<146>サニールートに流されてしまいそうです
翌日の月曜日は、もう今週で授業が終わりなので軽く流すだけの週なのに、ガブリエルは朝から静かだった。時々寂しそうに空を見上げていた。気が付いていてもシャーロットは何も言えずに、黙って傍にいた。お城から帰ってきたミカエルは何ともなかったのに、ガブリエルは明らかに様子がおかしい。
「今日は、どうかしたの?」
お昼休み、学食から帰ってきたシャーロットは堪らなくなって尋ねてみた。
「何でもありませんわ。」
ガブリエルはシャーロットの瞳をじっと見つめて微笑んだ。
「どうしてそんなことを聞くんですの?」
何かを誤魔化しているようにしか思えなくて、シャーロットはガブリエルの表情を観察した。ミチルなミカエルの表情を見ると、空中のどこかを見つめて微笑んでいた。
この二人は絶対何かを隠している、とシャーロットは思った。
「私に、何かできる事はある?」
そう言ってシャーロットがガブリエルの腕を擦ると、ガブリエルは、「何も」と言ってそっと手を振り払った。
そっか、私が何もできない程大きな悩み事を二人で抱えているのね。シャーロットは何も言えなくなってしまった。
今日はサニーは欠席していた。授業はあってもないような内容だったので授業のノートは心配しなくても良かったけれど、昨日会って話をしていただけに、いつもいる人がいないと寂しいものね、とシャーロットは思った。
ミチルはガブリエルにもシャーロットにも何も言わないで、腕を組んで黙って座っていた。
いつものミチルなら、こんな時は無駄に明るい話をしていそうなのに、変なの。シャーロットは首を傾げた。
救いを求めるように教室を見渡すと、目が合ったリュートが近寄ってきた。
「シャーロット、大丈夫かい?」
「どうして? 」と驚いたシャーロットが尋ねると、「顔色がよくは見えないけど? 」と言われてしまう。
リュートに大きな骨太の手でおでこを触られて、「熱はないみたいだね、」と言われた。
シャーロットはリュートの手って暖かいのね、と思った。シャーロットの頬を触って微笑んだリュートは、ミチルなミカエルと目が合うと、小さく笑った。
「心配しなくても、熱はなかったよ?」
「簡単に女の子に触っちゃダメだと思うけど?」
「私は風紀委員だからね。健康に気を配ってもおかしくはないんだ。」
小さい子供を諭すようにリュートは言った。寮に帰ったらミカエルが、ちびっこ扱いして~!って怒りそうだなとシャーロットは思った。
でも、ガブリエルはいいの?
シャーロットはリュートを見上げて、目を見開いて尋ねた。
「ねえ、何か知ってたりするの?」
お城の有事は宰相の息子なら知っているのかもしれない。
リュートはふっと微笑むと、答えずに自分の席に帰っていってしまった。リュートもおかしい。
「ねえ、みんなもしかして何かを隠してる?」
シャーロットが尋ねると、ミチルなミカエルは「さあ?」とわざとらしく微笑んだ。
午後の授業が始まると、シャーロットは教室の中をこっそりと見渡した。ローズは教室の後ろの席にいつも通りいた。シャーロットと目が合うと、にっこりと笑った。
調査団の選考があるのは、今日だったわね、とシャーロットは思った。シャーロットは会釈を返しながら思った。
本当にローズは応募したのだろうか。
ローズが決めたことなら応援したいけれど、自分の代わりとなって海外に行かせるのは何か違う気がしていた。
かといって自分がミカエルとの婚約破棄を願い出て、身軽になって家族の望み通りシュトルクの待つ海外に嫁いでいくのもおかしな話だと思った。
シャーロットは溜め息をついた。
自分が公爵家の娘じゃなかったらこんな事に巻き込まれていなかったのかもしれない。でも、自分は公爵家の娘で、だから、ミカエルと一緒に堂々といられる。
ミカエルの手を取って、ミカエルが言う通り、学生結婚してしまったら早いのだろうか。
隣に座るミチルなミカエルを見ると、シャーロットの視線に気が付いたのか、ミカエルがへにゃっと笑った。あんまりかわいくてシャーロットはキュンキュンしてしまい、絶対傍から離れない! と心に誓った。
