<22>悪役令嬢は騙されているようです
「お兄さま、もうちょっとお時間何とかなりませんの?」
沈黙のままミカエルの王族用の部屋で二人で待つのは、なかなかの苦行だった。やっと帰ってきたミカエルの姿に、ほっとしたのはガブリエルだけではない。シャーロットも安心した。
「では私、失礼いたしますわ。」
ガブリエルが部屋から出ていってしまうと、部屋の入り口に立ったまま様子を見ていたミカエルは、やっとシャーロットの傍に来て、「何かあったの?」と尋ねた。
「どこから話せばいいのか、わからないわ。」
ソファアに座ったままのシャーロットは黄昏ていた。
ミカエルのところでミカエルと話すのは、久しぶりな気がしていた。お昼にも会ったのに、ミカエルが懐かしい。
シャーロットの隣に座ると、ミカエルは首元のボタンをはずし、袖口のボタンも外し、腕をまくった。
「暑いなら半袖にすれば?」
「これはミカエルの格好だから、仕方ないの。」
「そういうもんなの?」
「王族だからね、必要以上に肌を見せないの。」
「ミチルの時は半袖着てなかった?」
「あれは好きでやってる格好だからいいの。」
へー違いがあるんだー。シャーロットは初めて知る事実に驚きを隠せなかった。暑くても好きなら我慢できるんだね。
「シャーロットはそういうの、親にうるさく言われない?」
「えっと、言われたかしら?」
エリックもシャーロットも暑いときは半袖を着ているし、夏の避暑地で水着姿を何度か親に見られたけれど、何も言われなかった。
「公爵家は割と自由なんだねえ。」
そんなこともない気がするけど? と思うけれど、シャーロットだけそう思っているのかもしれないので、黙っておく。
「昨日の…、あの後ね、」
シャーロットは昨日のローズとの話し合いや、エリックとローズとのこと、エリックと話したこと、今日の放課後、管理人のおばちゃんと話をしたこと、ついさっきの、ガブリエルとブルーノの事を話した。
ミカエルは黙って聞いていて、時々、何かを考えてメモをして、シャーロットが話し終えた時、「わかった」と言った。
「いろいろ…、いろいろあったんだねえ。」
「そうなの。一番驚いたのはエリックにばれてたことかな。」
「ああ、知っててあの態度なら、すごいよね。さすが僕を支える未来の公爵。」
「ブルーノとは…、ガブリエルが思うような関係にはならないと思うから安心してね。」
「それは、まだ安心できないな。」
「どうして?」
「ラウラ・クリスティーナって、海の向こうの国の王女のことでしょ? あっちの国は婚約者を何人も立てて、王女が成人した時に一人に選ぶんだよね。ブルーノも数多くいる婚約者のうちの一人だよ?」
沢山婚約者を持つって、異国のお姫さまって大変ね。シャーロットは一人しかいなくてこの大変さなのだから、もっと身動きが取れないのだろうなと想像してうんざりする。
「だいたい…、海運王ペンタトニークの息子ブルーノって、ゲームだとローズがエリックルートで一定の好感度を上げてないと出てこない後半の隠れキャラだから、今出て来てる時点でおかしい存在なんだけどね。」
「えっと、今ゲームのシナリオで言うところの、どのあたりなの?」
「まだ前半終わってない。イベントが後いくつかあるはず。ブルーノはそれが終わった時に好感度が高くないと出てこない隠れキャラなんだよね。エリックの親友としてローズに近付いて、二人でちやほやするはずなんだけど…、」
「ローズがいないわ…。」
管理人のおばちゃんはしばらく休むと言っていた。しばらくがどれくらいか判らないけれど、ローズがいないままお話は進んでいくのだろうか。シャーロットは不思議に思えた。
「ゲームのブルーノには婚約者はいなかった。婚約は解消される可能性があるってことだよ。シャーロット、まさかとは思うけど、エリックに唆されて、ブルーノと結婚したいとか言うのはやめてね。」
「そんなこと思ったりしないわ、」
さすがに結婚したいとは思わない。「婚約だって破棄しないわ。」
「サニーが様子が変なのはよく判らないけれど、あまりいい状況ではないのは変わらないことだから、シャーロットはちゃんとブルーノとも、サニーとも、リュートとも距離を置いてね。」
「何もしないから大丈夫よ?」
「何もしないのが、一番問題な気がしてきたけどね。」
ゆっくりミカエルの顔が近付いてくる。今日はミカエルの日なので後ろで髪をくくっている。綺麗なミカエルの顔がよく見える。シャーロットは後退りして身を離す。
