<19>ヒロインをゲームのヒロインに戻らせましょう!
ミカエルとシャーロットの二人の間での新学期の計画は、ローズをゲームのヒロインに無理やり戻そうというものだった。
シャーロットがローズに関わることで、ゲームの攻略対象者と繋ぐ役割となるとミカエルは予想していた。昨日の夜は二人でその計画を詰めていたのだ。
「ガブリエルの存在がこの先、カギになりそうだよね。」
ミカエルが、昨日二人で作った予定進行表を机の引き出しから持ってくる。
「まさかの妨害宣言とか…、どうしよう、困ったね。」
予定進行表だと、シャーロットがローズの学生寮での仕事を手伝うことでローズの負担を減らしたり攻略対象者を釣ることが出来るだろうとミカエルは予想していて、ローズが他の攻略対象者との接触が増えるだろうと期待していた。回りくどいやり方にはなるけれど、何もしないよりは接点ができる。今のままだとローズは誰とも接点がなかった。
「今日、ローズがせっかく話し掛けてくれたのに、ガブリエルがまさかの妨害なんて…、びっくりしたね、」
「あれには、驚いちゃった…、ローズが慣れてるみたいな顔をしてたのが、悪いことしたなあって思えて、ちょっと気になるわ…。」
「そうだね…、男性とは口をききませんって女性、確かにいるからねえ。でも、どっちかというと、ガブリエルは身分が高いから自分とは話をしてくれないんだって、思われたように見えたけどなあ。」
ミカエルの言葉に、シャーロットが傷付いた。
「そんな…、ローズだってちゃんと同じ学校の生徒じゃないの…、」
「ローズはななしやで働くような庶民の女性なんだよ? 今までだって平民ってだけで僕達が知らない苦労もしてきてるだろうし、女性であることを隠して働いているくらいだもの、いろんなつらい経験をしてきてるんじゃないかな。」
ガブリエルもローズもいい子なのに。立場がそうさせているんだろうか。シャーロットは悲しい気分でミカエルを見つめた。
「そんな顔しないで、シャーロット、」
優しくシャーロットの頬を撫でて、ミカエルは微笑んだ。
「大丈夫、ローズには何とかしてヒロインの道まで戻ってもらおうよ。シャーロットばかりゲームの進行役なんて、大変じゃない? ガブリエルの事はあんまりひどいようだったら、ローズの事を打ち明けてしまえばいいよ。同じ女性だもの、理解してくれるよ、」
そんな生温い状況じゃない気がするんだけどなあ。シャーロットは思った。女性だからこそ、男装をしている理由を聞きたがるだろうし、なぜ女性用の制服を着ないのかと、しつこく食い下がってくる可能性だってあるだろう。
「計画通り、ローズの寮の仕事を手伝えるように努力はしてみるけれど、明日、ミカエルってどっちに行くの? 1年生? 2年生?」
「予定では2年生。」
「ガブリエルと二人で一日行動するのね…、お昼ご飯は一緒に行けそう?」
「そのつもりで何とかする、」
立場のある王子様と潔癖な王女様とお昼ご飯かあ…。シャーロットは憂鬱になる。
「ミチルがいいな。いっそのこと購買でパンでも買って、お昼休みに中庭でミチルとローズと一緒にご飯にしちゃう?」
ローズが女性だとミチルに伝えたのはシャーロットだ。ローズはミチルと面識がある。ローズとミカエルとは会釈程度の関係である。
「あ、駄目、シャーロット、ローズと会う日はミカエルの日にして。」
「どうして? 」
「また美少女転校生と公爵令嬢が男子生徒を巡って恋のバトルとかって、噂になっちゃうじゃん!」
「ああ、そんなのもあったわね…。」
それを考えると、ミカエルがミチルの格好をしている時はミカエルはミチルという女子扱いなので、ミカエルとしてのミカエルがいる時の方が恋のバトルと噂されないのだろう。
「ミカエルとミチルが同一人物だって、ローズにはバレてそうなんだけどなあ…、」
「なにそれ、」ミカエルは慌てて座り直した。
「あれ、前にハーディ・ガーディのあてっこした時の話し、してなかったっけ?」
「黒子で見分けたやつでしょ…、聞いた気がする。」
「あの時、ローズは顔覚えるのが得意って言ってたわ。」
「そんなんでバレちゃうのかな…、」ミカエルは納得がいかない様子だった。
「本人に聞く手段もないし、困ったわ。」
「ほんと、困ったこと尽くしだよー。」
ミカエルは肩をすくめた。「手っ取り早く解決するのは僕と君がさっさと結婚してしまうのが一番楽なんだろうけど、まだ学生なんだよね、僕達。」
