<17>悪役令嬢は猫かぶりを忘れてしまいそうです
「一つの国から二人も妻を迎え入れたりしたら、他の国や自国の貴族との均衡が保てなくなるでしょ? だから無理よ。」
取り繕ったように慌てて、シャーロットは続けた。
「私とサニーはこれから先もお友達、が一番いい関係だと思うわ。」
サニーに念を押すようにシャーロットは微笑んだ。
「それは…、例えばですが、私がこの国に婿入りすればいいのではありませんか?」
「婿入りですか?」
目をぱちくりしてシャーロットは尋ねた。え、あなた、素晴らしい女性を自分の国に連れて帰るんじゃなかったの? と思わず突っ込みを入れそうになる。
「ええ、あなたと結婚するにはそれしか方法がないのなら、仕方ないですね。」
自国の王太子と婚約破棄してまで迎え入れたい婿にサニーはなるのだろうか? 跡取りの嫡子のエリックを押しのけてまでそうしたいとは思えない。シャーロットは首を傾げた。
「ん? そうすると俺は家を継がなくてもよくなるのか…?」
エリックは晴れたように嬉しそうな表情になった。
「例えば他国の姫と結婚することになってこの国を離れても、シャーロットお姉さまとサニーが家を継いでくれるのなら安心、という訳だ。」
「他国の姫?」
そんなもんあんたの知り合いにいたかしら? シャーロットは眉を顰める。
「そうですね、そういう事も可能になるでしょうね。」
「あのね、あなた達、肝心な事を忘れてるでしょ? ミカエル王太子殿下と婚約破棄した場合、私はこの国にいられなくなる可能性があるのよ?」
婚約破棄しただけで済むならまだましだろう、シャーロットは思った。やり方によっては断罪・婚約破棄・絞首刑コースが待っている。
「そういえばそうだった。そうなると、サニーとお姉さまが結婚してもこの国にはいられないから、俺はこの国にいなくてはいけないから、この国の貴族の娘と結婚するしかないのか…。」
「そうよ、エリック、よく判ってるじゃない。」
よしよしいい子だ、おかしなこと考えるなよー、とシャーロットはエリックに威圧するように微笑んだ。
「我が国に王子はあと2人います。異母兄弟とはいえ、弟達は信頼がおけます。妹達もそれぞれ嫁ぐでしょうし、この国から2人妻を迎えようと、特に影響はないと思いますけどね、」
なおも食い下がってこようとするサニーに、シャーロットは念を押した。
「あなたとはお友達です、サニー。やはりそれが一番正解なのです。」
だから、友達以上には進展しないしするつもりはないわ、シャーロットは紅茶を口に含んで、言葉を飲み込んだ。私は悪役令嬢になんてなるつもりはないもの。
お茶会がお開きになると、貰ったプレゼントを持って女子寮へ帰ろうとしたシャーロットに、サニーが声を掛けてきた。
「シャーロット、寮へ帰るんですか?」
シャーロットは明日家に帰る予定でいた。明日の朝食をミカエルととってから、学校へ行くミカエルを見送って家に帰るのだ。
「ええ、そのつもりだけど。」
「少し、少しだけ、お話したいことが…、一緒にいてはいけませんか?」
嫌よ、と言ってしまえたらよかったのだけれど、シャーロットにはそれが出来なかった。サニーの表情が切なそうで、つい流されてしまう。
「少しだけ、ですよ?」
エリックはもう食堂を出てしまっている。相変わらず逃げ足の速い弟である。
サニーは立ち話でもするつもりなのか、食堂のテーブルに凭れたまま、その場から動かない。あんまり目立ちたくないんだけどなあ…、シャーロットは少し諦めた気分で、向かい合う様に立ち尽くす。
少し浅黒い肌によく映える綺麗な紫色のアメジストのさざれ石のブレスレットを撫でながら、サニーはシャーロットを見ていた。
「お話とは、なんですの?」
シャーロットはこの人、普通にしてるとかっこいいんだけれど、何がいけないのか私とは合わないんだよね、何でだろうと思ってサニーを観察している。
二人は向き合ったまま距離を縮めずにいた。
「ミチル、と、仲いいですよね?」
「ええ。」
ミチルの話? 首を傾げたシャーロットに、サニーは続ける。
「先ほどのエリックの、他国の姫って、ミチルの事ではありませんか?」
「はい?」
シャーロットは驚きのあまり少し声が大きくなってしまった。ミチルが他国の姫?
