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<139>悪役令嬢の恋の行方は拗れてしまったようです

 月曜日から始まった学年末テストは金曜日まで続いた。ミカエルは生活の基準をミカエルで過ごしていて、朝食を終えるとミチルの格好になって合流して登校する日もあったけれど、毎晩自分の部屋に戻ってくれていたおかげでシャーロットはゆっくりと眠ることが出来てほっとしていた。

 エリックとブルーノが一緒にいるところを見る日もあった。ガブリエルはシャーロットに会う度に「負けませんわよ?」と不敵に微笑んでいた。

 シャーロットは一人の部屋で、時々貰った指輪を眺めたり、時々二匹のクマのリュックをつついてみたりして、寂しさを紛らわせていた。シュトルクに貰った本を眺めたりもした。母に貰ったチョコレートは美味しくて、ちょっと幸せな気分になったりもした。

 テストが終わった金曜日、シャーロットは先に寮の自分の部屋に戻ってきていた。ミカエルは呼び出されたと言って別行動を取っていて、理事長室に寄ってから部屋に来るらしかった。土日をミチルなミカエルと過ごす予定だったので、シャーロットはミカエルがいないうちに散らかった部屋の片付けをさっさと済ませてしまいたかった。テストの首尾は上々で、まあ悪くはないだろうと思った。

 モスグリーン色のニットワンピースに着替えてラグの上に座りながら、シャーロットは書類の分別をしていた。3月になった途端に明るい青色に変わった空を窓越しに見上げながら、黙々と作業していた。

 シャーロットはふと作業する手を止めた。2学期から持ち越したの資料の中に、ローズ用に作っていた白い地に薄い桃色の薔薇の模様が入っている表紙のノートを見つけた。ローズに見せる前提に作っていたノートだったので、他のノートの表紙と色が分けてあった。「ローズがきちんと勉強してくれてればいいな、」つい願望が声に出てしまう。

 こんこんと、背後のドアを誰かがノックした。

「はあい、どうぞ。」

 相変わらずミカエルは律儀だな~とドアに背を向けたまま、シャーロットは思った。ドアの閉まる音がした。何も言わないなんて、よっぽどひどい呼び出しの内容だったのだろう。

「なあに、どうかした?」

 優しく尋ねたシャーロットを、ゆっくりと誰かが抱きしめた。

「はい?」

 ミカエルではない背の高い誰かは、シャーロットの頭に顎を乗せた。シャーロットを抱きしめている生成り色のセーターを着た腕は、随分と逞しい…。

「シャーロット、」

 背後からシャーロットを抱き締めたのは、ブルーノだった。アンバーウッディーが、香ってくる。

「え、ブルーノ?」

「入る前にノックしたよ? 勝手に入らなかった。」

「そうね。だけど、もう、あなたはここには来てはいけないわ?」

「知ってる。」

 ブルーノは背後からシャーロットの頬に唇を寄せた。振り返ってはいけない。シャーロットはそう思った。

「ねえ、シャーロット、」

 掠れた声でブルーノは囁いた。

「テストで君に勝ったら、お願いがあるんだ。」

「聞かないし、叶えてあげられない。」

「君にご褒美をあげたい。」

 シャーロットは自分を抱きしめるブルーノの腕を、ぎゅっと掴んだ。

「ブルーノはバレンタインも、ご褒美じゃなくて違うものをくれたわ。そういうのはもういい。」

 拒絶していても、シャーロットの心はざわついていた。ずっと隣にいたい。ずっと一緒にいたい。ずっとブルーノの声を聴いていたい、そう思えてくる。

「今の、僕の気持ちを聞いてほしい。どうしようもなく、苦しいんだ。」

 ブルーノの声には熱がこもっていた。

「やっと君の心を手に入れたのに、やっと君が手に入りそうだったのに、どうしてなんだ? 僕が小さな国の王子だから? 僕が力がないから? 君はどうして僕の手の中に落ちて来てくれないんだ?」

 あんなこと言うんじゃなかった。シャーロットは少し後悔した。あんなことを言わなければ、ブルーノはここまで心を乱すことはなかったかもしれない。あれからもう随分日にちが経っていると思ってしまった自分は白状なのかもしれない、シャーロットははたと気が付いた。

