<132>悪役令嬢は告白するようです
立食形式のパーティーは、国を交えて大変な混雑ぶりで、シャーロットはミカエルの傍にいるので精一杯だった。室内楽団が演奏していても、喧噪でよく聞こえないくらいだった。
父や母もどこかで誰かと話をしている。エリックの姿はすでに人込みに紛れて見当たらなかった。
炭酸水の入ったグラスを片手に、誰かしらが何かしらを言いながら握手してくるので、シャーロットは猫をしっかり被ってにこやかに微笑んで握手を返していた。
「シャーロット!」
薄い水色のドレスを着たラファエルと、淡いピンク色のドレスを着たガブリエルが近寄ってきた。結い込んだ髪にお揃いの黄色い花のコサージュを付けている。
二人は興奮した面持ちでシャーロットの手を握った。
「シャーロットがミカエルを選んでくれてよかったわ!」
「私、シャーロットがブルーノ様を、なんて言い出したらどうしようかと思っておりましたの!」
「え、ブルーノ?」
シャーロットは驚いて聞き返した。
「ええ、ずっとエリックと見つめていたでしょう?」
「ああ、びっくりしちゃって。」
ブルーノの婚約は突然のことで、シャーロットは知らなかった。
「ラファエルやガブリエルは、婚約、知ってたの?」
「いいえ、昨日、突然決まったの。」
ラファエルはガブリエルと顔を見合わせた。
「昨日、シャーロットがいなかった舞踏会で、お父さまと向こうの王太子様が話をしているところに、ペンタトニーク公が夫人と一緒にいらっしゃったの。」
「向こうのマリア姫はブルーノ様の顔を見るなり真っ赤になってしまわれて、ブルーノ様が社交辞令でダンスをお誘いになったら、もう凄く興奮されたご様子でしたわ。」
「あれは恋に落ちる瞬間を見ちゃったわ~。」
ラファエルが面白そうに言った。
「その後、2曲目をおねだりされましたの。ブルーノ様はお断りになろうとなさったのですが、周りにいた貴族達が女性に花を持たせろと言ったものですから…。」
「僕も見てたけど、初々しくて可愛らしかったよ。」
ミカエルは肩を竦めた。
「その後、お父さま達との間で話が決まったみたいなのよ。」
「今回の調印式はシャーロットのおかげですから、シャーロットにも褒美をと言うお話になって、好きな国の王子と結婚してはどうかって向こうの王太子が言ったんですの。」
「向こうの国はよっぽど自分達に自信があるのね。」
ラファエルがそう言うと、ミカエルもガブリエルはうんうんと頷いた。
「きっとまだ納得してないわよ、あの人達。またきっとこの国に来るのよ?」
「向こうのシュトルク様が堂々とこの国に来るために調印を結んだんじゃないかって噂になってましたけれど、ほんとでしたわね。」
「シャーロットがきっかけで、って、そういう意味だったのよね、きっと。」
そういうきっかけって嫌かも、とシャーロットは思った。堂々と口説きに来るために国交を左右するなんて、私が結婚しない場合はどうするつもりなんだろう。変な圧力をかけないでほしいわ。
「僕はちゃんとみんなの前でシャーロットを愛しているって言ったんだから、大丈夫だよ?」
ミカエルが得意そうに言った。
「珍しく立派だったわ、」
「ええ、本当ですわ。」
ラファエルとガブリエルは茶化して言った。シャーロットは緊張がほぐれて、くすくすと笑い出した。
「ちょっと、私、甘いものが食べたいの。いいかな、ミカエル。」
「僕も行くよ、シャーロット、」
「じゃあね、シャーロット、楽しんでね?」
「またね?」
ラファエル達に手を振って、シャーロットはミカエルと腕を組んで歩き出した。
シャーロットがよそ見をしている間に、ミカエルはどこかの貴族に捕まってしまった。ごめんねと会釈して、ミカエルはシャーロットと離れてしまった。仕方なくシャーロットは一人でデザートの並んだテーブルを目指して歩いた。
誰かに会釈されたり挨拶されたりする度、シャーロットは微笑んで答えて歩いた。
取り皿にケーキや果物を取り分けて、フォークを片手に窓際の方へと歩いた。壁に並んだ椅子にはすでに沢山の高齢の貴族が座って話し込んでいた。
「シャーロット、」
窓の外の景色を眺めながらチョコレートケーキを食べていると、誰かの声がした。
