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<141>いつも冷静な悪役令嬢は本音を隠すために猫を被っているようです

「ローズ・フリッツ、君は馬鹿にしていたんだろう? シャーロットが何も知らない無知な人間に思えたんだろう? 違うのか?」

「ミカエル王太子殿下、そんな…!」

「いいんだよ、シャーロット。君も察していたから言わなかったんだろう? ローズは君よりも賢い。だから何を考えているのか判らなかった、だから、理解できなかったんだろう?」

 ミカエルはローズが俯いているのをいいことに、シャーロットに小さくウインクした。

 何か考えがあるのね? シャーロットは思った。話を合わせてってことなのね? 何度か瞬きして、小さく頷いた。

「ローズの考え方は今の時代には進歩的すぎるのだろう? シャーロットは普通の貴族の普通の娘だ。シャーロットのような考え方が主流の世界では、ローズは異端だ。」

 ミカエルはシャーロットに頷いている。

「君がその考え方を変えられないなら、その考え方を話さないようにするか、その考え方を生かして、ここではないところで生きていけばいい。」

 ローズはミカエルの顔を見た。

「それは…、どんな…?」

「君の代わりにシャーロットは国外に出されようとしている。君がシャーロットに対して申し訳ないと思っているのなら、君が代わりに国外に出ればいいんだ。…この学校の地理学の講師を知っているね?」

「ええ、優秀な先生が沢山いますね。」

 いますね、じゃなくていらっしゃいますね、でしょ、とシャーロットは心の中で突っ込みを入れた。

「その者達の中の数人は、今度言語学者達と一緒に、南方の大陸に現地調査に行くようだ。古代の神殿の発掘調査も兼ねてね。修道院からも宣教師や修道女が何人か派遣される。その調査団は学生の登用を歓迎している。君はその調査団に交じって出国して、君の豊かな発想をその場で生かしてくれると、他の者達は新しい考え方を柔軟に受け止めていけるだろうと私は思う。」

「私の知識や考え方も、ここでは異端でも、世界のどこかでは異端ではない、と仰るのですね?」

「ああ、そうだ。女性だからとか男性だからとか言った柵も、学術の前ではちっぽけなことだろう。そう思わないか?」

「そうですね。」

 ローズはゆっくりと微笑んだ。

「教職員室の前に要綱があったはずだ。気になるなら確かめればいい。期間は向こう2年。学費はもちろんかからない。帰国したら学術院への進学が内定している。君は学びたいのだろう? 費用が国が持つし、その間の給金も支給されるようだぞ。」

 寄宿学校を卒業した後、成績優秀者を対象に学術院という学校へ進学が許されていた。主に学者の卵になるための学校で、そのまま学術の徒になっても良かったし、4年の学習期間を終了して講師や司書になることも出来た。

「ちょっと考えさせてください。私にはまだ、修道院の生活もあります。王太子殿下の仰られた生活も素晴らしいと感じます。でも、ななしやにも未練があります。」

 ミカエルは鼻で笑った。

「君は愚かだな。公爵家の娘のシャーロットでさえ、君の影響で国外へ追放されるんだぞ。ななしやなんて庶民だ。もっとひどい目にあう可能性だってあるのではないか? ななしやが火事にあったのが、本当に偶然の出来事だと思っているのか?」

