<152>悪役令嬢を揺さぶる情報合戦なようです
やがて、会場である大広間に国王と、王妃、寵妃が姿を現すと、舞踏会の開会が宣言され、宮廷楽団がワルツを軽やかに華やかに演奏し始めた。
シャーロットはミカエルと一曲目のダンスを踊った。サニーは父王と何かを話していて、別室に移動してしまった。シャーロットは目で追いかけながら、国王や宰相がまだこの大広間にいるのを確かめる。
タキシード姿のミカエルは、ちょっとシャーロットよりも背が高くて、綺麗な顔の王子様だった。色素の薄かった髪の色や瞳の色は今はすっかり落ち着いて濃い金髪に翡翠色の瞳で、婚約したばかりの頃に比べると、だんだん国王に似たしっかりとした顔つきになってきていた。
「ねえ、また背が伸びたりした?」
「ひたすら靴のおかげです。もうね、いけずなのは親子だよね?」
くすくすと笑いながら、シャーロットはミカエルを見つめた。私は…、この綺麗な顔をして一見まともな王子様に見えるけれど、女装が趣味で可愛い性格をしている王子様なミカエルが好きだ。私が猫を被っていると知っていて好きだといってくれるこの王子様が好きだ。そう心の底から思った。
「シャーロットがいつまでたっても身長が止まらないから、僕が背がいくら伸びたって差が開かないんだよ。」
「私、そんなに背が伸びてないわ。」
「そうかな。どこもかしこも去年よりいい感じだけど?」
「ちょっと、どこ見て言ってるのよ?」
へへへっと笑うと、ミカエルはシャーロットの瞳を見つめた。
「あのね、ミカエル。」
「なに、シャーロット。」
「ずっと黙ってたんだけどね、」
「うん、」
「サニーからも愛の詩集を読んで貰ったことあるし、シュトルクも読んでくれたの。リュートも、恋の歌みたいな言葉を教えてくれた。」
ミカエルはシャーロットの瞳を覗き込んで、悲しそうに微笑んだ。
「笑ったりしなかったんでしょ? 普通に、聞けたんだ?」
「ええ、」
普通に聞けて、普通に意味を理解できたの。
「異国の言葉だと、抵抗ないみたい。」
「だから言えなかったんだよね?」
「うん。ミカエルだと、恥ずかしくなっちゃうの。ごめんね」
誤魔化すように微笑んで、シャーロットはミカエルの翡翠色の瞳を見つめた。
「私、あなたとずっと一緒にいたいのに、どうして照れちゃうんだろうね。」
照れるのは好きだからだよ、そう言おうとして、ミカエルは黙った。思い出の彼方の、ゲームでローズに愛を囁くミカエルの場面で 姉が大喜びしていた言葉を思い出す。
「Je t’aime plus que tout.」
「なあに?」
目をぱちくりとして、シャーロットはミカエルを見つめた。
「じゅてーぷりゅぅくつー?」
「ん? なんでもないよ?」
何よりも君を愛しているって言ったのになあ、と首を傾げて、ミカエルは小さく溜め息をついた。
「僕と君は普通じゃないからじゃないかな。」
首を傾げたミカエルに、シャーロットは目をぱちくりして尋ねた。
「え。十分普通じゃないのかな。」
くすくすとミカエルは笑った。
「ちっとも普通なんかじゃないよ。猫かぶりのシャーロットと嘘つきの僕だよ? いつだって特別でしょ?」
そうなのかな? シャーロットは首を傾げた。ミカエルから香る甘い花の香りが、シャーロットの記憶の中のミチルを思い起こさせた。ミチルと踊りたかったな。子供の頃、ドレスを着たミカエルと踊っていた頃は、こんな日がやってくるなんて思わなかったのにな。ミカエルがいつも一緒にいてくれて、ミチルと一緒にいられて、私はなんて幸せだったんだろう。
何かを話そうとすると思いが溢れてしまいそうで、シャーロットは微笑んだままミカエルと踊り続けた。ミカエルも何かを察したのか、何も話そうとしなかった。
もうじき曲が終わりそうだった。
「ねえ、シャーロット。あと二人くらい踊れたら、別室に移動してね? 廊下で侍従が待ってるから。一緒には行けないんだ。目立っちゃうからね?」
「わかったわ。」
ああ、もうそういう時間なのね…。シャーロットは緊張し始めていた。
「私、ミカエルが好きよ。」
シャーロットは手を離す前に、まっすぐにミカエルを見つめた。
「僕もだよ?」
微笑みながら手を離したミカエルは、踊りの輪から離れていってしまう。
私も一人くらい踊ったら、追いかけよう…。シャーロットは次に巡って来たパートナーを見て驚いた。
「もう移動するんだろう? その前に踊ってほしい。」
シュトルクが水色の瞳を細めて、優しくシャーロットの耳元で囁いた。
「あなたは…、まだ行かなくていいの?」
「君と一緒にいこうと思っているよ?」
優雅にステップを踏むシュトルクは、シャーロットの耳元で囁いた。シダーとミントが混じったような爽やかな香りがする。大人な、シュトルクの香り。
「君と少しでも一緒にいたいからな。それは仕方のない事だ。」
「ねえ、あなたは私と結婚できなかったら、どうするの?」
「そうだな…、また出会いを待つかな。」
「じゃあ、今もそうすればいいのでは?」
ふっと笑って、シュトルクはシャーロットの瞳を見た。
「私は君が誰かと結婚するまで諦める気はない。何度でも申し込むつもりだが?」
「どうして?」
「一生を添い遂げたいような女を、そんな簡単に諦めてたまるか。」
おかしそうに微笑んで、シュトルクは言った。
「君だってそうだろう? 誰かに言われて心を曲げてしまうことが出来ないから、悩むんだろう?」
この人、私を励ましてるのかしら。シャーロットは不思議に思えてきた。
「私がミカエルを選んでも、そう言えるの?」
