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<30>悪役令嬢は婚約者に言えない秘密を持っているようです

 ミチルの姿で部屋にやって来たミカエルを見て、エリックはにやりと笑い、「じゃあ、お姉さま、健闘を祈る、」と意味ありげに言って、男子寮の自身の部屋に帰っていった。

「ナニあれ?」

 ミカエルはミチルの女子生徒の制服姿で、首を傾げていた。

「気にしないで。」

 シャーロットは、煩い弟はいらないことを言う面倒くさい奴だと思った。

「そう?」

 シャーロットが気を使って自分の机に向かって勉強している間に、部屋着に着替えると、ミカエルはシャーロットの肩に手を回しシャーロットの耳元に囁いた。

「シャーロット、隠し事してるでしょう…?」

「え、なにかしら?」

 シャーロットにとって今日はとても秘密だらけな一日だったので、どこからミカエルの言う隠し事になるのか考えたくもなかった。

「今のエリックの話。健闘とか言っちゃってさ。おかしいじゃん。」

 ああ、そっちの話…、シャーロットはちょっとほっとした。

「別に何も? 女子寮に男の子がいることへの、健闘を祈る、じゃないかしら?」

 シャーロットには、ガブリエルの言う『嘘だらけの王子様』が今もこうして存在していることが、可笑しく思えた。

 くすくす笑いながら、背中に覆いかぶさるように立つ後ろのミカエルを見た。顔が近すぎて、照れ笑いをしてしまう。

「あーもう、今はミチルなんだってば。健闘とか言わないでよねー、自制心が大変なんだって!」

 ぶーたれるミカエルが可愛くて、シャーロットは胸がキュンキュンしていた。可愛い…可愛すぎる…。癒される思いだった。

 今日の分のノートを手渡して、シャーロットは微笑んだ。

「ではミチル君、健闘を祈る。」

「あーもう、ミチル君とか、絶対判ってて揶揄ってるよね!」

 嘘でも本当でも、傍にいてくれるならなんでもいい。明日の提出の課題も後で手伝おう…、シャーロットは思った。

 明日は自分の誕生日だし、平和に終わりたい。しみじみ思うのだった。


 その日は朝から雨が降っていた。せっかくの誕生日なのになー、窓の外のしとしと降る雨を見ながら、シャーロットはぼんやりと思った。

「雨降って地ィ固まるっていうし、いいことあるよ、」

 ミカエルがミチルの制服に着替えながらそう言った。

 ジィって何? と制服のボタンを留めながら、シャーロットは窓の外を見ていた。長袖のブラウスにベストを着て、箱ひだのスカートを履いた。立ったまま膝まである紺色の靴下を履く。

 雨が降って固まるジィ…? イニシャルGから始まる言葉は、あの虫しか思い浮かばない。ミカエルは何を固まらせる気なんだろう…。少し憂鬱になるのだった。

 ミカエルは着替え終わると、「お待ちどおさま」と言って、先に着替え終わったシャーロットにプレゼントをくれた。

 大きなピンク色の袋の中身は、ベージュ色のクマの形のリュックだった。これってブルーノが言ってたピンクと水色のクマのリュックの色違いなのかな。マリライクスの新作なのかなと、シャーロットは思った。

