<142>リュートルートは未来を語るようです
教室に入ると、シャーロットは自分を見る学生達の印象がいつもと違うことに気が付いた。いやらしいものを見るような目つきで、下品な笑いを浮かべてシャーロットを見ている学生もいた。
首を傾げながらシャーロットがいつもの席に向かうと、ガブリエルが困った顔をして登校してきた。
「おはようございます、シャーロット。」
ガブリエルがひそひそと囁くように、シャーロットの隣に座るなり言った。
「昨日、何をやったんですの?」
「ん? 何もやってないと思うわ?」
シャーロットには何かした記憶がなかった。
「噂が凄いですわよ?」
「噂ってなあに? ガブリエルは知ってるの?」
「ええ、もちろん。ラファエルが怒っていましたから。」
「どうかしたの?」
「シャーロットとブルーノは恋仲で、二人が駆け落ちを計画しているっていう噂ですの。」
「は? はい?」
駆け落ちって何?
「あ、あのね、ガブリエル、」
「昨日、シャーロットはブルーノと夜の廊下で密会して、長い間抱き合って相談していたって聞きましたわよ?」
ぶんぶんとシャーロットは首を振った。あれは一方的に捕まっていたと言ってほしい。シャーロットはそう思ったけれど、あんまり変わらないんだろうなとも思った。
「抱き合ってないし、そんな話、知らないわ。私、駆け落ちする根性なんてないもの。」
「ですわよね~。シャーロットって、なんだかんだ言っても自分のおうちが好きな人ですものね。駆け落ちするような真似をしなくても、自分の公爵領に引っ込んでしまった方が楽ですものね。」
うんうんとガブリエルは納得したように頷いた。
「そうよ、自分のうちの領地は自由で楽しいし、何より自分のうちよ? って、違うから、駆け落ちなんてしないから。確かに昨日ブルーノには会ったけれど、説得をしていたもの。」
「へえ…、どんな風にですの?」
「ブルーノの国へひとりで嫁いでくるマリア姫を大事にしてあげてほしい、ってお願いしたの。」
ガブリエルはシャーロットの顔を見つめた。
「私、冬の長期休暇に海外研修であの島に行ったわ。船でしか行けないような国で、片道だけでも約2日もかかるの。小さな国だからほとんどが顔見知りみたいな国なのね。そんな国にひとりで嫁いでいくマリア姫をブルーノが歓迎しなかったら、きっとみんな歓迎なんてできないわ。私は、好いた相手にそんな風に迎えられるマリア姫が可哀そうだと思ったの。」
シャーロットだから優しくする、のではなくて、シャーロットじゃなくても優しくする、とブルーノには変わってもらいたかった。
ガブリエルはシャーロットの腕を優しく撫でた。
「私は、ブルーノが優しい人だって知ってるもの。異国の地にひとりで嫁いできたような女性に辛く当たるような人になってほしくないと思ったわ。だから、昨日は説得したの。」
ブルーノが好きだから、自分が好きだと思ったブルーノのままでいて欲しいと思うのは勝手なのかな、と思いながらシャーロットは自分の気持ちを伝えた。
ガブリエルは眩しいものを見るかのように目を細めて、微笑んだ。
「…シャーロットは、本当に青い姫君なのですね。」
「ガブリエル?」
「私は、あなたの友達でいられて誇りに思います。あなたのことを悪く言う人がいたら、私がやっつけましょう。私も、ひとりで異国へ嫁ぐ身です。あなたの言葉は私も欲しい言葉ですわ。」
ガブリエルはにっこりと微笑んだ。
「まずはシャーロット、出来る対応から始めないといけませんね。」
「何をするの?」
「決まっています。ブルーノをきちんとお断りしてあげるんです。これ以上お付き合いできませんって言うんですよ?」
「は? はい?」
こんな大勢の前で、そんな話をするの?
「さあ、行きましょう、シャーロット、」
ガブリエルは躊躇うシャーロットの手を取り、エリックと話をしているブルーノの前に連れて行った。
「お姉さま、おはよう。」
にやりとエリックが笑った。噂を知っててこの反応なのかしら? シャーロットは疑問に思ったが黙っておいた。
「おはよう、シャーロット、」
吹っ切れた様子のブルーノが微笑んでいた。
「私、ブルーノ様にお話がありますの。」
ガブリエルは微笑んで、ブルーノの腕を引っ張った。
「ちょっと立ってくださらないかしら、」
「王女様のお望みとあらば。」
ブルーノは畏まってお辞儀して立ち上がった。髪を括っている表情はさっぱりとしていて、美しい顔はどことなく知らない誰かのように思えた。
「さあ、シャーロット、頑張ってくださいませ。」
え。ほんとに言うの?