 何もしてあげられないから心を差し出したのにな。シャーロットは唇を噛んだ。

「国の大きさなんかじゃないわ。あなたにはあなたの役割があって、私には私の役割がある、それだけだと思う。」

 シャーロットは自分が貴族の娘じゃなかったら、ブルーノと出会っても結婚なんて望まれないと思った。公爵家の娘として出会ったから、縁があったのだと思った。

「ねえ、ブルーノ、」

「なんだい、シャーロット。」

 ブルーノは優しいから、きっと、私のことが忘れられないのだろう。私が嫌な人間だとわかっても、きっと、この人は優しいから許してしまうのだろう。

「あなたは、私が家を追放されて罪人として国を出ても、同じように愛しいと思ってくれるのかしら。そうなったとしても結婚なんてできないわ。あなたは一国の王子様なんだもの。爵位の無い罪人のただの女を妻に迎え入れることなんて、できないでしょう?」

 シャーロットを抱きしめる手に力がこもるのが判る。

「あなたが国を捨てても、私が国を捨てても、私達は一緒にはいられないわ。」

 そっと、ブルーノの腕に、手を添えた。

「きっと、今だけの思いなのだと、私は割り切るわ。あなたのことを愛して結婚したいと思ってくれる人がいる。その人との結婚を、あなたは政略結婚に感じているかもしれないけれど、あなたを好いてくれているのには違いないと思うわ。マリア姫は、あなたのことが好きなのよ?」

 シャーロットに頬を寄せて、ブルーノは黙ってしまった。シャーロットも、何も言えないまま、ブルーノの腕を撫でていた。

 こんこんと部屋のドアをノックして、「シャーロット、遅くなってごめーん、」と明るく言ってミチルが入ってきた。

 ブルーノがいるのを見つけて、不機嫌そうな声で「どうしてこの部屋にいるの?」と尋ねた。

「ああ、シャーロットと話したかったんだ。ごめんな、」

 立ち上がったブルーノはミチルの頭をくしゃくしゃと撫でて、部屋を出て行った。

「あいつ~、僕が背が低いって知っててあの仕打ち…。許せんな。」

 ミカエルは口を尖らせて文句を言った。

「で、シャーロット、何してたの?」

 腕を組んでミカエルは尋ねた。シャーロットはこっちの王子様もメンドクサイ…と思ったけれど黙っておいた。ぶーたれた可愛い顔に、今は見とれていたかった。


 ミチルなミカエルと土日をまったりと過ごす予定だったのに、ブルーノに刺激されたのかミカエルは、ミチルじゃなくてミカエルで土日を過ごすと言って部屋また帰っていってしまった。どっちでもミカエルじゃんと思いながら、シャーロットは片付けを済ませたら行くからと言い訳して部屋に残った。

 ようやく片付け終えて部屋のドアに鍵をかけて、廊下を歩いていると、ダニエルとアンドレアに久しぶりに会った。お互いの腰を抱くようにして歩いていた二人は、シャーロットを見ると、「お久しぶりね、姫様、」と微笑んだ。

