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<21>悪役令嬢はエリックルートにときめいているようです

 朝から学食はいつも以上に騒がしい気がしていたけれど、シャーロットには自分の頭の編み込みをどうにかする方が重要で、ミカエルとの約束の登校時間に何とか間に合わせる方がさらに重要だった。

 いつもよりも随分早い時間に起き、制服に着替えて急いで朝ご飯を食べているシャーロットは、仮に括ったツインテール?というより、プードルの耳みたいになってしまった髪の毛が恥ずかしくて、味わうのもそこそこに学食を出ようとしていた。

「おはよう、そこの、公爵令嬢、」

 リュートが残念そうな顔をして寄ってくる。朝が早いといつも会わない人にも会うのだ。シャーロットは心の中で舌打ちした。

「髪型くらい私が何とかしてあげるから、ちょっとこっちに来なさい。」

「おはようございます、あの、いえ、その、結構ですわ、」

 恥ずかしくて逃げだしたくもあり、狼狽えるシャーロットに、「遠慮するな、」とリュートは廊下の隅の手洗い場の鏡の前に立たせた。

 手洗い場で自分の櫛を洗い、ハンカチで水をふき取り、シャーロットの髪を丁寧に梳かし始めた。

「昨日も思ったんだが…、随分髪を痛めたんだな、」

「…。」

 いろいろ偶然が重なったとしか言いようがないので、シャーロットは黙ったまま目を閉じる。

 シャーロットよりも背が高いリュートは難なくシャーロットの髪を編み込んでいく。

「早く髪質が戻るといいな、」

 美容担当の侍女が言うには、日焼けも髪もひと月はこんな状態が続くだろうとのことだった。

「私は、シャーロット嬢の今の髪形もそれほど悪くないとは思うんだが…、」

 誰かさんに風紀が乱れると言われた気がするんだけどなー、とシャーロットは思う。

 リュートの両手が、包み込むように耳の後ろから首筋、襟元まで撫でた。ひやっとする感覚に、シャーロットは思わず後ろを振り向く。

「あ、思わず。すまん。きれいな肌だなと思って。」

 顔を赤らめたリュートを上目遣いに見上げたシャーロットに、櫛をズボンの後ろポケットに戻しながら言い訳をする。

「さ、できたぞ。何ならまた明日も髪、編み込んでやろうか? この時間に来てくれれば私もいるだろうから、」

「今日はありがとう。明日は…、もしいたらお願いするかもしれないけれど、自分で頑張っているかも。」

 リュートが風紀委員だからといっても、毎日髪のお世話をお願いする関係ではないのだ。明日からは編み込みをどうにかしてから部屋を出ようと、シャーロットは思った。

 それでもしっかり、『素行不良な公爵令嬢は朝から風紀委員に捕まって、髪型を指導されていた』という噂は立ってしまうのだった。


 髪の編み込みの問題が解決したので、余裕でミカエルを迎えに行ったシャーロットは部屋のドアを開けるなり、「ちょっと話があるの、」とソファアに座るように促された。

 ミカエルはもういつでも出掛けられるように支度を終えていて、早く学校へ行かなくてもいいのかなとシャーロットは思った。

「あのね、驚かないで聞いてね。」

 ミカエルは隣に座ったシャーロットの肩を抱くように身を寄せた。唇が耳に触りそうな距離に、シャーロットは朝から近いなーと思いながらドキドキしていた。

「昨日、街で火事があったんだって。ななしやのあたりが燃えて、死者は出なかったけれど、けが人が何人か出たみたい。」

「はい?」

 驚くシャーロットにミカエルは続ける。

「今朝やっと鎮火したようだけれど…、火元の店は全焼。ななしやは3軒隣りだったけれど、焼けて半壊、だそう。」

 誰も死者が出なかったのはいいことだけれど、火事なんて…。

「消火活動に出た者達の話だと、どうやら営業終了した店舗の前で騒いでいた酔っ払い達が喧嘩になって、刃物を使っての立ち回りになったんだって。その時刃物でやりあって火花が散って、店の前に置かれていたゴミに火が燃え移ったようだとの話だったけれど…、」

