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<23>悪役令嬢の話が通じないようです

 放課後、中庭の噴水の縁に座り一人待つシャーロットに、ローズは嬉しそうに近付いてきた。

「姫様、隣いいですか?」

「ええ、もちろんよ。さあ、何があってそうなっているのか、聞かせてほしいわ。」

 膝が触れ合うような近さで二人は並んで座り、どちらともなく、微笑みあった。

「あなたが無事でよかった。」

 シャーロットの言葉に、ローズは涙目になっている。

「ええ、管理人のおばちゃんに、姫様が尋ねて来てくれたことを聞いて、すごく嬉しかった…。私は大丈夫です。」

「ななしやは…、」

「誰も怪我していませんが、復旧は来年になるだろうって話です。その、資金面は何とかなりそうなんですが、中途半端に焼けてしまったので、取り壊す作業がなかなか進んでいかなくて。ご近所との兼ね合いもあって、時間がかかりそうなんです。」

「そっか…、皆さんご無事なの?」

「ええ、みんな怪我一つしてません。私が駆け付けた時には、延焼が始まっていたので、家財道具を取り出す作業にみんな必死で。あそこは住まいではなくて店だけで使っている家だったので、それが一番助かりました。」

「そっか…、」

 シャーロットはちょっとほっとしていた。家さえあればどうにでもなりそうな気がしていたからだ。

「それで、しばらく解体作業やらなんやらで忙しくなりそうで…、学校をやめたいって兄上に相談したら、ものすごく怒られてしまいました。」

 ローズは気まずそうに笑う。

「お前の人生とななしやとは違うだろうって。せっかく時間が出来たんだから、ななしやが再建できた時の即戦力になれるように、もっと学んで来いって。」

 ローズは話しながら、どこかを見つめている。

「学校の理事長先生に、相談したんです。どっちにしても、兄上に負担をかけてまで通い続ける事よりも、もっとお金のかからない、庶民の学校に転校したいなと思ったんです。」

 祖父はなんと言ったのだろう…。

「理事長先生は、特別奨学金の制度があると言って費用の負担を軽減できる方法を教えてくださいました。とある公爵家の方からの寄付で成り立つ制度だそうで、勉学に励む生徒で家庭の事情がある者には制服の貸与と学費の免除、寮費の半額を減額して下さるそうです。」

 まさかとある公爵家ってうちのことかしら。シャーロットはドキドキしながら聞いていた。エリックが似たような提案をこの前していた気がする。

「姫様、とある公爵家には姫君がいらっしゃるそうです。その姫君は面倒見がいいので、今隣国の隣国からの転校生と、第二王女殿下のお世話をされているそうです。理事長先生が仰るには、そこに一人増えてもたぶん問題ないだろう。その娘が君を助けてくれるだろうって、」

 ローズは涙を拭って、微笑んだ。

「それって、姫様のことですよね? 私の姫様。私も、面倒を見て貰えますか?」

「ええ、当たり前じゃない。私にできることはするわ。寮のお仕事は手伝わせて貰えなかったけれど、そんなことくらいなら、どうにでもなるわ、きっと。」

「よかった。そのお願いだけは自分でしなさいって言われた時、恥ずかしくて。結局、姫様に、公爵家の皆さんに頼るんだなあって思ったら、あの時素直に坊ちゃまの提案をお聞きしておけばとも思ったりして。」

「あの時は、こんなことになるだなんて、知らなかったじゃない? しょうがないわ。」

「ほんと、ななしやがあんなことになるなんて、思いもよらなかったです。」

 ローズはしんみりと肩を落とす。

「じゃあ、管理人のおばちゃんのところに間借りは、解消されるの?」

「はい。半額なので、兄上も負担にならないから大丈夫って言ってくれましたし。学費免除が大きかったですね。」

「ああ…、あなた、確かぎりぎりの成績じゃなかった? まさかあれを10位以内まで上げていくってことになるの?」

「10位じゃありません、姫様。9位です。」

「そこ、あんまり変わんないと思うわ。」

「一桁の順位を維持するように言われてしまいました。」

「えっと、それはいつのテストから?」

「この10月の中間テストです。」

「はい?」

 もう9月は半分終わろうとしている。ローズは休みを取っていて、その時点で出遅れている気がする。シャーロットは震えた。おじいさま、条件が無茶です…!