 アンドレアはシャーロットを値踏みするように上から下までじっくりと見た。シャーロットは不快に思ったけれど、猫を被って微笑んだ。

「もう卒業してしまうのですね。寂しくなるわ。」

 シャーロットの社交辞令に、アンドレアは含み笑いをした。

「寂しくなるのは姫様の方でしょう?」 

「どうしてですか?」

「ブルーノ様がいなくなってしまうから。」

「もうご存知なのですね?」

「ええ、私の家の商売は異国との繋がりが欠かせませんから。遠く東方の国に姫様も嫁がれるのでしょう?」

「そっちの話は単なる噂話ですよ?」

 シャーロットは内心イラッとしたけど、猫をしっかり被って微笑み続けた。

「まさかあの国での出会いがきっかけになるなんて、誰も思いませんでしたね。私も歴史の一大事に立ち敢えて光栄です、ね、ダニエル?」

「アンドレア、姫様に失礼だろう? いい加減よさないか、」

「姫様も罪作りですね。ブルーノ様と仲良しでしたものね。コーヒーを一緒に飲みに行ったりなんて、まるでデートじゃないですか。」

「え?」

「私達も、あの店にいたんですよ?」

 ブルーノと出かけたあの日、お店の隅にいた長い金髪の三つ編みはアンドレアのものだったのね。シャーロットはようやく気が付いた。

「遠く東方の姫よりも姫様の方が何倍も美しいですが、姫様の方がいろいろとお忙しそうですね。」

 いやらしく含み笑いをして、アンドレアはシャーロットに身を寄せると、小さな声で囁いた。

「で、本命は誰なんです? まさか本当に、この国の王太子殿下と結婚するんですか?」

 絶句してしまったシャーロットの顔をニヤニヤと見つめて、アンドレアは、「行こう?」とダニエルと通り過ぎていってしまった。

 私の将来のことを悪意を持って興味本位に関心を寄せている人がいるんだ…。シャーロットは初めて向けられる好奇の眼差しに戸惑っていた。

 マリアと比べて忙しそうという言い方も、気になった。誰かの心を弄んでいるとでも言いたいのだろうか。私、もしかして悪役令嬢の条件をまた満たしているのかしら。

 シャーロットはすれ違う学生に不安な気持ちを悟られないよう、猫を被ってミカエルの部屋へと急いだ。


 ミカエルはぶーたれた顔をして群青色のセーターにチャコールグレイ色の毛織のズボンを履いて、足を組んでソファアに座っていた。

「遅かったじゃない? もしかしてまたブルーノと寄り道してたの? 」

 最近なんだか猜疑心が強くなってきてる気がするわね、と思いながら、シャーロットはミカエルの眉間をつついた。

「ごめんね、片付けに手間取ったの。あと、ちょっと話してた。」

「誰と?」

 シャーロットはミカエルの隣に座った。

「ダニエルとアンドレア。冬の海外研修で一緒になった3年生。ブルーノの婚約のこと、知ってた。」

「ふうん。耳が早いね。家が貿易関係の仕事? 」

「確か、布物と、種だったかな?」

「王族の慶事は儲かるからね。そういう話は早いのだろうね。」

 そういうもんなのね。シャーロットは心の中で呟いた。

「そういえば、今度騎士団で大会があるらしいよ。宰相が騎士団の団長達を集めて話をしてたんだって。何かするみたい。」

「へえ…。」

 もう決まっちゃったんだ。早いな。シャーロットは驚きながらも嬉しく思った。

「この前お城から来てたハウスキーパーに教えて貰って、ラファエルが美男の勇姿を見に行きたいな〜って話をしてた。」

 ミカエルがニヤニヤしている。

「青い姫君は最前列で応援だろうね。」

「もう、ミカエルったら!」

 シャーロットは照れて笑った。ミカエルが嬉しそうにシャーロットを抱き締めた。

「君に惑わされて、実力発揮出来ない騎士がいそうだよね。」

「それって、男をもて遊ぶってこと?」

 シャーロットは眉を顰めた。ミカエルはくすくす笑っている。 

「あのね、私、ね…、」

 シャーロットは、言葉を詰まらせながらアンドレアに言われたことを伝えた。自分が悪役令嬢になっているのかも、聞いてみた。

 ミカエルは少し考えるような表情になって、何度か瞬きをした後、シャーロットを見つめた。

「聞き流して忘れなよ? もともと君は目立つからねえ。今は青い姫君なんて言われてるし。ラファエルがこっそり監視を付けてるから、迂闊なことはしない方がいいと言いたいけれど…、君が何もしなくても向こうから寄ってくるからね。」

