<16>エリックルートでは別の王子を勧めてきます
王族専用の控室に入ると、ミカエルは追いかけてくる者がいないか廊下を確認し扉を閉めた後、部屋の真ん中で立ったままその様子を見つめていたシャーロットを抱きしめた。
「もう大丈夫だよ、」
シャーロットにミカエルは微笑んで、そっと唇を重ねた。離れていく唇が、名残惜しいとシャーロットは思った。
二人で並んでソファアに座り、メイドを呼んでお茶を頼む。
「シャーロット、入るわね、」
お茶のセットを積んだカートを押したメイド達と一緒に、ラファエルが入ってきた。青い異国の衣装が良く似合って美しいラファエルは、手に可愛い小さな黄色の花の沢山咲いた花束を持っていた。ミカエルとシャーロットを挟んで座り、ラファエルはシャーロットに微笑みかける。
「シャーロット、よく頑張ったわね、」
ラファエルは花束をシャーロットに手渡して、「実はこれ、私が今朝貰ったものなの、」と花束の花をよく見せてくれる。
「これね、よく効く眠り薬になる花なのよ。暑さでよく寝られない日は、これを紅茶に浮かべて飲むの。」
「へえ…、」
手で花をもぐように少し摘んで、揉むようにして、メイドが入れてくれた紅茶にパラパラと振りかける。シャーロットの分と自分の分とに浮かべて、ラファエルはカップを手に取り、紅茶を口に含んだ。
「今日は楽しいだけの夢が見られますように、」
ラファエルは優しく笑った。
紅茶は花の香りが加わって、少し薬草の様な複雑な香りがしていた。シャーロットは少し口に含んでみた。口の中が清々しいような苦い感じがする。沢山飲むには向かないお茶だなと思った。
「シャーロット、あなたとは付き合いが長いから妹のように思ってるし、あなたがミカエルを好いていてくれるのも知ってる。サニーと噂になってるみたいなことはないと知っているわ。でも、今日のあなた達を見た大人達は、また何か良からぬことを言い出しそうね。」
シャーロットはため息をついた。ミカエルと婚約していなかったら、サニーを好きになっていただろうか? 『たら』とか『れば』とかいう、仮定の話を考えたってどうしようもないとは知っている。
「誰か他に…、サニーの事を好いてくれる人が現れてくれたら、とは思います。」
「あれだけかっこよければいくらでもいそうなんだけれど、どういう訳かシャーロットにご執心なのよねえ…、」
ラファエルは考え込む。ミカエルは黙って、紅茶を手に話を聞いている。
「いっそのこと、ガブリエルを嫁がせちゃいましょうか?」
「ラファエル?」
「はい?」
驚く二人の顔を見て、ラファエルは笑った。
「隣国との国交も深まるし、ガブリエルも将来安泰だし、ね、そう思わない?」
いや~、私達が決められる未来じゃないよね、と、シャーロットは苦笑いする。来年ラファエルと入れ違いで寄宿学校に入学してくるガブリエルは、まだ恋すら知らない可愛い妹分だ。シャーロットにとっても付き合いが長い分、ラファエルもガブリエルも姉と妹のような存在だった。
シャーロットの身代わりなんかじゃなくて、ガブリエルの望んだような未来を自分で掴んで欲しいと願うのだった。
お茶を楽しんだ3人が会場に戻ると、意外にもサニーの兄とガブリエルが踊っていた。二人は見つめ合って、とても幸せそうだった。二つの国の大人達が二人が踊る様子を笑顔で見守り、輪になって拍手して歓迎している。
「どうしたの?」
ラファエルが近くにいた公爵夫人達の一人に声を掛けていた。
「あら、ラファエル様。たった今、御婚約が決まりましたのよ、」
他の公爵夫人達も嬉しそうに報告する。
「ガブリエル様と一曲踊られたレイン第一王子様がもう一曲御所望になって、ガブリエル様は了承為されましたの。」
「それからは3曲立て続けにお二人はダンスを楽しまれまして、王様も国王様も笑顔で握手されまして、」
この国では2曲同じパートナーで踊るとお互いに恋愛感情があり、3曲以上同じパートナーと踊ると結婚を承諾したか、婚姻関係があるとみなされる。だからシャーロットはサニーと2曲は続けて踊らなかった。
「あっという間の事でしたわね。」
「ええ、ほんと。情熱の夜ですわね、」
「おめでとうございます。」
ラファエルやミカエルに向かって、祝福の言葉を伝える。
「はい?」
展開についていけなくて、ミカエルの隣でシャーロットは何度も瞬きをして聞いていた。
「サニーとじゃなく兄上様と、ガブリエルが婚約しちゃったの?」
ミカエルが自分を納得させるように呟いた言葉に、シャーロットは自分が事実を確認するために何度も頷いていた。