「え?」

 ローズは何度も目を瞬いた。

「君の腕の傷だって、誰かの恨みを買ってのことだろう? 貰い火が原因という噂話を信じる根拠はなんだ?」

 ミカエルははったりをかましている、シャーロットはそう思った。

「急がなくていい。ただ、君が一番自由でいられるところを選択してほしいと、僕は思うよ。」

「自由ですか?」

 ローズは意味がわからない様子だった。

「ああ、窮屈を感じて生きていくのは、僕やシャーロットだけで十分だと思うからね。」

「姫様が窮屈なんですか?」

「なんだ、君は気が付いていなかったのか? シャーロットはいつだって猫を被っているだろう? それは本音を隠して生きている証拠だろう?」

 ミカエルの顔をシャーロットはまじまじと見つめた。いつから気が付いていたんだろう。

「君はロータスの頃からシャーロットを知っているだろう? その頃からシャーロットは本当の自分と猫を被ったシャーロットで生活を分けていたと思うが、違うのか?」

「違いません…。姫様は公爵令嬢として生活してる時は、姫様を演じていました…、」

 シャーロットが戸惑っていると、ローズはシャーロットの顔を見て、決意を固めたように言った。

「姫様、これまで誤解していました。ごめんなさい。私も、姫様の友達だと胸を張って言えるように、私に出来る事を考えてみます。ここでは出来ないし窮屈を感じていても、違うところならそうならないってことなんですね?」

 意味がよく判らないシャーロットは、ミカエルに助けを求めた。ミカエルは黙って頷いている。

 シャーロットも真似して頷くと、ローズはにっこりと笑って、「早めに考えます、」といって、去って行った。


 ミカエルの部屋に制服のまま寄ったシャーロットは、制服のままのミカエルとソファアに並んで座った。ミカエルは黙ったまま、シャーロットの手を握って座っていた。

「ねえ、今日の話、」

「ん? どうしたの、シャーロット。」

「いつから気が付いてたの?」

「何が? ああ、猫を被ってるってやつ?」

「そう。気が付いてないのかと思ってた。」

 ミカエルは、シャーロットを面白そうに見ていた。

「この学校へ来てからだよ? 君がロータスだったローズと話をしているのを見て、話し方が違うと思ったのが最初だった。エリックとの会話もよく聞いていると君は結構口が悪いと思った。」

「そ、そうだったかな?」

「シャーロットはいろんな話し方が出来る子なんだって思ったら、いろんな顔を持ってるんだなって気が付いた。僕の前での王太子の婚約者としての令嬢の役や、ロータスの前での気の置けない友人の役や、エリックの前での口の悪い喧嘩が出来る仲の良い姉弟の姉役や、いろいろね。」

 ミカエルの顔を見ながら、シャーロットは口を尖らせた。そんなつもりはないんだけどな~。

「確信したのは、君の誕生日の前くらいだったかな。ゲームのイベントで君の誕生会でのローズの話をしている時、結構君は素で僕と話をしていた。本音が聞けてびっくりもしたけど、ああ、この子はいつもかなり言いたいことを言わないようにして、猫を被って生活してるんだなって思ったんだ。」

 シャーロットの手を握って、ミカエルは微笑んだ。

「その時、僕は、ローズみたいに君がいつも一つの顔だけで生活してくれたらいいのに、とは思わなかった。」

 ローズは顔をいくつ持ってるんだろう。きっと私が知らないだけだろうなとシャーロットは思った。ミカエルの顔は、王子様のミカエルと、転校生のミチルと、あとは…、まだあるのかな。

「人間ってだいたい毎日200回嘘つくんだって、大学生の頃、心理学の先生が授業でそういやー言ってたなって思い出したら、シャーロットってずっとそんな風に無自覚に嘘ついて生きてるんだろうなって、気の毒に思えたんだ。」

 大学生ってきっと、前世の記憶の話なんだろうなとシャーロットは思った。心理学が何なのか判らないけれど、日本の大学ってそういうことも学ぶんだね、とも思う。

 毎日200回で1年だいたい365日を、16回…。シャーロットは頭の中の黒板に式を書いて計算して、数の多さにうんざりした。100万を超えるよね…。私、めちゃくちゃ嘘つきだと思われてるわ、と納得がいかなくて眉を顰める。むしろ嘘の塊でできてるんじゃないの? そんなに猫を被ってないはずなんだけどなあ…。