「ミチルは出自が明らかにされていませんが、この国の王族と縁がある他国の姫なのでしょう? だからこの国の王族と顔がよく似ている。しかも他国の姫は、この学校にはミチルしかいません。」
え? 出自? この国の王族と縁がある? ミチルの細かい設定を知らないシャーロットは驚く事ばかりだった。シャーロットが知らないだけで、ミチルの存在はそういう風に解釈されているのかもしれない。
ちょっと…、今晩ミカエルに詳しく聞いてみよう…。シャーロットは憂鬱になってきた。まさか弟はミチルの事を、結婚を意識するような他国の姫と認識しているのだろうか…。
「シャーロットは仲がいいのでしょう? もっと私よりも詳しい事情を知っているのでしょうが…、あなたの事だから、知ってても本人が言うまでは、また何も言わないんでしょうね…。」
サニーは寂しそうに微笑んで、シャーロットに礼を言う。
「このカフスボタン、大切にします。ラピスラズリは私の国では、『あなたを守ります』という意味です。魔除けの石とされて、王族の儀式にも使います。」
やっぱり意味があるんだ…とシャーロットは思った。うっかりものを贈れないな、と苦笑いをする。
「もしかして…、私が貰った薔薇のイヤリングには意味がありますか?」
念のために聞くと、サニーはもちろんという顔をして答えた。
「薔薇は愛の象徴です。イヤリングやピアスは、私のもの、という意味です。」
えー、無理無理、もう絶対付けないから。シャーロットは心の中で即答する。
「愛の告白です、シャーロット。あなたを愛しています。」
サニーは身を屈めるとシャーロットに囁いて、「国を捨てる恋をしませんか?」と言った。
「身に余る光栄です。」
シャーロットは微笑んで、さよならを言った。
「新学期まで御機嫌よう、」
手を振リ立ち去るシャーロットに、サニーは黙って手を振って見送ってくれた。
あの人、ナニ考えてんのかさっぱりわかんない。シャーロットは寮へ帰りながらそう思った。
王族用の部屋に行くと、ミカエルは3人掛けのソファアの真ん中に座って優雅に本を読んでいた。聞けば課題の本なのだそうだ。
「せっかくシャーロットが来てくれてるのに、今晩は課題の読書とレポートで時間が取れそうにないんだ、ごめんね。」
ミカエルがすまなさそうに上目遣いで謝ってくれたので、シャーロットはキュンキュンしながら「いいわよ、気にしないで、」と微笑んだ。
「じゃあ、夕飯までは一緒にいてもいい?」
隣に座って、ミカエルにおねだりしてみる。ミカエルの横顔を眺めるのが好きなシャーロットは、つい微笑んでしまう。
「そうしてくれると助かる。今日の話も聞きたいし。明日は朝、僕が学校へ行くまではいてくれるんでしょう?」
「そうするつもりよ。朝ご飯を一緒に食べて、ミカエルを見送ったら帰るわ。」
「その後は…、シャーロットはバカンスだっけ? いーなー。」
「両親はともかく、一緒に行くのがエリックよ? 何もいいことなんかないわ。」
エリックと名を言ってみて、シャーロットは他国の姫の話を思い出す。
「あのね、ミカエル。ミチルの他に、他国からの留学生の女の子っているの?」
「いないんじゃないかなー? そういえば聞いたことないね。」
シャーロットが知っている他国からの留学生と言えば、サニーくらいである。
「今日ね、サニーがね、」
シャーロットは今日サニーから聞いた『エリックは他国から来た姫が好き』説を話した。もちろん交換会の事も話す。
話を聞いたミカエルは「え…!」と絶句して、しばらく考え込んでしまい、シャーロットも気まずくて黙り込んだ。
「あの、ミカエルが言ってた、ナオちゃんの…、頭を手で触るやつは、やっぱり好きな子に向けてやってたんじゃないの?」
シャーロットは独り言のようにミカエルに問いかけた。エリックは確か、ミチルの頭をぽむぽむとしていた。
「私と姉弟なんだから、趣味が似ててもおかしくはないけれど…、ちょっと困ったことになっちゃったね。」
「そだね。」
エリックは弟で、男性で、ミカエルは婚約者で王子様で、男性である。恋敵が弟とかよく判んないわね…とシャーロット思う。二人が結ばれる可能性はないと思うけれど、エリックはどういえば納得するのだろうか。
「新学期…、ガブリエルと私と、ミチルで行動することになっても、大丈夫?」
シャーロットはミカエルに確認する。ガブリエルをそれとなく手伝うということは、ミチルとも一緒に行動する。シャーロットといることでエリックはミチルに接触してくることもあるだろう。
「うーん、波乱の幕開け?」
唇に指をあて、ミカエルが苦笑いする。
「ミチルは他国の姫という設定ではないけど、まあ、そういう風に思われてるんならいいんじゃないかな? 何をやっても、王族ならある程度『王族だから』と納得してもらえるだろうし。あ、ちなみに、ミチルは特になんにも背景とか人物についての設定、決まってないから。」
