<2>美少年が美少女になるのは「アリ」なようです
頭痛を覚えながら屋敷に両親と帰ったシャーロットに、一人で留守番だったエリックが噛み付いた。
「いーよなーシャーロットは。お出かけ羨ましーなー、」
母に似て白銀髪に父に似た翡翠の瞳のエリックが、唇を尖らせて文句を言っている。
ミカエルは、エリックも恋愛ゲームの攻略対象者などと言ってたな…、シャーロットはぼんやりと思い出す。
この弟が、恋愛? はっ、笑っちゃうね、と、令嬢にあるまじき感想を口に出しそうになる。
確かにエリックの顔立ちは美人と誉れ高い母に似ているし、父に似て背も高くなるだろうけれど…。
「おい、きーてんのか、シャーロット、」
「そんなに行きたきゃ、エリックが婚約したらよかったんじゃないの?」
シャーロットは無間にしわを寄せて睨みつける。
「エリックでも婚約できるんじゃないの?」
ミカエルの女装姿を思い浮かべながらシャーロットは言った。
「な、ナニ馬鹿なこと言ってるんだ、シャーロット、」
エリックは女装したミカエルを知らない。そりゃそーだろーなーとシャーロットは思う。
「シャ、シャーロットお姉さま、間違っても婚約破棄なんかするんじゃないぞ、」
慌てたように言って、エリックは自分の部屋に逃げていった。
ばっかじゃないの、とシャーロットは思ったが、さすがに令嬢がそれを口にするのは駄目だろうと自分でも思ったのでやめておいた。
いかん、いかん。
シャーロットは少しだけ反省する。エリックが口が悪いのは海の向こうの異国に遊学していた祖父の影響だけど、シャーロットが使いこなしているのは影響に加えて性格ゆえのことだった。シャーロットは大きな猫を被っている。
父と母が、シャーロットを呼ぶ声が聞こえる。そういえば絵姿を描いてもらうんだった、と気持ちを切り替える。顔の筋肉を解して、笑顔を作る練習をするシャーロットだった。
シャーロットがミカエルの部屋にいる間に大人達によっていろいろ決まったようで、15歳の寄宿学校入学までシャーロットはお城でミカエル達と学ぶ事になった。ガブリエルもラファエルも王女として教育を受けるので、ついで、という事らしかった。
週4日お城に通う事が決まってしまって、シャーロットとしては不満だった。
「家にいて好きな事をして適当に学びたいわ、」
自分の部屋で、遊びに来ていたロータスを捕まえて愚痴を零す。
ロータスは平民で、本来なら遊びに来れるような身分ではない。シャーロットよりも背が高くて手足が長くてきれいな顔立ちをしている。こざっぱりとした衣服を着ているが、長い手足に着る物の丈が追い付いていなかった。
「仕方ないよ、姫様は王子様と婚約したんだろ? 王太子妃教育とかいうやつなんじゃないの?」
「あら、ロータス詳しいのね、」
意外な知識にシャーロットは驚く。琥珀色の髪に優しい焦げ茶色の瞳のロータス。不思議な、ロータス。
「そういえば、あなたに初めて会った時も、なんだか不思議なこと言ってたものね、」
ロータスとシャーロットは町の教会の孤児院のバザーで知り合った。孤児院の子供ではないけれど、ロータスはバザーを手伝っていた近所の子供だった。シャーロットは公務として慈善事業に参加していたのだった。
「なんだっけ、ランニングコストがどうのこうの…、?」
「そんなこと言ってたっけ?」
ロータスは、忘れちった、と舌を出して笑う。
「今日は何を持ってきてくれたの、ロータス。」
時々シャーロットはロータスにお小遣いを渡して、街で流行っているものを買って来て貰っている。いつも多めに渡して、手間賃代わりに残りはあげていた。
「今日はこれ。姫様、こういうの、お好きでしょう?」
紙袋の中から丸く膨れ上がった布の袋を取り出す。
「ポプリっていうんだって。この布の袋の中に香草や薬草が入ってて、いい匂いがするんだって。姫様の分はこれね。」
「ありがとう。」
シャーロットの手のひらに、赤いリボンで結ばれた可愛らしい袋が置かれる。
「あなたの分は買ってきた?」
「もちろん。ありがとね、姫様。」
シャーロットは緑色の袋に黄色いリボンの結ばれた、清々しい色合いの袋を摘まむ。
「ばあちゃんにあげようと思って。」
「おばあちゃま、お加減悪いの?」
「元気元気。笑いながら、持病の腰痛が~、って言ってるよ、」
ロータスは笑った。
「そう、元気ならよかった。」
シャーロットは、先日聞いたローズと育ての親の話を思い出す。どこでも苦労してる人はいるんだなと思う。
「私にできる事があったら言ってね、」
シャーロットはロータスの手を握る。
「私、ロータスのお友達だもん。」
「気持ちだけで十分だよ、」
ロータスは笑う。
「庶民が友達なんて、変な姫様、」そういって笑った。