「えっと、じゃあ、今日、さっそく私のノート、持って帰って勉強する?」

「ありがとうございます。お借りします。」

 今日はミカエルの日だったので、すでに授業のノートはミカエルの分もあり2冊あって、1冊貸してしまってもまだ大丈夫なのだ。部屋に帰ってそのもう1冊を書き写してミカエルに貸し出そうと思った。

「制服は…、その、女子の制服は嫌じゃないの?」

「嫌ですよ。着たくはないですけど…、まあ、女子高生のコスプレをすると割り切って着ることにしました。」

「コスプレ?」

 ミカエルも王子様のコスプレと言ってた気がする。コスプレって、普通に使う言葉なのかな…。シャーロットは疑問に思う。

「うーん、うまく言えないけど、なりきりごっこって感じです、姫様。」

 女子高生っていうのもよく判らないけれど、女子というからには女の子なのだろう。女の子なのに女の子のなりきりごっこなのかな? シャーロットが首を傾げていると、ローズは微笑んだ。

「私服はいつもの感じなので、学校にいる時限定のコスプレなんです。だから、我慢できます。」

「我慢が必要なのね…?」

「学校にいる間は、ななしやとは関係ない、ローズ・フリッツっていう男爵家の令嬢になりきって生活しようと思います。成績を上げるために勉強も頑張るし、姫様とお友達でいられるように努力もします。そう、理事長先生と誓ったんです。」

 おじいさまがまともなことをやっているなんて…! シャーロットは違う意味で感動していた。あの破天荒で訳のわからない祖父が、人助けをしているなんて…!

「寮の部屋はどこに決まったの?」

「時期が変なので、二人部屋を一人で使わせてもらうことになりました。2階の一番階段に近い部屋です。来年入ってくる1年生と一緒になりそうです。」

 シャーロットの部屋は3階の一番奥の部屋だった。廊下をまっすぐ行って階段を一階分降りるだけなので、近いと言えば近い。

「時々お邪魔しに行くわ。」

 シャーロットはローズとの女子寮生活が楽しく始まりそうで嬉しかった。人目も気にせず会えるようになるのだ。

「大歓迎です。徹夜で勉強会とか必要になりそうだし。」

 そっちはあまり嬉しくないなと思う。時々夜遅くまでミチルの課題に付き合ったりもするけれど、シャーロットは早寝早起き派だった。

「徹夜ではなく普通の勉強会になるように、なるべく毎日コツコツとやっていきましょうか。」

「そうですね。寮の管理人の仕事をしなくていい分、時間に余裕が出来ましたからね。」

 よく判ってるじゃないの、ローズ、と、シャーロットは肩を叩きそうになる。

「よかった…。姫様と女子寮生活…。素敵すぎる。」

 ローズが微笑むと、シャーロットはあまりの可愛さに胸がキュンキュンしてしまう。ロータスの美少年ぶりにもときめいていたけれど、ローズの中性的な可愛らしさは控えめなローズの性格も加わってとても素朴に可愛かった。

「これで坊ちゃまのお部屋を借りずにお話しできますね。」

「ええ、ほんと、それが一番嬉しいわ。」

 シャーロットが微笑むと、ローズは「これからも友達でいさせてください、」と手を差し出してきた。

両手で握りしめて、シャーロットは微笑んだ。

「もちろん、ずっと、友達よ。」

 長袖のブラウスに目が行ってしまって、少し、心が痛んだ。やっぱり、半袖を着るのを躊躇っているのは、腕に傷があるからなんだ。シャーロットは思う。ななしやから手を引いてくれてほっとしているのは、内緒にしよう。ローズに傷が増えなくてよかったと思っている自分が、少し卑怯に思えていた。


