<135>2国の王子を誑かした悪女と呼ばれてしまいそうです
寮に帰ったシャーロットはくたくたで、ミチルなミカエルの顔を見ると思わず抱きしめてしまった。
「お帰り、シャーロット、夕飯には間に合ったね。」
ミカエルは水色のセーターを着て灰色の毛織のキュロットパンツを履いていた。甘い花の香りはミカエルの香りだ。シャーロットはミカエルの首筋にそっと頬を寄せた。
「遅くなってごめんね、急いで着替えるね。」
シャーロットは言いながらコートを脱いで片付け始める。
「シュトルクがうちに来てて、おやつまで一緒に食べてたら遅くなったの。」
「へー、そうなんだ、ふうん。」
明らかに不満そうなミカエルの反応に、背を向けて着替えるシャーロットは「ごめんね」と言いながらどんどん脱いでいく。下着姿のシャーロットをじーっとミカエルが見つめているのも気にせずに、着替えた。
「いつもと印象違うけど、お化粧変えた?」
「ええ、口紅の色かな?」
ミカエルは気が付いてくれるんだ。シャーロットはちょっと浮足立った。
「公務自体はうまく終わったの。帰りの馬車で交差点で待ってる時に、ローズを見たわ。あの子、また髪を短くしてた。今のミカエルよりも短かったわ。」
「ローズは修道院のお仕事中?」
「たぶんそう、修道院の院長先生と一緒だったわ。手を振ったら、院長先生は会釈をしてくれて、ローズは微笑んだだけだったから、それを指摘されてて会釈するように言われたみたい。納得がいかない様子だったけど、会釈してくれてたわ。」
シャーロットは頭からざっくりとしたベージュのニットワンピースを被った。手で裾を直しながら整える。
「シュトルクは、お昼にお城に帰ってこなかったみたいだね。僕がこっちに戻ってくるときに、そんな話をしてた。」
「そうなの。公会堂で見送ったんだけど、途中で降りたらしくて走って追いかけてきたのね。交差点で止まった馬車に乗り込んできて、うちについてきちゃったの。」
髪を整えると、シャーロットは椅子に座るミカエルの膝の上に横向きに座った。ミカエルの肩に手をかけ、上目遣いに見つめた。
「重い?」
「ちょっとだけ、重い。」
くすくすと笑うミカエル膝の上に跨がって座り直すと、シャーロットは首を抱きしめた。そっとミカエルのおでこにキスをして、「ただいま」と微笑む。
「先に夕食済ませちゃおうか? 学食から帰って来てからゆっくり話そうよ?」
ミカエルはシャーロットに優しく提案した。
夕食を食べ終えたシャーロットは、ミチルなミカエルと部屋に戻ってきて椅子を持って来て向かい合わせに座った。
「あのね、」
「なあに、シャーロット、」
「ブルーノに、バレンタインにご褒美で赤い薔薇のコサージュを貰ったじゃない?」
「そうだね。」
「あれ、私は貰うのは断ったの。私は受け取らなかったけど、エリックが貰って帰ってきたのね。それでも、受け取ったことになっちゃって、条件が揃って、要素が揃ったことになったのかな。」
要素がすべて揃うとどうなるのか、シャーロットは気になっていた。
「どうなんだろうね。でも、ブルーノは婚約が決まっちゃったね。」
「前にミカエル、ブルーノはゲームのエリックルートの後半に出てくる人だって言ってたじゃない?」
「そうだねえ。」
「4月って後半なんでしょ? もしかして、エリックルートはもうなくなっちゃったりしたのかな。」
シャーロットはカレンダーをちらりと見た。今年は閏月がある。こんな年にゲームは重なるように進むなんて不思議ね、とシャーロットは思った。
「ああ、後半にブルーノは登場しないって確定したからってこと?」
ミカエルは立ち上がってカレンダーを捲った。何枚か捲って見て、何か、考えている。
「今年はオリンピックイヤーか。そうかそうか、発売年がそうだったっけ。」
「オリンピックイヤー?」
「いろんな国の代表選手が、飛んだり跳ねたり走ったりして一番になるのを競争する大会なんだよ。国別対抗戦って感じ。」
「走って一番を決めるの? みんな興味あるの?」
シャーロットは首を傾げた。そんな大会聞いたことがない。
「あるある〜。薄着で美男美女が競争するから、応援も国単位ですごいよ。」
「へえ…。」
マリちゃんの世界は女の人が走ったりするんだね。シャーロットは感心しながら聞いていた。国単位での応援も凄そうだ。
「でね、話を戻すけど、いい?」
ミカエルは椅子に戻って微笑んだ。シャーロットは慌てて頷いた。
「ブルーノは来月には退寮するだろうね。」
4月にはブルーノは異国の地で新生活を始める。