シャーロットはブルーノの顔をじっと見つめた。大きく息を吸って話始めた。
「ブルーノ、私はあなたとは友達以上の関係にはなれないわ、ごめんなさい。」
「シャーロット、迷惑かけてごめん。一晩寝て考えて僕が馬鹿だったって気が付いた。迷惑かけてすまなかった。」
二人は同時に大きな声ではっきり言って、頭を下げた。
教室にいた誰もが注目していて、誰もが同時に言った言葉を目をぱちくりしながら聞いて、意味を理解するのに時間がかかった。
シャーロットとブルーノも、お互いにびっくりして見つめ合っていた。
「お姉さま、ブルーノ。順番にもう一度、今言ったことをゆっくり話してみろ。」
エリックが困ったように目を細めて言った。「まずはお姉さまだ。」
「ブルーノ、私はあなたとは友達以上の関係にはなれないの。ごめんなさい。」
次に、エリックはブルーノの肩を叩く。
「シャーロット、迷惑かけてごめん。一晩寝て考えた。僕が馬鹿だったってやっとわかった。迷惑かけてごめんな、」
お互いに思っている気持ちが同じだったと気が付いて、シャーロットとブルーノはくすくすと笑い出した。
「なんだ、ブルーノ、もう大丈夫じゃない?」
「シャーロットこそ、それ、ずっと変わっていかない答えなんだね?」
「ええ、あなたとは最高の友人でいたいもの。」
「まあ、シャーロット。私が一番の親友じゃありませんこと?」
「あなたは最高の妹だわ、ガブリエル。」
シャーロットはくすくすと笑ううちに、なんだかとても、心が軽くなっていく気がした。
「もう、大丈夫ですのね?」
「ええ、もう大丈夫よ? ね、エリック?」
「ああ。お姉さまは駆け落ちなんかしないし、ブルーノとはただの友人だ。そうだな、ブルーノ?」
「エリック、僕はそれでいいよ。僕はそれが一番だって、気が付いたんだ。」
エリックの手をがっちりと握りしめて、ブルーノは笑うのをやめた。
「君達といつまでも傍にいられるのなら、友達で一番傍にいたい。それで、僕は十分だと思うことに決めたんだ。」
ぱちぱちと、ガブリエルが拍手を始めた。興味本位に近くに集まっていた学生達も、ガブリエルに倣って拍手をし始めた。その中には、リュートも、サニーも混じっていた。学生達の後ろの方にいたローズも、拍手していた。
ブルーノは大きな声で言った。
「僕は駆け落ちなんてしない。僕は一国の王子だ。国を守る。根拠のない誹謗中傷を甘んじて受け止める気はない。僕に喧嘩を売りたい奴は堂々と出て来い。」
上気した面持ちのエリックが、ブルーノの手首を掴んで、手を挙げた。
「ブルーノは俺の親友だ。俺のお姉さまを侮辱する奴は公爵家として対応させてもらう。王太子殿下の婚約者であるシャーロット・ハープシャーを侮辱するのなら、そのつもりで行え。理解したなら根拠のない噂話を流すな。」
拍手が一層、大きなものに変わる。廊下から教室を覗いていた学生達が何かを囁いて走っていく。
「私もこの国の王女として宣言します。シャーロット・ハープシャーとブルーノ・ペンタトニークの噂を今後一切流してはいけません。新たな旅立ちをする者に、石を投げつける程、落ちぶれた国だと、諸外国に思わせるような振る舞いを、私は望みません。」
歓声が上がる。律するよう方向性をきちんと語るなんて、さすがガブリエルだわ、とシャーロットは思った。
シャーロットはいつの間にか大きな歓声と拍手の中に立っていた。ガブリエルは手をあげてくるりと空気を掴むような仕草をすると、はっきりと言った。
「私の思いを理解したなら、今すぐ行動に移して下さい。さあ、根拠のない噂を流す者に忠告を伝えて下さい。」
教室から出ていく者がいくらかいた。廊下にいた者達も行動を開始し始める。シャーロットはガブリエルに連れられて、自分の席に戻った。
「もう心配いりませんわ、シャーロット。」
優しく微笑んだガブリエルの顔を見て、シャーロットは心の底から、「ありがとう、」と微笑んだ。
昼食を一緒にしようと誘いに来てくれたチーム・フラッグスの面々やトミーやマリエッタも、朝の騒動を知っていたようで、「大丈夫でしたか、姫様、」と尋ねられた。
「ええ、何も。大丈夫ですよ?」
シャーロットは優雅に微笑んだ。シャーロットの隣に並んで歩くリュートは、シャーロットの手を大きな骨太の手で握っていた。
