<140>だってあなたは、私の友達
月曜日の朝から学校は学年末テストの順位で大騒ぎだった。教室の前の廊下では学生達が歓喜の声をあげて騒いで、お祭りでも始まっているかのようで大変な盛り上がりだった。
シャーロットも人の波を掻き分けて自分の名前を探した。
「おめでとうございます、シャーロット、」
先に学校に来ていたガブリエルが祝福してくれる。
「最後まで私は勝てなかったですわ。」
「おはよう、ガブリエル。ありがとう、何位だったの?」
ガブリエルは笑顔で黙って順位表を指差した。
1位から見ていくと、ブルーノの名前を最初に見つけた。2位はリュートとサニーで、4位にシャーロットとエリックの名前があった。意外にも、6位にローズ、7位にガブリエルとミチルの名前が並んでいる。
「すごいじゃない…!」
シャーロットはローズが一人で頑張ったんだと思うと、あの泣いて怒っていたローズの赤い顔を思い出して、言葉に詰まった。
「お姉さま、おはよう、」
エリックがブルーノとやってくる。
「ブルーノ、おめでとう。すごいじゃない。」
「ああ、ありがとうシャーロット。おはよう。嬉しいよ。」
ブルーノは少しやつれているように見えた。
「ねえ、痩せた?」
「やっぱりお姉さまもそう思うだろう? あんまり食べてないんだ。眠れていないみたいだし、困ったやつだよ。」
「今週からリチャードと練習も再開するから、疲れて眠れるようになるさ。」
ブルーノは笑った。
「シャーロット、」
サニーがやって来た。
「おはようございます、シャーロット、私は勝ちましたよ?」
「おはよう、そうみたいね。」
他人事のようにシャーロットは微笑んだ。
「一緒に出掛けてくれますよね?」
「嫌よ?」
断ることは断らないと、また、いろいろ忙しいと噂されてしまうと思った。
「シャーロットに一番勝ったのは僕だ、サニー。」
ブルーノが静かに割って入った。シャーロットを見たまま、サニーに牽制するように言った。
「僕の1位のお願いはひとつ。シャーロットは誰のおねだりも叶えないでほしい。」
「ブルーノ?」
エリックが怪訝そうに尋ねた。
「いいだろ、それがシャーロットへのおねだりだ。」
真剣な眼差しでシャーロットを見つめていたブルーノから目を離せないでいたシャーロットは、ポンと肩を叩いた手で我に返った。
「おはよう、シャーロット。」
リュートがチーム・フラッグスの学生達と一緒にシャーロットを囲んでいた。
「おはようございます、姫様。おめでとうございます。私達もみんな、頑張りました。」
マリエッタが嬉しそうに言った。
「また、明日にでも定例の食事会などいかがですか?」
さっきブルーノにおねだりを牽制されたところなんだけどな、とシャーロットは思った。ブルーノをちらりと見ると、ブルーノは微笑んで頷いた。これはいいんだ?
「ええ、明日、そのつもりで予定を開けておくわ。よろしくお願いね。」
シャーロットがマリエッタに微笑むと、男子学生達は歓声を上げて喜んだ。ブルーノを見ると、微笑んだままで、何も変わらなかった。
「では、また明日、お迎えに来ますね?」
マリエッタは手を振って、トミーは会釈して、チーム・フラッグスの学生達と騎士コースの教室の方へ帰っていった。シャーロットは手を振って見送っていた。
「ねえ、ブルーノ、おかしいですわね?」
ガブリエルがシャーロットの耳元で囁いた。
「やっぱりガブリエルもそう思う? 私も、なんだか変だと思うわ。」
シャーロットは手で口元を隠しながら、ガブリエルにだけ聞こえるように小声で返した。ガブリエルが何か言おうとした時、ブルーノの手がシャーロットの手首を掴んだ。
「シャーロット、そういうのは良くないなあ。」
なにが?
