<3>美少女が美少年になるのは「アリ」なようです?
女子寮の各部屋に備え付けの家具は、2段ベットと机が二つ、本棚も二つ、クローゼットが共同で一つで、茶色一色という大層シンプルなデザインのものだった。
「あとでデコりたいねー、」
ミカエルは謎の発言をしている。デコるって何? シャーロットは自分のおでこに手を当てて考える。
ミカエルは持ち込んだ荷物を丁寧に仕分けして、クローゼットにちゃっかり自分の服をしまい込んでいた。
「あのね、ミカエル」
シャーロットは机に教科書をしまう満面の笑みのミカエルに、おもむろに話し掛ける。
「提案があるんだけれど、いいかな。」
ミカエルは肩のあたりまで伸びた髪を揺らして頷く。
ここで可愛いと思ったら負けだ…、キュンキュンしながらもシャーロットは我慢して話をする。
「週に何日か、ミカエルの日とミチルの日を作ってほしいのだけど。」
「どういうこと?」
首を傾げてシャーロットを見るミカエルに、やっぱりキュンキュンしながらシャーロットは頑張る。
「ミカエルとして卒業も目指してほしいの。ミチルとしてよりも、私はそうしてほしいの。」
「僕、2年生の勉強と1年生の勉強しなくちゃいけないの?」
「そうね。でも、あなた、いつか転生者だからって言ってたじゃない? もしそれがほんとなら、今ほんとはかなりの大人な年齢なのでしょう?」
シャーロットはミカエルの話を半信半疑とは思っていたけれど、尋ねてみる。
「よく覚えてたねー、僕ねー、永遠の16歳だから! そこから年取んないから!」
「意味のよく判らないことを言わないで。何歳でもいいけど、できなくはない事でしょう?」
「やれたらこの部屋に置いてくれる?」
「善処しましょう。」
すでに今ここにいるじゃんとシャーロットは思ったけれど、黙っておいた。
「ミカエルとして2年生の教室に行く時はきちんと王族用の部屋から学校に行って、王族用の部屋に戻るのですよ?」
一応念を押しておく。
「間違ってもこの部屋から男子生徒の制服で出掛けていってはいけませんよ? ミカエル?」
むすーっと頬を膨らませたミカエルは、頷こうとしなかった。
「どうかしましたか?」
「男子用の制服着るの嫌だ。」
「あなたね…、」
「男子用の制服着たら、シャーロット、キスしてくれる?」
「はあ?」
「キスしてくれるんなら着てもいい。」
膨れっ面のミカエルの沈黙に、シャーロットは妥協してしまう。
「お、おでこに…?」
「くち。」
ミカエルは人差し指で唇をちょんちょんと突く。
「ここ。ここにしてくれないと着ない。」
かぁーっ、可愛いー! 何この子、可愛すぎるんですけどー!っとシャーロットは身悶えしそうになるが、よく考えたら自分の貞操の危機でもあった。
いかんいかん、流されてはいかん。
「頬は?」
おでこよりは近くなったけれど、ここからは動かないぞ、とシャーロットは睨みつける。
「ちぇーっ」
ミカエルは不貞腐れた顔をする。
「頬でもいいから、キス、忘れないでよね。」
なんか面倒なことになって来たぞー、っとシャーロットは思うけれど、口には出さない。
何が面倒な事なのよさ、とミカエルに絡まれそうな気がしたからだった。見かけの可愛さに騙されてはいけない、そうシャーロットは誓ったのだった。
シャーロットが選択した統治のコースは、基本的に貴族の子供達ばかりで、武芸のコースは騎士団を目指すもの、商業のコースは領地で経営をする貴族の子供や商人の子供が多かった。
ミカエルは王族なので、シャーロットと同じ統治のコースだった。
