<136>一番身分が高くて一番何も悪くない人が一番潔かった
月曜日はミカエルがミチルで登校すると言ったので、一緒に学校へと向かった。来週にはテストが始まってしまうため、明日からはしばらくミカエルとして今週は授業へ出る日を増やすらしかった。
学校への道が美しい青いタイルで舗装されているのに気が付いた。見渡せば青いタイルで敷地内のすべての道が舗装されていた。青いタイルの道は、朝日に気高く輝いている。
「美しい眺めだね、」とミカエルは目を細めた。
道沿いの花壇や中庭の花壇も新しく花が植えられたり柵もペンキが塗り直されて整備されていて、とても土日の二日間で行われた作業には思えなかった。
これは…、どんな魔法を使ったのかしら。シャーロットは先週の金曜日に見た光景がたった3日の間でこんなにも変わるのかと驚いた。
「かなりの人数とお金がかかってるよね、」
ミカエルがシャーロットを見て言った。
「表立って何も処分を行わなかった代わりの罪滅ぼしなんだろうけど、君に救われた人が沢山いるんだろうね、」
シャーロットは何とも言えない気持ちになった。ここまでしてくれなくてもよかったのにとも思ったし、ここまでしてもらえると嬉しいとも思った。クララに会ったらお礼を言おうと心に決めた。
「そうね、ありがたいことだわ。」
ミカエルはシャーロットの顔を見て、ちゅっとキスするような表情をした。
「ナニ今の?」
「ミチルで外ではチュー出来ないから、したふりしてみただけだよっ?」
可愛い、可愛すぎる…! 猫を被って澄ましていたけれど、シャーロットは心の中でキュンキュンして照れてしまった。
教室で先に登校していたガブリエルと会った。
「シャーロット、彼は変わりましたわよ?」
ガブリエルの視線の先を追いかけると、教室の入り口付近の席でエリックと話をしているブルーノが見えた。ついこの前お城で会った時は肩に流していた長い髪を、後ろで一つに括っていた。髪が短かった頃とはまた違う印象で、横顔がすっきりと見えて美しかった。
「ほんとね。」
譫言のように呟いたシャーロットと目が合うと、ブルーノは何事もなかったかのように優しく微笑んだ。
授業が始まると、シャーロットはさりげなく教室を見回して、リュートやエリックにブルーノ、そしてローズが同じ教室にいるのを確かめた。自分の隣の席にはミチルなミカエルが座っている。
この場にいるだけでゲームはまだ続くんだわ、とシャーロットは思った。
お昼休み、学食へ行こうとすると、教室出てすぐの廊下で騎士コースの学生達に会った。残っていた5人の学生達が、婚約者と一緒に挨拶にやってきていたのだった。付き添うようにトミーとマリエッタの姿もあった。二人はシャーロットの顔を見ると嬉しそうに微笑んでぺこりとお辞儀をした。
今回の5人は、商業コースの女子学生が多かった。屋上でパンを食べた時に「別に」と答えてくれたのでこっそりとベツニ君と呼んでいたピーターが、照れくさそうに言った。
「バレンタインで、俺から告白したんです、」
隣に立つマーガレットと名乗った女子生徒の手をしっかりと握っていた。
二人は顔を赤らめて俯いていた。初々しくて可愛らしいわね、とシャーロットは思った。ポケットから懐中時計を出すと、まふまふキツネを見せながらシャーロットは微笑んだ。
「明日、お祝いを持ってくるわね?」
「はい、」と嬉しそうにマーガレットが返事をした。ピーターは照れ臭そうに鼻をこすって会釈している。
マーガレットは小さく手をあげて、「少し、宜しいでしょうか、」と言った。初対面なのに人見知りしないと言うか、結構お話する子なのね、とシャーロットは驚いた。
「なあに?」
「青い姫君とこうしてお目にかかれるなんて嬉しいです。私も、お父さまにおねだりしてポレールのチョコを買いました。お父さまと、ピーター様に。」
また青い姫君だわ…、とシャーロットは興味が薄れていくのを感じた。でも、猫を被って丁寧に対応する。
「どうでしたか? 喜んでいただけましたか?」
「はい。日頃感謝を口に出せない父に、思いを伝えられてよかったです。」
「それは良かったですね。」
シャーロットは、バレンタインの後の日っていつもこんな感じなのかしらと思った。今まで2月14日はミカエルの誕生日でしかなかった。口に出して分かち合いたい気持ちはシャーロットにもあるけれど、誰とでもいいから分かち合いたいわけじゃない。
他の学生の婚約者が、おずおずと話に加わった。