「流されちゃう私が悪いのかな。」

 シャーロットは首を傾げた。

「流されないようにしたって、巻き込まれてたら仕方ないよね。」

 ミカエルは肩を竦める。

「ラファエルが言うには、僕の存在感が無さすぎるかららしいし、僕が君の行動を拘束してる印象がどうしても抜けていかないんだろうなあ。」

「ミカエルは存在感がないの?」

「あんまりミカエルの格好で学校に行かないもの。」

「でも、この国の王太子殿下だし、王子様だよね?」

「背も低いし、かっこいいと騒がれることもないよ。3年生で有名なのは侯爵家の見目麗しい人達だし、2年生は騎士コースの生徒達でしょ? 1年生は、君の周りにいる人達だもの。」

「私の周り?」

「君の弟やブルーノ、サニー、リュートや、チーム・フラッグスの学生達だよ?」

「え? 私の弟?」

 性格抜きの話なんだろうなとシャーロットは思った。煩い弟の面倒臭さを知っているだけに、弟は違う気がするのは姉ゆえの厳しさだろう。

「君は目が肥えちゃってるんだよ。」

 綺麗な顔をしたミカエルが背なんか高くなったら、恋敵が増えそうで嫌だなとシャーロットは思った。

「え~、ミカエルは一応ゲームにも出てくるような人なんでしょ?」

 ミカエルと婚約してしまっているために学校生活で出会いを求めていないシャーロットは、3年生の侯爵家の人達も騎士コースの人達も知らなかった。今のままのミカエルさえいてくれればいいんだけどなあと、ミカエルの顔を見ながら思った。ミカエルが女の子に人気があったらそれはそれで落ち着かない。

 ミカエルはそんなシャーロットの表情を読んで、この子の性癖がちょっと特殊でよかったと思っていた。ミチルの時の僕がキスしても抵抗しないし、ミチルの時でもキスしてくれるシャーロットはきっとこの世界では珍しい存在だ。男性は男性らしく女性は女性らしくという固定観念の強いこの世界では、まだまだ僕やローズは異端だ。僕は本当に奇特な人を手に入れた、と思った。

「背が高ければいいってもんじゃないと思うわ。私はミカエルが一番素敵に見えるもの。」

 きっとそんな風に言うのもこの世界ではシャーロットぐらいだろう。ミカエルはしみじみとそう思った。この世界では、背が高くて顔がかっこよくて家柄がいい男性が、圧倒的に人気だった。

「ゲームは一部の世界だよ? しかも日本人好みの。この世界がすべて反映されている訳じゃないよ?」

 自虐的に答えたミカエルは口を尖らせた。

「そうなのね。でも、ミカエルはミチルで生活を続けていくんでしょ?」

 背が低いのはミカエルがお菓子ばかり食べてるからなんじゃないかな、とシャーロットはこっそり思った。もっとお肉をがつがつ食べたら背も高くなるんじゃないかな。でも、可愛いままで十分なのに。

「僕はそうしたいけど、このままシャーロットがますます男子生徒に言い寄られるなら、ミカエルに戻って牽制した方がいいのかなとも思うよ?」

「ミチルをやめちゃうと、ミチルの格好は出来なくなるんじゃないの?」

「そうなんだよね。僕、卒業するまでミカエルの恰好ばかりになっちゃうんだよ。毎日どうやって生活しよう。耐えられそうにないな。困ったな。」

 あ、一度は考えたことがあるんだね、と、シャーロットはミカエルの翡翠色の瞳を見つめた。初めて出会った頃の子供の頃のミカエルの瞳は、もっと色素が薄くて光の角度では青緑色にも黄色にも見えた。今はすっかり落ち着いた濃い翡翠色の瞳だった。どんどん大人になっていく中で、どんどん変わっていくものがあっても、きっと、本質は変わらないのだろう。シャーロットは微笑んで、ミカエルに囁いた。

「あのね、私はミチルで傍にいてくれる時のミカエルも好きなの。こうやって王子様やってるミカエルも好きよ?」

 ふふっと笑ってミカエルはシャーロットに頬ずりした。

「そんな可愛いこと言ってくれるのはシャーロットだけだよ、きっと。さすが僕のお嫁さんになる人だね!」

 可愛いミチルはあとどれくらい通用するんだろう。年を取ったり背が高くなってしまったら、ミカエルはいつかミチルを公に出来なくなるだろう。シャーロットはその時までは私だけのミチルでいて欲しいと思った。

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