<33>悪役令嬢はヒロインの告白に動揺しているようです
中間試験の最終日、午後の授業がなかったので、シャーロットはお気に入りの灰色のワンピースの部屋着を着て髪をポニーテールに括り、自分の部屋の片付けをしていた。
試験期間中散らかった部屋の片付けを今回は誰にも邪魔されずにできたので、シャーロットはご機嫌だった。ミカエルは午後も試験があるようで、まだ部屋には帰ってきていない。
床に資料を広がして、いるものいらないものの分類をしている時に、部屋のドアを誰かがノックした。
「どうぞー、開いてるわよー?」
ノックをするなんて誰だろう。シャーロットが首を傾げていると、ローズが顔を覗かせた。
「姫様、今いいですか?」
「ええ。」
白いシャツに茶褐色のズボン姿のローズは、手に袋を持っていた。紺色のエプロンを付けている。ローズは髪がだいぶ伸びてきていて、後ろで一つに括っている。服装さえ可愛く整えれば、普通に可愛い勤労女子学生だった。
「その恰好…、また勤労学生に戻ったの?」
シャーロットの質問に、部屋の中に入ってきたローズは「いいえ」と答えた。
「管理人のおばちゃんに、台所を借りるお礼をさせて下さいとお願いしまして、お手伝いをしているだけです。で、あの、これ、姫様に。今回のお礼です。」
「何のお礼?」
何かしたかしら? シャ-ロットは首を傾げた。
「テストがほとんど書き込めれたお礼。」
「ナニソレ。」
シャーロットはくすくす笑った。ローズも釣られて笑顔になる。
「そんなお礼、聞いたことないわ。」
「私もです。でも、お礼がしたくなるほど、今回のテスト、手応えがあるんです。」
「それはよかったわ。」
1学期75位だったローズの成績を考えると、ほとんど書き込むことはなかったのだろう。今回書き込めたということは、前回よりはできたということなのだろう。シャーロットは少しほっとした。
「今回は感謝の気持ちを込めて、フィナンシェを焼いてみました。」
「この前のマフィン美味しかったわ。あなた…、いろいろ作れるのねえ…、」
「姫様、ななしやの厨房に、若い男性がいたのを覚えてますか?」
「ああ、いたわね。ご挨拶できなかったけれど。」
「あの人に教えて貰うんです。あの人、もともと菓子職人だったから…、」
顔を赤らめたローズに、もしや、とシャーロットは思った。
「その人のことが好きなのね、ローズ。ねえねえ、どういう人なの?」
耳まで真っ赤になったローズは可愛かった。
「教えてほしいなあ、ローズ、」
シャーロットが顔を覗き込むと、「もうっ」とローズは照れて言った。カ、カワイイ~! シャーロットは心の中で絶叫する。こういう可愛い子大好き!
「姫様、内緒ですよ。兄上には伝えましたが、私の、その、将来結婚する予定の人です。」
「は、はい?」
「ななしやのおばちゃんの遠縁にあたる人で、名前はエルメっていって、私よりも二つ年上です。」
「け、結婚?」
「私の予定、です。ななしやを彼と大きくしていきたいんです。今、その、菓子職人の修行だけじゃなくて、おっちゃんのところで料理全般も学んでて。器用な人なんです。」
「あの、私の予定って、」
「私達は結婚出来たらいいなあって話をしてますが、その、男爵家からうまく逃げだせないとできないでしょう? だから、私の予定です。」
ローズはそういう予定があったんだ…、シャーロットは驚いた。だから、誰ともゲーム通りにお話を進めていかないんだ…!