「そんなことで火事になるの?」

「最近雨降ってないから乾燥してるしね。出てたごみが古い油を吸わせた布の詰まった袋だったらしいから、運が悪かったんだろうとしか言えないって言ってたよ?」

「昨日の夜よね? そんなことがあったなんて…、」

 シャーロットはいろいろ大変な夜だったことを思い出した。

「ローズは、知ってるの?」

「おそらく。昨日の夜中、寮から出ていく者があったから、恐らくローズだろう。」

「え、何で知ってるの?」

「昨日は課題を仕上げてて、今日になるまで起きてた。」

 ミカエルはまじめに勉強してたんだなあと思う。

「お疲れさま。」

 シャーロットが微笑むと、ミカエルは口を尖らせて頬を指差す。「ご褒美頂戴、」

 照れながらもシャーロットはミカエルの頬にキスをする。

「男子の制服着てるんだからこっちも、」

 反対側の頬を指差したミカエルに、仕方ないなあと笑ってキスをした。頭の中で、エリックから聞いた、ミカエルが婚約者を守るために毎日日替わりで頑張っているという言葉が思い出されていた。


 ガブリエルと二人で行動してみて判ったのは、シャーロットが思っていた以上にガブリエルは時間に規則正しく、何をやらせてもそつなくこなし、授業も背筋を伸ばして前向きに取り組む、いわゆる典型的な優等生だということだった。

「シャーロット、早く行きましょう。」

 支度も早いガブリエルは、何をするにもシャーロットを急かす。

 ミカエルがマイペースで気まぐれなので、シャーロットは何かが起こってもさりげなく助けていけるよう気を張っていなければならなかったけれど、そういう配慮が一切いらなかった。

 あれ、もしかしてガブリエルといると楽かも? そう思えてしまった。

 エリックもブルーノも遠くの方でにやりと笑った程度で近寄ってこなかったし、日に焼けてからサニーは様子がおかしいし、リュートは目が合っても頷いてくるだけで近寄ってこない。

 今日は平和な一日だったなとシャーロットは思った。でも、ローズの姿はいつになっても見つけることはできなかった。


 放課後、学生寮の管理人室におばちゃんを尋ねてみた。女子寮の自分の部屋に戻って着替えている時に思いついたのだった。

 おばちゃんにローズの事を尋ねると、「しばらく、実家に帰るって話だよ?」と言われてしまう。

「何でも、兄上様のところへ帰るって話だよ。」

「そうですか…、」

 男爵家にはシャーロットは尋ねた事がなかった。兄である男爵と面識もない。

「昨日の火事で怪我人が出たとかで…、夜中に知らせに来た人に連れていかれてしまって、こっちには帰ってきてないんだけどねえ。今日の昼間、兄上様の使いって人があの子の手紙を持って来てくれたんだけどね…。」

「なんて書いてあったんですか?」

「しばらく学校を休みます。仕事が出来なくて済みません。状況が良くなり次第戻れると思います。ごめんなさい。って。けが人が出たんなら、そんなこと気にしないで看病しておやりって言ってやりたいんだけど、こっちから連絡するとまた気を使わせてしまいそうで、どうにもならないんだよ。」

 おばちゃんの溜め息に、シャーロットも同感だと思った。ローズはこんな時も、気を使ってばかりいる子だ。

「お嬢様が来てくださったこと、あの子に伝えられたら伝えとくよ。わたしゃ嬉しいんですよ。友達もいなくて働いてばかりいるもんだと思ってたのに、ちゃんとお嬢様みたいに、心配してくれる友達があの子にはいたんて…。ありがとうございます。」