ブルーノは顔を近付けて、シャーロットの瞳を見ながら、微笑んで言った。
「秘密は良くないと思う。もう時間が無いんだ。僕には君のすべてを教えてほしい。」
聞くなり、ガブリエルはさっと顔色を変えてどこかへ行ってしまった。エリックも険しく表情を変えて、ブルーノを見ていた。サニーとリュートは何か言いたそうな顔でシャーロットがどうするのかを観察していた。
シャーロットは困ってしまって、「ごめんね、ブルーノ」と言うと、手で手首を握るブルーノの手を剥がした。
「ちょっと、2年生の教室の方へ行ってくる。」
シャーロットは逃げるようにその場を離れた。ブルーノが怖いと思ったのは、初めてのことだった。
2年生の教室の前の廊下の人混みの中に、シャーロットはクララ達侯爵家4人組の姿と、ミカエルの姿を見つけた。
「姫様!」
クララは嬉しそうにシャーロットを見つけて微笑んだ。
「私、今回も2位でしたの。姫様のキスの効果がやっぱりあったんですわ。」
ないから、絶対そんなのないから。シャーロットはぶんぶんと首を振った。
「今回もご褒美をくださいますか?」
シャーロットは上目遣いにおねだりしてきたクララに、微笑んで答えた。
「私ではない人に、ご褒美をもらわれた方がよろしいのではありませんか?」
一瞬にして顔が赤くなって、クララは俯いた。「姫様からも、いただきたいのです…。」
アントワーヌや二コラ、アンリエットは、クララを微笑ましそうに囲んでいた。
「シャーロット、頬にキスくらいしてあげなよ? 」
ミカエルは面白そうに言った。絶対揶揄ってるわね? とシャーロットは少しイラっとした。
「では、きちんとその人からもご褒美をもらってくださいね?」
エリックはクララにいくらでもキスをしてくれるだろう。シャーロットはそう思いながら頬にキスをした。
「ありがとうございます。」
頬を染めながらクララは教室の中に入って行った。アンリエッタ達はお辞儀して、キスをねだらずにクララを追いかけていった。
「さて、僕の順位を見てよ?」
ミカエルはシャーロットの両手を握りしめた。シャーロットはミカエルの肩越しに、順位表を見た。1位から順番に名前を探していくと、6位のところにミカエルの名前を見つけた。
「すごいじゃない! 6位よ?」
驚くシャーロットに、ミカエルは嬉しそうに頷いた。
「ミチルは?」
「7位だったわ。」
「シャーロット、約束覚えてる?」
恥ずかしくなり、シャーロットは俯いた。「覚えてる…、」
「さて、何をお願いしようかな。」
ミカエルが耳元で囁いた声は、甘くとろけるようで、シャーロットの心にじわじわと広がっていった。
昼休み、ガブリエルとお昼ご飯を食べに教室を出ようとしたシャーロットに、ローズが近付いてきた。ガブリエルは険しい顔をしてローズを睨んでいる。
「すぐ済みます。お時間、下さい。」
シャーロットは猫を被って笑顔を作った。
「大丈夫よ、ローズ。何かしら?」
「ちょっとお時間欲しいんです。放課後、中庭の噴水で、お話しませんか?」」
「ええ、大丈夫よ?」
「二人だけで、ですよ?」
「わかったわ。」
シャーロットはガブリエルをちらりと見た。とても不満そうな表情を浮かべたガブリエルは、不服そうに頷いた。
「では、放課後。」
ローズは手を振って教室の奥の方へ去って行った。
「なにかしら?」
「行ってはいけませんわ、シャーロット。」
「どうして?」
「あの者に関わるとろくなことがありません。」
「今回もそうだなんてわからないじゃない?」
「でも、そうに決まっていますわ。」
シャーロットはガブリエルの顔をまっすぐに見た。心配して不安そうな顔をしているガブリエルを悲しませるようなことをするのは嫌だなと思った。それでも、シャーロットはローズと話がしたかった。
「気になるなら、中庭だし、見てたら?」
首を少し傾げて提案してみた。
「私は、構わないわよ?」
きっと、私がそう言わなくても、ラファエルの近しい人達は観察しているだろう。そこから話は伝わっていくのだろう。
シャーロットはこうやっていろんなことがいろんなところに筒抜けになっていくんだろうなと思った。
放課後、シャーロットはローズとの待ち合わせの中庭の噴水前に、先に到着した。辺りを見回すと誰かの気配はしない。でも、誰かいるんだろうなと、思った。
噴水の前のベンチに座って待っていると、ローズがやって来た、ローズはシャーロットの隣に座らず、シャーロットの前に立った。
「テストの順位、見ましたか? 私は自力で、大丈夫でしたよ?」
「そうね。おめでとう、ローズ。」
「これで来月からもここの学生でいられます。」
「それは何よりね。」
シャーロットは優しく微笑んだ。
「姫様、あの本はいかがでした?」
ローズは近付くなり、にやりと笑った。
「あの薔薇の詩、とっても良かったでしょう?」
「薔薇?」
薔薇のページなんてあったかしら?