シャーロットは結婚はまだ早いと思っている。まだ15歳だ。世間も自分も、知らないことだらけなのだ。
「私、できるだけのことはやってみるわ。ローズに何とか近付けれるよう努力してみるわ。」
シャーロットは思う。悪役令嬢にはなりたくないけれど、ヒロインにもなりたくはないのだ。
「よろしくね、僕のお姫様。」
チュッと音を立ててミカエルがシャーロットの頬にキスをした。
久しぶりのキスに、シャーロットが真っ赤になってしまったのは言うまでもない。
寮の仕事をしているローズを捕まえて話をすればいいんじゃない? と悩んだ末に思いついたシャーロットは、寮の管理人室の近くの廊下でローズを待ってみることにした。待ち伏せをするのは気が進まなかったけれど、ローズを教室で捕まえようとするとガブリエルがいるので無理なのだ。
あまり自分の部屋から出たがらないシャーロットは、部屋着で出歩くこと自体が少なく、動きやすいように今日は分厚い白色の半袖の男性用の大きめのTシャツに黒いスパッツを履いていた。避暑地でエリックがお土産用に買ってきたTシャツで、エリックと色違いのお揃いだった。胸に大きく異国の文字がくねくねと描かれていて、ピンク色で『良い旅を!』と書いてあるらしい。最初エリックのセンスに辟易していたけれど、着てみれば部屋着に向いていたので、なんだかんだ言いつつよく着ているのである。
廊下を通る生徒の視線に耐え続け、ようやく、バスケットをいくつか腕に下げて管理人室に戻ってきたローズに会えた。長袖の白いシャツに茶褐色のズボン姿のローズは、紺色のエプロンを身に着けていた。
「姫様、何やってるんです?」
何って…、ローズ待ってたんだよ…、と、視線に耐え続けて精神的に疲れたシャーロットは項垂れそうになる。いかんいかん。
「ロータスを待ってたんだ。今日はごめんね、」
まず、ガブリエルとのことを謝っておきたかった。
「ああ、そんなこと。大丈夫ですよ? 男装しているとよくある誤解ですから。」
「そういうもんなの?」
「そういうもんですよ?」
にこにことローズは微笑む。「もしかしてだいぶ待ちました?」
ええ、と言いそうになるけれど、シャーロットは微笑んで、「さっき来たところよ、」と伝える。
「荷物持とうか、ロータス?」
手を伸ばして受け取ろうとしたシャーロットに、ローズは首を振る。
「これは私の仕事なんで、大丈夫ですよ? むしろ公爵令嬢に手伝わせたら、あとでどんな噂を流されるか。恐ろしいったらありません。」
「噂…、もしかしてミチルが一緒の時、近寄ってこないのって、あの、取り合ったとかいう噂を聞いたりした?」
無言で微笑むローズに、あ、聞いたんだ、とシャーロットは悟った。
「気にしなくていいのに…、あなたは私の大切なお友達なのに。」
「姫様がそう言ってくださっても、世の中はそうは思わないんですよ?」
そんな、とシャーロットが言いそうになった時、管理人室のドアが開いて、管理人のおばちゃんと目が合った。奥には部屋が広がっているようで、おばちゃんの肩越しの廊下にいくつかドアが見えた。
「あら、話し声が聞こえると思ったら、ロータス、帰って来たんだね。こちらはシャーロット様じゃないか。お嬢様、何か御用ですか?」
「管理人のおばちゃん、こんばんわ。夜分にごめんなさい。用は、ロータスにあって、少しお借りしてもいいですか?」
管理人室の窓口の時計の針は9時を指している。
「ええ…、今日の仕事はもう終わりの予定なので、あとは急ぐ仕事ではないですし、大丈夫ですよ? ロータス、休憩も兼ねていってらっしゃいな。」
「ありがとうございます。では、遅くならないように行ってきます。」
ロータスがにこりと笑って礼をすると、おばちゃんはバスケットを受け取り、微笑んでドアを閉めた。
「よかったの?」
念のためにシャーロットが聞くと、「ええ、」とローズは微笑む。
「あれは明日の朝の準備なんです。だから、大丈夫ですよ?」
管理人室は、学生寮の男子寮と女子寮とを繋ぐ中央階段の近くにある。中央階段の下は物置になっていた。カーテンのない剥き出しの窓から中庭が見えて、二人で空に浮かぶ三日月を見上げる。
「姫様、忙しいだろうに。こんなに待たせちゃってごめんね。」
「いいの、ロータスに会いたかったから来ただけの事だから。」
「姫様のその服…、どうしたんですか? ボンボヤージュだなんて…、どう見ても観光地のお土産ですよね。」
そうなの、その通りなの、シャーロットは口を尖らせる。「エリックの趣味なのよ。領地でお土産に買ったの。」