「こうやって近付いてこられたら、ブルーノに抱きしめられちゃうの?」
「今度はちゃんと逃げるわ。」
それでもミカエルは近付いてくる。シャーロットはソファアの隅に押し倒されてしまう。逃げられない。
ゆっくり顔を近付けて身を乗り出すミカエルに、シャーロットは、「ミ、ミカエル?」と震える声で尋ねる。いつにない真剣な眼差しに、ときめいてしまう。
「君の婚約者は誰?」
「ミカエルよ?」
「キスしていいのは?」
「ミカエルだけ、だわ、」
「たぶん?」
「いいえ、ミカエルだけ。」
その答えに満足したのか、ミカエルは目を細めた。つられてシャーロットも目を細める。
そっと唇を重ねたミカエルに、あ、しまった、もしかして乗せられた? と気が付いた。シャーロットはそれでも、ま、いっかと思ってしまった。ミカエルにいつになくドキドキしてしまった。だから今日はいいのだ。
ローズは結局次の日も帰ってこなかった。1週間が過ぎても、帰ってこなかった。
クラスに生徒が一人いないのに誰も気にすることなく続いていく日常生活に、ローズがいつか言っていた、男子生徒が一人で行動していても誰も気にしない、というのはなんだか寂しいなとシャーロットは思った。
シャーロットも友達が多い方ではない。
ミカエルかガブリエルが一緒にいるけれど、それ以外は基本一人で行動している。クラスの女子と仲が悪いわけではなかった。下手にミカエルやガブリエルの事を詮索されたくなかったので、話しかけられない限り話し掛けることはなかった。
愛想よくするのは苦痛ではなかったし、そうするように育てられているのでいつも微笑むようにしていた。
でも、ローズがこんな時に微笑んで待つって、私、なんだか人間じゃないみたいだわとシャーロットは思えてきた。
今日はミカエルがミカエルの日で、「お昼休みに課題を進めたいんだ、ごめんね」と言われ、ガブリエルも「課題がありますの」と言って別行動をしたので、お昼ご飯をシャーロット一人で食べることにした。
せっかくの機会だしと、購買でパンを買って、久しぶりに中庭でぼんやりと空を見ながらパンを食べた。あのコーヒーの香りのする牛乳に近いコーヒー牛乳も一緒に買った。
9月になって日差しも落ち着いてきていて、中庭にいる生徒はシャーロットの他にも沢山いた。噴水の縁に座って、ぼんやりするシャーロットの姿は目立つことはなかった。
髪の広がりがだいぶなくなり、普通にポニーテールにする程度でまとまっていたので、今日のシャーロットは編み込みにしていなかった。今朝会った時リュートは残念がっていたけれど、どうしてなのか想像したくなかった。
「シャーロット、珍しいね、一人?」
近寄ってきたブルーノが隣に座る。足を組んで、膝に手を添えている。
「お昼ごはん?」
「そう。ブルーノは食べた?」
「さっき学食で。エリックと一緒だったんだけど、シャーロットを見かけた気がして別れてきた。」
「あら、ありがとう。見つけてくれたのね。」
「まあね。」
ブルーノとエリックは仲が良さそうで、たいてい一緒にいた。シャーロットは二人を見かけても声を掛ける事もなく、会釈をする程度だった。シャーロットがいつもガブリエルと一緒だからだった。
「同じ学校なのに、話せる機会がないね、」
「そうね、そう言えばそうね、」
でも、話する必要、もしかしたらないんだよねー、とシャーロットは思う。話をして親密度を上げて好感度を上げて攻略対象を攻略、って訳にはいかないんだよねー、と思ってしまう。婚約者がいるシャーロットがそれをすると悪役令嬢への道に再び戻ってしまう。今はきっとその道にいないはずなので、戻りたくはないと思っていた。
「ねえ、シャーロット、」
「ん?」
パンを食べるシャーロットの様子をじっと見ているブルーノは、何かを躊躇っているような表情になる。
「今度の土日、どっちか時間取れない?」
「どうして?」
「シャーロット、誕生日近いよね?」
「ええ。」
9月24日がシャーロットの誕生日である。直前の土日は実家に帰って親とエリックと家族で食事することになっていた。毎年祝っている誕生会を今年からやめるというのは嫌だと、父とエリックが言ったからだった。母は面白そうにニヤニヤしていた。
今度の土日には予定を入れていない。
「一緒に出掛けない?」
「え?」
「エリックの誕生日は避暑地で一緒にパーティしたけれど、こっちではそういうことできないよね?」