「姫様、私もお礼を言わせてください。」
「なにかしら?」
2年生の商業のコースの女子学生だった。
「私の父は異国との貿易に携わっていて、あまり王都の家にいません。いつも異国への船に乗っているので…。今回姫様が遠く東方の国との調印を成功させてくださったおかげで、父の仕事もやりやすくなると思います。船の旅が楽になると思います。」
「そうなのですね、それは良かったですわね。」
「はい。ありがたいことです。父には苦労を掛けているので。父に感謝の気持ちを伝えた後、これは青い姫君のチョコレートだと伝えると、泣いて喜んでいました。」
やっぱりみんな、シュトルクと私とが結婚してほしいとまで思うのだろうか。シャーロットはいくら感謝されてもそこまではしたくないなと思った。
「姫様、また一緒にお昼ご飯、食べませんか? 全員婚約者を得ることが出来ました。そのお祝いも兼ねて。」
付き添いで来ていたトミーが提案した。隣で嬉しそうにマリエッタがシャーロットを見つめていた。
「そうね、それは素敵ね。」
「では、明日はどうですか?」
シャーロットは優しく微笑んだ。
「ええ、その時にお祝いも持っていくわ。」
「では、また、明日お迎えにあがります、」
ぺこりと頭を下げて歩き出し去って行くトミー達の後ろ姿を見送るシャーロットと腕を組むと、様子を伺いながら黙って傍にいたガブリエルとミカエルは一緒に学食へと歩き出した。
ミカエルはちょっと口を尖らせて言った。
「遠く東方の国の使節団は今週末には帰国するらしいよ?」
「あら、よく知ってるわね?」
シャーロットはシュトルクがいつ帰るのかは知らなかったけれど、また来月やってくるのだけは知っていた。
「今日はハープシャー公爵領に移動して、スパでおもてなしを受けるんだって言っておられましたわよ?」
半分公爵家の接待での調印式だって話だったものなあ、と祖父の豪快な笑い声も思い出して、シャーロットはげんなりした。
ガブリエルはそんなシャーロットの表情を面白そうに見つめて尋ねた。
「シャーロットは本当にミカエルでよかったんですの?」
「何が?」
「結婚相手ですわ?」
ガブリエルはまだサニーとの結婚を期待しているのだろうか。困った妹姫だな~。
「もちろん。」
シャーロットがミカエルの顔を見つめて答えると、ガブリエルは残念そうな顔をした。
「虫除けの婚約ってご存知ですの?」
「わっ、ガブリエルまで…!」
身内にまでそんな風に言われちゃうんだ、ミカエルって!
「あちらの方は、皆さまそう仰ってましたわよ?」
「あっちの国とこっちの国は違うのよ?」
「ガブリエル、」
微笑んでいても目が笑っていないミカエルが、ガブリエルに確かめるように尋ねた。
「ガブリエル自身は虫除けの婚約なの?」
「違いますわ! 私はそんな生半可な気持ちで婚約などいたしませんもの。」
即座に否定して即座に答えるガブリエルは、さすがに頭の回転が速い。
「じゃあ、みんなそうなんだよ?」
目を何度か瞬いて、しゅんと肩を落としてしまったガブリエルに、シャーロットは優しく微笑んだ。
「私達は幼い婚約だったからずっとそう言われるのね、きっと。」
こうやって手を繋いで一緒にいてもそう言われちゃうんだから、不思議よね、とシャーロットは思った。
見かけが女の子のミチルだから言われちゃうのかな。そう思いながらミカエルの顔をじっと見つめていると、ミカエルはへにゃっと笑った。
あまりの可愛さに、シャーロットは胸がキュンキュンとときめいていた。
こういうときめきをほかの人には感じないんだもの、私はやっぱりミカエルが一番なんだわ、と心の中で頷いた。
放課後、帰ろうとしていたシャーロットのところへ、エリックが、「ちょっといいか、」とやって来た。
「これからちょっと付き合ってほしいんだ。」
帰り支度をしながらガブリエルとミカエルは黙って様子を見ている。シャーロットはコートを着てエリックの顔を見上げた。
「要件は何?」
シャーロットには答えず、ミカエルを見て、エリックは尋ねた。
「お姉さまを借りても構わないか? クララ達が謝りたいと言ってるんだ。」
ミカエルは黙ったまま、エリックの顔を見て疑い深そうに首を傾げた。
「構いませんわ。エリックが一緒なのですわよね?」
ミカエルの代わりにガブリエルが確認するように言った。ほっとしたような表情になって、エリックがガブリエルの質問にミカエルの顔を見て答えた。