「坊ちゃまですか。同じクラスでご一緒させていただいて、毎度お会いする度に、お屋敷に遊びに行っていた頃を思い出して変な気分になります。」
「ふふ。懐かしいわね。」
「あの頃はこうやって、一緒の学校へ通えるなんて、思ってもみなかったですからね。」
「そうね。ねえ、ローズ、あのね、」
「その顔はお願いですか、姫様、」
付き合いが長いとすぐばれてしまう。シャーロットは自分がどういう表情をしてるのか気になった。おねだり顔をする事がないように、後でその表情をしないように練習するしかない。
「そうなの。あのね、ローズのお仕事をお手伝いさせてほしいの。」
「え、どうしてですか?」
「ローズが暇だともっと一緒にいられるでしょう?」
ローズが暇にならないとゲームの攻略者対象と接点が持てないでしょう? という本音は心の中にしまっておく。
「そうですね、でもほんと、手伝ってもらう事ないんですよ。もともと体動かすの好きですし、やっぱり間借りしている以上動けることは動きたいですし。」
「それでも…、何かない?」
「大丈夫ですよ。どちからというと…、姫様に手伝ってもらうと仕事がやりにくいというのもあります。一人だと人目を気にしなくてすみます。でも、姫様といると、なかなか…。手伝って貰うメリットというか、対価がないでしょう?」
対価は、時間、ではダメなのだろうか。シャーロットと過ごす時間だ。
「それに、公爵令嬢に手伝わせたと、悪目立ちしたくないですしね。」
ローズは微笑む。「そういって気にかけてくださるだけで十分嬉しいですよ? 今日だってこうやって会いに来てくださったでしょう?」
「それは…、」
学校では会いにくいからだ。そう思うと、シャーロットは自分の都合でローズに会っている。なんだか申し訳ない気がしてきた。
「ローズは、今もお昼休みは中庭にいる?」
「基本的にはそうですね。」
「放課後も、会える機会はある?」
「今日みたいに来てくだされば、何とかなりますよ?」
婚約をしたばかりに、今更のように監視の目がきつくなるなんて思ってもいなかった。
「ロータスから、ローズに戻ったりはしないの?」
女の子同士ならもっと会えるのに。シャーロットはどうしようもないと判っていても、聞かずにはいられなかった。
ローズは寂しそうに微笑んだ。
「姫様、ロータスでいると、ほんと、この世界は自由なんです。こういう手伝いも、女子の格好だとやりにくいですし、ななしやでも働きにくいんです。姫様も御婚約されてますね? そういう話もこの格好をしてるとないんです。学校でも、一人でいても目立ちません。」
「そんな…」
拒絶されたように感じて、シャーロットは躊躇ってしまう。
「姫様と仲良くしたいですが、姫様に迷惑になるなら、私は身を引きます。もともと身分の差があって、いつかはお別れする日が来るんだろうと覚悟してましたから。」
「そんな…、そんなのは嫌よ。」
日頃好き嫌いは言わないようにしているシャーロットが珍しく意思表示した。
公爵令嬢として寛容であるように躾られているから、嫌でも好きと笑って言えるシャーロットなのに。
「あなたは、私の大切なお友達なのよ? ロータスが男性だからなんなの? 邪な思いなんてないわ。ローズでいられないなんて世の中がおかしいわ。あなたがどんな格好だろうと、他人には関係ないじゃないの。」
絞り出すようなシャーロットの声が静かに響き、ローズはシャーロットの手をそっと握った。
「姫様…」
「なら、俺の部屋を使えばいいんじゃないかな、」
エリックの突然の提案に二人は飛び上がらんばかりに驚いた。
「え、エリック、なんなのいったい、びっくりするじゃないの…、」
「こんなところで二人で会っているから問題なんだろ、なあ、ローズ、」
ローズ?! 驚いたシャーロットにエリックは呆れたように答えた。
「俺を誰だと思ってるんだ、シャーロットお姉さま。次期公爵だぞ。近付いてくる人間を調べるのは当たり前だろ?」
シャーロットと色違いの黒いシャツを着てゆったりとした白いズボンを履いたエリックは、ズボンの両ポケットに手を突っ込んで、背を向けた。
「早く来いよ、」
弟の部屋にローズと行くことになろうとは思ってもいなかったシャーロットは、ローズと顔を見合わせて黙って歩き出した。
もちろん、『勤労男子学生が公爵令嬢と逢引きしていた現場を弟の公爵令息に見つかり、自室に呼び出された』という噂が立ってしまったことなど、知る由もない。
ありがとうございました