「ああ、一度で諦めたりはしない。次は私を選んでくれると信じて何度でも君の手を握るだろう。」
この人は、まっすぐで、私にはない大きな『自分自身』を持っている人だ。私に自信を分け与えてくれる人だ。きっと、この人の傍にいると、ずっと私は悩んだり迷ったりしないのだろう。シャーロットは初めてシュトルクを好ましいと思った。
柔らかい眼差しで優しい表情になったシャーロットを見て、シュトルクは微笑んで、言った。
「私は君のそういう表情が一番美しいと思うよ、シャーロット。いつもそういう顔で私を見つめて欲しいと願うよ。」
微笑み合ったまま一曲踊り終えたシャーロットは、そのまま、シュトルクのエスコートで、大広間を出た。
ドアの傍で待っていた侍従に案内されて、王族用の控室に通された。
部屋にはすでに、サニー、父王、クラウディア、ミカエル、ガブリエル、リンデ、リュート、宰相、エリック、公爵である父、前公爵である祖父が待っていた。
遠く東方の国とこの国との繋がりを濃くするならシュトルク、隣国とこの国との約定を果たすのならサニー、遠く東方の国との協定とこの国を守るのならリュート、自分の意志を貫くならミカエル、ということなのだろう。
シャーロットは空中を見つめて何か考えている様子のミカエルの表情を見て、唇を噛んだ。
どうしてこんな時に、私を見ていないで何か考えているんだろう。悔しい思いがシャーロットの心に沸き起こった。私を見て私を見つめて私に微笑んで欲しい。私が困った時は手を握っていて欲しい。そう願ってやまないのに…。
シュトルクは自信に満ち溢れた顔でシャーロットを優しく見つめている。
サニーはやつれた表情で縋りつくようにシャーロットを見ていた。
リュートは責任感からか、真面目な表情をしてまっすぐにシャーロットを見ていた。まるでそうするのが当然の義務かのように、姿勢を正したまま、シャーロットをじっと見つめている。
シャーロットは猫を被ると、にっこり微笑んで、勢ぞろいした面々に柔らかく視線を返した。
国王は父から恭しく差し出された婚約誓約書を受け取ると、自分が持って来ていた青い革張りの書類挟みの中から同じ文面の羊皮紙を取り出して、2枚重ねて鋏を入れた。
「ここに、国王の名において、この婚約が無効であると宣言する。意義があればもう一度、婚約を願い出よ。」
書類がただの紙切れになっていく様子を、シャーロットは悲しい気分で見つめていた。私の心の拠り所だったミカエルとの婚約が、今この瞬間、何も無くなってしまった…。
私はただのシャーロットに戻って、私は公爵家の娘として、臣下の務めを果たさなくてはいけない…。
「さて、ハープシャー公爵家娘シャーロット嬢、ここへ参られよ。」
国王がシャーロットを手招きした。
その場で一礼をしてシャーロットは優雅に歩き、国王の前で淑女の礼をした。
「シャーロット嬢、そなたには決めてもらいたいことがある。面をあげよ。」
ゆっくりと姿勢を正して顔を上げて微笑んだシャーロットに、国王は小さく頷いた。
「そなたは一人しかおらん。結婚をと願い出る者が多いのは喜ばしいことだが、選ばれる者も一人しかおらぬ。国王の名において、そなたと、そなたの選んだ者との婚約を認めよう。そなたが選ばぬ場合は、国の都合で決めてしまうが…、それでも構わぬか?」
シャーロットを哀れむように見つめて、国王が尋ねた。
「構いません。私は自分で選びます。」
優雅に微笑んで、シャーロットは震える自分の腕をそっと撫でた。
「そうか、では、それぞれ自分の思いを皆の前で伝えてみよ。何も言うことがないのなら、それでもよし。伝えたい思いがあるなら、最後の機会と割り切って伝えよ。なお、この新たに結ぶ婚約の破棄は認めないものとする。」
宰相が静かに前に進み出た。候補者の4人はシャーロットの前に並ぶと、一礼をして名を呼ばれるのを待った。
「ではまず、一番申し入れの早かったシュトルク殿、」
「シャーロット、私と一緒に来て欲しい。」
その場で片膝をついて、シャーロットに手を差し出した。「国と国とを結ぶ懸け橋に二人でなろう。私達の結婚で世界を守ろう。どんな時も、いつも私が傍にいる。」
幼い雰囲気の残るリンデが兄を誇るような面持ちで、シャーロットを見つめた。
「次に、隣国の王位継承権を得た、サニー殿、」
サニーはシャーロットに微笑みかけて、片膝をつくと、手を差し伸ばした。
「私の唯一の薔薇として、ずっと傍にいて、私達の生き方を一緒に選んでいってほしい。私があなたを守りましょう。私の傍にいてください、シャーロット。」
クラウディアがシャーロットを見て、縋るように切ない表情を浮かべた。
「宰相の息子のリュート、」
リュートは真面目な表情で片膝をついてシャーロットをまっすぐに見つめ、シャーロットの瞳を見て、柔らかく微笑むと、手を差し伸ばして言った。
「私の傍で、この国の未来を変える手助けをしてほしい。シャーロット、一緒に、生きていきたい。」
エリックと父が、険しい顔をしてシャーロットを見ていた。次は、ミカエルの番だった。
「我が国の王太子である、ミカエル様、」
ずっと何かを考えているような面持ちだったミカエルは、慌てたように表情を変えて、片膝をついて首を垂れると、手を差し伸ばした。
「これまでと同じように、僕を選んで僕の傍にいて、シャーロット。僕が僕でいられるのは、君が傍にいるからなんだ。」
国王の命令ならサニーと結婚できる? 王妃の命令ならリュートと結婚しちゃうの? 父や母の命令なら、シュトルクと結婚するの?