「そんな…、こちらこそ、いつも仲良くしてもらっているのです…。私も、会えるなら会いたい…。」

 おばちゃんに礼を言って別れ、中央階段を上がろうとすると、制服姿のブルーノに声を掛けられた。階段の踊り場から様子を見ていたらしい。

「シャーロット、どうかした?」

「ん? なにも?」

「ウソ、泣いてるじゃん。」

 ブルーノは階段を何段か降りて、シャーロットの顔を覗き込む。すっと唇をシャーロットの目に寄せて、目尻に残る涙を吸い込んだ。

 瞳を閉じたシャーロットの頬を両手で包み込んで、ブルーノはにやりと笑った。

「元気になるおまじない、してあげようか?」

「いりません。」

 夏にさんざん揶揄われたシャーロットは知っている。ブルーノのすることはたいていキスなのだ。挨拶もキス、ありがとうもキス、おまじないもきっとキスだろう…。

「ねえ、シャーロット、その恰好なら出かけられるでしょ? 今からちょっと一緒に出掛けない?」

 シャーロットはこの後ミカエルの王族用の部屋に行く予定で、いつもの部屋着ではなく膝丈の白いワンピースを着ていた。腰のあたりから細かいプリーツの切り替えが入っている。明日はミチルの日なので、迎えに行くつもりだったのだ。

「今日は無理かな。」

「じゃあ明日。」

「明日も無理かな?」

…本音を言うと、あまりブルーノと二人で出掛けたくはなかった。

「昨日時間、譲ってあげたじゃない?」

 部屋を貸したことのお礼をしてほしいのだろうか。

「えー、時間て、30分ぐらい?」

「30分もあれば、かなりいろんなことが出来るんだよ? 知ってた?」

 ニヤニヤ笑うブルーノに、シャーロットは意味は聞かないでおこうと思った。

「出かけるってどこに行くの?」

「気分転換に散歩?」

「じゃあ、今から30分だけ付き合う。ならいい?」

 歩いているだけなら何もしてこないだろうとシャーロットは思った。懐中時計を見て時間を確認する。30分くらいならミカエルが学校から帰ってくるまで、まだ余裕だろう。

「それでいい。」

 夏服の半袖シャツからみえるブルーノの日に焼けた腕に、シャーロットは手を絡める。

「ちゃんと覚えてるじゃん。」

 夏に一緒に遊んだ際、手を繋ぎたがったブルーノに、これなら、とシャーロットが妥協したのだった。


 学生寮の入り口は男子用と女子用と別れてはいたけれど、その中の廊下がつながっていて、中央階段を途中まで上がるとまた右手と左手とに分かれるのだった。

 そのつなぐ廊下を奥に進めば購買へと進み、学生食堂があり、もっと進めば学校へと渡り廊下でつながっている。学校から近道して学生寮へ抜けていく事が可能だけれど、学校が始まる8時半以降は購買の手前にある防火扉が閉まってしまうので抜けていく事は出来なかった。

 同じように、学校の授業が終わる5時以降も、学校側にある防火扉が閉まってしまうので学校へは侵入することはできない。

 今の時間帯は購買までもいけないので、二人は玄関から外へ出て学校側の中庭へ向かって歩いた。

 学生寮と学校との間の中庭には、国内で繁殖が確認された植物が植えてある植物園が広がっていた。樹木の陰にベンチがあったりして、学生たちの憩いの場でもあった。この奥へさらに進むと噴水のある学校側の中庭に出る。