「可愛いでしょ? この子はシャーロット専用の特別な子なんだよ?」

 べージュのクマの瞳は青色だった。手首にピンクのビーズの輪っかを嵌めている。

「ありがとう…。あ、これって、もしかしてローズクオーツのさざれ石のブレスレットとお揃い?」

「そうなんだよ~、可愛いでしょ。」

「このベージュ色は?」

「これはミルクティー色って言ってよ。可愛いじゃん、こういう色。」

「可愛い。可愛すぎて外には持っていけない。」

「リュックだから中に物入れれるし、小物入れにして置物にしたらいいんじゃない?」

「そうする。ありがとう。」

 微笑むシャーロットに、ミカエルは唇を指差した。

「ここ、ここ、」

「はい?」

「お礼はここがいい。」

 上目遣いにおねだりされると、シャーロットは胸がキュンキュンしてしまって、流されてしまいそうになる。いかんいかん…。

「ここにならする、」

 ミカエルの頬を指で押すと、ミカエルは「仕方ないなあ」とぶーたれた。

 可愛い…。やっぱりミチルの時のミカエルは可愛い…。

 ミカエルの肩に両手を置いて頬にキスをした。靴を履いていなくてもミカエルはシャーロットよりも背が高くなっている。

「あれ、もしかして、」

 シャーロットはミカエルの首を抱きしめ、顔を見た。

「やっぱり、背が高くなったと思うわ。」

キスをするには少し見上げなくてはいけない。夏前にしたキスは、口は同じくらいの高さで、暗がりの中でも口に届いたのに。

「そう?」

 ミカエルは微笑んで、シャーロットの体を抱きしめて口にキスをした。

「お誕生日おめでとう、シャーロット。」

ふふっと笑って、シャーロットは「ありがとう、」と答えた。


 ミチルと教室に入ると、先に来ていたガブリエルが、「お誕生日おめでとう」と微笑んでくれた。

「ありがとう」と答えるシャーロットに、ガブリエルは、「今日は雨が降ってますけど、午後には晴れると思いますし、きっといい一日になりますわ、」と励ましてくれた。

 シャーロットは誕生日を公表していないのに、今日は学年を越えて、いろんな生徒からお誕生日おめでとうと声を掛けられた。

 ほとんど話をしない人から言われると変な感じがするものね、とシャーロットは思った。誰から私の誕生日を聞くのかしら、とも思った。

 放課後になるまでそれは続き、シャーロットはいい加減不機嫌になっていた。知らない人に愛想を振りまくのに疲れたのである。

 誰もいなくなった教室でミカエルと二人、向かい合って座り、課題に取り組んでいた。明後日提出の課題をさっさと終わらせたかったのだった。ガブリエルは先に帰ってしまった。ラファエルに用事があるらしかった。

「誕生日なんだから、機嫌を直して、」

 無言になってしまって不機嫌なまま課題に取り組むシャーロットに、ミカエルがカバンの中から小さな包みを一粒くれた。

「ナニこれ?」

「トリュフ。この前、他国からの献上品で貰った。」

「え、すごいものなんじゃないの?」

「シャーロットの実家でも取り扱ってるんじゃないかな?」

 公爵家の領地に貿易港はあるけれど、だからと言ってシャーロットがすべての商品の流通に詳しい訳ではない。

「そういうのはエリックが詳しいの。私はわかんないわ。」

 包み紙を開くとこげ茶色い丸い塊が入っていた。

 まさかのGってこれ…? シャーロットは今朝のミカエルの言葉を思い出し、また無言になる。領地で一度だけ見た事のあるGは茶色く長丸い形をしていた。かさかさと腹ばいに動いて不気味だった。

「これ、食べれるの?」

 恐る恐るシャーロットが尋ねると、ミカエルは「美味しいよ?」といった。

「美味しいの…?」

 とても信じられない。シャーロットが躊躇っていると、同じような包みを出して解くと、ミカエルはポイッと口の中に放り込んだ。

 ああ…、食べちゃった…!

 美味しそうに微笑んでいるミカエルに、シャーロットは泣きそうになる。

「シャーロットも食べればいいのに。食べさせてあげようか?」

「いや、いいから、無理だから、食べるから、」

 訳のわかんないことを言ってるなあと自分でも思いながら、シャーロットは茶色い塊を口の中に放り込んだ。自分の誕生日にこんなものを食べるなんて…と涙目になっていた。

 あれ?

 甘くて美味しいかも?

 口の中に入れると、甘さが広がり、ほろ苦いような牛乳のような砂糖のような甘さが溶けていく。

「トリュフ、美味しいでしょ?」

 そうね、とシャーロットは思った。トリュフっていうのか…。今度お父さまにおねだりしてみようと思った。こういう時だけ親に甘えるシャーロットを親も理解していて、気まぐれな子だと思われている事に気が付いていない。

 包みをシャーロットの掌に三つほど乗せて、ミカエルは、あげるね、と微笑んだ。

「もう少しだけ、課題付き合って。」

 シャーロットが頷くと、ミカエルは自分の言葉に何かを思い出したのか、慌てて「ちょっと待ってて、」と席を立った。

「そういえば、今日提出締め切りの課題があった。ちょっと出しに行ってくるから、待っててくれる?」

「一緒に行こうか?」

「一人で行って言い訳してくるからいい。一緒だと言い訳しにくい。」

 そういうもんなんだ、とシャーロットは思ったけれど、黙っておく。ミカエルにはミカエルのやり方があるのだろう。

「じゃあ待ってる。」

 ミカエルを見送ると教室にはシャーロット一人になった。仕方ないので、カバンから教科書を出して予習を始める。貰ったトリュフの包みはノートの上に置いたままだった。甘い味を思い出して、一粒開けてみた。

 口に放り込むと、甘さが広がる。美味しい…!

「シャーロット。」

 瞳を閉じてトリュフを舐めて味わっていたシャーロットの目の前に、髪が乱れたブルーノが立っていた。机に手を置いて、息を整えながらシャーロットを覗き込むように見つめている。

「探したんだ、こんなところにいたの?」

 口の中のトリュフは噛まないように口の中の片側に寄せる。口の中を見られないように、シャーロットは手で口を隠す。

「ええ、ずっとここにいたわ。」

「もう寮に帰ったかと思ってた。」

 息を切らしていた様子を思うと、走っていたのだろう。探してくれたのかな、とシャーロットは気の毒に思う。

「まだ寮には帰ってないわ。」

「約束、覚えてる?」

「はい?」

「24日に5分くれるって約束したよ?」

「そうだったっけ?」

 覚えていたけれど、シャーロットはしらばっくれる。

「今から5分、頂戴?」

「はい? ああ、まあ、いいけど?」

 ミカエルはさっき出掛けて行ったところだし、帰ってくるまでに何とかなるだろう。シャーロットはざっくりと見当をつけた。

 ブルーノは懐中時計を出し、「じゃあ、5分ね」と言った。

「何をすればいい?」

 時間をあげるのだから何かするのだろうか? シャーロットは思った。5分で散歩? どこまで行けるの?