「そう。遠く東方の国に行っちゃうんでしょう?」
「あれも突然でびっくりしたけど、そうみたいだね。エリックはクララと婚約を前提にお付き合いするのなら、もうゲームのシナリオから離れてしまうんだろうね。」
「あのね。もしかして、要素を全部揃えると、ゲームから卒業しちゃうのかな。」
「はあ、そうシャーロットは考えたんだ?」
「そうなの。違うかな。」
ローズと関係は良くなくても要素はすべて揃ってしまうのだと、ブルーノの一件でシャーロットは気が付いていた。ローズと仲良い状態でなかったエリックは、ローズとは条件を満たしていてもこの先も距離を置いたままなのだろう。
「違うんじゃないかな。それなら、サニーはとっくに全部揃ってるでしょ?」
「え? そうなの?」
ミカエルはシャーロットに手を差し伸ばした。
「貰った指輪、持って来てる?」
「あれね。コサージュ以外は持って来たわ。」
コサージュは母が片付けてしまった。シャーロットが持っていると後々大変だから、と言われてしまった。
シャーロットはトランクの中から指輪とマフラーとオルゴールを出すと、机の上に広げた。
「指輪、ちょっと見せて?」
「はい、これなの。」
ミカエルは掌の上の赤い小さな箱の蓋を開けた。ちょこんと金細工の花弁が輝く指輪が赤く光っていた。
「シャーロット、指輪の花の部分を摘まんでみて?」
「こう?」
シャーロットはミカエルに手を添えて、恐る恐る金細工の花弁の部分を持った。
「右か左か…ちょっと螺子を回すように、回してみてよ。」
「こうかな?」
シャーロットがそっと指先に力を込めて回すと、花弁が台座の部分から離れた。
「え、取れちゃったわ。」
「それでいいんだ、その花弁はもともといらないから。」
「は? はい?」
「たぶん同じ指輪をサニーは持ってるよ? 今度聞いてごらんよ。」
「え、もしかしてバレンタインのイベントで貰うって言ってたあの赤い指輪なの? これ!」
「そう、ゲームなら本当はお互いの為にお互いが買うんだけど、シャーロットが買う分をサニーは自分で用意したんじゃないかな。」
シャーロットは慌ててミカエルに報告する。
「あのね、あの時、ローズがいたの。教室のいつもの席で、お昼ご飯を食べてたわ。」
「やっぱり、要素を満たす条件は揃ってたんだね。でも、君はこれは受け取ったけど、ブルーノの薔薇のコサージュは受け取らなかった…。」
「まさか、サニーの指輪まで、ゲームの指輪と同じなんて思わなかったんだもの。」
シャーロットは外した金細工の花弁をまた元の位置に嵌め直した。
「ちなみに、シャーロットは何かあげたりした?」
「あげたわよ? お礼に、トリュフ。」
みんな喜んでくれて嬉しかったわ。思い出し笑いを浮かべてシャーロットが答えると、ミカエルは目を丸くした。
「みんなに? チョコレートを?」
びっくりした様子で、声が裏返っていた。
「そう。ミカエルが感謝の気持ちを贈る日だって教えてくれたから、ポレールのトリュフをそれ用に作ってもらって、みんなに渡したの。」
きょとんとした表情のシャーロットは、首を傾げて答えた。
「え、チョコレートって、僕だけじゃなかったの?!」
「ええ、お父さまにも、ケガしたお見舞いに来てくれた子達にも、マリエッタやトミーにもあげたわ?」
「えええ…。」
ミカエルは絶句していた。シャーロットは上目遣いにミカエルを見つめた。お礼にチョコレートはあげたらいけなかったのかな?
「もしかして、ダメだったの?」
ミカエルは戸惑った様子で、シャーロットを見つめた。
「きちんと説明してなかった僕が悪いけど…。バレンタインは愛の告白したり感謝の気持ちを伝える日なんだよ。この国では男性がして、日本では女性がそうする日なんだ。このゲームは日本で作られたゲームで、ゲームの中でのバレンタインは、主人公のローズがチョコレートを好きな攻略対象者に渡して、愛の告白をする日なんだ。だから、この後の展開で、一人に絞って後半が始まるんだよ。」
ん? シャーロットは何度も瞬いてミカエルの顔を見つめた。
チョコレートをあげて愛を告白するの?
女子が?
ローズが?
…ナニソレ。
「サニールートはサニーの国の習慣が取り入れられている設定だから、ローズはチョコレートもあげるし、指輪の交換もするんだ。だから、特別な日なんだよ。」
「あれ? それじゃあ、私は愛の告白をしたのと同じなの?」
「ゲームの中のシナリオに添うと、そうなるね。」
愛の交換って、チョコレートが指輪との愛の交換になっちゃうんだ…!