「それにしても凄いですね。姫様の噂を流すなんて、不埒もいいところです。」
マリエッタは憤慨した様子で言った。学食へ着くと他の学生達と合流して、シャーロット達はランチを楽しんだ。向かいの席にマーガレットとマリエッタ、近くにリリアンヌとエミリアが座っていて、シャーロットの両隣にはトミーとリュートが座っている。二人以外は女子が、シャーロットの近くに座っていた。今日は女子が沢山近くに座ってくれるのね、とシャーロットは嬉しく思った。
「姫様とブルーノ様は美男美女だから、悲恋とか報われない秘密の恋とか、想像を掻き立てられるんでしょうね、きっと。」
マリエッタの傍にいたマーガレットが納得したように言った。二人は旧知の仲のようで、気楽に話をしている。
なるほどね~とシャーロットは思った。噂を流す人は、私やブルーノのことを生きた人間と捉えずに、お芝居か何かのように認識しているのね。
「マーガレット、姫様に失礼だぞ。」
ピーターが遠くの席から窘める。どうやら気になって仕方ない様子だった。
「すみません、失礼しました、姫様とお話しできるのが嬉しくって、つい…、」
「いいの、気にしないわ。ありがとう、マーガレット。嬉しいわ。」
シャーロットは微笑むと、マリエッタとマーガレットを見つめた。
「あなた達は付き合いが長いの?」
「はい。私達は基本学校でよく授業が一緒だったんです。」
マリエッタが言うと、マーガレットが手を挙げた。
「私はずっとこの子のお世話係でした。ちょっと一本気でメンドクサイ子で、さっさとトミーが貰ってくれて清々してます。」
「何よ、マーガレットこそ! 結婚しないで学術院にあがるんじゃなかったの?」
「そういう未来もあるけど、私はどっちも手に入れることにしたの。」
「マーガレットは職業婦人を目指すんだよ。」
ピーターが離れた席から訳知り顔で言った。
「俺はそれでもいいって言って、婚約をしてもらえたんだ。」
してもらえたって言い方が、好きな気持ちがよく伝わって素敵ね、とシャーロットは思った。
「私はこれまで通り、学術院へ進学を目指して頑張って勉強して、商業のコースでの1位を守り続けるわ。その実績を持って学術院へ進学して、お城で司書様になりたいの。」
ピーターはやれやれとでもいう様に肩を竦めた。
「マーガレットは昔からそんなことを言ってましたわね。」
「ええ、庶民の私達がお城で働けるなんて、そんな方法しかないでしょう?」
シャーロットは驚いてマーガレットの顔を見た。
「マーガレットはお城で働きたいのですか?」
お城で侍従や侍女として働くには、まずはどこかの貴族の家で働いて紹介状を書いてもらう必要があった。あとは、学術院で学位の資格を獲って司書や薬学博士として働くかしか道は残っていなかった。
「はい。子供の頃から憧れていたんです。近くに王子様やお姫様がいる生活って素敵と思って…!」
マーガレットははにかむようにして微笑んだ。
「姫様とこうしてお話しできるのも、マリエッタが羨ましくって。ピーターとは結婚しなくてもいいですけど、姫様のお傍には伺いたいものだと以前から思っておりました。」
マリエッタが苦笑する。
「マーガレット、正直に言いなよ。ピーターが好きだから迷惑かけたくなくて婚約をずっと断ってたんでしょう? 素直じゃないったら。」
「そうそう、あなた達の関係は基本学校の頃から何も変わってないわよ?」
エミリアもマリエッタの肩を持った。
「ピーターが好きだから迷惑をかけたくないって…どうしてなのですか?」
シャーロットは興味を持った。
「俺が騎士団に入れば、家のことはきっと何もできないでしょう。急に戦地に駆り出される日も来るかもしれません。そんな時に、マーガレットが仕事を持つ職業婦人になってしまえば、仕事を休むことが出来ずに俺を支えられないと言って、泣かれたんです。」
夫の仕事を支えるのが妻の勤め、といった風潮がまだまだ残っているこの世界では、職業婦人になるなら結婚を諦めるのが普通だった。
「戦争が起こらない世の中になれば、また違うんでしょうけどね。」
そうなると、騎士は騎士の仕事ではなくて、何を仕事にして生きていくのだろう。シャーロットは首を傾げた。用心棒とか、湾岸の警備の仕事だろうか。
「いろんな国と友好的な条約が締結出来て、もっといろんな考え方が寛容される世の中になっていけたら、女の人が男の人を養っていけるような世界もやってくるのかもしれませんね。」