「何もしなくていいから、目を閉じて300秒数えて。」

 目を閉じてる時点で何かをしているし、300秒も数えてるよね、とシャーロットは心の中で突っ込みを入れる。

「変なことしない?」

「しない。」

 しないなら、まあ、いいか。300秒トリュフを舐めていればいいのだ。

 1.2.3.…。

 シャーロットの手を、ブルーノが掴んで、机の上に動かした。瞳を閉じたままのシャーロットは、?と思ったけれど、されるがままになっていた。

 頭の後ろを掴まれ、肩を抱かれた気がした。

 唇に何かが触れた。ゆっくりと唇が揉まれ、やがて、口の中に何かが入ってきた。シャーロットが舐めているトリュフを、何かがつつき、一緒に舐めている。

 数なんて数えている場合じゃない…! 驚いたシャーロットが瞳を開けると、ブルーノの顔が目の前にあった。

 ブルーノはシャーロットの視線に気が付いたようで、薄目を開けると、目を細めて笑った表情をして、また瞳を閉じてしまう。

 頭を掴まれ方を抱かれていて動くことが出来ないまま、シャーロットはブルーノとトリュフを分かち合った。

 甘いキスだった。

 だんだん息が苦しくなってきて、シャーロットはブルーノの腕をトントンと叩いた。なかなかブルーノは口の中から出ていってくれず、シャーロットは本当に苦しくなってしまう。目を閉じて首を振って、イヤイヤをした。

 ブルーノがやっとシャーロットの口の中から出ていってくれた。口の中のトリュフは無くなってしまった。

「はあ…、」

 やっと息がつけたシャーロットに、ブルーノは、「甘いのって最高、」とにやりと笑った。

「変なことしないって言ったじゃない。」

 口を尖らせたシャーロットに、ブルーノはしれっと答えた。

「変なことはしてない。一緒にチョコを舐めただけ。」

 あれはキスっていうんじゃないの? シャーロットは不機嫌になって黙り込む。

「あのチョコ、なんていうやつ?」

「貰ったの。トリュフ。」

「また一緒に舐めたい。トリュフ用意するから、またしよ?」

「もうしない。」

 シャーロットはブルーノを睨んだ。

「5分て、こういう5分だったのね?」

「もっと激しいのがよかった?」

「十分激しかった。」

 トリュフを分かち合うなんて初めての経験だった。シャーロットは今更ながら恥ずかしくなってきて、顔が真っ赤になってしまう。

「シャーロット、婚約しないか?」

 ブルーノが耳に囁く。「やっと、婚約者がいなくなったんだ。あとはシャーロット次第なんだ。」

 シャーロットは何も言えなかった。エリックの言葉を思い出していた。エリックなら今すると言っていた。

「私には婚約者がいるわ。」

 シャーロットは顔が赤いまま、俯いて答える。

「このトリュフをくれたのも、その人よ?」

「へえ…、」

 ブルーノはニヤニヤしている。「その人とは、こういう楽しみ方、しなかったんだろう?」

 無言で肯定してしまうシャーロットに、ブルーノは続ける。

「また、トリュフ用意するから、しよう? シャーロット。」

 こんこん、と廊下側の壁を叩く音が聞こえた。

「え、ナニ?」

 シャーロットの問いかけに、ブルーノは微笑んだ。

「エリック。10分の間、誰も入って来ないように見張ってもらってた。」

 エリックは何をしていたのかもしかして知ってるのか…。シャーロットはエリックがにやにやする顔を思い浮かべてうんざりした。煩い弟はめんどくさい。

 屈んで、シャーロットの唇を舐めて、「甘いね、」と呟くと、ブルーノはまたね、と手を振った。

「またトリュフ食べよう? シャーロット、今日は帰るね。」

 机に広げたままのノートにはトリュフの包みが転がり、シャーロットの座る位置の反対側から書いた文字が並んでいた。誰かがいたと気が付いたのだろう。

 ブルーノ達が去ったすぐ後、教室に「ごめんねー、待った~?」とミカエルが帰ってきた。

 うん、すっごーく待った。シャーロットは思った。トリュフが溶けて無くなっちゃうくらい、待ったんだよ、ミカエル。

「先生がさー、なかなか課題受け取ってくれなくてさー、でも最終的には大丈夫だったんだけどね?」

 ミカエルは可愛く笑った。

 どんどんミカエルに言えない秘密が増えていくなーと、その顔を見ながらシャーロットは思った。

 私、今度から顔にお面でもつけて生活した方がいいんじゃないかしらと、ふと思うのだった。

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