「シャーロット、ちょっといいかな。」
帰り支度をしていると、ブルーノとエリックがシャーロットを呼んだ。話があるようだった。
ミカエルとガブリエルを見ると、二人とも、小さく頷いた。
「先に帰ってるね、シャーロット。」
「行ってきて大丈夫ですわよ? 」
カバンを手に取ると、先に帰ってしまった。
「そう。またね、」
待っててくれるとかそういう選択肢はないのね、とシャーロットは思った。まあ、仕方ないか。手を振って後ろ姿を見送って、シャーロットは自分の荷物を持ってエリックの後についていった。
ブルーノとエリックは廊下の隅まで来ると、辺りをちょっと見まわして人気がないのを確認して、シャーロットに話し始めた。
「お姉さま、ブルーノから話は聞いている。」
「踊ってほしい話を、したのは覚えてる?」
「ええ。プロムの日に別の場所で、踊るんでしょう?」
ブルーノをまっすぐに見つめた。未練など何も感じない程すっきりとした表情のブルーノと、どうして今さら踊ったりする必要があるんだろう。シャーロットは辛いだけなんだけどな、と思った。ブルーノは新しい旅立ちを控えている。それは判る。気持ちの踏ん切りをつけたいのだろう、それも判る。でも、私は? 私の気持ちは?
声にならない疑問が、シャーロットの中で吹き溜まる。
「時間はパーティの開始時間と同じ。待ち合わせは講堂の上の屋上で、立ち会うのは俺とクララ。」
「…断る事は出来ないの?」
「ああ、そういうのはナシ。いいね、シャーロット。」
「断らなくても、行かないっていう選択肢だってあるわよ?」
「君はそんなこと、出来ないだろう?」
ブルーノってこんな表情で笑う人だったっけ? シャーロットは面白そうに笑うブルーノの顔を見て戸惑った。
「じゃあな、お姉さま。迎えが必要なら俺が行くから。」
「それは嫌。」
シャーロットはエリックまでおかしいわ、と思った。
どうしてそんなに踊ることに拘るんだろう。どうして私と踊る必要があるんだろう。きっと答えは簡単だ。シャーロットと思い出を作りたい。ただそれだけなんだろうと思う。でも、私はそんなことをしたくない。
シャーロットは唇を噛んだ。
「またね、シャーロット。」
ブルーノとエリックは先に帰ってしまった。シャーロットは猫を被って微笑んで、手を振って見送った。行きたくなんかないよーだ。そう言えたらどんなに楽なんだろう。
一人で寮の部屋に戻ると、机の上に2通の紙が置いてあった。裏返すと、どちらも封蝋でしっかりと封がしてあった。一通は父、もう一通は母からだった。机の傍には、ドレスの入った袋も置いてあった。
「珍しいわね。何かしら。また勝手に舞踏会のお話を受けたのかしら。」
シャーロットは大急ぎで、ひらひらしたフリルだらけの生成り色のブラウスに、焦げ茶色の巻きスカートを履いて、淡いピンク色のニットカーディガンに手際良く着替えると、椅子に座った。この後ミカエルの部屋に行く予定だった。
父の手紙から先に開封した。手紙は予想以上に分厚く、文字がびっしりと書き込まれていた。一瞥して眉間に皺を寄せて、姿勢を正すとシャーロットは手紙に向き合った。
手紙には、サニーの母国である隣国で内戦が勃発したことが説明してあった。土曜日に地方貴族の巡廻視察中だったサニーの兄であるレインが、昼食中に、給仕の者に紛れ込んだ刺客の手により重傷を負ったのが始まりだったようだ。その傷の具合から回復しても公務に復帰することは難しいので、もしかするとサニーが王位を継ぐことになるかもしれないとも書いてあった。
隣国の詳しい状況も説明してある。元を質せば、土着の貴族からの王族への不信感が原因らしかった。自国の貴族との婚姻をレインをはじめとする王子や王女達が望まないと不満を抱いていると、前々から噂されてはいたらしかった。すぐさま同盟国であるこの国からも騎士団を派遣して事態の鎮静化を計ってはいるけれど、しばらく隣国は臨戦態勢になり安定した国内情勢とは言えなくなるだろうとあった。