振り返ると、ブルーノがグラスを片手に立っていた。
シャーロットは口の中のものを飲み込み窓辺に皿を置くと、ブルーノと向き合った。美しい人は、険しい顔をしていた。
向かい合うと、シャーロットは微笑もうとしたけれど、微笑むことが出来ずにぎこちなく、声を掛けた。ブルーノは黙ってシャーロットの顔を見ていた。
「婚約おめでとう、ブルーノ。」
「ああ、ありがとう。」
ブルーノはシャーロットに近寄ろうとした。
「それ以上は来ちゃダメよ?」
シャーロットは手で制した。「あなたはもう、婚約者がいるのよ?」
「君があのコサージュを付けて来てくれるって知ってたら、あんなサインなんてしなかった。」
シャーロットは黙ってしまった。ブルーノの国ではオレンジ色の薔薇が国の花で、赤い薔薇は保護されていて貴重なんだったっけ。その貴重な花を渡して、みんなの前でこの人は堂々と告白してくれたんだわ。私はローズを見つけて受け取れないと言ったのに、この人は私を嫌いにならないでいてくれる…。
「あれは…、家を出る時に、お母さまに付けていきなさいって命令されたの。」
「命令…?」
「そう。どうしてなのかな。」
ブルーノは黙ってシャーロットの顔を見つめていた。
美しい人は、真剣な眼差しで、シャーロットの頬に触れた。近寄らないでと言ったのに、ブルーノは近付いてくる。
「僕のこと、愛してくれているんだろう、シャーロット。」
シャーロットは唇を噛んだ。とても、今言える言葉じゃない気がした。
国の為に大国の姫と婚約したブルーノは、婚約破棄などできない。シャーロットもそれがわかっているだけに、母がどうしてこのコサージュを付けていきなさいと言ったのか見当もつかなかった。
「赤い薔薇のコサージュは愛の証だ。僕を受け入れてくれたんだとあの時知っていれば、僕は国を捨ててでも君を選んだのに。」
シャーロットのおでこにブルーノは自分のおでこをくっつけて、悩ましそうに呟いた。ブルーノの体温が伝わってくる。そうか、だからお母さまは送り主がブルーノと知って、このコサージュをと言ったんだ…。ブルーノを試したんだわ。
「違うわ、ブルーノ。ブルーノには出来ないわ。」
シャーロットはブルーノから聞いたプチ・プリンスの薔薇の話を思い出した。この人に無責任な事は出来ない。
「それはどうして?」
咎めるような眼差しで、ブルーノはシャーロットを見つめた。
「赤い薔薇の花は、あなたの国への責任の象徴なんでしょう?」
はっとしたような表情になって、ブルーノは息を呑んだ。
「私に読んで聞かせてくれたプチ・プリンス、私は覚えているわ。」
「シャーロット…。」
ブルーノと一緒にずっと見つめ合っていると、誰かが妙な勘繰りをするだろう。
何度か瞬きをして、シャーロットは覚悟を決めると、もう一生言わないであろう言葉を口にすることに決めた。背伸びをすると、ブルーノの肩に手を置いて耳元で囁いた。
「君を愛している。」
それは、ブルーノの国で学んだ時に正しい発音を覚えた言葉だった。
ゆっくりとブルーノを見つめると、ブルーノは瞳に涙を浮かべていた。美しい人の碧い瞳は、柔らかく、シャーロットを見つめていた。
シャーロットは、ゆっくりと微笑んだ。私はこの人が好きだ。自覚してしまうと涙が溢れそうになる。
「ありがとう、シャーロット。さようなら。」
頬にキスをすると、ブルーノはシャーロットの耳元で、「愛している、」と囁いた。すぐに背を向けて会場の外へと歩いていってしまった。
見送ったシャーロットの傍に、ミカエルがグラスを片手にやって来た。
「話しは出来た?」
「ええ、きっともう、話せないだろうことを話したわ。」
シャーロットは俯いて、ミカエルの肩に頭を寄せた。ミカエルは優しくシャーロットの肩を抱いた。
「ミカエル、ごめんね。私、ミカエルに言えなかったけど、ちょっとブルーノのことが好きだった。」
涙で鼻声になっていた。ミカエルは気が付いているだろうか。
「ああ、知ってる。」
頬を寄せてミカエルは囁いた。
「でも、もうそういう気持ちも、どこかへ行ってしまったわ。」
ブルーノが持って行ってしまった。
涙が零れないように、瞬きして目に馴染ませる。
「そうだね。」
「ずっと傍にいてくれる?」