「シャーロット、教科書忘れたから貸して。」
今日はミチルの日なので、ミカエルはミチルの格好をしていた。
ミカエルは当然のようにシャーロットの隣に座っていて、体を寄せてシャーロットの教科書を覗き込む。
「ミ、ミチル、近いですわ。」
制服同士がくっつくような近さで隣に座るミカエルに、シャーロットは慌てる。見かけが可愛くてもこの人は男性なのだと、警戒心がまず来てしまう。
「ミチルとは女の子同士なんだから大丈夫だよ?」
キラキラした瞳でミカエルに見つめられると、可愛いと思ってしまうシャーロットなのであった。
「おい、シャーロット、もう友達が出来たのか。」
同じクラスにはエリックもいた。席が離れているのに必ず一日に一回はこうやって話しかけに来る。
「見かけない顔だな。ああ、遅れてきた転校生だったっけ。ミチルだったか?」
「はい、隣国の隣国から来ました。」
隣国の隣国とはこの国の事だろうとシャーロットは思ったが、ややこしくなるので黙っておく。
「シャーロットお姉さまの勉強の邪魔はするなよ?」
エリックがぽむぽむとミカエルの頭を軽く叩く。やはりミカエルの小動物のような可愛さは、エリックにさえ通じるのだとシャーロットは思う。
「うわー、上から目線~!」
エリックが自分の席に行ってしまった後、ミカエルは小さな声でシャーロットに囁いた。
「ああいう技はねー、好きな男子にされないと、ときめかないんだよー、知ってたー?」
知らないーとシャーロットは思う。だいたいミカエルは男だ。好きな男子という発想はどこから出てくるのか不思議だった。
「ナオちゃん情報?」
まさかね、と思いながら尋ねると嬉しそうな顔をして、ミカエルは頷いた。
「ほんと、よく覚えてるよねー。あの時以外、ナオちゃんの話、してないのにさ。」
そりゃあ、ナオちゃんなんて名前、この世界じゃ珍しいよね、とシャーロットは思う。
シャーロットちゃんとすらミカエルは呼んでくれたことないよね? とも思うけれど、黙っておく。焼きもちを焼いているようには思われたくなかったからだった。
学生食堂は寮の食堂も兼ねているので、朝、昼、夕と利用するため、たまには違うものが欲しくなる。
シャーロットは中庭の噴水池の縁に腰かけ、初めて利用した購買で買ったサンドイッチを食べていた。購買は、見たことのないものもあったけれど、ミカエルが好きなお菓子は見つけたので、なかなか使い勝手が良さそうな店だなとシャーロットは思った。
瓶入りのコーヒー牛乳というものも買ってみた。香りはコーヒーの雰囲気がするが、味はまるで牛乳だった。
「なかなか…、こういうお昼も悪くはないわね。」
一人で食べるお昼ごはんというのは、常に誰かが一緒にいる生活の中では新鮮だった。今日はミカエルはミチルの日なのだけれど別行動をしていた。どうしてもやりたい予習があるとかで、ミカエルはパンを齧りながら勉強しているのである。邪魔しても悪いのでシャーロットはこうして中庭に来ていたのだった。
「ここ、いいですか? 姫様、」
聞いたことがあるような声がした。見上げると、ロータスが立っていた。
「ロータス!」
シャーロットはびっくりして名前を叫んでしまう。
「あなた、元気にしてたの? 久しぶりね、もう、びっくりするじゃない…!」
男子生徒用の制服を着たロータスは、どう見てもこの学校の生徒だった。
「私、今はロータスではなくてローズ・フリッツという名前でこの学校に通っています。」
「はい?」
今なんて言いました? とシャーロットは尋ねそうになる。ローズ?