 ローズは「今日は手続きに来ただけなんで、学校へは明後日から通います、」と言って寮ではなく男爵家の屋敷に帰ってしまった。

 後姿を見送ったシャーロットに、サニーが声を掛けた。サニーはまだ制服姿だった。夏服の半袖のブラウスの白さが浅黒い肌によく映える。

 そこは以前、なかなか手を放してくれなかったテイカカズラの木のすぐ傍だった。

「シャーロット、今のはもしかしてフリッツですか?」

「ええ、ローズになるの。ローズって呼んであげてね。」

 細かい事情は別に言わなくてもいいだろう。シャーロットはそう思って微笑む。サニーはローズが男装していたことを知っている。

「そうか…、女性の姿に戻ることにしたんですね、彼女。」

「あの子はいい子よ。有益になりそうな女性じゃない?」

 シャーロットは戸惑う様子のサニーに微笑む。

「そういえば、あなた、私のこと避けてなかった?」

「ええ…、」

 サニーはシャーロットの手を取り、両手で固く握りしめる。

「あなたを、諦めようとしてました。」

「してました?」

「白い肌のあなたも美しかったけれど、日に焼けて私の国の女性の様なあなたは、さらに美しく見えて。あなたを見るだけで自制が出来なくなってしまって、避けることで冷静になれるように我慢してたんですが…、」

 サニーはシャーロットの瞳を見つめる。まっすぐな眼差しが、シャーロットには眩しかった。

「フリッツが、女子生徒の格好をしてあなたと話している様子を見て、シャーロットには人の心を変える力があるのだと、確信しました。」

「はい?」

 いや、あれは、私がどうこうしてそうなった結果ではないから。シャーロットは思わず言葉を失う。シャーロットが原因で女生徒の姿に戻った訳ではないと思う、絶対に。

「諦めようとしていたことは諦めます。」

 どういうこと?

「やはり、私にはシャーロット、あなた以上の女性は見つけられそうにはありません。」

「いやいや、サニー、前にも言ったけれど、私達はお友達以上にはならないから。」

「ひとつの国から2人の妻を貰うことが問題なら、あなたは妻にはしません。」

「はあ、」妻にしないならどうするというのだろう。嫌な予感がしつつ、シャーロットは次の言葉を待った。

「私の正妃という存在はいないままで、愛人として一緒に帰って下さい。」

「いや、その方が問題だと思うけど? まだ正妃の方がましじゃないの?」

 きらり、とサニーの瞳が光る。

「正妃でなら来てくれるんですね? シャーロット、」

「え、いや、その、そんなことは言ってないと思うよ?」

「きちんと聞きました。安心してください。正妃で迎え入れましょう。」

「え?」

「あなたとミカエル王太子殿下の婚約破棄の方向で、父と連絡を取ってみます。」

「はい?」

 では、さっそくと言って立ち去ってしまったサニーの後ろ姿を見て、ただただ唖然とするしかないシャーロットなのだった。


 週末、シャーロットは出かけなかった。いや、出かけられなかった。

 ローズの勉強に二日間とも付き合ったのだった。ミカエルは日曜の夕食は一緒に取ろうねと言ってくれたので、シャーロットはそれまでに部屋に戻ればいいかなと思っていたけれど、大きな間違いだった。

 日曜の夜のミカエルに会った時には、シャーロットは精神的に疲れ果てていた。

「どうしたのシャーロット、大丈夫?」

「ええ、大丈夫よ?」

 シャーロットはミチルの格好のミカエルにギュッと抱き着いた。可愛いミチルで癒されたかった。唇に鼻を寄せると、甘いイチゴのチョコレートの匂いがした。

「あれ、もうじき夕ご飯、食べるんじゃないの? お菓子食べたの?」

「ちょっと息抜き。シャーロットがいない二日間、僕も頑張ってお勉強したの。」

 前に舐められたことあったなーと思いながら、シャーロットもミカエルの唇を舐めてみた。

「甘いイチゴの味。」

「ちょっと、そういうの、僕の専売特許なんだから、やめてよね、」

 顔を真っ赤にしてぶーたれるミカエルが可愛くて、シャーロットは笑いながら癒される。ローズの勉強の相手をするのは、とても疲れたのだ。

 ローズは確かに1学期は最低限の勉強で最低限の点数を取った、という状態だった。夏休みの間にすっかり忘れてしまっているらしく、ほぼ1学期の初めからのやり直しが必要だった。