「まあね、しないわ。」
避暑地の別荘で地元の有力者や滞在中の異国の貴人を呼んで盛大に開かれたパーティには、もちろんブルーノとブルーノの両親も参加してくれた。でもあれは、次期公爵家の跡取りのエリックの誕生日だったからのことだろう。シャーロットは自分もそうしてほしいとは思ったことはなかった。
「気を使ってくれなくていいのよ、ブルーノ。私は嫁ぐ身で、地元の有力者にお披露目する必要がないからしないだけなの。エリックには重要なことだから毎年しているだけ。」
「シャーロットと一緒にいたいんだ、駄目?」
「気持ちだけで嬉しい。この前ガブリエルに言われたでしょ? お互いに婚約者のいる身ですもの。二人きりは無理だわ。」
微笑むシャーロットに、ブルーノは残念そうに言った。
「じゃあ、出かけなくていいから、この前の5分、残ってるよね?」
「今もう5分経ったんじゃないの?」
もうとっくに5分経ってると思うわ。パンの袋を綺麗に折りたたみながら、シャーロットは微笑んだ。
「9月24日に5分、欲しい。」
「ふふ、仕方ないわね。」
「約束だからね、」
「そうね、約束するね。」
思わず小指を差し出したシャーロットに、「それは何?」とブルーノが尋ねた。
いかんいかん、ミカエルと約束する時は指きりするけど、ミカエル限定の習慣だった。
「えっと、何でもないの、忘れて?」
「もしかしてこうして欲しかった?」
ぱくっと小指をブルーノは食べた。甘噛みされてしまう。
「え?」
「あれ、違った?」
意味ありげに笑うブルーノに、顔を真っ赤になって「違うから」っとシャーロットは立ち上がった。
「もう、ブルーノったら!」
恥ずかしくて立ち去るシャーロットに、ブルーノは「忘れないでね」と手を振ってくれた。
手洗い場で手を洗ったシャーロットは、鏡の中の自分の顔が真っ赤なのに気が付いて、また恥ずかしくて手を洗い直した。
「姫様、姫様、」
手洗い場で鏡の中の自分とにらめっこしていたシャーロットは、話しかけられる小声に振り返った。
「ロー、ローズ!」
思わず躊躇ってしまったのは、ローズが女子の制服を着ていたからだった。
「どうしたのその格好!」
「ふふふ、」
両手で口を隠して笑うローズに、シャーロットはその変化が信じられなかった。
あれだけ女子の格好を嫌がっていたのに、普通に長袖のブラウスに、ベスト、箱ひだの膝丈のスカートを履いているローズは、ショートカットも似合っていてとても可愛かった。
「お昼休み終わっちゃいますけど…、お話したいですね。」
「ええ、私もそう思うわ。そうね、放課後、時間作るから、私の為に時間空けてね!」
「どこにしますか?」
「あなた、女子の恰好なんだからどこでも大丈夫よ。中庭のいつもの噴水のところで、いい?」
「はい、では、その時にお会いしましょう。」
「え、今から授業出るんじゃないの?」
「今日は手続きに来たんです。これから理事長先生のところへお邪魔します。」
ああ、うちのおじいさまのところへ行くのね…。シャーロットは祖父の豪快に笑う姿を想像して少し憂鬱になる。思い出すだけでも疲れるのである。
「じゃあ、約束だからね、」
うっかりまた小指を出したシャーロットに、ローズは躊躇う事もなく指を絡ませてきた。ローズは当然のように約束の言葉を言う。
「指きりげんまん嘘ついたらハーリセンボンのーます、指切った。」
え、嘘ついたらお嫁さんになるんじゃないの?
シャーロットは約束の言葉が違うことに驚いていた。ハリセンボンのマスって何?
「どうかしました? 姫様、」
「いえ、その言葉が正しいのね?」
無意識に確認してしまう。あ、もしかしてこれは言ってはいけない質問だったかも。シャーロットは慌てた。ミカエルが前世日本人だったことはシャーロットとの二人の秘密なのだ。指きりを知っている事でローズに秘密がバレては困る。ローズが前世日本人だったことを知っているのはおそらくシャーロットだけだった。二人の秘密がつながっている事に、ローズに気が付かれてはまずい。
「ええ。…あれ? 姫様知ってて小指出してくれたんじゃないんですか?」
「あれ? 前やった時は何も言わなかった気がしたけど、気のせいだったかしら?」
シャーロットの言い訳に、ローズは何も言わなかった。
うっかり小指を出すのはやめよう。シャーロットは何度か目を瞬かせて気を紛らわせて、ドキドキと高鳴る鼓動を鎮めようとした。
ありがとうございました