8月25日はエリックの誕生日なので、今年も18日から10日間の予定で領内の避暑地でバカンスを楽しむつもりだった。煩い弟と観光なんかして何が楽しいんだと思いつつ、シャーロットは親孝行の一環だと割り切り毎年参加している。
エリックが8月5日のサニーの誕生日と25日の真ん中になる15日に学食で待ち合わせと言い出した時は、まあ、それが妥協点として最適だよね、とシャーロットは思った。
「ほんと、我が弟ながら…エリックの考えていることはよく判んない…、」
シャーロットはお昼ご飯を補講中のミカエルと約束していた。エリックと同じ馬車に乗って移動するのは避けたかったシャーロットは、前日のうちに女子寮に帰ってきていた。制服を着るのは久しぶりだった。夏服の半袖シャツがなんだかきつく感じた。スカートは相変わらずで、新学期はブラウスを新調した方がよさそうだなと思う。
エリックとの待ち合わせは午後の3時で、一緒にお茶を楽しみながらの交換会らしい。
「ま、いいじゃないの?おかげでこうやって会えたんだし、」
ミカエルはトレイにランチのプレートを乗せながら微笑んだ。ミカエルはミカエルの時、長袖のシャツを着ている。夏服の制服を着た事がない。ミチルの時は普通に夏服のブラウスを着ているので、何か理由があるのかなとシャーロットは見ていた。
「こんな機会がないと、夏休みにシャーロットには会えないよね。」
「この前の夜会以来かな?」
二人は4人掛けの席に悠々と座ってランチを食べ始める。夏休み中盤になった学食は前半の補講で単位を消化したのか生徒がまばらで、席は十分に空いていた。
「そう、だね。あれからずっと補講だもん。土日は公務でお城に戻ったし、ああ…、仕事は増えたよ、」
「ラファエルの分とガブリエルの分と、頑張ってるの?」
「喜ばしいことだからね。」
ガブリエルの婚約式がレイン第一王子がこの国に滞在中に執り行われることになり、いろいろと書類の整備や準備が進められているようだった。
「あの方、ああ見えてラファエルと同い年なんですね。」
シャーロットはもっと年上なんだろうと思っていた。落ち着いた雰囲気がそう思わせていたのだ。
「だね、意外だよね。婚約者が今までいなかったのも驚きだよね。王子があの国には4人いて、一応王太子として次の国王にはあの第一王子が、とされているらしいんだけれど、あの国では結婚した者でないと王太子になれないらしいから、やっとなれるみたいだね。」
「へー、詳しいのね、」
「そりゃあね、シャーロット達、我が国の公爵様達が帰った後、我が家も家族会議だよ、」
ミカエルはくすくす笑う。公爵家の煩い面々を揶揄っての様付けだ。
「公爵様達の前ではできないような話をしたんだよね。隣国の人達も途中で加わっての話し合いだったから、長くて長くて。おかげで次の日、眠い眠い。」
シャーロットはあの花のおかげでぐっすり眠れたのだった。
「ラファエルは大丈夫だったの?」
「あの子は嫁ぐ身だから結果だけ知らせてと言って、さっさと自室に帰っちゃったから、早く寝たんだよ、きっと。」
さすがだわー、とシャーロットは思った。ラファエルのような対応が出来るようになりたいなと憧れる。
「ガブリエルは卒業を待って隣国に嫁ぐことになるかと思ったんだけど、お相手が立太子の儀式を早く済ませたい関係で、結婚を早めて欲しいらしくてね。入学をこの9月に早めて、補講で補う形で単位を取って、1年半で卒業するらしいんだ。」
「はい?」
「つまり、僕と一緒に卒業すんの。」
ミカエルは自分を指差す。
「ラファエルお姉さまの部屋に間借りする形で入寮して、一年生のシャーロットのクラスに編入学、かな。」
すごいことになって来たな…とシャーロットは思った。
「ガブリエルは何て言ってるの?」
「ミチルとシャーロットと同じクラスで嬉しいってさ、」
そっか、そこ大丈夫なんだ…、シャーロットはミチルができない分野のお手伝いをしていこうと思った。
17歳で結婚するガブリエルの恋の展開に、シャーロットは内心面食らっていた。自分でもいつかはミカエルとそうなりたいと思っていても、具体的に年齢や結婚式の話をされると気持ちがついていかないのだった。ガブリエルの覚悟に敬服する。
「9月、新学期が楽しみだね。」
ミカエルは微笑んだ。
「まずは交換会が待ってるけどね。」
「そうだね、一緒に行こうか?」
ミカエルは心配そうな表情になる。その表情を見れただけでシャーロットは胸がいっぱいになり、もう十分だわ、と思ってしまう。
「大丈夫よ、エリックもいるもの。」
エリックがいるから、私の被ってる猫がずれそうな心配はあるけどね~とは思うのだった。
待ち合わせの時間通りにやって来たエリックとサニーと合流して、シャ-ロットは学食の6人掛け席に3人で座り、テーブルには午後の限定メニューのアフタヌーンティーセットを頼んだ。