ローズは頬を染めて下を向いた。
「兄上は、男爵家からローズとしてエルメの元に嫁に出てもいいし、ロータスとしてローズの人生を諦めて平民として暮らして言っても構わないし、って、ローズの人生なんだから好きにしたらいいよって言ってくれました。男爵家と言っても次の世代に何か残していけるような金持ち貴族ではないし、私自身が結婚を望んでいないから、私の代で終わらせることになっても構わないと思っているからねって。」
「はい?」
「うーん、なんて言えばいいんだろう。姫様。その…、私達は貴族であることをやめようとしているって感じです。」
ローズの兄である男爵が、ローズに貴族らしさや礼儀を教えようとしないのはローズを貴族として貴族に嫁に出すつもりがないからだとは判った。
あれ? 疑問が頭に浮かぶ。シャーロットは目をぱちくりする。
「じゃあ、あの、その、ローズがこの学校にいる理由は、いったい…?」
「それ、私も入学前に兄上に聞いたんです。平民として生きていく予定なのに、どうして貴族の学校へ行くのかって。」
「そ、そうね、」
えらくはっきりと聞くのね、シャーロットは思った。なんだかんだ言ってローズは異母兄と仲良しなのではないだろうか。
「入学試験がないから、ですって。」
「はい?」
「貴族だから入れるってだけで試験がないし、卒業にも試験がないから、馬鹿なお前でも賢い人と友達になれるんじゃないかって、兄上に言われたんです。」
「え? 金銭的な問題は…?」
ローズはそのお金が払えなくて苦労しているのではないの? シャーロットは不思議に思った。
「それがですね、兄上は授業料も寮費もきちんと親の遺産があるから心配するなって言ってくれたんですけど、そのお金を貯めて置いて結婚する時の持参金にしたいって言ったらお前さえよければそれでいいんじゃないかって言ったんですよ、兄上が。」
「はあ…、持参金…。」
「姫様、持参金があれば、ななしやはもっといい設備でもっといい場所で店が開けれるんです。親の遺産なんて言われたら、自分の何に使うかは…、持参金にするか学費にするかは、使いたい私次第でしょ?」
じゃあ、お金はあるけど使わないで取っておく為に、好きで勤労学生をしてたんだ…。シャーロットは言葉を失くした。お金はあるけど使いたくなかったってことなのか…。
「貴族的な風習とか、貴族な決まりとか、覚えた方が自分の立ち位置が測り易いとは思いますが、あんまり興味なくて。色々無駄なことに思えちゃうんですよね。」
「はあ、昔から、そんな風だったかしら…?」
「そうですよ、無駄なことは嫌いですね。前世の記憶というか、私、前に姫様にお話ししたと思いますが、自転車で転んで、あれ?っと思ったらこの世界に生まれて来てたんです。今、前の世界で生きてた年月を考えると、だいたい36歳くらいの中身の人間だと思ってください。」
「36…!」
「その…、自分が36歳くらいの年齢の自覚があるので、16歳くらいの子供に交じって何かを始めたいとはあまり思わないですし、同じクラスの子達のことも子供に見えてしまって、微笑ましいばかりで、一緒に何かをしたいとあまり思わないんですよ。」
「私のことも、そう思うの?」
「姫様は、初めて会った時から私の姫様でしたよ? 典型的な、お姫様。物語に出てくる理想のお姫様が現実に生きてるって感じですね。」
「そ、それは、ありがとうというべき…?」
「ふふ。そういうところも、私のお姫様です。今回のテストだって、断ることだってできたのに、友達だからと面倒を見てくれたでしょ? 庶民をお友達と言える心の美しいところも、お姫様だと思います。」
「ローズ…、」
返す言葉が見つからず、シャーロットは言葉を失くした。
「長居しちゃいましたね。では、姫様、お片付け、頑張ってくださいね。」
「え、ええ。」
「姫様、またね。失礼しますね。」
ローズが部屋から去っていったので、シャーロットはあまりのことに気が抜けて、クッションの上に倒れ込んでしまった。
36歳? 無駄なことはしたくない? 結婚する予定がある?
「えっと、じゃあ、ゲームのシナリオは、いったいどうなるの…?」
シャーロットは眩暈を感じた。ヒロインがヒロインとして動いてくれないと、私は進行役と悪役令嬢に戻っちゃうんじゃないの?
ミカエルが「シャーロット」と囁いた声で、シャーロットは部屋の床の上で寝ている事に気が付いた。あの後、憂鬱な気分で片付けをして、そのまま眠ってしまったようだった。
起き上がろうとして、床に寝転がるシャーロットに馬乗りになっているミカエルにも気が付いた。ミカエルが試験を終えてミチルの女子学生の格好で部屋に帰って来た。
「え、ミカエル?」
「試験終わったね、シャーロット、」
週末、ゆっくりできるね。シャーロットはミカエルに微笑んだ。
「ええ、お帰り。」
シャーロットの寝ぼけ顔にキスをして、ミカエルも微笑んだ。
「ただいま、もしかして、またお菓子貰った?」
ミカエルはシャーロットの横に座るとシャーロットを抱き起こし、机の上の紙袋を指差す。また、って、何それ。
「ええ、お礼って言われたわ。」
「なんの?」
「うーん、なんていうか…、」
シャーロットは今日聞いたローズの話を、できるだけ丁寧にミカエルに伝えた。
ミカエルは黙って聞いていて、シャーロットの話が終わると、「ふうん、」と呟いた。
「そんな話、信じちゃうんだ。」
ミカエルはシャーロットの顔をじっと見ている。