シャーロットがお城で学ぶようになってまずびっくりしたのは、普通にミカエルが女装して普通にラファエルやガブリエルと学んでいたことだった。
可愛いリボンがたくさんついた可愛いドレス姿の、ミカエルの隣に座るように言われる。
「な、なぜそのような…?」
女装を王子に指摘するわけにもいかずシャーロットはあいまいな指摘をしたのだけれど、ミカエルには通じたようで、「ああ、そんなこと、」と笑われる。
「この子はこれでいいのよ、」
姉であるラファエルが代わりに答えた。
「似合ってるからいいのよ、」
妹であるガブリエルも微笑む。
そういうもんなの? とシャーロットは思うけれど、教える講師もにこにこ笑っているし、メイド達も何も反応はなかった。
「じゃあ、私もそれでいいと思います…」
「あ、民主主義に負けちゃったね、」
ミカエルが面白そうに言う。
「変だと思うなら変だと言えばいいのに、シャーロットって気ぃ使いーだね。」
「な、なんですか、その、気ぃ使いーって。」
馬鹿にされたような雰囲気だけは判った。シャーロットは顔を赤くして反論する。
「妖怪だよ、よ・う・か・い。」
ようかいってなにー?! と思うけれど、静かな学びの場で騒ぐわけにもいかず、シャ-ロットは言葉を飲み込んだ。
終始こんな調子のミカエルと、それを違和感なく受け止めているガブリエルとラファエルに、私がおかしいのかしらとシャーロットはときどき思うのだった。
しかも家に帰ると、煩いエリックの構ってほしい攻撃に押される。
「今日は基本学校でこういうこと学んだんだぞ!」
ノートや本を持ってきたエリックに捕まり、しばらく話を聞くのだ。
基本学校は週3日の登校で課題が多いけれど、規定量こなしてしまえば飛び級で卒業できた。
「さっさと終わらせてシャーロットお姉さまと同じ学年になるからな!」
エリックの目標にも、あ~はいはいと聞き流すシャーロットだった。
シャーロットはミカエルのことを思い出し悩むこともあった。
世間一般で言う王子様らしい王子様と、ミカエルはどんどんかけ離れていっているように思えた。でも、シャーロットには、ミカエルが可愛くて胸がキュンキュンしちゃうのだ。
チャーミングな笑顔も背が低いところも、細くてすばしっこい身のこなしも、猫のように気ままな性格も、シャーロットにはツボだった。
それが世の中の男らしさとか王子様らしさとかいった理想とは違うこともシャーロットには判っていたけれど、注意する気も矯正する気もなかった。
ミカエルが可愛すぎて、そんな気はどこかに行っちゃうのだ。
「いかん、このままではいかん…、」
他の者に聞こえないようにお風呂でシャワーを流しながらつぶやく独り言が、シャーロットの精神安定剤だった。自分の中の常識と戦う時間だった。
15歳で寄宿学校に入るまでの間に、シャーロットは確かに淑女にはなったし王太子妃教育も受け将来の国母となるべき品と教養を身に付けたけれど、それはすべて、精神的に鍛えられたからに違いなかった。
いつの頃からかロータスとはすれ違うようになり、会えなくなっていく日々に、ロータスも異性を意識するようなそういうお年頃なのかしらとシャーロットは思っていた。
シャーロットは髪も伸び体のあちこちは丸みが帯び、女性らしい体形になっていた。
ミカエルは相変わらず可愛らしくて、でも、男の子だから胸は平坦なままで、身体つきは次第に男性の骨格になっていた。それでも可愛らしいドレスは止めようとしなかった。背があまり伸びていないからかもしれない。
「だって、この方が似合うんだもん、」
寄宿学校の入学式にドレスで行こうと支度していたミカエルに、さすがにシャーロットは「違う服着てみたら…?」と提案してしまった。
ミカエルは途端に膨れっ面になる。
「お姉さまがいくら先に入学してるからって、シャーロットがいないんだよ、僕、どうしたらいいのさ、」
「どうしたらも何も…、」
普通に男の子の制服で通えばいいんじゃない? とシャーロットは思ったがやめておいた。普通って何? と以前半べそかいたミカエルに逆切れされたことがあった。あの時はミカエルの泣き顔が可愛すぎて、何も言えなくなってしまった。
「シャーロットが一緒にいてくれないんじゃ、学校なんて通わない。」
「ミカエル…」
大人になろうよ…と言いそうになったがシャーロットは我慢する。
「あら、お母さまいいこと考えちゃったわ、」
王妃が手を叩いて閃いたことを話す。こういう閃きはろくなもんじゃないとシャーロットは思ったが、国母のいう事だ、一応聞いてみる。
「入学式だけ出て、そこから休学しちゃえばいいんだわ。体調不良とでも王家の事情とでも言って、来年シャーロットが入学してきたら復学しちゃえばいいのよ。」
