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<20>悪役令嬢はエリックルートを驀進中なようです

「さっさと入って。」

 エリックが部屋のドアを開けると、シャーロットとローズは仕方なく部屋の中に入った。

 男子の部屋なのでと汗臭い部屋を想像していたシャーロットの期待を裏切り、普通に品のいい部屋で、微かにラベンダーの香りが漂っている。

 部屋の中は掃除が行き届いていて、清潔感もあった。それぞれ椅子を勧められて、シャーロットとローズは礼を言って腰かける。エリックと同室の誰かの、机に付属の椅子だった。エリックは立ったまま、二人を眺めている。

「あれ、エリックって一人部屋なの?」

 中にはエリックの他に男子生徒の姿が見えない。シャーロットが尋ねると、エリックは静かに言った。

「理解があるやつで、10時まで時間を融通してくれた。」

 時計の針は9時40分を指していた。

「あんなところで待ち伏せしてたら嫌でも人目に付く。シャーロットお姉さま、もうちょっと考えて行動した方がいいんじゃないか?」

「どうして知ってるの?」

「公爵家に自分は使える者と存在を売り込みたい人間など、腐るほどいる。この学校にもそんな奴らは沢山いるんだ。」

 ミカエルがいつか言っていた、情報を好んで報告してくれる者みたいな感じなんだろうか。シャーロットは面倒だなと思う。それって監視されてるんだよね…?

「時間がない。シャーロットお姉さま、聞きたいことがあるんだろう?」

「ローズの事はいつから知ってるの?」

「入学した時から。教室の隅に見た顔があるから気になって調べさせた。ローズ・フリッツという者がいる筈なのに見つからず、女子生徒の数が少ないなと思ったのがきっかけだ。」

 シャーロットはいまだに顔と名前が一致しない者がいるのに、エリックは入学時のクラス分け表を見た時点で気になったらしい。ちなみにシャーロットが顔と名前を覚えないのは、覚えても意味がないからだ。

 結婚して婿にいったり嫁にいったりで姓が変わる者など沢山いるし、名前を名乗らせてその者本人に話をさせなければ覚える価値などないと思っていた。覚えるのは必要な従者だけでいいと思っていたからだった。

「じゃあ、近付いてくる者を調べさせるのは当然、ていうのは…?」

「シャーロットお姉さまは未来の王妃だぞ。王妃を出す家におかしな者が近付いてきたら、当然排除しないと俺が大変じゃないか。」

 そう言えばそうだったなとシャーロットは思った。未来の王妃の弟という立場になるエリックも、シャーロットの罪は身内の恥として被らなくてはいけなくなるのだろう。

「クラスメイトの事はだいたい調べてある。」

 エリックは何か言いたそうな表情でシャーロットを見た。ミカエルの事も知っているのかしら? 聞いてみたいけれど聞けないシャーロットなのだった。

「シャーロットお姉さまが今の状態で婚約破棄などしてくれたら、俺は困るんだ。ローズとの友情を壊したくないならここで会えばいい。ここなら俺がいるし、男子生徒として誤解されたままでローズがいたいならその方がいいだろう。」

「エリック様、ありがとうございます。」

「お前とは付き合いが長いからな。シャーロットお姉さまを取られるかと最初は心配していたけれど、女だと判ってからは、その格好にも変わったやつだというくらいしか思っていない。」

「もしかして子供の頃から知ってたの?」

「当たり前だ。さっきも言っただろう、シャーロットお姉さまに近付いてくる者は、だいたい身元を調べさせている。」

 案外私の弟は賢いのかもしれないなとシャーロットは初めて思った。確かに飛び級までして同じ学校に同じ学年にいるのだから、根性もあるのだろう。

「私は変わったやつですか?」

 目を丸くしてローズが尋ねた。「私は普通だと思いますが…?」

 変わってると思うわ、とシャーロットは即答しそうになるが言葉を飲み込んだ。男装して自由を満喫していると言ったローズは、貴族社会においては異端だ。

「女性なのに男装をしている時点で変わっているだろう。普通に令嬢として暮らせばいいものを、庶民の定食屋で働いたりもしているだろう? 寮では管理人の仕事を手伝ったりしているし、普通の令嬢ではないだろう?」

「そういう意味で、普通ではなく、変わっているのですね。」

 納得をした様子でローズは答えた。

 美少年ロータスの姿に見慣れているシャーロットは、エリックの言う、普通の令嬢姿のローズを想像することが出来なかった。

 見てみたいとは思うけれど、その姿のローズは笑ってくれるのだろうか。笑うことが出来ない格好を本人にさせるのは気が引けた。

「学費の事も、寮の費用も、公爵家から援助できなくはない。シャーロットお姉さまのお礼として、な。」

 意味ありげにエリックは微笑んだ。どういう意味だろう。シャーロットはまさかな…と眉を顰める。

「手切れ金、ですか?」

 ローズがさらっと口にした言葉に、エリックは「そうとも言える、」と答えた。

「その金で関わりを絶ってくれても構わないし、女性の姿に戻ってくれて、シャーロットお姉さまを支える立場になってくれてもいい。どっちに転んでもお姉さまの醜聞は消える。こちらとしてはいい条件なのだけどね。」