シャーロットは何気なく思いついたことを口にした。市場でミカエルと話をした時に、女性の働き方の話を聞いたことを思い出していた。ダシェス・リジーで働く女性達の姿も思い出す。
「姫様は面白いことを考えるんですね。」
マーガレットが興味深そうに呟いた。リュートは黙ってシャーロットの顔を見ていた。あちこちから見つめられて、シャーロットは急に照れ臭くなって俯いて、か細い声で説明する。
「女の人が自分でお店を持ってもちゃんと生活していけるような世の中になればいいなって、ちょっと思っただけよ?」
「女性が店主になるんですか…?」
リュートが驚いたようにシャーロットを見つめた。
「ええ。一人でお店を持つのじゃなくて、誰かと得意なことを分かち合って…、仕入れをする人、売る人、子供の面倒を見る人、食事を作る人、全員が女性でもお店をやっていけたら、もっと生き方って選べるのかなあって。」
シャーロットの頭の中には、ローズが店主になってエルメが料理を作っておばちゃんが子供を育てている様子が思い浮かんでいた。
「そうですね。女性が店を切り盛りして男性が仕入れや裏方や子育てをして生きていくのは、この国ではまだちょっと考えられないですが、そんな国もこの世界のどこかであってもおかしくはないですね。」
マーガレットが考えながら言った。
「子育てをしながらお店を持つ…、お父さまの事業を女の私が継げる未来…、」
マリエッタが呟くと、近くに座っていた商業のコースの女子生徒達は婚約者達との話を中断して、真剣な表情になった。みんな、シャーロットの話を具体的な未来にある可能性として考え始めていた。
「そうなれば、私はトミー様がお仕事に出かけている間も、子供の世話をしながらお店のお仕事が出来るんだわ…。」
ぶつぶつとマリエッタが呟いている横で、マーガレットも何か真剣に考えている。
「私が宰相になる頃には、そういう仕事の在り方も普通になるような仕組みを整えていきたいな。」
遠くを見ながらリュートも考えこんでいる。「そうなれば、もっと国は潤うのだろうな。」
シャーロットはランチを食べながらぼんやりと考えていた。そうなれば、ローズは男装なんてしなくても、女の子のままで生活していけるんだわ。そう思った。
表情が変わった婚約者達の顔を不思議そうに見ながらも、騎士コースの男子学生達は和やかに話を続けていた。
一緒に食べるランチの時間が終わって学食を出る時、シャーロットはマリエッタ達に囲まれて、しっかりと手を握られた。
「姫様、私、この学校にいる間に、もっともっといろんなことを学びますわ。」
マリエッタが興奮しながら言った。
「苦手な出納帳の計算も、将来役に立つのだと思えばなんだか楽しく思えてきました。」
「私もです。せっかく国で一番の知識と人材が集まった学校なんですもの。将来につながる道がはっきりした今、もっと有効に使わなくては!」
リリアンヌがそう言うと、エミリアが頷いた。他の商業のコースの女子生徒達も頷いている。
シャーロットは迫力に負けて、猫を被ると、何がなんだかよく判らないまま微笑んだ。その笑顔は優しく肯定しているように思えて、マリエッタ達は嬉しく思った。
「姫様はやっぱり青い姫君なんですね。」
教室が違う彼女達との別れ際に、マーガレットが眩しそうにシャーロットを見つめながら言った。
「姫様が変えてくれる未来って、まだまだありそうです。私やっぱり、お城に行ってお傍で働きたいって思いました。」
そ、そうなの? 私、何も変えてないんだけどな~とシャーロットは心の中で首を傾げて、去って行くマリエッタ達を見送った。
「シャーロット、」
リュートはぎゅっとシャーロットの手を握ると、耳元で囁いた。
「私の傍で、そういう世界を作りませんか?」
「え?」
見上げたシャーロットを、優しく見つめて、リュートは言った。
「私は宰相になる家の長男です。いつか宰相になった時、あなたが傍にいてくれたら、心強い。」
「そんなことを言われても困るわ。私にはそのつもりがないもの。」
「傍にいてくれれば、違うのですよ?」
そう言って、リュートは教室へ入って行ってしまった。置いていかれたシャーロットは、首を傾げるとガブリエルの元へと向かった。
ありがとうございました