキスをして、ミカエルは笑った。
「シャーロット、今回のテスト、10位以内になったらキスしてって言ったの覚えてる?」
「毎度のお約束でしょ?」
「ミカエルで10位以内になったら、その場でキスしてくれる?」
「その場?」
「学校の2年生の教室前。」
「えー、」それは無理、とシャーロットは顔を顰める。
「婚約者と仲良くやってますとアピールするのは、重要だと思うよ?」
だからと言って人前でキスするのは嫌だと思った。
「ここでいいからさ、」
自分の頬を指差して、ミカエルは微笑んだ。
「ダメ?」
上目遣いにおねだりされてしまうと、可愛さのあまりシャーロットはつい頷きそうになる。いかんいかん…。
「ミチルで10位以内だった場合、何もいらないからさあ。」
口を尖らせておねだりするミカエルは可愛い。シャーロットはキュンキュンして顔が真っ赤になってしまう。
「じゃあ、ミチルで10位以内とっても、何もしないわよ?」
そうやって、まんまと乗せられてしまうシャーロットなのだった。
夕ご飯を一緒に食べた後ミカエルが後から行くねと言ったので、自分の部屋に一人で戻ったシャーロットを待っていたのは、暗がりの中に立つエリックだった。
部屋の明かりをつけたシャーロットはびっくりして悲鳴を上げそうになる。
「ちょっと、ナニ、いつからいたの、どうしたのよ、エリック!」
公爵家でいつも話すようにエリックを詰ってしまってから、シャーロットはいかんいかんと冷静に猫を被り直す。誰かに聞かれでもしたら大変だ。
コホンと咳ばらいをして、「こんばんわ。エリック。女子生徒の部屋にいつからいらしたの。鍵はどうやって入ったのかしら。ところで何か用でしょうか、」と言い直した。
「シャーロットお姉さまは面白いね。」
「あなたには言われたくありません。」
エリックは外出していたのか、黒いシャツに黒いジャケットを羽織り、茶褐色の細身のズボンを履いていた。シャーロットと同じようにもう日焼けした肌は元通りに白く戻っていた。
「用事があったから待たせてもらった。鍵は以前お父さまに借りてそのまま持っている。ミカエル王太子殿下と今日一緒だったのは知っている。俺は今日は家に帰っていた。」
「ふうん?」
先週帰った時には見かけなかったから、入れ違いに帰ったのね、とシャーロットは思った。
「泊まってこなかったの?」
「そのつもりだったけれど、事情が変わった。」
シャーロットに手紙を差し出す。
「正式にペンタトニークからお姉さまに招待状が来た。新年の祝賀パーティにぜひともお越しください、だってさ。」
「えっと、今何月だっけ?」
10月だよねー? シャーロットは受け取りながら首を傾げる。
「早めに予定を押さえておきたかったんだろう?」
エリックは口の端を少し上げて笑った。
「お父さまは乗り気だ。お母さまも家族で行きましょうと言っている。あそこは小さな島国だけど、南国だ。うちの領地の別荘よりも暖かい。何しろ冬でもこちらの夏だからな。」
「行かないとダメなのかしら。」
「行ったら婚約が内定したのと同義だろう。」
シャーロットは黙り、考える。ミカエルと婚約しているのに婚約内定って、それって、ミカエルとの婚約を破棄しろってことだよね…?
「行きたくないわ。」
「さっき言ったろ? 正式な招待状だって。」
「エリック…。」
「行くだけ行って、観光して帰ってきたらいいんじゃないのか?」
にやにやと笑うエリックが憎らしかった。
「エリックは一緒に行くわよね?」
「もちろん。こんな面白そうなこと、傍で見ないなんてもったいない。」
「あんたね…!」
「じゃあね、渡したからね、」
シャーロットに無理やり手紙を持たせると、エリックは部屋のドアを手にした。
「ついでに鍵も返して。」
シャーロットはエリックに手を差し出した。「エリックに預けたつもりはないもの。」
エリックはジャケットの内側から鍵を取り出した。渡しながら、シャーロットの顔を見て、小さく頬を歪めて言った。
「そうそう、お姉さま、ブルーノは今回のテストで、お姉さまより点数がよかったら、デートに誘うつもりらしいぞ。」
「なっ…!」
「ちなみに俺は自信があるんだぜ。お姉さまに勝てると思う。お姉さまはテスト前に家に帰ってお父さまとお母さまと仲良しこよしでのんびりしてたらしいな。余裕で臨んじゃダメだな、テスト。」
別にだからと言って手抜きをしたテストではない。シャーロットは唇を噛んだ。
「また、何かの交換会考えてるの?」
「今度はシャーロットお姉さまとデートです。一日俺に付き合ってもらいます。」
当然ですという顔で話すエリックに、シャーロットは思わず即答する。
「絶対嫌!」
何が悲しくて弟とデートなんて…!
「デートは、彼女作って彼女と行ってらっしゃい。」
「下手な女より、お姉さま連れて歩いた方が見栄えがする。」
意図して揃えた訳ではないけれど似たような印象の服装を指差して、エリックはにやりと笑った。
「それ褒めてんの? あんまり嬉しくないから。」
「褒めてるし、一応姉孝行しているんだけどなあ。」
「絶対嫌だからね。」
「ま、考えといて、」
「考えないから!」
部屋を出たエリックに、負けたって絶対行かないからねー! とシャーロットは思った。エリックって何を考えてるのかさっぱり判らない。
ありがとうございました