「ああ、何も危険な目には会わせない。学食で一緒にお茶会をするだけだ。気になるなら見に来るといい。」
「でしたら、構いませんわ。どうぞ行っていらして、シャーロット。私達は先に帰りますわ。」
ミカエルも無言で頷いている。
「ありがとう、ごめんね?」
シャーロットはミカエルの瞳を見た。ミカエルは黙って微笑んだ。自分ではお話しないなんて、ミカエルどうしちゃったんだろう。変なの、と思いながらシャーロットは首を傾げた。
カバンを手にエリックについていくと、学食の入り口の廊下にはクララ達侯爵家の令嬢4人組と、商業コースの3人の女子生徒達がいた。あの、黒子が口元に二つ並んでいる女子生徒がいる。3人とも、髪は長かった髪を切っておかっぱ頭になっていた。クララの真似をして切ったのだろう。なんでみんなそう髪を切りたがるのかな、とシャーロットは思った。私はそんなことを望んだりしていないのに。
髪を括っているブルーノもそこにはいて、腕組をして微笑んでいた。相変わらずの美丈夫なブルーノは、立っているだけでも人目を引く魅力があった。
エリックはシャーロットを庇うようにして立つと、言った。
「これは俺の姉の、シャーロット・ハープシャーだ。王太子殿下の婚約者でもある。何か言いたいことがあるなら申してみよ。俺の姉は寛大だ、俺が保証する。」
エリックはシャーロットを自分の影に隠したままで、エリックが対応するつもりらしかった。
「この度は、私の落ち度でご迷惑をおかけしました。この者達の不始末は私の不始末です。申し訳ございません。」
クララは真っ先に頭を下げた。他の者達は慌てている。一番身分が高くて一番何も悪くないクララが一番潔かった。
「私が失礼なことをしました。姫様をお怪我させてしまってすみませんでした。」
「私もその場にいて止めませんでした。彼女がしなければ私が押していたと思います。すみません。」
「私も同じです。それが正しいのだと思っていました。誤った考えだったと今は反省しています。ごめんなさい。」
頭を深々と下げ震えながら謝る女子生徒達を見ていると、シャーロットは心が痛くなってきた。エリックは「よかろう、」とだけ言った。
ようやくエリックが腕でしていた通せんぼを止めてくれたので、シャーロットはエリックの傍に並んで立つと、にっこりと微笑んだ。出来るだけ優しい声になるように意識して柔らかく言った。
「私は大丈夫です。私はこけただけですから。皆さま、頭をあげてくださいませ。」
ブルーノがシャーロットを優しく見つめている。
「私は、今朝、青く舗装された道を通りましたわ。花壇も整備されていて美しい道でした。たった二日の間に、皆さんよくしてくださったのだと思います。私がこけただけなのに、こんなに素敵な道にしてくださって、ありがとうございます。」
「姫様…、」
ほっとした様子の付き添いの侯爵令嬢3人は、クララの腕を擦って嬉しそうに微笑んだ。クララは涙を浮かべて友人達を見て、シャーロットとエリックに微笑んだ。
「私達をお許しくださいましてありがとうございました。あれは、私の友達の、この方達の領地の者達が持って来てくれた花なのです。みんな、私を励まそうと手伝ってくださったのです。」
アンリエットやニコラ、アントワーヌといった侯爵令嬢達は、照れくさそうに頬を赤らめた。クララは嬉しそうに友人達の手を握っていた。
「まあ、素敵ですわ。クララ様は本当に素敵なお友達をお持ちでいらっしゃるのですね。」
シャーロットは、自分にはそんな友達はいないと思った。悲しいけれど、そういう友達を作ったことがない。
エリックはクララを見て、安心したように頷いていた。
「こんなところで立ち話もなんだから、みんなでお茶会をしよう。せっかくの学食にいるのだからね。」
ブルーノが提案すると、みんな嬉しそうに学食に入って行った。シャーロットもエリックとブルーノと後に続いた。
「ブルーノ、」
シャーロットがそっと声を掛けると、ブルーノは優しく微笑みかけた。
「エリックとシャーロットは大切な存在だ。君達が大変な時には一緒にいたい。」
「そうだぞ、お姉さま。それはそれ、あれはあれ、だろ?」
エリックがにやりと笑った。
「お茶会は人数が多い方が楽しいだろ?」
それもそうね、とシャーロットは思った。それはそれ、あれはあれか…、弟に助けられた気がするのはどうしてなんだろう。シャーロットはぼんやりと思った。
ありがとうございました