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<133>家族会議、作戦会議?

「シャーロット、」

 シュトルクが囁く声が甘く聞こえる。

「なあに? シュトルク。」

 シダーとミントが混ざったような爽やかな香りをほのかに感じた。思っているよりも近くにシュトルクがいるのだろう。このまま瞳を閉じていたい。瞳を開けるのが億劫に感じた。

「君が飲んだのは酒だったのか、水だったのか?」

「あなたは?」

「私のは酒だった。」

「私のも、たぶんお酒。」

 シャーロットはゆっくりと瞳を瞬いた。たぶんお酒だけど、ほろ酔い程度のアルコールしか入っていない。ほとんど水で薄めたお酒だわ。これはいったいどんな余興なのかしら。どれを飲んでもお酒じゃないの? 

 この酒の遊びは、お酒を飲んだのかお水を飲んだのかが重要なのではなくて、何を引き分けの条件とするのかが重要な遊びなのだと、シャーロットは気が付いてはいなかった。初めからお互いが引き分けの条件をどれほど自分に都合よく相手に譲歩させるかを目的で遊ぶ賭け事なので、どのグラスにも水で薄められた酒が入れられているのだとも気が付いていなかった。二人の侍従はどちらも、水で薄めた酒、酒を入れた水を注いでいた。しかも、話をしながら何杯も飲む遊びなのだということも知らなかった。

「そうか、こっちへおいで?」

 すぐ目の前にいるシュトルクは、両手を広げて甘く微笑んでいる。うっとりとした表情でシュトルクを見つめたシャーロットは、優しく囁く声に引き寄せられそうになる。その腕の中に身を任せたら、何が変わるんだろう…。

 いかんいかん。流されてはいかん…。

 ふるふると首を振って、シャーロットはシュトルクを見上げた。

「行かない。ミカエルのところへ行くわ。」

 シャーロットはくるりと背を向けた。後ろからシュトルクが抱き寄せて、シャーロットに囁きかけた。

「シャーロット、私の名前をもっと呼んでほしい、」

 熱い吐息が耳を擽る。シュトルクの飲んだグラスは濃いお酒だったのだろうか…? 腰を抱くシュトルクの腕を掴もうとしても、力が入らない。シャーロットはシュトルクの腕の中にいた。人前でこんなのは困る…。

「放して、」

「引き分けた時の約束だろう?」

「嫌だと言ったら?」

「このまま部屋に抱きかかえて連れていこう。」

 耳に唇を這わせたシュトルクの息が、ぞわぞわとシャーロットの感覚を揺さぶった。

「それは嫌。」

 踊る方がましだなんて…! シャーロットはしぶしぶシュトルクにエスコートされて、ワルツを踊る者達の輪に紛れ込んだ。シャーロットは手を預けて、踊りはじめる。

「あなたと踊るのは2回目ね。」

 シャーロットが囁きかけると、シュトルクは微笑んだ。

「あの島で踊った時は、君の軽やかさが新鮮だった。」

「あなたは軍服だったわ。」

 タキシード姿で正装しているシュトルクの印象は、綺麗な顔をした精悍で、ちょっと我儘な王子様だ。ダンスがうまくて、口が上手で、シャーロットを酔わせて悪戯しようとする、悪い王子様だ。

「どうして、私を選ばなかった?」

 シュトルクはシャーロットの手をきつく握りしめた。

「前も言ったでしょう? 私には婚約者がいるって。」

 シャーロットはお酒があの程度でよかったと思った。踊ったりなんかしたら、もっと早く酔いが回るだろう。誰だか知らないけれど、水にお酒を混ぜるのはズルいと思うわ。

「虫除けの婚約だろう? 」

「前にも言われたわね。でも、私はそれでもあの人が好きなの。」

「私の方がいい条件だと思うのだがな。」

「私にとってのいい条件が、あなたの思う条件と同じとは限らないでしょう?」

 黙ってしまったシュトルクは、シャーロットの腰をぐっと抱き寄せた。

「本当は、マリアはミカエルとブルーノとの二人の間で選ばせる予定だった。ミカエルを選んでくれれば、君をすんなり私のものにすることが出来ただろう。」

 シャーロットはシュトルクの瞳を見つめた。綺麗な顔で我儘で賢い王子様は、魅力的だけど、ちょっと怖い。

「あなたは、私が欲しいと、国王陛下に願い出たりすることはしないの?」

 ブルーノはしてくれたわ?

