<24> 悪役令嬢は自分の誕生日なのにイベント、なんて憂鬱!と嘆いているようです
女の子の制服を着たローズは、はにかんだような表情で、シャーロットに話しかけてくるようになった。琥珀色の髪は少し伸びてふわふわと可愛く癖がついている。
焦げ茶色の瞳が照れている様子が可愛らしくて、シャーロットは微笑ましく思いながら見つめている。例えそれが、勉強の進み具合が芳しくないという報告なのだとしても。
シャーロットは自分のノートに丸印をつけ、ここまでを明日の朝までに何とかして取り組んでくるようにと伝えるだけなのだけれど、それでも、以前にはなかったローズとの触れ合いに心は踊っていた。
「あの子、どうにも好きませんの。」
ローズは女子生徒の制服を着ているのに、ガブリエルは冷やかなままだった。
「どういう訳か判らないですけど、あの子を見ていると胸騒ぎがしてならないんですの。」
それはあの子がゲームのヒロインで、彼女がきっかけで私が悪役令嬢になっちゃうからじゃないかなーとシャーロットは思ったけれど、事情を知らないガブリエルが聞いても理解できないだろうと黙った。そういうシャーロット自身がいまだに理解できていないからだった。
今日はミチルな日のミカエルも一緒にいたけれど、微笑んだままで、ローズとシャーロットのやり取りを見ているだけだった。
ローズが男装をしていた頃の方がお話していた気がするのよね、とシャーロットは思うけれど、理由を聞いたりはしなかった。なんとなく、ミカエルを盗られてしまうのではないかと思う自分がいたからだった。ゲームの通りになるのは嫌だった。
「この週末は、シャーロットは家に帰られてしまうのでしょう?」
ガブリエルが残念そうに尋ねた。
「ええ、お誕生会も兼ねた舞踏会をすると父が言い出して…。正式な招待状を送らせていただきましたけれど…、確かガブリエルは…、」
「ええ、レイン様を見送りに国境近くまで出向きますの。」
頬を染めて微笑むガブリエルは幸せそうだった。シャーロットは見ているだけで幸せのおすそ分けをして貰っている気分になる。
「公爵家の舞踏会は、海外からの貴人も多そうで楽しそうですわね、」
ガブリエルはちらりとブルーノに視線を走らせる。ブルーノはエリック達と教室の出口付近で盛り上がっていた。
「私の誕生日なのに、私が主役じゃない舞踏会なんですよ?」
不満たらたらのシャーロットは頬を引き攣らせながらも微笑む。
思い出しても腹が立つ…! シャーロットは昨日突然、祖父に理事長室に呼ばれて、誕生会の趣旨を聞いたのだった。
16歳になるシャーロットはこの国の法律では成人として扱われ、結婚できる年齢になる。
「どうかしましたの?」
「祖父が…、改めて婚約者を選び直そうと言い出してしまって…、」
シャーロットはミカエルの瞳が見られなかった。自分の口から言いたい話ではない。
「私も聞いたのはつい昨日のことなんだけれど…、」
「シャーロットはもう婚約者がいるのではなくって?」
ガブリエルは不思議そうにミカエルとシャーロットを見比べた。
「婚約はミカエル王太子殿下としてるって言ったんだけれど、おじいさまが、あんな昔のことはもう忘れたと言い始めて…、」
「書面にして残ってるんだから、忘れてどうこうなる話じゃないんだけどね。」
聞いたことがある話なのか、ミカエルはうんざりしたような顔になる。
「私以外の家族の中で、この前の週末に話し合って決まったことらしいの。」
誕生日の主役を外に置いて肝心なことを決めるのは止めてほしいものだ、とシャーロットは思った。
「エリックもお母さまもお父さまも、私に最適な人を呼んでくるって話なんだけれど、あんまりそういうドキドキ感は、私、いらないと思うの。」
「では、このお誕生会は…?」
「たぶん、婚約者候補の選定のし直しだと思うの。」
「王族よりもいい条件の婚約者っているのかしらね?」
ガブリエルは自信ありげに微笑む。
自国の王族よりもいい条件の他国の王族を連れてくる気なんだろうな、とシャーロットは思っていた。私は自国の王子様で十分なのに。
その日の放課後、ミチルの格好のままのミカエルと、王族用の部屋に戻ったシャーロットは、思いもよらない話をミカエルから聞かされた。