「男装を続けたいなら手切れ金、女性の姿に戻るなら支度金、ですか…、」

 少し考えるそぶりをしたローズに、シャーロットは、「支度金として貰っちゃって、ローズ、」とつい声を掛けてしまう。

「あはは、姫様は優しいですね、坊ちゃまも優しい。なんで公爵家の人達はこんなに親切にしてくれるんだろう。私、これまで生きてきて、親切にしてくれる他人には滅多に出会わないですけど、公爵家の人はみんな親切ですね。」

 ローズが泣き笑いをして、涙をそっと拭った。

「お気持ちは嬉しいですが、ない物ねだりはしませんし、女性の姿に戻るつもりはないですね。今更女性の姿で学生生活を楽しむとか思ってもいないですし、結婚も希望してません。」

「どうして、言い切ってしまえるんだ?」

「私には、ななしやを大きくするという野望があります。こんなところで立ち止まっていては、やりたいことが出来ないんです。助けてくれてここへ来させてくれた義理の兄には感謝してますが、私が貴族として嫁いでも、兄上にいい見返りがあるとは思えません。むしろ成人して私が早くあの家を出た方が、兄上にとっても自由になれそうな気がします。」

「ローズは…、結婚に価値のある貴族の社会よりも、自由に価値のある庶民の生活の方が好きなのね?」

「そうです。姫様…、小さい頃から姫様と関わることで、貴族の姫君の生活も何となく知ってますから、綺麗なだけの世界じゃないことも、美しいだけではいられないことも知ってます。庶民の生活は綺麗なことよりもつらいことの方が確かに多いけれど…、試せるチャンスがあるんです。自由もあるし、夢もあると思います。」

 私にはない世界だなと、シャーロットは思った。猫を被らないと自分が保てない生活をしている。本音なんて思ってるだけで口にはできない。やりたいことがあっても立場を先に考えてしまって自由に動けないし、夢はきちんと伴侶の子孫を育むこと、なのだ。自分自身がやりたいことなど考えたことなどなかった。

「ここでこうやって会って話してくれるなら、友達を続けてくれる?」

 シャーロットはローズとのつながりを断ち切ることはできないと改めて思った。

「ロータス、いえ、ローズ。あなたの夢は…、私の夢。あなたの自由は私の憧れ、それで納得してほしいな。」

「お前は普通に可愛い顔をしていると思うんだが…、そんなに覚悟が固いなら仕方ないな、」

 エリックは呆れたように言った。

「やっぱりお前は変わっていると俺は思う。でも、そういうのも悪くない。」

 弟の表情が、シャーロットには父の表情に似ていると思えた。父も話を聞いてくれて、結論を断定せずに、肯定してくれる。

「では、時間になりそうなので、私は先に失礼しますね、」

 時計は五分前を示していた。

 ローズが席を立つと、「姫様は時間をおいて出てきて、」と、シャーロットに時間差で帰ることを提案してきた。

「噂になってはいけません。」

「そんなに気にしなくていいのに…、」

「気になります。あなたは私の姫様なんですから。」

 ローズが笑った。「どうか、私にはできそうもない貴族のお姫様のあなたのままでいてください。」

「だってさ、シャーロットお姉さま。」

 シャーロットは無言になって、唇と噛み締めていた。口を開くと泣きそうだった。

 あなただってお姫様じゃない。ローズに言いたかった。女の子なんだから、腕に消えないような傷を作らなくてはいけないような夢を追いかけないで、私の傍にいて。

 そう言えたらよかったのに、シャーロットには言えなかった。友達だから、応援したい。

 そう思っていても、この先も消せない傷を作るかもしれないローズを、心から応援することもできないでいた。

「じゃあね、姫様。」

 手を振ってローズが部屋を出ていくのを、涙を我慢して頷いたシャーロットに、エリックが、「泣きたいなら泣けばいいのに、」と呟いた。


「シャーロットお姉さま、ミチルの事を調べたのか知りたいんだろう?」

 エリックは涙を拭って自分の頬を叩いたシャーロットに、ニヤニヤしながら近付いてきて、言った。

「調べたに決まってるだろう。当たり前だ。」

「で、どうだったの?」

「ご存知の通り。」

 はっきり言わないのがエリックらしい。

「毎日日替わりで大変だなーと、思って見てるよ?」

「ミチルのこと、知ってて揶揄ってるってこと?」

 知っててあの態度なの?! シャーロットは目を見張った。

「当たり前だろう。将来の王様だぞ。知ってて触るし、知ってて揶揄うに決まってるよ。そのうちにシャーロットお姉さまの伴侶となる人間が、女装までして婚約者を守りに来てるんだぞ。俺は毎日感動してるよ。」