「そうなの?」
「あのね、シャーロットとしか仲良くするつもりないのに、細かい設定なんか必要ないじゃん。自己紹介するつもりがまるでないんだから。」
そう言えばそうだなとシャーロットは思う。シャーロットといるからエリックが思わぬ形で引っかかっただけなのだ。いっそのこと、シャーロットが窓口になってしまえばいいのだ。
「シャーロットと一緒にいたいだけなんだけどなあ…、」
ミカエルが呟いた言葉は、シャーロットにとっても本音だった。ほんと、ミカエルと一緒にいられれば、それでいいのに。
避暑地でのバカンスで焼かないようにしていたけれど少し、いや、かなり日焼けてしまったシャーロットは、いっそのこと気分転換をしてみたらどうかしらと母に勧められて、髪を街で流行りの巻き髪にすることにした。
もともとストレートな長髪のシャーロットは、癖をつけるとすぐに癖がつく。ゆるく波打つような巻き髪を想像していたのだけれど、出来上がったのはかなりしっかりとした細かく波打つ広がった髪だった。
どうしてこうなってしまったのだろう。
「恐らく…お嬢様、かなり海風に髪を痛めておしまいになった御様子なので、かかりすぎて縮れてしまったのではないかなと…、」
申し訳なさそうに美容担当の侍女が説明する。
「予想外の事ですもの、仕方ないわ、諦めなさい、シャーロット、」
母が侍女の肩を撫でて励ましながら言う。
あの、お母さま、私も励ましてほしいのですが…とシャーロットはその様子を見て思った。
「シャーロットお姉さま、その頭はどうしたんです?」
くすくすと笑いながらエリックが、シャーロットの部屋の入り口で笑っていた。
「まるで爆発してるじゃないですか、」
「すっかり焦げてしまったエリックには、言われたくありません。」
日焼けして黒くなってしまったエリックをシャーロットも揶揄う。家では、猫を被り忘れて言いたい放題なシャーロットなのだった。
「新学期が始まってしまうのに、どうしましょうねえ。」
母と美容担当の侍女が困った顔をしていた。
「仕方ありません、毎日三つ編みでもして誤魔化します。」
鏡に映る自分の頭を見てシャーロットは諦め、解決策を提案する。結局、この髪形と付き合うのは自分なのだ。仕方ない。
「三つ編みか、編み込みの仕方を教えてください。」
朝から面倒なのを避けたいシャーロットはたいてい髪を梳かしただけで、括ったりはしない。休みの日は私服に合わせてポニーテールにしたりするけれど、基本何もしないのだった。
「そうですね、自分で編み込みが出来るように練習しましょうか。」
シャーロットは深くため息をついた。自立が基本の寮生活では自分の事は自分でするため、三つ編みも自分で編めるようにならなければならないのだ。
私、あんまり器用じゃないのよね…、シャーロットはエリックが例えた通り確かに爆発している自分の頭を見て、改めて溜息をつく。
編み込みという技を教えて貰う。
「頭の上から自分を眺める感じ、です、お嬢様、」
侍女がいう『感じ』がよく掴めない。
「よ、よく判らないわ。」
シャーロットは目を閉じて手探りで髪を編み込んでいる。
「お嬢様、お上手ですよ、あと少し、頑張ってくださいませ、」
「シャーロット、その調子よ、」
何度も解し直し、侍女と母に励まされながら編み込みを覚える。こんな技術、なくても生きていける気がしてならないわ…と思うけれど、そんなことも言っていられないのだ。
鏡の中の自分を思い出し、シャーロットは悩ましくなるのだ。細かく波打つ金髪に日焼けした健康的な肌色は、どう見ても貴族の令嬢というより避暑地で見かけたレモネード店の売り子だった。
「少しでも令嬢に印象を戻さないと、ね。」
母に言われて、やっぱり今の私は令嬢に見えないんだ…と落ち込む。初日に、エリックに誘われて海に散歩に出かけなければよかった。シャーロットは思う。散歩がきっかけで、出会った人達に道を聞かれたりお茶に誘われたり海に誘われたりと、かなり充実した休暇を過ごしたのである。避暑地で何もしないで休暇を楽しむというよりは、ほぼ快活に出かけ遊ぶ海辺の生活で終わってしまったのだ。
しかもエリックといつも二人で出掛けた。思い出はエリックとの日々だった。
「エリックと二人、仲がいいのも考えものね…、」
母の言葉に、違うから、それ違うからと全力で否定したくなる。
「あなた達のおかげで、海運王とは確かな伝手が出来たし、何度もパーティをしたおかげで領地内の有力者や避暑に来た貴族からは物凄く感謝されたけど、どうしましょうねぇ、」
母の溜め息にシャーロットも気が沈む。
学校行きたくないなーと、シャーロットは黄昏るのだった。
ありがとうございました。