「ああ、しないな。この国よりも私の国の方が大きい。私はこの国の王から頭を下げられることはあっても、私が下げることはないと思っている。」

「そう。」

 私は、そんなことに拘ったりはしないわ。

「じゃあどうやって私を手に入れようと思っているの?」

「君が大切に思っているものは何だ?」

 ローズ、と言いかけて、シャーロットは驚いた。こんな時に真っ先に思いつくのがローズだなんて…!

「ないわ。」

 あったとしても、シュトルクには教えたくはない。

「国民か? 自由か? 金か? 家族か? 私はどれでも君に今以上のものを与えられる。君が望むなら、国をもっと大きくして見せよう。」

「いらない。そんなの、いらないわ。」

 第三王子のシュトルクが軍師として行うのだとすれば、他国の征服や侵略だろう。シャーロットはそんなことをしてほしいとは思わなかった。

「では何が欲しい?」

「安定した生活と平和な世界。」

 戦争も、諍いも、私は望んだりはしない。揶揄うように微笑むと、シャーロットはシュトルクに囁いた。

「あなたは、私が欲しいと泣いてくれますか? 私が欲しいとみんなの前で愛を誓ってくれますか? きっと、出来ないでしょう?」

 ブルーノはやってくれた。私が応えられなかっただけで、あの美しい人はやってくれた。応えられていたら、こんなに胸が苦しくならなかっただろう…。

 もうじき曲が終わろうとしていた。シュトルクは無言のまま手を握り直し、2曲目を踊ろうとした。

「あなたとは2曲目は踊れません。」

 シャーロットが手を離そうとした時、シャーロットの手を取る人がいた。驚いて顔を確かめると、ミカエルがそこにはいた。

「私の愛しい婚約者殿、」

 そう言うと、シュトルクからシャーロットの手を取り、腰に手を当てた。ミカエルは優雅に微笑んで、シャーロットとワルツのステップを踏み始める。シュトルクはどこかの貴族の夫人と踊りはじめていた。