「どうしよう、ミカエル。」
「僕もまさか、僕以外の人にチョコレートを配ってるとは思ってなかったから。ごめん、シャーロット。」
どうしよう、感謝の気持ちが伝わったってわけじゃないかもしれないんだ…。
ミカエルは俯いたシャーロットの手を擦った。
「ねえ、シュトルクにはシャーロットがチョコレートをあげたの?」
「え。」
口に放り込んであげたわよ? シャーロットは背中をダラダラと汗が流れていくような気がしていた。
「シャーロットが貰ったの?」
「貰ってはいないわ…。」
舐められたりしたけどね。
「シュトルクと何があったの?」
ミカエルは微笑んでいたけれど、目が笑っていなかった。
「えっとね…?」
シャーロットは視線を逸らしながらシュトルクが家に来たこと、一緒にチョコレートを食べたこと、トランプの賭け事をしたこと、を話した。
「ふうん、そうなんだ…。チョコレートを食べさせてあげたんだ…。」
ミカエルは腕組みをしてシャーロットの顔を見つめた。
「僕には食べさせてくれなかったよね?」
拗ねたミカエルのぶーたれた顔が可愛かった。シャーロットは「ごめん」と呟いた。まさかバレンタインのチョコレートが、日本ではそういう扱いなんだとは知らなかった。
「調印式の時、僕を選んでくれて嬉しかったけど、今日もシュトルクと一緒だったし、ほんとに虫除けの婚約に思えてくるよね。」
「ちゃんと断ったもの。虫除けなワケ、ないでしょ?」
虫除け虫除けって、みんな口が悪いと思うわ。たいがい口の悪いシャーロットは自分のことは棚に上げてそう思った。
「今日ね、僕、リンデ姫に告白されちゃったんだよ。」
「はい?」
「2年待ってくださいって。2年待ってくださったらお嫁に来ますって言われちゃった。」
「ええええ?」
驚くシャーロットに、ミカエルは得意そうに言った。
「今日お城でお茶会をしている時に、そう言われたんだよ。ラファエルが2年の間にシャーロットと結婚するから無理ですよって言ってくれたけどね。」
「ガブリエルは何て言ってたの?」
「どっちでも素敵ですわね、だって!」
「ふふふ、私はサニーと結婚してほしいってこと?」
ガブリエルはぶれないなあ…!
「そうなのかな? そこまで言わなかったよ? どっちにしろ、あの国の王族には王太子も含めて、僕と君の婚約は虫除けの婚約だと認識されているみたい。」
「ああ…、あの国では結婚だけ先にして学生生活を送るのだって、確かシュトルクがそんなことを言ってたからじゃないの?」
「僕と君があんまり一緒にいなかったように見えたのかな?」
「いつも一緒にいるのにね?」
シャーロットはミカエルと顔を見合わせてくすくすと笑った。
「今だって一緒にいるのに!」
「そうだね、」
「あのね、ミカエル、」シャーロットはふと、思いついたことがあった。
「なに?」
「ゲームの中のミカエルって、髪は長かった? 今と同じくらい?」
「ああ、こんな感じだったよ? 耳に髪をかけて、括ってはいなかったな。」
「それって、ミチルだったの?」
「え?」
「ミチルな感じで、男子生徒の恰好をしていたの?」
ミカエルはぽかんと口を開けていた。
「そういえば、そうだ…。」
「ミカエルも違うことをして、ローズも違うことをして、私も悪役令嬢にならないようにしているなら、シナリオ通りに物を集めたってどうなるのか判らないよね?」
「そうだね、どうなるのかなんて予測出来ないけど、今のところ、ほぼシナリオから脱線してないけどね。」
「そっか。髪型は重要じゃないんだ。」
肩を落としたシャーロットに、ミカエルは手を握った。
「重要だと思うよ? 髪が短いとクララ嬢は舞踏会に行けないよね? それと同じで、ローズも令嬢として扱われてないじゃない?」
「ミカエルは王子様より可愛い転校生のミチル、だよね?」
「可愛いって罪だよね。」
ミカエルはくすくすと笑う。
「僕はブルーノには悪いけど、ちょっとほっとしてるよ? シャーロットを盗られる心配がなくなったもの。」
シャーロットは複雑な心境になる。エリックの友達で、シャーロットの友達でもあったブルーノは、ミカエルにとっては、ゲームのローズとの恋敵の友人で、現実でも自分の恋敵だったのね。
「明日からどうすればいいのかな、サニーは特に何もしなくていいよね? リュートは今週末に家族で昼食会があるわ。もう明日からはお勉強のお手伝いもしないし…。」
「ブルーノとは、何も起こらないようにしてほしいな。これで何かあったら、本当に君は悪役令嬢として僕は婚約破棄するしかなくて、国として断罪するしかないし、君を絞首刑にしそうそうだ。」
溜め息混じりに呟いて、ミカエルは肩を竦めた。
「2国の王子を誑かした悪女って扱いになる訳ね?」
そんな扱いをされるのは嫌だ。
「ブルーノも僕も王子だからね。君が責任を押し付けられそうだよね。くれぐれも気を付けてね。」
こくんと頷いて、シャーロットはミカエルを見つめた。
「明日はどっちで学校へ行くの?」
「ミチル。来週はテストだし、ミカエルの単位は補講のおかげで楽勝だから。」
良かった、一緒だわ。シャーロットはミカエルの瞳を見て微笑んだ。
ありがとうございました