交換会なので誕生日会とは違うのだけれど、エリックがどうしてもというので、シャーロットは手拍子を打ちながらバースディソングをサニーとエリックのために歌ってやる。
「上手な歌、ありがとう、」
向かいの席に座りにこにこと笑うエリックに、シャーロットは引きつり笑いで「お粗末様でした」と謙遜した。
サニーはあの夜会以来の再会だったけれど、いつも通りの微笑を浮かべている。席もシャーロットの横に座り、隙あればシャーロットの手を握ろうと手を伸ばしてくる。手首にはアメジストのブレスレットを嵌めている。
めんどくさい奴が二人になったぞ…とシャーロットは思っている。この話を聞かない加減は、エリックもサニーも同じなのだと気が付く。
「交換会なので、まずは俺が二人に、」
エリックは小さな紙袋をサニーに、どう見てもその袋より大きな包みをシャーロットにくれた。
「中身を見る前に、二人も俺にも下さい。」
エリックは、手でクレクレというジェスチャーをする。催促をされてしまってシャーロットは、8月土曜市の露店で買った二つの白い箱をトートバックから取り出した。青いリボンの方をサニーに、緑色のリボンの方をエリックに渡す。
サニーはシャーロットに金に細いリボンのついた小さな箱を微笑みながら手渡し、エリックには赤くて長い包みを手渡した。
「では、中を見ていいよ、どうぞ、」
仕切りたがりのエリックに勧められて、シャーロットはエリックの包みを膝の上で広げた。中には淡いミルキーピンク色のカーディガンが入っていた。案外まともだったので、シャーロットは違う意味で驚いた。ひどい物を覚悟していたのだ。
「お姉さまには寮で使えるようにカーディガンにした。サニーにはちょっとイイ万年筆ね。」
サニーは笑顔で感謝を伝えている。シャーロットも同じように伝える。
「ありがとう、そうさせてもらうね。」
まあ、この色は悪くはないなとは思っているシャーロットなのであった。
金色の細いリボンを解いて開けてみたサニーの箱の中身は、薔薇のイヤリングだった。赤い花弁に見立てた紗が何枚も重ねられた本物の薔薇のような、素敵なイヤリング。
「綺麗ね…。ありがとう…。」
思わず感嘆の溜息をついたシャーロットに、サニーは嬉しそうに微笑んだ。
「シャーロットに似合うと思って。」
「お姉さまに似合いそうだ、さすがサニー、」
エリックへのサニーのプレゼントは携帯用の望遠鏡だったようだ。この国ではまだ望遠鏡は貴重品だった。かなりの高額品に、シャーロットはハラハラしてしまう。
「お姉さまもありがとう、」
「いえいえ、」目立たないところで選んでみました、とシャーロットは思った。
「金細工もこの程度なら、日常使いできそうです。」
サニーが金細工を指でなぞりながらカフスボタンを見つめている。ラピスラズリにペリドット、意味がまたいろいろあるんだろうな…とシャーロットは思う。変な意味じゃありませんように。
それぞれカバンに大切にしまって、お茶会が再開する。
「いっそのこと、サニーがお姉さまと結婚してくれたらいいのになあ、」
スコーンを食べながらエリックは、シャーロットがびっくりして紅茶を吹き出しそうになるようなことを言い出した。望遠鏡で買収されちゃったの?! と心の中で突っ込みを入れる。
「この前の夜会、すごく似合ってたんだよな、」
「それはありがとう、エリック、」
サニーは機嫌がよさそうだ。
「ミカエル殿下よりも、サニーの方が親しみ持てるんだよな~、ま、同じクラスだからだろうけど、」
「エリックは応援してくれますか?」
サニーは笑顔で問う。応援しなくていいから、とシャーロットはエリックを睨む。
「シャーロットお姉さまは難しいからなあ、サニーくらい余裕な人の方がいいと思うんだけどね、」
ふるふるとシャーロットは首を振る。ないから、それはないから。
「エリック…、」
「ま、ミカエル殿下もサニーも、どっちも王子様なんだし、どっちでもいいんだけどなー、」
他人事だと思って…、シャーロットは弟を睨みつける。余計な事を言うめんどくさい弟は、シャーロットのイライラにも気が付かないようで、余計な事を言い続ける。
「サニーのほうが背が高くてかっこいいじゃん。お似合いだと思うけどなー、」
「シャーロット、本当に僕と結婚しませんか?」
サニーがここぞとばかりに本音を入れてくる。
「ないない、しないしない。」
即答してしまい、シャーロットはしまった…! と口を手で塞いだ。
シャーロットの猫かぶりはエリックがいるとずれてしまうのだと、驚くエリックと凍り付くサニーを目の前にして改めて思った。
ありがとうございました