「シャーロット、君の誕生会はイベントだから。」
「イベントってゲームの?」
ゲームの本筋と関係なくない? 悪役令嬢の誕生会がイベントっておかしくない? シャーロットはどこから突っ込みを入れたらいいのか判らなくなり、言葉が出ない口をパクパクさせていた。
「そうだよ、よく判ってるじゃない。」
ミカエルはソファアに座って、隣に座るようシャーロットに手招きする。
「このイベントは、悪役令嬢シャーロットの公爵家で催される令嬢の誕生会も兼ねた舞踏会にエリックに呼ばれたローズ嬢を、身の程知らずとあざ笑う令嬢から、どうローズ嬢を助けることが出来るかが試されるイベントなんだ。エリックルートの前半の山場なんだ。」
隣に座ったシャーロットの手を、包み込むようにミカエルは握った。
「えっと、いいかしら?」
「どうぞ、」
シャーロットは俯いて、床をじっと見ていた。自分の誕生日なのに、イベントで、しかも不愉快な思いをするだなんて。ゲームでの自分の扱われようが気の毒に思えて、シャーロットはすっかり不機嫌になっていた。
「どうして自分に意地悪するって判ってる人のお誕生会に、のこのこ参加しちゃうのかしら。」
シャーロットは自分が本音を話しているのに気が付いていない。
「何でだろうね、」
「どうしてわざわざいじめられに行って、誰かに助けて貰おうとするのかしら。」
いつもなら心の中で毒づくだけなのに、言葉にしてしまっていることにも気が付いていない。
「よく判んないね。」
「だいたい、ひとの誕生日に、身の程知らずと笑われるような格好で参加するって、違う意味ですごい人物じゃないのかしら。」
シャーロットは俯いているので、ミカエルが驚いているのにも気が付いていない。
「まあまあ、シャーロット、これはゲームのシナリオの話だから。現実の話じゃないから。」
「お誕生会なのにお誕生日の人の意見が反映されないって、現実もゲームもたいがい酷い扱いだと思うの。」
シャーロットは怒りを抑えるのに必死だった。誰も、勝手だと思った。
「そうだよね。理事長も随分だよね。僕との婚約をなかったことにしようとする理屈がよく判らないや。」
シャーロットにも婚約を忘れたと言い出す根拠がよく判らない。ミカエルの顔を不安そうに覗き込んだ。
「おじいさまはきっと、リュートを連れてくるわ。」
「どうして?!」
「おじいさまと仲がいいの。宰相のおうちの人って。今の宰相も、先代の宰相も、おじいさまと仲良しなの。」
「ああ、それで、リュートなんだね。」
「ええ、たぶん。」
「エリックはブルーノだと思うの。今、寮でも一緒なのよ?」
「でも、そうすると、誰がローズを連れてくるの?」
「さあ、ローズが来れないなら、イベントじゃないんじゃないの?」
「そうかなあ? ブルーノとエリック、よく一緒にいるのを見るね。仲がよさそうだよね。海運王のペンタトニークの息子だし、新しい婚約者候補なんだろうなあ。」
「夏のバカンスで知り合って、エリックとあの人のおかげで日に焼けちゃったのよね。私にはただのお友達なんだけどなあ。」
随分肌の色は白さを取り戻してきたけれど、まだ日に焼けている状態だった。シャーロットはもうじきひと月経つんだけどな…と思う。
「海はよく焼けてしまうから、今度から避暑は山に行こうかしら。」
当たり前のことを口にしたシャーロットに、ミカエルは不審そうに尋ねた。
「もしかして、水着とか着たの。」
「ええ。おかげであちこち真っ黒よ?」
「シャーロット…、公爵家では水着禁止じゃないの?」
「聞いたことないけど? お母さまも水着を着てるわよ? エリックも一緒だったし。水着を選んだのはエリックよ? 」
「水着姿を見たのはエリックだけ?」
シャーロットは不思議そうに険しい顔のミカエルを見た。
「いいえ? 一緒にブルーノの商会で選んだし、海で遊んだのはエリックとブルーノと、あ、お母さまにもお父さまにも、水着姿を見られちゃったけど、何も言われなかったわ。あとは…、何人いたのかよく判んないわ。」
公爵家の別荘の周りは高い塀で囲まれていて、その塀の中には別荘の目の前にある砂浜も含まれている。公爵家専用の私的な砂浜であって、覗き見をされることもないし、地元民が利用することもない。招待客が肌を見せることがあっても、気心が知れた相手なので特に今まで問題はなかった。