「まあ、僕もたいがい本音を言えない立場だから、シャーロットとあまり変わらないだろうけどね」

 ミカエルは肩を竦めた。ミカエルがミチルだと黙っているだけでも嘘になるなら、私はずっと嘘つきでもいいわとシャーロットはこっそり思った。

「貴族としての生活があったり公務があったりする生活だと、やっぱり顔はいくつか持っていた方がいいと思う。」

「それは…、私もそう思うわ。顔を使い分けていないと、出来ない事ってあるもの。」

 やりたくない公務をする時なんか、猫は最高に着心地がいい。

「ゲームの中で、悪役令嬢だった君は、いつも冷静で冷徹で、ローズに嫌味を言ったり嫌がらせをしたりする時も、顔色一つ変えなかった。僕はその様子を見て、さすが悪役令嬢と思ってたけど、違うんだって気が付いたんだ。ゲームの中でも君は猫を被っていて、本当は泣いて取り乱して喚きたくても、公爵令嬢の顔を保ったままでいたんだろうなって、ね。」

 ミカエルは悪役令嬢だったシャーロットの顔を知っているのだろう。自分だけど自分じゃない誰かの行動が切なくて、シャーロットは胸が苦しくなった。

「僕の傍にいる時も君は時々猫を被っているよね?」

 うんとは言えないけど、そうだね。シャーロットは苦笑いをして誤魔化した。

「僕は、君の気持ちがいつも表情に出てるとは思わないようにしてるよ? 君が話してくれる言葉は僕に伝えていいと判断したことだけで、本音は言ってないけど嘘はついてないんだって知ってるから、僕に話せないことは黙っているだけなんだと思うようにしてるよ?」

 ミカエルって、私のことをそんなに理解してくれてたんだ…! シャーロットは、膝に置いた自分の手に、熱い涙が落ちたのを感じた。私、泣いてる…?

「シャーロットがずっと傍にいてくれるって言ってくれる言葉をいつだって信じてるよ? それ以外は何を聞いても聞かなかったことにしてるし、見なかったことにしてる。僕も、ずっと傍にいるって決めてるし、ずっと君を守るよ?」

 小指を差し出して、シャーロットの小指に絡ませたミカエルが、ゆっくり微笑んだ。

「昔から言ってるでしょ? 嘘ついたら僕のお嫁さんになるって。君はずっと猫を被って本音を言わないで、気持ちに嘘ついてるんだよ。知ってた?」

 目をぱちくりとしたシャーロットに、ミカエルは指きりをした。

「僕にいつも嘘をついている君は、いつだって僕のお嫁さんになるって決まってる人なんだよ?」

 柔らかく微笑むとミカエルはそう言って、シャーロットの頬を撫でた。


 ミカエルと夕食を制服のまま食べに行き、明日はミカエルのまま登校すると言ったミカエルにおやすみと告げて、シャーロットは女子寮の自分の部屋へと帰った。女子寮への廊下をいつものように歩いていると、窓辺に佇んでいる影を見つけた。

 窓を見上げている横顔に、見覚えがあった。

「ブルーノ…。」

 細い月を見ているブルーノは、シャーロットの声に気が付くと、ゆっくりとシャーロットを見つめた、

「お帰り、今から部屋に帰るのか、シャーロット。」

「ええ、」

 シャーロットは待ち伏せされていたのだと気が付いた。ブルーノは綺麗な水色のセーターに、灰色のズボンを履いていた。なんだからしくない格好に思えて、色合いに違和感を覚えた。シャーロットは戸惑いながらブルーノを見つめた。