 あれ、そういう感じなんだ…、シャーロットは気が抜けてしまった。えらくミカエルに対して好評価に聞こえた。

「エリックって、前、交換会の時に、サニーと結婚してくれって言ってたじゃない? あれは…?」

「そりゃね、国内の地盤を固めるよりも海外の王族との縁故を作った方が、俺が考えている未来の公爵家の繁栄の軌跡には必要だからな。」

「未来の公爵家の繁栄の軌跡?」

 初めて聞くエリックの考えに、シャーロットは驚きを隠せない。

「毎年避暑に行く度に思ってたんだ。もっと貿易港を整備して海外の販路を広げて、豊かな領にしたいって。そのためには国内の王族とよりも海外の王族との縁の方が俺には価値があるし、その縁故を取り持つ重要な絆にシャーロットお姉さまがなってくれるなら、とても助かる。」

「それは…、もしかして、」

「ああ、お父さまも同じ意見だし、お母さまも、だ。だから、シャーロットお姉さまの婚約には公爵家としてはあまり乗り気じゃなかった。今更でも破棄できるならしてくれた方がありがたい。シャーロットお姉さまを欲しがる海外の王族は沢山いるし、富豪達もいる。こちらとしてはそうなって欲しいくらいだ。」

「でもさっき、婚約破棄されたら困るって言わなかった?」

 エリックはローズにそういった気がする。

「当たり前だ、身内の事情をよその者に話してどうする。ローズが真に受けて婚約破棄になるような行動をしてみろ、結局損をするのは俺だぞ。」

「つまり、身の潔白を証明しつつ、こちらに落ち度がない綺麗な状態で穏便な婚約破棄を望んでいるのね。」

 そんなことありえるのかなー、シャーロットは疑問に思う。

「そうだ、できればミカエル王太子殿下に愛人疑惑が浮上して、お姉さまが泣く泣く身を引かざるを得ないような切ない恋の終わり方が理想的だ。」

 それって、ゲームのシナリオに近いんじゃ…、ミカエルとローズがくっついたらそうなるんじゃ…。シャーロットは目の前が真っ暗になる気がした。

「だけど、ミカエル王太子殿下に愛人ができる気配がない以上、このまま現状維持でシャーロットお姉さまは結婚まで話が進んでいくんだろうなと、今の段階では思っている。もし可能なら、いつでも婚約破棄してくれても大丈夫だとは、判っていてほしい。」

 エリックは部屋のドアを開けて、向こう側の廊下の壁に凭れて待っていた男子生徒を部屋の中に入れた。

「シャーロットお姉さま、彼が同室なんだ。この9月から統治コースに編入学してきた。教室にいたのを知ってるだろう?」

 シャーロットは視線を逸らす。まさかなとは思ったけれど、ほんとにそうだったとは…。

「やあ、シャーロット、久しぶりだね。」

 美しい顔に妖艶な笑みを讃えた背の高い彼は、長い白銀の髪を耳にかけ、碧い瞳で優しくシャーロットに微笑んだ。日によく焼けていて、鍛えている逞しい体つきは見覚えがある。

「ブルーノ、」

 夏の避暑地で知り合った彼を、シャーロットは知っている。エリックと散々遊んだ相手だった。彼が散歩するエリックとシャーロットに声を掛けてきたから、こんなに日焼けすることになったのだった。

「君を追いかけてこの学校へ入ったんだよ?」

 そう言って、シャーロットを抱きしめて頬に口付けた。

「泣いたのかい? かわいそうに。」

 ブルーノ・ペンタトニーク。領地の貿易港の最大の取引相手の海運王の息子だった。七つの海を束ねる海運王は、海に浮かぶ諸島の小さな公国を買った公主でもあり、ブルーノは公爵家令息でもあり王子様でもあった。

「放して、ブルーノ、」

 シャーロットが手を解こうとしてもピクリともしなかった。半分船乗りな彼は、騎士コースに向いているんじゃないだろうかというくらい鍛えている。

 シャーロットの頭を撫でて、しっかり抱きしめて離そうとはしなかった。

「シャーロットがキスしてくれたら考えるよ。」

 くすくすと笑ってキスをせがんでくる。

 このノリ、さんざん付き合わされたんだよね…、シャーロットは思う。

 シャーロットが背伸びして頬にキスすると、「この程度の事、僕の国では挨拶みたいなものなのに、みんなすごく大袈裟に捉えるんだよね、」とシャーロットより頭一つ分は背が高いブルーノは笑う。

 そりゃこの国はあなたの国とは違うからね。そう思ってもシャーロットは黙っておいた。国が違うからともっと過激な事をされても困る。

「部屋に帰るわ、」と言えば、「泊まっていけばいいのに、」と答えるブルーノを無視して、エリックに感謝を伝えて部屋を出る。

 部屋に帰ったシャーロットは、即シャワーを浴びて髪を丁寧に乾かし、実家の美容担当の侍女に勧められた美白効果があるという自領の名産物である温泉地の美容液を、全身にたっぷり染み込ませて眠ったのだった。

 日焼けしてらしくない自分も嫌だったけれど、流されて嫌と言えない自分も嫌だった。


 シャーロットが眠ってしまったその夜のうちに、ローズが真っ青な表情で管理人室から飛び出して行った。シャーロットは夢の中にて気が付かない。

 ななしやを含む街の東側にある広場近くの裏通りは、火の中にあった。

 残暑で乾燥した街はよく燃えて、消火活動は明け方まで続いたのだった。

ありがとうございました。

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