「ちょっと待って…、結婚前の貴族の令嬢が婚約者以外の男性に肌を見せたの?」
「え? ああ、そういうことになるのかな?」
ミカエルは頭痛がするのか、こめかみを押さえている。
「ミカエルも見たかった?」
「そりゃもちろん…、じゃなくて。シャーロット、それは駄目だから。普通の令嬢は婚約者にしか肌は見せないもんなの。」
驚いた表情のシャーロットに、ミカエルが驚いている。
「え。水着ダメなの?」
「だからこの学校は体育も水泳も授業はないでしょ?」
「体育って何? 水泳って、ああ、泳ぐこと?」
「貴族の令嬢が着替えるわけにはいかないから体育はないし、婚約者以外に肌を見せるわけにいかないから水泳もないの。だから、水着は令嬢は着ないもんなの。水着は禁止なの。わかった?」
「…わかりました。」
「どんな水着を着たのか気になるけど…、それは置いておいて、…、」
ミカエルに、シャーロットはこともなげに問う。
「寮に持って来てるから着れるけど、見る?」
「見たい見たい、って、シャーロット、何で持って来てんの?」
「実家から持ってきた荷物に何故か入ってたから、いつか持って帰らないとなーと思って、そのままになってるの。」
「あとで見せてね。」
「あんなものでよければ。」
にこりと笑ったシャーロットに、ミカエルは半目になってぶつぶつと呟いた。
「いったい公爵家の教育はどうなってるんだ…、どうして水着がオッケーなんだ…?」
シャーロットは当然だとでも言いたそうに微笑んだ。
「え、ああ、うちの領地、避暑地じゃない? 避暑地って言っても、南の方だから暑いし、どっちかというとバカンスを楽しむ観光地なのよね。こっちにいるよりも随分と気候がいいし暑いから、夏にする舞踏会って地獄の暑さなの。だからプールの横でパラソル差して立食パーティーになっちゃって。参加者は基本水着だし、水着だから武装のしようがないから警備も楽なんだって。」
「なるほど…、って、基本水着なの? シャーロットはいつからそれに参加してるの?」
「毎年エリックの誕生日はそんな感じだから…、よく判んないわね。」
「そんな子供の頃からそんな恰好で…!」
ミカエルは絶句している。シャーロットには昔からのことなので、今更水着禁止と言われても困ってしまう。
「もしかして、ミカエルと結婚したら水着は禁止なの?」
「え?」
「夏は水着で海を泳ぐのが楽しいのになー。」
口を尖らせるシャーロットに、ミカエルは慌てている。
「シャーロット、水着着たいの?」
「ダメ?」
「じゃあ…、僕と一緒にお風呂に入る時だけね?」
「お風呂に水着って変だと思うわ。海に行くから水着なのよ?」
一緒のお風呂はオッケーなんだ、とミカエルが小さく言ったのをシャーロットは聞き逃している。
「水着問題はまたじっくり考えようか…、」
「そうね。今秋だから、関係ないしね。」
「シャーロットの誕生日がイベントってことにも関係ないね。」
「そうだった。」
ミカエルはシャーロットの顔を覗き込んだ。
「ちなみに公爵は誰を連れてきそうなの?」
「判らないわ。お母さまが誰を連れてくるのかも、判らないの。」
「二人とも僕ではなかったみたいだね。」
ミカエルに招待状を渡したのはシャーロットだけだった。
「土曜の夜、ちゃんとエスコートしに行くから、ふらふらしてないで待っててね。」
ふらふらってどういう意味? とシャーロットは思ったがミカエルの真剣な表情に、聞くのを我慢する。
「ええ。」
小指を習慣で出してしまったシャーロットは、ローズに教えて貰った言葉を思い出す。「ミカエル、ハリセンボンのマスって何?」
「え?」
「ローズがね、うーそついたらハーリセンボンのーます、って言ってたの。嘘ついたらお嫁さんになるんじゃなかったの。」
「もしかしてシャーロット、ローズにそのこと話した?」
「ううん、話してない。それが正しいのね、って確認はしたけれど…、」
「ローズはなんて?」
「前に何も言わなくて指切りしたからそういうの初めて知ったって言って誤魔化したら、何も言われなかったから大丈夫だったと思う。」
「そっか。」