普通に進学諦めたらいけないんですかね…?とシャーロットは思うけど、王家の人間が自主退学とか前代未聞で揉めそうだなとも思うので、それもそうだなと丸め込まれる。
「それ! いいね、それ! お母さま、何とかなりそう?」
ミカエルは手を叩いて喜んでいる。
「なるなる~、してみせる~。」
軽いノリの親だな~とシャーロットは思うが口には出さない。一応この人は国母だ。
はっ、一応とは思ってはいけなかったと、シャーロットは一応反省する。
文句を言いつつも男子生徒用の制服を着て入学式に出席したミカエルは、その後すぐに体調を壊し王族用のサナトリウムで休養していることにして、本当にお城に帰ってきてしまった。
「男の子の制服ってズボンなんだよー、嫌になっちゃう。」
ドレスに着替えながらミカエルは嘆いた。
部屋にシャーロットがいても、お構いなくでミカエルは着替えてしまう。二人はすっかり気を許した同性の様な関係になっていた。
着替えを手伝うメイド達も何も言わない。
「またしばらくよろしくね、シャーロット、」
嬉しそうに笑うミカエルに、「ええ…、」とあいまいにシャーロットは微笑んだ。
どう見ても女の子にしか見えないミカエルが、本当にこの先恋愛ゲームの攻略対象者になんてなれるんだろうか。
そう思ったけれどあのエリックもそうなるらしいし、このゲームを考えた人、やっぱりなんか変、とシャーロットは思うのだった。
15歳になったシャーロットは入学の許可が下りたので、寄宿学校に入学することになった。基本学校を優秀な成績で飛び級して終了したエリックも、同じ学年で入学することになった。
エリックはシャーロットよりも背が高く、昔よりは言葉遣いも行動も荒々しさがなくなり、黙っていれば多少は美少年に見えた。
同じ寄宿学校に通っていても、兄弟だからと言って部屋が同室になるわけではなく、女子は女子、男子は男子で寄宿棟が違った。
「王族用の部屋は男子棟と女子棟の真ん中にあるんだよ~、遊びに来てね~。」
女子の制服を着て女装したミカエルが、堂々とシャーロットの部屋に遊びに来た。可愛い女の子が勝手に部屋に入ってきたのかとびっくりしたシャーロットは、思わず手にしていた目覚まし時計を床に落としてしまった。
「ミ、ミカエル?」
何で女子の制服っていうか、私と同じ制服着てんの? と思ったが、深く突っ込むのはやめておいた。ラファエルのを着ている可能性がある。ラファエルは最上級生だった。まだこの学校に通っていた。
「ミカエルじゃなくてミチルー。ミチルって呼んでー。ミ・チ・ル。」
「ミ、ミチル、」
そういやー昔そんなふうに呼べと言われた気がしたな、とシャーロットは首を捻る。婚約式だったっけ?
「ありゃ、目覚まし時計壊れちゃったね、」
ミカエルが針が動かなくなってしまった時計を手にする。木目を白く塗った置時計で、小さなコノハズクのマスコットが付いていた。
「これ、昔、僕がシャーロットにあげたやつだよね。」
ロータスの話をした時に、そんなの僕の方がいいもの見つけてこれるもん、とお城からお忍びで抜け出し、お土産にくれた目覚まし時計だった。ばっちり町娘の格好をして出かけたミカエルは、とびきり可愛かった。もちろんあの姿を思い出すだけで、シャーロットはまたキュンキュンしてしまう。
「懐かしーねー。」
「そうですわね。」
シャーロットは心の中ではいろいろ思うけれど、基本的に丁寧な言葉遣いで生活していた。お城での王太子妃教育の賜物である。
「これから毎日僕が起こしてあげようか?」
王族以外の生徒の部屋は基本二人部屋である。シャーロットの相棒となる女子生徒はまだ入寮していなかった。公爵家令嬢のシャーロットと身分の釣り合う女子生徒が見つからないのかもしれない。
「ミチルは女子生徒でしたかしら?」
男だよねー? とシャーロットは睨む。
「女子寮に男性は朝から入れないと思います。」
「ねえシャーロット、」
ミカエルはおねだりをするように、シャーロットにすり寄る。
か、可愛い…、シャーロットは身悶えしそうになるが我慢した。
「ミチルで申請してみて、通ったら入ってもいい?」
出来るもんならねと心の中では思い、鼻で笑うシャーロットに、ミカエルは可愛くウインクした。
「王族パワー、舐めてるね、シャーロット。」
にやにやとミカエルは笑う。
ミカエルは本当にミチルで申請したらしい。
どういう訳か申請は通ってしまい、シャーロットは架空の女子生徒ミチルと相部屋になってしまった。
「うそでしょ…?」
架空の女子生徒ミチルはシャーロットと同じクラスに転入してきた。
架空ではなくなり、異国からの転校生ミチルという女子生徒が存在することになった。
ありがとうございました