「ブルーノは、何をしていたの?」

 寒くないの? いつからここにいたの? そう問いかけようとして言葉を飲み込んだ。ブルーノの表情は悩ましげで、妙に色気があった。

「月を見ていたんだ。月があんなに細いのに、雲があるから星も見えない。」

 シャーロットも夜空を見上げた。

「一緒に星が見たかった。でも無理だな。」

 人気の無い夜の廊下に二人でいるのはいけない気がした。

「そうだね。ブルーノ、早く寝なよ? もう行くね?」

「待って、」

 シャーロットの腕を掴んだ手は、力強くて、シャーロットは抱き寄せられてしまった。ブルーノの胸を押して二人の間に空間を作る。すぐに力強く抱き締められてしまう。

「もう少しだけ、ここにいて。」

「ブルーノ、」

「僕を、嫌いになった? シャーロットは、もう忘れてしまうのか?」

 囁くように尋ねる声は苦しそうで、シャーロットは何も言えないまま腕の中にいた。

「君のことが忘れられないよ…。」

 ブルーノは辛そうに言った。シャーロットの耳に、ブルーノの息が当たる。震える耳に、そっと、口付ける…。

「ブルーノ、」

 シャーロットは腕の中で俯いたまま、そっと、言い聞かせるように呟いた。

「私は、あなたのことを忘れたりなんかしない。あなたのことを胸に隠したまま、結婚もするし、老いていくわ。」

 自分に出来ることは、隠したまま恋心を時々思い出して懐かしむくらいだろう。そうシャーロットは思った。

 ブルーノはシャーロットの頬に唇を寄せた。

「君と結婚したかった。君を誰かのものにしたくはなかった。」

「出会った時から、私には婚約者がいて、あなたにもいたじゃない…。」

 ぎゅっと抱きしめるブルーノに、シャーロットは囁いた。

「ブルーノ、マリア姫が嫌いなの?」

「好きでもない。嫌いでもない。」

 急に、シャーロットはパーティで会ったマリアの微笑んだ顔を思い出した。

「あなたの国に一人で嫁いでくる人を、あなたは立派だと思ってあげないの?」

 考え込んでいる様子のブルーノを押して、抱きしめている腕を解いた。少し距離を取ると、シャーロットはブルーノの顔を見上げた。碧い瞳に、悲しそうな表情が浮かんでいる。

「私が一人で嫁いでも、あなたは歓迎してくれないの?」

「シャーロットなら来てほしい。」

「マリア姫は、歓迎して貰えないの?」

 シャーロットと同じ16歳のマリアは、大国の姫君である前に、一人の女性だった。

「女性には優しくしないといけないね…、」

 溜め息をついて、ブルーノは微笑んだ。

「私が好きなブルーノは、私じゃなくても優しかったわ。クララ様を庇ってくれたでしょう?」

 あの時ブルーノがいてくれたから、クララは泣かずに済んだとシャーロットは思った。ミカエルだけだと、あんな風に話は進まなかっただろう。

 ブルーノはシャーロットの頬を撫でた。

「君以上に愛せないかもしれないけれど、彼女を大切にするよ、シャーロット。」

「私はあなた以上に、大切な友人を知らないわ。」

「僕は友人なのか?」

「恋人ではないでしょう?」

「そうだな。友人なら、君といつまでも付き合っていける。」

 ブルーノは悲しそうに微笑んだ。「それでも、君がいいと、言ったら?」

「私は、もう二度とあなたには会わないわ。」

 瞳を伏せて、シャーロットは顔を逸らした。妥協できることはすべて伝えた。自分に出来ることを提案してみた。あとは、ブルーノ次第だ。

「今日はもう寝なよ、ブルーノ。寝てない頭で考えたって、いい答えなんて思い浮かばないわ。」

 雲間の細い月を見上げて、シャーロットは小さく笑った。明日にはブルーノは前を向いて歩いていけますように。そんな願いは満月に祈った方がいいのだろう…。

 ブルーノは瞬きもせずに、じっとシャーロットの顔を見ていた。

「おやすみ、ブルーノ、」

 優しく微笑みかけて、シャーロットは碧い瞳を見つめた。

「おやすみ、シャーロット、」

 手を振って歩き出したシャーロットを、ブルーノは手を振って見送っていた。


 その夜のうちに、たまたま通りかかってその様子を見ていた学生達によって、シャーロットはブルーノと恋仲であると噂が流されてしまった。

 婚約したばかりのブルーノと王太子と婚約中のシャーロットの秘密の噂は、青い姫君とのイメージの差もあって、翌朝には好奇の目で捉えられることになってしまった。

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