ミカエルは何か考えるようなそぶりを見せた。やはりまずかったのだろうか。シャーロットは少し胸が痛い。
「ま、いっか、じゃあ、シャーロットの部屋に戻ろうか。明日はミカエルの日だから、夜、またここに帰ってくるけど。」
「ん? そうね、何か忘れもの?」
「水着見せてくれるって言ったじゃん。もう忘れたの?」
「ああ、そういえばそうだったわ。」
その後、シャーロットの部屋で、シャーロットのビキニ姿を見たミカエルが鼻血を出してしまったのは、シャーロットも予想外だった。
「もう絶対、外で水着なんか着ちゃダメだからね。」
床に仰向けに寝ころんだままミカエルが、シャーロットに服に着替えさせ、約束させる。
また鼻血を出されても困るし、仕方ないなあ…、シャーロットは「はあい」と返事をする。領地の別荘で水着を着ていた時、ブルーノは普通にシャーロットの腰を抱いて一緒に歩いたりしてたけど、それは黙っておいた方がよさそうだなとさすがに思った。
週末に実家に帰ったシャーロットは、さっそく美容担当の侍女達に捕まって、やれマッサージだのやれ美容泥のパックだのと、揉んだり塗られたりなんだかんだとあちこちを弄られた。あまりの気持ちよさにうとうとしながら、されるがままになっていた。
夕方に始まる誕生会も兼ねた舞踏会までには、すっかり磨き上げられた公爵令嬢シャーロットが出来上がっていた。侍女たちの手入れのおかげで艶の増した金髪を結い上げてまとめ花を飾り化粧をし、背中が大きく開いた薄い桃色の光沢のある流れるようなドレスを着ると、まだ少し日に焼けた肌に甘さを加えた印象になって、とても官能的な仕上がりだった。
招待状を持ったミカエルが、一番乗りでやって来た。
漆黒タキシードを着て髪を後ろで纏めたミカエルは、綺麗な王子様だった。
実はミチルで来てくれることを期待していたシャーロットは、ドレス姿見たかったのになあと少し残念に思った。
「少し早いけれど、お誕生日おめでとう、シャーロット、」
両手を握って、ミカエルは微笑む。
「ありがとう、」
シャーロットは照れて笑った。ミカエルは公爵夫妻に挨拶に向かった。
招待状を持った招待客が次々に大広間に入ってきた。入り口の受付で招待状をカードと交換している。カードはトランプで、52枚用意されていた。受付の執事が適当に並べたものを一枚引くのである。今日の招待客は全員で50人とシャーロットは聞いていた。当初の予定だと家族だけの夕食会をする予定だったので、急な話なのによく50人も来て貰えることになったものだと感心していた。
シャーロットは会場の入り口でエリックと招待客を出迎える。国内外から集まってくる招待客の多くは、夏にエリックの誕生会に参加してくれた貴族や海外の貴族や貿易商といった大商人達だった。
エリックは予想通り、ブルーノを。祖父も予想通りリュートを。父はサニーを、そして、母はどういう訳かローズを連れてきていた。
「あれ? お揃い?」
小さな白いハンドバックにトランプのカードを入れながら、ローズは微笑む。
「ふふ、お誕生日おめでとうございます、姫様。奥様が是非にって、誘ってくださったんです。」
「来てくれて嬉しいわ…」
シャーロットはなんと言ったらいいのか言葉に詰まってしまった。
「正装でってお話だったんで、兄上に相談したら、ドレスを作ってくれるって言ってくれたんですけど、ばあちゃんが確か昔、母さんがお父さまに作ってもらった一張羅なんだよって言ってたドレスがあったのを思い出して…、手直ししたら着れたんで、これ着てきました。」
二人の格好は一見お揃いだった。流れるような流行の最新型の桃色のドレス姿のシャーロットと、ふた昔前の流行り型の褪せたピンク色のゆるいネグリジェのように型が崩れたドレス姿のローズ。
「え、そういう感じなの?」
「ええ、そういう感じですよ? 成人式に着る晴れ着も親のを着たなあって思ったらなんだか嬉しくなっちゃって。」
セイジンシキ? ハレギ? なんだかよく判らないなとシャーロットは思ったけれど黙っておく。嬉しくなるくらいならいいことなのだろう。
とりあえずローズのドレス姿が見れて、嬉しくも思うシャーロットなのだった。
ありがとうございました