そっか。誰を選んでも、ミカエルはリンデと結婚するんだね。
軽い気持ちでミカエルを選んだら、自分を納得させられる理由を持っていないと、きっと死ぬまで苦しいだろう。私、ミカエルが好きなんだけどなあ。
重苦しい静寂の中、国王は部屋にいた残りの者の表情を見て頷くと、シャーロットと4人の候補者を見た。
「皆の者、どのような結果になろうとも、シャーロットを恨むではないぞ。よいかな。」
「畏まりましてございます、」と4人は声を揃えてお辞儀して言った。
シャーロットは涙が零れてしまいそうで、顔を上げて、涙を目に馴染ませながらその声を聞いた。
悪役令嬢になって、断罪されて、婚約破棄されて、絞首刑になったゲームの中の私。今の私は、ミカエルを選べば、エリックが言うように、国に益をもたらさなかった恋に狂った公爵家の娘として悪役になり、祝福されない結婚をするのだろう。
いくらミカエルが傍にいてくれても、母が言うような心が晴れた生活を送れるのだろうか。
悪役かあ…。
…。
いつかミカエルが言ってた、ゲームの前半終了時に一人に決まっていなかった場合、強制的にルーレットで選ばされるって、今まさにそんな感じなのね。
シャーロットは苦笑いを浮かべていた。
自分で選んでいいって言われたって、ちっとも嬉しくなんてないわ。
視線を感じてその方向を見ると、ガブリエルと目が合った。そっと微笑みかけてくれた。悠然とした態度の優しい表情に、胸が苦しくなる。
ガブリエル様はこのような時まで、お気持ちを確かに持たれた王女様なのですね。
はっと胸を衝かれた。
私、今、臣下として、公爵家の娘の立場で考えていたわ。何度も目をぱちくりして、動揺する胸を抑え、呼吸を整えた。
「では、シャーロット嬢、決まったか?」
国王が、シャーロットに優しく問いかけた。
「ええ、国王陛下。私に選ぶ機会を与えてくださいましたこと、感謝の言葉がいくつあっても足りません。心よりお礼申し上げます。」
ほんとはちーっとも嬉しくなんかないけどね。シャーロットは心の中で文句を言った。選ぶ機会なんてなくっていい。ずっと公爵家の娘の立場を甘受してミカエルと婚約したままでいたかった…!
「よいのだ、シャーロット嬢。王族でもないのに国同士の婚姻に巻き込まれているそなたの気持ちを想えば、長くミカエルの婚約者として務めを果たしてくれた褒美のようなものだ。気にすることはない。」
シャーロットを見て、国王は微笑んだ。
「では、皆のもの、頭を下げて、手を取られるのを待て。シャーロット嬢が手を取った者を、婚約者として国王である私が認めよう。」
4人が頭を下げて、手をシャーロットに差し伸ばしている。
シャーロットは息を呑んだ。ミカエルが、顔を上げて、ニコリ、と微笑んでくれた。胸がキュン、と高鳴った。
コホンと言う咳払いの声がして、またミカエルはさっと顔を伏せてしまった。
シャーロットは天井を見上げて、ゆっくり息を吸った。結婚は運命なんかじゃなくて運命を作っていく過程なんだといつか父は言った。
私はどこまで行っても公爵家の娘だ。どこへ行こうと、誰といようと、どんな困難も自分次第でどうにでもなる。その為の教育とあり方を、私は何年もかけて身に付けてきている。
大丈夫、私はいつでも自分のことは自分で選んで決めてきた。しっかり猫を被って微笑んで、覚悟を決める。
シャーロットは、その手を取った。
ありがとうございました。
次回最終話の予定です。