「この制服は兄上のおさがりで…、女子生徒が女子の制服を着なくてはいけないという校則の一文が見当たらなかったのと、近親者の制服のおさがりを着てもいいという校則は見つけてしまったので、こういう格好なのです。」
ああ…、そういえばミカエルも似たようなこと言ってたな…、とシャーロットは思うが黙っておく。ミカエルの話をするとややこしい。確かに男子生徒が男子の制服を着なくてはいけないという一文も無かった。
「隣に座っても?」
「ええ、大丈夫よ、ローズ様。」
「姫様にローズ様なんて言われると照れちゃいます。皆さんにはフリッツと呼んでもらってます。」
ロータスの方が似合うんだけどな…とシャーロットは残念に思う。
「では私の事もシャーロットと。この学校の女生徒はみんな姫様ですよ?」
貴族の子女が多い学校だった。どこもかしこも姫様ばかりである。
「そうでしたね。」
男子生徒のようなショートカット頭の、顎よりも髪の短いローズは、男子生徒用の制服を着ている事もあってどう見ても男の子だった。昔は背が高い印象があったけれど、こうして並ぶとシャーロットとあまり変わらなかった。ローズの方が少々背が高いかなー?というくらいである。
「ローズが本名なのかしら?」
「ええ、私は下町育ちなので女の子として育つよりも、男の子として育った方が身の安全があったのです。なので、ばあちゃんがそうするようにと。」
ミカエル情報だと、ゲームのローズの育ての親は入院して回復したようだけれど、今のローズの祖母はどうなっているのだろう。
「あ、姫様、ばあちゃんは元気ですよ? 兄上が病院も手配してくれましたし、今は退院して領地にある療養所に入れて貰ってます。」
「それはよかった…。」
ますますあのゲームのローズと同じじゃないかなとシャーロットはハラハラしてしまうが、我慢する。
「私はもともとこういう格好が好きなのです。前世でも男装して生活をしていたくらいですから。」
「前世?!」
聞きなれない言葉を聞いたのは、これで二人目である。シャーロットは思わず、自分の目が飛び出てしまうのではないだろうかというくらい驚いた。
「姫様にしか話さない秘密ですよ? 私は前世の記憶があって生まれてきていて、いろいろと忘れられずにいることがあるのです。こういう趣味嗜好は特にそうですね。」
優しい琥珀色の髪のローズは、優しい焦げ茶色の瞳で微笑んでいた。
「でも、ちゃんと男の人が好きですよ? 女性を好きになったりはしたことはないです。あ、姫様は特別ですけどね。」
「前世の記憶って、この世界の事も知ってたりするの?」
知ってたらゲームの世界という事も知っているんだろうなとシャーロットは思う。悪役令嬢とか、攻略対象者とか、そういう言葉を知っているのかと聞きたくなる。
「あいにくと、ここが前世の日本と近い世界観なんだろうなというくらいしかわからないですね。私は大学生で経済学を学んでいて、大学の帰りに自転車同士がすれ違った時に、ぶつかってきた相手の自転車をよけようとしてコケてしまって。相手の自転車の籠に入っていたソフトが飛んできて、やばい、ぶつかるーっと思って避けようとしたら車道に落ちた気がしたんですけど、気が付いたらここに生まれていたってことくらいで。」
「日本ですか?」
「はい。日本という国があるのです。学校が4月始まりなのも、やたらと便利な生活用式が中途半端に馴染んでいたりするところも、日本人の考えている世界観と似ていると思います。」
「ロータスとして私と話をしていた時も、そういう記憶があったのかしら?」
「そうですね。ありましたが、あの時の私はロータスでしたから。大好きな姫様との時間を楽しんでいる、普通の、ロータスでした。」
「今は、男装が趣味でもあるローズですか?」
そこは押さえておきたいところだった。シャーロットは慎重に尋ねる。
「女子生徒の制服を買ってくれると兄上は言ってくれたのですが、試着した時、スカートが、その、スースーして嫌だったんです。」
ローズは顔を赤らめていた。
シャーロットは自分の膝丈の箱ひだのスカートを見た。そんなことを考えた事もなかった。という事は、つまり、ミカエルはスースーするのが好きで、ズボンを履いていないのだ。
思わず笑いだしそうになって笑いをこらえ震えたシャーロットに、ローズが心配そうに背中をさする。
「姫様、寒くなってきましたか? 教室に戻りませんか?」
「あ、いえ、大丈夫ですのよ?」
まさか思い出し笑いをしそうになって我慢して震えたとは言えなかったシャーロットは、あいまいな笑顔で微笑んだ。
「おい、そこの不埒モノ、真昼間から女子生徒の体を触るなんて、不届き千万、退治してくれよう~!」
なにそのセリフ、と突っ込みそうになって、あ、この声はミカエルだと気が付く。
案の定、ミカエルがシャーロットとローズを指さして、腰に手を当て鼻息荒く立っていた。急いで走って来たのかスカートが一部裏返っている。
あああ…、女子なのに、スカートが。女子の恰好なのに、裏返るほど大股で走ったのね、あなた…。
「ミ、ミチル…。」
思わず頭痛がして頭を押さえたシャーロットに、ローズが、「大丈夫ですか姫様、」と肩を抱いた。
「シャーロットを触る手を離せーっ」
ミチルの喚き声にシャーロットはストップをかける。
「落ち着いて。この人はローズ、れっきとした女性です。」
「ローズ?!」
びっくりした顔で裏返った声で名前を呼んだミカエルに、ああ、やっぱかわいい…と胸がキュンキュンしてしまうシャーロットだった。
ありがとうございました