「何もなくて良かった。」

 微笑んだミカエルが眩しくて、シャーロットはうっとりと見つめた。

「あのね、ミカエル。」

 シャーロットは踊りながらミカエルに囁きかけた。

「昨日のバレンタインなんだけど、」

「聞きたかったんだよね。誰に何を貰ったの?」

「ミカエルは誰かにあげた?」

「君に気持ちをあげた。」

「ナニソレ。」

 もっと具体的なものが欲しい。

「シャーロットが何を誰から貰ったのか知りたい。」

 ミカエルは微笑んではいるけれど、声には有無を言わさない力強さがあった。ミカエルが関心を寄せてくれたことが嬉しくて、シャーロットは微笑んだ。

「エリックからはオルゴールで、リュートからはマフラー、サニーからは赤い指輪だったわ。ブルーノからは、赤い薔薇のコサージュを貰ったの。」

「へえ…、もしかしてさっきの調印式で付けてたやつ?」

「そう。お母さまがどうしてもって言って、今日は付けるように命令されたの。」

「そうか。」

 ミカエルは黙ってしまった。ステップを踏みながら、シャーロットは様子を伺った。

「シュトルクからは?」

「何も貰ってない。」

「何かはした?」

「昨日うちに来たわ。一緒にチョコレートを食べたの。」

「ふうん?」

 ミカエルは目を細めてシャーロットを見た。

「寮に帰ってからいろいろ話を聞きたいな、シャーロット。」

「そうね、沢山話したいかも。」

 シャーロットは微笑んだ。ミカエルに、話を聞いてもらいたくて堪らなかった。お酒の影響なのか、どうも気分にムラがあるように感じていた。

「あのね、」

「ん? どうした?」

「明日の公務頑張ってくるから、早く帰るから。」

 曲が切り替わっても、シャーロットはミカエルの手を離さなかった。ミカエルも、手を握ったままでいた。

「もう一曲、踊ってね。」

「何回でも踊るよ?」

 そう言って、ミカエルは優しい瞳をして微笑んだ。


 夕闇時、お城でのパーティを終えて両親とエリックと王都の公爵邸に帰ったシャーロットは、ローブを執事に取ってもらうと、「お花が届いております」と、告げられた。

「誰から?」

「シュトルク様です。」

「お姉さま、どうかしたのか?」

 不機嫌に顔を顰めたシャーロットに、エリックが問いかける。

「お花を頂いたんですって。シュトルク様から。」

「へえ…、明日お会いするのにねえ。」

 母は面白そうに微笑んだ。

「あの人、今日盛大に振られたじゃないの。負ける気がしないのね?」

 父も小気味よさそうに笑っている。

「シャーロット、エリック。夕食の後にお話があるから、それまでにしておきたいことは済ませておきなさいね。」

 もうすぐ夕食の時間だわ。出来ることって着替えるくらいじゃない? シャーロットは口を尖らせた。


 夕食を済ませたシャーロットは、いったん部屋に戻ってもう一度貰った花束を確認した後、父の執務室へと向かった。大きな花束だった。赤やピンク色の薔薇を基本に据えて、百合の花やランが揃えられていた。ちょっと主張が強くて趣味が悪い組み合わせよね、とシャーロットは思った。

 部屋にはすでにエリックもいて、父と母はソファアにそれぞれ座って寛いでいた。シャーロットは仕方なく、3人掛けのソファアの真ん中に座るエリックの隣に座った。

「もう始めておるか。すまんすまん、遅くなった。」

 祖父が笑いながら部屋に入ってきた。祖父がソファアに座ると、父が口火を切った。

「シャーロット、今日シュトルク様と何かを話したか?」

 ミカエルとシュトルクとを交互に繰り返して踊ったおかげで、シャーロットは何度もシュトルクと話をした。あの後、結局ブルーノの姿を見つける事は出来なかった。

「はい、明日の打ち合わせです。あとは…、マリア姫はミカエル王太子殿下とブルーノ様とで選ばせるつもりだったと聞きました。」

「シュトルク様はまだ、ミカエル様のところへリンデ様を嫁がせようと考えておられる御様子よね。」

 母は面白そうに言った。

「お父さま、ブルーノの婚約は以前からご存知だったのですか?」

 エリックが眉を顰めて尋ねた。

「ああ、調印式を行うと決まった際に、大使から聞いていた。あの時点では未確定だったので内密にするようにとは聞いていた。本来の形としては、遠く東方の国にシャーロットが嫁ぎ、東方の国から二人の姫がそれぞれペンタトニークの国とこの国に嫁いでくる計画だった。」

 勝手に決めようとしていたのね、とシャーロットは内心イラっとした。

「私は、この国からはペンタトニーク様の奥様がすでに公妃として嫁いでいるのだから、あの国からは資金を出してもらって、この国からはシャーロットが、遠く東方の国からは姫をひとり、この国に来て頂くくらいでいいのではないかなと思ったのだけれど…、」