「しおりを挟んでおいたのですが、気が付きませんでしたか?」
そんなもの挟んであったかしら?
「しおり? それは知らないけど、どんな詩なの?」
「私も良く判らないので、絵で見て判断しました。姫様なら、サニーに聞きに行くかなと思って。」
にやりと笑ったローズの顔に、シャーロットは胸騒ぎを覚えた。
「どうしてそう思うの?」
「姫様はサニーと仲がいいでしょう?」
「仲がいいからといって聞きに行くとは限らないじゃないの。」
実際シャーロットは聞きに行っていない。傍で自分の選んだ詩を読んで貰っていた。
「せっかくの意趣返しをしようと思ったのに、残念ですね。」
「意趣返し? ナニソレ」
「私がプチ・プリンスを得られないのなら、姫様もモヤモヤすればいいのにって思ったんですけどねえ。」
「私は今のあなたにモヤモヤしてるわよ?」
シャーロットは素で答えた。「ローズが何言ってんだかよくわからないもの。」
くすくすと、ローズは涙を浮かべて笑った。
「それでも姫様は私を理解してくれようとするんですね。他の人とは大違いです。」
シャーロットはなんといえばいいのか少し考えて、言葉をまとめた。
「だってあなたは、私の友達でしょう?」
驚いたような顔になって、ローズはシャーロットを見つめた。
「私を友達だと、まだ思ってるんですか?」
「ええ、昔からずっと、あなたは友達で、友達のあなたがおかしなことをすると私はいつも罰を受けているわ。」
「私の影響で罰を…?」
ローズは何度も瞬きした。
「そうよ? 友達でいるってことは、一緒に罰を受けるってことじゃないの?」
シャーロットはクララ達侯爵令嬢四人組のことを思った。クララを助けた彼女達は、言い換えれば一緒に罰を受けていた。
「もしかして私がこの世界の基準に合わないようなこと、…おかしなことを言うと、姫様に罰が回るんですか?」
ローズの言い方は不思議に思えて、シャーロットはきょとんとした。
「気が付いていなかったの? 私はあなたが国王批判を想わせる発言をしたから、国外に出て身を隠すようにと両親に言われたわ。」
「国外に、ですか?」
「王太子殿下に婚約破棄を願い出てまで、私に海外に出て欲しいんですって。」
シャーロットは他人事のように思えて笑えてしまった。こんなに中性的で透明感のある可愛いローズを、巨大な化け物か何かのように私の両親は認識しているのだわ。そう思うと、笑えてしまう。
「どうしてですか?」
「私が反乱分子と通じているように受け取られると困るからでしょう?」
「反乱分子ですか? 私の言葉はそんな風に受け取られるのですか?」
ローズが意外そうに目を見開いた。シャーロットはローズが面白くさえ思えてきた。
「あのね、ローズは貴族だもの。あなたの言動はいろんなところに影響するのよ?」
「は? 姫様にも? 私が何を言ったって私の責任じゃないんですか?」
「そう思ってるのはローズ、あなただけよ、きっと。貴族が罰を受ける時は、横のつながりも縦のつながりも罰を受けるのよ? 友達がおかしなことを考えると、一緒にいるから同じ考えをしているって思うでしょ、普通なら。」
「姫様が、私が原因で、罰を受ける? 私が何かを言うと、姫様が代わりに罰を受けるんですか…?」
そんなことも考えたことがないのね。シャーロットはローズに言い聞かせるように言った。
「あなたが何かをすると、私はあなたの代わりに公務が増えるわ。でも、そんなことだってきっと、知らなかったでしょう?」
ローズは半信半疑なのか、震えながら問いかけた。
「何が増えたって言うんです?」
言いたくないんだけどな…とシャーロットは思った。でも、知らないままよりは、知っておいてくれた方がいいかもしれない。
「あなたの面倒をみるために、院長先生は公務を返上したわ。その返上した公務は、私が貰うことになったわ。この前、街で会ったでしょう?」
「ええ、姫様は馬車に乗っておられましたね。」
「あれは公務の帰りなの。院長先生が受けるはずだった公務の、帰り。だから、院長先生は会釈して下さったんだと思うわ。」
「リュートの怪我の時も、姫様はもしかして…?」
「そうね、私が、あなたの代わりに請け負うように言われたわ。」
半分は、宰相夫人の我儘だけど。
何か思うところがあったのか、ローズは俯いて黙り込んでしまった。
「私が知らないだけで、姫様は私の罰を肩代わりしてくださってるんですね?」