そうなった場合、婚約の条件がレイン王子が王位を継ぐことである為、隣国は結納金を返上しない代わりに、王位継承権をサニーに与えて、レインの婚約者であったガブリエルとで婚約しなおすだろうと思われるとあった。ガブリエルは王太子として王位につく者と婚約していた。ガブリエルがその代替案を嫌がった場合、人道的な判断として代わりにシャーロットが隣国へ嫁ぐことになるだろう思われると淡々書いてあった。
「は? 意味わかんないわ。」
シャーロットは父の手紙を封筒に仕舞いながら呟いた。それは、臣下の責務だとでもいうのだろうか。
沈んだ気持ちのまま、シャーロットはもう一通の手紙を手に取った。
母からの手紙には、カクテルドレスはすでに用意してあるから届けるという連絡と、シャーロットの希望通り沢山のティーキャンドルを用意したとあった。父からの手紙のことにも触れてあり、そういう心積もりをしておくようにとも書いてあった。
その状況の中、ガブリエルが仮にサニーに嫁ぐことになったとしても、第二夫人や第三夫人という形で、自国の貴族を抑えるために寵妃を受け入れていくのだろうともあった。そういう待遇を王女のガブリエルが良しとしない可能性が高い以上、シャーロットが貴族の娘として格を下げて嫁がされるのだろうとも、あった。
そんな結婚を父も母も望んではいないけれど、国王がそう判断した時は許してほしいともある。
シャーロットは溜め息をついて、2通の手紙を大きな封筒にまとめていれて封をした。明日ハウスキーパーに持って帰ってもらおう。こういう機密事項の書いてある手紙をここに置いておくのは危険だわ。ミカエルを信用しているけれど、何かの拍子に落とすのはマズい。
封筒に宛名を書きながら、シャーロットは窓の外の夕焼け空を見上げた。高い雲の彼方に、鳥が群れを為して飛んでいくのが見える。ああ、鳥が渡る季節がやってくるんだわ。シャーロットは黄昏た。私もどこかへ渡っていきたい…。
ガブリエルは潔癖な王女様だ。一度添い遂げたいと願った人の弟と結婚など出来ないだろう。プチ・プリンスをきっかけに仲違いをしかけたような真面目な子だもの。寵妃が必要となる可能性のある結婚など出来ないだろう。
私が嫁ぐ可能性が高いんだろうな、とシャーロットは思った。国と国との約定を違える事など出来ないから、こんな話が出てくるのだろう。かといって政情が不安定な国に王族を嫁がせるわけにはいかない。もし万が一戦火で死ぬようなことがあったりしたら、国と国との戦争が始まってしまう。それを回避する為の家臣なのだろう…。幸いというべきか、シャーロットは王族と婚約するのが早かったので、既に必要な教育を受け終えている。
だから、今日はミカエルもガブリエルも言葉が少なかったんだ…。きっと昨日のうちに、お城にはその話が伝わっていたんだわ。だから、帰ってくるのが遅かったし、私にこの話を隠したんだわ。
リュートもたぶん、知っていたんだわ。私が知っているのかどうか知りたい気持ちがあって、心配してくれたんだわ。
ミカエルはミカエルの部屋に帰っていってしまっていた。夕食に一緒に学食に行く約束をしていたけれど、誰にも会いたくなかった。
シャーロットは椅子の上で膝を抱えたまま、黙って机の上の手紙を眺め続けた。
誰からも必要とされているけれど、誰にも必要とされていないんだわ。自嘲するように呟いて、シャーロットは瞳を瞑った。
あんまり遅いとミカエルが心配すると気が付いて、立ち上がった時にはもう辺りは真っ暗で、暗い部屋の中を明かりもつけずに歩いて外へと出た。まるで私の今の状態みたいだわ、とシャーロットは思った。手探りで暖かい明かりを求めて歩いているんだわ。ミカエルが明かりだと、どうして断言してはいけないんだろう…。
翌日、ガブリエルと教室で会ってもガブリエルは普通で、何か変わった様子はなかった。昨日の表情とは違って、どこか演じているようにも見えた。
「おはよう、シャーロット、」
そう言って微笑んだガブリエルの表情はいつも通りに明るかった。こういう場合はどうしたらいいんだろう。
今日はミチルなミカエルがいない。シャーロットはちょっとだけ、困ったなと思った。
レインが怪我をしているのはデマなのだろうか?