 統治のコースなので、各地の産業や気候や地理を覚えなくてはいけないのだけれど、ローズはほとんど忘れてしまっている。ノート自体も要点しか書いていないので、説明が一切なかった。中には寝ぼけて書いたような、読めないページすらあった。

 仕方ないので一学期にとってあったシャーロットの授業のノートをローズに見せ、すべて写させるところから始めたのだった。

「ローズとはこの後、約束はしてるの?」

「今日はもうないの。色々宿題というか、やっておいてねって言ってあるから、明日、点検するかな?」

 この調子で9位までに入るなんて、毎日徹夜になるんじゃないかしら。

 シャーロットは私自身がもうくじけそう…と思っていた。あとはローズのやる気次第だと思った。


 二人はお揃いの灰色のマリライクスのパーカーを部屋着の上に羽織って、学食に夕ご飯を食べに出かけた。パーカーはミカエルがお揃いにくれたのだ。ピンクと白の2色でシベリアンハスキーが背中に描かれていた。シベリアンハスキーの水色の瞳が、とぼけた表情で可愛かった。

 夕飯というには少し遅い時間だったので、帰りに渡り廊下から見上げた中庭の空には月が見えた。

「ちょっと寄り道していく?」

 まだ学生寮の玄関は閉まっていない。学生寮の門限は9時なので、まだ余裕があった。

「そうね、月でも見ながら散歩する?」

 中庭の植物園の方へ向かって二人で歩いた。手を繋いだまま、何かを話す訳でもない。

 噴水の縁に二人で並んで座って、水面に映る月を眺めた。

「私、今、とても幸せだわ、」

 シャーロットは心の中から湧き出る言葉を口にした。

「あなたが好きよ、」

 そう言って、ミカエルに微笑んだ。

「それはどっちの僕?」

「どっちも、よ? あの月も、この月も、どっちも月だもの。それと同じ、よ?」

 シャーロットは夜空の月を指差す。

「月がとても、綺麗だわ。」

 この前ローズと並んで見上げてから、もう2週間経つ。あの時見た三日月は、もう満月になっていた。

「シメイよりもオーガイの方が好きなんだよね、」ミカエルは呟いた。

「何のこと?」

 シャーロットはミカエルを見つめた。月明かりに照らされたミカエルは、いつになく真剣な表情でシャーロットを見つめていた。

 眼差しに耐えきれなくなって、シャーロットはそっと瞳を伏せた。

「このまま、時が止まればいいのに、」

ミカエルが、シャーロットの耳元で囁いた。「君はとても美しい。」

 ミカエルの低くて甘い声に、シャーロットはくらくらと眩暈を感じた。顔が火照っていくのが判る。

立ち上がったミカエルが、シャーロットに手を差し出す。

「そろそろ部屋に戻る?」

「そうね、月を見ながら帰りましょう?」

 手を繋いだ二人が空を見上げながら歩いていると、学生寮の前でガブリエルがちょうど外出から帰ってきたのと一緒になった。

 ガブリエルはお城に帰っていたのか、臙脂色のワンピースにベルベットの赤いリボンで髪を結んでいて、手には透かし編みの黒いレースのカーディガンと黒いカバンを持っている。シャーロットとミカエルの部屋着の様なゆるい恰好ではなかった。

「二人とも何をしているんです?」

 学生寮の玄関で靴を履き替えながら、二人はガブリエルの質問攻めにあう。

「こんな時間にそんな恰好ではしたないですわ。」

「別に変なことしてないし。月を見に歩いてただけだよ?」

 ミカエルの言葉に、シャーロットも頷く。

「ガブリエルは?」

「レイン様と…、お会いしていたんですわ。」

 顔を赤らめ視線を逸らすガブリエルは可愛かった。シャーロットはキュンキュンしてしまう。こういう恋の初々しさはたまらん可愛いわ~、とニヤニヤしてしまうのだった。

「へー、レイン様とねえ、」

 ミカエルはガブリエルの反応を揶揄っている。

「月がとっても綺麗でしたのよ?」

 ガブリエルの言葉に、ミカエルは、「へー、死んでもいいくらい?」とニヤリと笑った。

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