「はい? お母さま、今、なんと仰ったのでしょうか?」

「思っただけよ、シャーロット。」

 母は優雅に微笑んだ。

「シャーロットに赤い薔薇のコサージュを贈ったと聞いて、ブルーノ様は土壇場で婚約を受けないと思ったのだけれど、大丈夫だったわね。」

「ブルーノが可哀そうだ。あんな場でお姉さまにコサージュを付けさせるなんて、俺は友達なのに酷い仕打ちをしてしまった。」

 エリックは肩を落としていた。

「ブルーノの姿をパーティ会場で見なかった。思いつめていなければいいのだけど。」

 父も母も、気まずそうに視線を逸らした。祖父は気にしていない様子で、首を傾げた。

「ブルーノ殿は一国の王子だ。こういう結果になるとは、覚悟くらいはしておっただろう。」

「好いた相手と結婚できる者ばかりではないからなあ…。」

 父は母を見ながらため息混じりに言った。母は気が付かないのか、シャーロットを見つめていた。

「シャーロットは、ブルーノ様と結婚したかった?」

 ふるふると、シャーロットは首を振った。

「私には、もったいない方ですから。」

 私は、大勢の前であの人が欲しいという勇気がない。私には、ミカエルを捨ててまであの人を欲しいと思う情熱がない。シャーロットは俯いて言葉を濁した。

「お前も馬鹿よのう。どう考えたって、あのちびっこ王子よりも、シュトルク殿下の方がいい男だろう。背は高いし顔も美しい精悍な軍人で、何か国語もの言語を操る高い知能と知性がある。出会いの印象こそ悪いが、条件はどう考えてもあちらの方がよかろう。」

 祖父は腕を組み、シャーロットを見ながら呆れたように言う。

「あの国がよいよいと仰いますが、実際おじいさまは行かれたことがあるのですか?」

「ない。お前が嫁げば行く機会も出来よう。」

 え。そういう感じなんだ…。 

 母はシャーロットとエリックの顔を交互に見ると、言い聞かせるようにはっきりと言った。

「4月からはブルーノ様は遠く東方の国に行かれます。それまでの間、くれぐれもおかしな関係にならないように気を付けるのですよ? エリック、寮で同じ部屋なのでしょう? ブルーノ様の動向を気を付けるのですよ?」

「わかりました、お母さま。」

「来週の週末は、宰相のご家族が我が家の昼食会に来てくださるから、あなた達もそのつもりで。」

「よりによってテスト前かあ…、」

 眉間に皺を寄せて、エリックが困ったように言った。

「夕方には寮に戻ればいいでしょう? 何なら日帰りでも構わないわ。」

「私は金曜に帰ってきて日曜の昼間に帰ります。それで構いません。」

「シャーロットは余裕だなあ。」

「余裕じゃないけど、勉強なら家でも出来るもの。」

 テスト前には、ミカエルはミカエルの部屋で追い上げをしているだろうから、邪魔をしたくなかった。シャーロットが家にいれば、ミカエルはシャーロットを気にしないで勉強が出来るだろうと思った。

「明日はシャーロットはシュトルク様と会うのだろう。父様も一緒に行こうか?」

 父がいつになく心配して尋ねてくれた。

「大丈夫ですよ? おじいさまがジョシュアとバランを付けてくださるそうですから。」

「あの者達は一度あの島で遭遇しておるからなあ。ジョシュアは一層語学に力を入れておるようだし、バランは体術を鍛え直しておるようだ。任せて置いて大丈夫だと思うぞ。」

「シャーロットは、本当の気持ちとして、シュトルク様をどう思うの?」

「どうって…、我儘な方だなあと思います。」

「舞踏会を抜け出してうちにやってくるような人だものね。ジュアンがいてくれてよかったと私は初めて思ったわ。」

「シャーロットもよく覚えておったな。トランプを引かせて城へ帰らせるなんて、咄嗟に思いついたのはえらい。褒めてつかわす。」

 祖父は偉そうに言った。エリックがシャーロットを真っ直ぐに見て尋ねた。

「あの人と、ブルーノと、シュトルクと、お姉さまは一番誰が好みなんだ?」

「ミカエル王太子殿下。」

 シャーロットは即座に答えた。そこはその一択だと思うわ。

「ブルーノじゃなくていいのか?」

 父も母も、シャーロットの表情を心配そうに伺っていた。

「ちゃんとブルーノ様にはお別れを言ったわ。だから、もう、大丈夫なの。」

 シャーロットは微笑んだ。あれ以上の気持ちを伝える事は出来ない。

「明日の公務はきちんとこなすつもりです。ご心配なく。」

 ソファアを立つと、シャーロットはお辞儀をした。

「もう寝ます、おやすみなさい。」

 シャーロットは猫を被って微笑むと、自分の部屋に戻り侍女を下がらせて一人になった。お風呂に入ると、シャワーの音が啜り泣く声を消してくれた。手放した気持ちに胸が痛んで、シャーロットは長い長い夜を過ごした。

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