「シャーロットは、結構なんでも信じちゃうよね。」
「はい?」
「昔、僕が生まれた時から前世の記憶があるって言った時も、この前10歳で思い出したって言った時も、何も考えずに信じたよね。」
「え、」
「生まれた時と10歳だと違うから嘘だよねって言わないよね。」
「それは…、」
記憶と思い出は違うとシャーロットは思った。例えるなら勉強は記憶で、お出かけは思い出だ。
「生まれた時から前世の記憶があるなら、いろんなことを知っていたという意味なのかなって思ったの。記憶を思い出したのなら、何か纏わる思い入れがあるのだろうと思ったわ。」
シャーロットは言葉を選ぶ。正直なところ、シャーロットはどちらの時も、悪役令嬢で断罪されて婚約破棄で絞首刑という言葉の方が印象に残っていた。
「最初に聞いた時はまだ子供だったし、何を言ってるのかよく判らなかったし、ミカエルがそういうならそうなんだと思ったの。次に聞いた時も、私の名前で思い出したって聞いて、私は、…嬉しかったの。」
顔を赤くして照れているシャーロットに、ミカエルは予想外だな…、と呟いていた。コホンと咳ばらいを一つして、話始める。
「ローズの話も、ものは言いよう、なんだと思うよ? ローズの話には本心と見栄が混じってると思う。」
ミカエルは静かに言った。
「僕は…、少なくとも、お金の話はちょっとした見栄だと思う。ローズの立場は、前男爵の隠し子でしょう? しかも母親は平民だよ? 今の男爵が普通の貴族なら、平民と貴族との違いを分かっているだろうし、自分の母親とは違う平民の娘に、果たして本当に父親の遺産を分けてやりたいと思うのかな?」
言われてみれば、シャーロットだって父の隠し子が突然父の死後に現れて遺産を分けてほしいと言い出したら、あげられないと思う。本当かどうか怪しいというのもあるけれど、見知らぬ子供に自分の母親を否定された気持ちになるかもしれない。
「学費を自分で稼ぎたいから援助を断った、のが正しいのかもね。男爵に借りを作りたくないからドレスを作って貰わなかった、みたいな感じじゃないかな。」
シャーロットの誕生会のドレスのことだろう。あれはそうするしかなくて、お母さまのお古を着たんだ…。
「借り、なんだ…。」
「好きで男爵家にいる訳じゃないんじゃないかな。最初に言ったんでしょう? 男爵家からうまく逃げだせないとって。お世話になってる人の話をしている時に、逃げ出すとか、使わないんじゃないかな。」
「そういえば、そうね…。」
シャーロットはお世話になっている人になら、迷惑を掛けたくないっていう言葉を使うかなと思った。
「たぶんそれが本音で、それを言ってしまったことに気が付いて…、あとは上手く誤魔化しながら話したんだと思うけどなあ。」
ミカエルは腕組みをして首を傾げた。
「本当は、男爵から男爵家から貴族として嫁ぐように言われてるけど、貴族として嫁ぎたくないからわざと貴族の習慣や礼儀を無視しているように思えたんだけど、違うのかなあ…。」
「ミカエルはそういう風に感じたんだね。」
「まあね、本当の気持ちはよく判らないね。」
「そうよね、ローズが36歳という年を理由に距離を置いているっていうのも、ちょっと違うのかなと思えてきたわ。」
シャーロットはまだまだ私は人の気持ちがわかってないなと思った。ミカエルが何を考えているのか知りたかった。
「ねえ、ミカエルは、前世をいつから持ってるの?」
ミカエルはどこか遠いところを見つめている。シャーロットはじっと言葉を待った。
「…記憶が、変な知識や違和感が生まれた頃からあって、具体的にはっきり思い出したのが10歳の頃、君の名前を聞いて誰だったっけって考えた時。説明しにくいし証明することは出来ないから、僕はたぶん、前世のことは忘れてしまった方が幸せだと思う。でもそれをしないのは、知識は武器だから。」
ミカエルはシャーロットを見てにやりと笑った。
「あの時…、初対面の君をどうやって僕の味方につけるかを考えた時に、最近はっきり思い出したって言うより、もやもやした感じでも、生まれた時から記憶があるって言った方が、効果あるかなと思ったんだよね。」
確かにシャーロットには、効果があった。ナニ言ってるんだろうと思ったから、きちんと話を聞いたのだ。
「私、文字が書けるようになる前の幼い記憶って曖昧なんだけど、それくらいの幼い頃から自分があるってこと?」
「そうだねえ、初めて知る筈の知識を知っていたり、やったことがない事を実体験として理解してるって感じで、それはどうしてなのかが分からなくてもやもやしてたね。そういう違和感がずっとあったんだ。」
ミカエルはそう言って微笑んだ。
「ローズは、前世の自分の考え方や知識とうまく付き合っているのかしら。」
シャーロットは、目の前にいるミカエルは16歳でローズも16歳なんだよね、と思った。この世界で生きている年月が正しい年月なら、年の割には大人びているという印象なだけに思えた。
「私には前世が何をしていた人か、とかよりも、今のあなたが何をする人なのかの方が重要だわ。目の前にあることが真実だもの。」
そっとミカエルの手を握る。
綺麗な王子様の優しいミカエルも、可愛い魅力的な女の子なミチルも、シャーロットにとっては大事なミカエルだった。
シャーロットには前世とかよく判らないけれど、河がいつの間にか海になっているように、ミカエルは混じり合っているのかなと思った。
ありがとうございました