シャーロットは疑問に思ったけれど、何も聞かなかった。デマじゃなかったら? もう手遅れなんだとしたら? そんな場合、どうしたらいいのか判らなかった。
ガブリエルを見つめていると、サニーと目が合った。今日は学校へ登校してきているサニーはシャーロットと視線を逸らそうとはしなかった。目を合わせたまま、二人はお互いが目を逸らすまで見つめ合い続けた。
サニーは知っているんだ。当たり前か…、自分の国のことだもの。昨日休んだのは、情報の裏付け確認とか、クラウディアとの情報のすり合わせが必要だったんだろうなと思った。クラウディアは元気にしているんだろうか。あの中庭の男性は大丈夫だったのかな。
シャーロットがガブリエルとお昼ご飯を食べに学食に行こうとしたら、サニーが微笑みながら近付いてきた。
「シャーロット、お昼を一緒にしましょう。」
「ごめんね、サニー、先約があるの。」
シャーロットが困ったように答えると、サニーはガブリエルを見た。ガブリエルは微笑んではいたけれど、サニーを見ようとはしなかった。
「そうですか。私は話があるのです。」
話って、きっと婚約者の話だわ。シャーロットはそう思った。
「ここで、出来る話ですか?」
サニーは微笑んだまま無言で肯定していた。
「先にいくね、」と教室を出てしまったガブリエルの後ろ姿を見送って、シャーロットは尋ねた。
教室にはほとんどの生徒がいず、奥の方の席で、話をしている生徒がいる程度だった。ローズの姿すら見当たらなかった。
「では、ここでも構いません。」
サニーはシャーロットの手を取って、手の甲に口付けた。
「シャーロット、もう知っているのでしょう?」
「ええ。ある程度は。」
シャーロットはサニーの心の痛みを思った。兄が危険な状態なのにここにいるのは、何か役目があるのだろう。母国にいては危険なのかも知れない。シャーロットはサニーの手に自分の手を添えた。二人は手を重ねあって、お互い温もりを感じていた。
「兄が大好きな、季節なんです。」
シャーロットはサニーに微笑みかけた。
「春には美しい花が咲きます。その花を愛でながら国民が祝宴を楽しんだり、子供達が遊んだり…。兄はその様子を眺めるのが大好きだと、言っていたんです。」
サニーの黒曜石のような美しい瞳が涙で煌めく。
「もう、兄は見れなくなるのだと思うと辛くて、私が一人で痛みを背負うのも苦しいのです。」
悲しそうに微笑むと、サニーはシャーロットに微笑みかけた。
「シャーロット、」
サニーはシャーロットの頬を撫でて、瞳を見つめた。
「あなたが選ぶのは私であってほしい。」
そんなことを言われたって、選ぶのは私じゃないわ。シャーロットは困ってしまって俯いた。
「…選ぶのは、ガブリエルだわ。」
「シャーロット、」
何かを言いかけたサニーが、近付いてきたミカエルを見て、言葉を飲み込んだ。
「シャーロット、待たせたね、いいかい?」
サニーを見ようともせず、ミカエルがシャーロットに声を掛けた。
シャーロットは二人を見比べて、自分の腕をしっかりと掴んで視線を逸らして、「ええ」と答えた。
サニーは教室を先に出て行ってしまった。
「シャーロット、何かあったの?」
知っててそれを聞くのね、とシャーロットは思った。ミカエルの表情は、どう見ても理由を知っている顔だった。
「何でもないわ?」
シャーロットは猫を被って微笑んだ。
ありがとうございました