「まあ、そうね、それが友達というのでしょう? 貴族のつながりってそういうもんなのよ。」
「友達が、つながり…?」
ローズは納得できないのか、考え込んでいる。
「私は、あなたが判らなくて得体が知れなく思えて怖く思う時もあるけど、理解したいからあなたの傍にいたいとも思うわ。」
「どうしてですか、」
ミカエルを思い出しながら、シャーロットは出来るだけ丁寧に思っている事を伝えようとした。
「あなたは見た目よりも随分と大人なんだって、理由も秘密も私に教えてくれたわ。それって、ずっと長い間、孤独なんでしょう? 自分の知ってる世界との間で戸惑ったり苦しんだりもするのでしょう? 価値観が違ったりして誰からも理解されないって、辛いと思う。私は仕組みとか価値観とかよく判らないから、話を聞いてみないと判らないし、あなたが抱えているものを理解しようとするくらいしかできないもの。」
シャーロットはそっとローズの瞳を見て微笑みかけた。
「誰も何も言わないからあなたのことを見ていないんだなんて、思わないでほしいの。私はあなたに言わなくてもいいことを言わないだけで、いつだって見てるわ。何もあなたには伝えなかったけれど、あなたの罰を私は友達だから一緒に分かち合ってるの。ローズは…、あなたは、私にはたった一人しかいない大事なローズなの。」
ぽたぽたと、シャーロットは自分の瞳から涙が流れているのに気が付いた。言葉にすればするほど、砂を掴むように伝えたい思いが見えなくなっていく気がした。
「私は、何もできない自分が悔しいと思ってるし、あなたが理解できなくて苦しんだわ。あなたに上手く伝えられなくて悔しくもなった。あなたがもっと私に歩み寄ってくれたらって、何度も思ったわ。」
手で涙を拭うと、ローズを見つめた。
「私には上手く言えないけど、あなたを選びたいといつだって思ってたわ。」
欲しいものはローズ。それは間違いじゃない。シャーロットは思った。ローズは決して手に入らない、友達なのに友達と思わせてくれない、友達になりたいと願ってやまない人。
「姫様…、」
「ん?」
「私は、何を間違えちゃったんでしょうか。」
はにかみ笑いをしながら、ローズは目に涙を浮かべてシャーロットを見つめていた。
「私は、こんなところに来たくはなかった。いつだって、ななしややばあちゃんのところへ帰りたかったんです。」
貴族でいるより庶民でいたかったのね?
「女の子の格好をしていつものように振舞うと目立ってしまう。男の子の格好をして好き勝手なことをしても、粗野だと言われてもそれだけで許されてしまう。だから私は男の子の格好を選んだのに…。」
腕の怪我はどっちの時に受けた傷なんだろう。ちょっと聞いてみたくなった。
「姫様が貴族で、同じ貴族で同じ学校に通ってても姫様と私は違ってて、お話だって沢山したかったのに、どうしてなのか姫様とはいつも一緒にいられなくて、王女様を恨んだりもしました。」
ローズは自嘲するように笑った。
「私は一人なんだって自覚したら、何をやったって私一人が罰を受けるんだって思ってたのに…。」
目を瞑って、何かを我慢するように、ローズは震えていた。
「姫様は私の代わりに公務を引き受けてくれていたなんて…。私が原因で、国外に出て行かなくてはいけないなんて言われているなんて…。」
ふるふると首を振って、シャーロットはローズを見た。
「私が選んだことだから、それは仕方のないことなの。私はローズと友達でいることを選んだの。どんな罰だって公務だって、あなたといられるのなら、たいしたことないと思ったの。」
目を見開いて、ローズはシャーロットの顔を見つめていた。ぽたぽたと涙が零れ始めた。
「ごめんなさい…、」
ローズは泣いていた。
「ずっと羨ましくて、ずっと姫様が妬ましかった。何でも手に入れて何でも出来て、誰からも好かれている姫様が、私には振り向いてくれないのだと思えて…、」
「違う、違うわ、ローズ。」
シャーロットは首を振って、何度も躊躇った。
「私はずっとあなたの手を握りたかった。でも、あなたは何を考えているのか判らなかった。理解できないから、手を取れなくて、あなたを孤独だと勘違いさせてしまった。」
「私は…。」
ローズは泣いたまま俯いて、何も言わないまま、唇を噛んでいた。
シャーロットもどうしたらいいのかわからずに、言葉が出てくるのを黙ったまま見守っていた。
「もういいだろう?」
ミカエルが、いつの間にか、すぐ近くに立っていた。
ありがとうございました