「今日は学校、どうだったの?」

 ブルーノは転入生だ。慣れないことも多いだろう。シャーロットは月並みな質問だなと思ったけれど、聞いてみた。

「別に。普通につまらなかったよ。」

 こともなげにとんでもないことを言う。「一応一通り学んできたことばかりだし、新しいことがあるように思えないし、かな。」

「誰か話せそうな人はいた?」

「ああ…、親を知ってる者が沢山いたね。確かに統治コースだ。そういう人脈を作る面ではいい環境だとは思うよ?」

「エリックとばかりいて、人脈は広がるの?」

 くすくす笑うシャーロットに、ブルーノは不敵に微笑む。

「君がいるじゃないか、シャーロット。」

「そういうの、ほんと好きよね、ブルーノ。」

 シャーロットは冗談にしか受け止めない。ブルーノにも婚約者がいるのを知っているからだ。

「ラウラ・クリスティーナ様だったっけ? 異国のお姫様と結婚の約束があるんでしょう?」

 シャーロットがブルーノと親しくしている最大の理由は、婚約者がいる者同士なので関係が発展しないだろうという安心感があるからだった。

「あの者は、亡くなった祖父が大昔に勝手に決めた相手だよ、シャーロット。同じ販路を広げるために必要な相手なら、君の方がいいな。」

「エリックもついてくるから?」

 くすくす笑って相手にしない。ブルーノは背も高いし顔も綺麗な美丈夫だけれど、ミカエルを諦めてまで寄り添いたいと思うような相手ではない。

「エリックも欲しいけれど、今欲しいのは、マリライクスの製作者だな。」

「はい?」

「この前販売になったピンクと水色の二種類の、クマのぬいぐるみにしか見えないリュックが、とんでもなく売れているんだ。この国のハジェット領にデザイナーがいるらしいという噂までは掴めたけれど、その先が見えなくてね。」

 ミカエルのことだろう。シャーロットは無言になる。言いたいけれど言えない…。

「あの才能をもっとうまく活かして、販路もしっかり作れれば、他国で展開もできるだろうし、もっと売れると思うんだよなあ…。」

 ブルーノが木陰で立ち止まる。

 そっとシャーロットに向かい合って、おでこをくっつけてくる。軽く腰に両手を添えられて、シャーロットはブルーノの腕の中にいた。

「このまま、キスしてもいい?」

「嫌。」

「言うと思った。」

 くすくすと二人で笑いあって、お互いの瞳の中の自分を見つめる。

「夏、あの時、声を掛けてよかった。シャーロットの水着も見れたし、思い出もできた。」

「水着は忘れて…、」

 ブルーノの商会に連れていかれて、エリックにとやかく言われながらいろいろ試着させられた。何枚かプレゼントされ、その何枚かを日替わりで身に着けた。ほとんどビキニで、おかげで背中やおなか周りまでしっかり焼けてしまっている。

「また来年も一緒に過ごそう?」

「エリックも一緒なら、考えるわ。」

 来年は日に焼けないように考えないとね、とシャーロットは思った。

「お二人さん、近すぎですわ。」

 ガブリエルの険しい声に驚いたシャーロットが、声のする方に目を向けると、すぐ近くに腰に手を当て仁王立ちのガブリエルが立っていた。制服姿で、息を切らしていた。

「まだ時間あるよね?」

 ブルーノは自分の懐中時計を見ている。

 いや、そんなこと言ってる場合じゃないから、とシャーロットが突っ込みを入れようとした時、ガブリエルがきつい口調で言った。

「ブルーノ・ペンタトニーク様、海運王の御子息なのは存じ上げていますが、この方は私の兄の婚約者となる御令嬢ですの。もっと距離をおとりになって下さいませ。」

 面白そうにニヤニヤと笑うブルーノに、ガブリエルは続ける。

「あなた様も御婚約者がいらっしゃると聞いています。私もいずれは隣国へ嫁ぐ身です。この学校はそういう事情を抱えた娘が多く通っています。変な噂になるようなことはお互いいい状態ではありませんわ。」

 ガブリエルはシャーロットの手を取った。

「さ、シャーロット、ご一緒いたしましょう。」

「じゃあね、シャーロット、また学校で会おうね、」

 ブルーノに手を振って、シャーロットはガブリエルに連れられて歩いた。時間はあと5分ほどあった。またどこかでブルーノは回収したがるんだろうなと思った。

「シャーロット、軽すぎです。あのように、婚約者のいる方と、あのように、親密になど、なさっては…!」

 ガブリエルは怒りのあまり、言葉が途切れ途切れになっている。

「まったくもう、お兄さまのところに、行きますよ?」

 心配するようなことにはならないんだろうけどなーと、シャーロットは気楽に構えていた。

 ブルーノはああ見えて真面目で、結構信頼がおけるのだ。いきなりキスしてきたサニーとは違い、シャーロットに確認もするし嫌がることはしてこない。

 振り返ると、木陰に佇むブルーノがシャーロットを見ていた。

 美しい顔をしている。均衡を保つ美しく逞しい身体。

 美丈夫とはこういう人のことを言うんだろうなと、シャーロットは改めて思った。

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