「あったりまえでしょ。君は僕のお嫁さんになるんだから。」
ミカエルはそっと、シャーロットの小指に自分の小指を絡ませた。
「ゆーびきーりげーんまーん、うーそついたらしゃーろっとはぼくのよめさんになーある、」
「ゆーびきった」「ゆーびきった」
二人は顔を見合わせた。ミカエルは黙って微笑んでいた。シャーロットは、やっと、ミカエルの顔を見ることが出来た。
「あのね、前からそれ、変だなあって思ってたの。ミカエルが嘘ついたらどうなるの?」
「もちろん」
ミカエルはにっこり笑って言った。
「シャーロットのお婿さんになるんだよ?」
「ナニソレ。」
ミカエルがミカエルで良かった。シャーロットは泣き笑いながら思った。
ミカエルと一緒に食事を摘まみながらテーブルを回っていると、シュトルクに腕を捕まれた。シュトルクは妹二人を連れている。
会場内は随分落ち着き始めていて、室内楽団の演奏も緩やかに聞こえていた。ワルツを踊る者達もちらほらいた。
「シャーロット、探したんだ。」
「こんにちわ、シュトルク様。腕を離してくださるかしら。」
微笑んでシュトルクの腕を触ると、シャーロットはシュトルクを見上げた。シュトルクの水色の瞳は、まっすぐにシャーロットを見つめていた。
「シャーロット様、兄の無礼をお許しください。」
たどたどしい言葉遣いで、マリアがシュトルクの腕を掴んでシャーロットの腕から離すと、会釈した。この国に来るために言葉を学んだのかしら、それって凄いわ、とシャーロットは感心した。
「いえいえ、マリア・ジョーネ姫。初めまして。昨日は舞踏会を欠席しまして失礼いたしました。」
シャーロットが微笑んで目を合わせると、マリアは顔を真っ赤にして俯いた。小さな声で震えるように挨拶をする。
「はじめましてシャーロット様。兄が御迷惑をおかけしております。私はマリア・ジョーネ・ベックメッサーと申します。これは妹のリンデ・コンスタンツ・ベックメッサーと言います。どうぞお見知りおきを。」
綺麗な淑女の礼をして、真っ赤な顔のマリアとリンデは上目遣いにちらちらとシャーロットを盗み見た。可愛らしいわね、と思いながらシャーロットも丁寧な淑女の礼をして返す。
「ミカエル様もご一緒だったのですね。」
マリアはリンデをミカエルに紹介した。
「この国でお会いする方は美しい方ばかりで困ります。私の妹はミカエル様を素敵だと言っていたのですよ? さあ、リンデ、ご挨拶しなさい。」
猫を被って微笑んだまま、シャーロットはリンデの様子を伺っていた。リンデはぎこちない笑みを浮かべてミカエルを上目遣いに見て片言の言葉遣いで、話し始めていた。綺麗な顔をしている精悍な王子様なシュトルクと妹二人は顔の系統が違った。母親が違うのだろうなとシャーロットは思った。仲がいいのは母親同士が揉めてないからだろう。
シャーロットよりも背が高いマリアとリンデがミカエルと並ぶと、3人はあまり背の差がないように見えた。ただし、ミカエルは上げ底靴を履いている。シュトルクも背が高い。遠く東方の国の人はみんな背が高いんだわ。この国の女性の平均的な身長であるシャーロットはシュトルクを見上げて、ミカエルとの背の差を目視で計った。
ミカエルはリンデの相手を丁寧にこなしている。ガブリエルで慣れているから年下の相手は楽勝なんだわ、と、シャーロットは自分も年下なのにそう思った。
猫を被ったまま微笑むシャーロットを見て、シュトルクは無言のままシャーロットの腕を引っ張った。そのままシャーロットを連れ歩き出して、別のテーブルへと誘った。
「シュトルク様、なんですの?」
「昨日君がしたことと同じだ。」
「何かしましたかしら?」
「私を騙しただろう?」
「いいえ?」
私は初めから、トランプ遊びの得意な者と伝えたもの。
「ああいうのを、騙したと言うんだ。」
シュトルクは立ち止まり、テーブルの上にあった小さなグラスが乗った丸いトレイを指差した。二人の侍従がそれぞれ透明な液体が入ったデキャンタを手に、お辞儀した。小さな透明なグラスがいくつか並んでいて、シュトルクが合図するとトレイの半々のグラスに注ぎ入れた。どれも入っているのは水に見える。食前酒にしては透明過ぎた。
「どちらかの侍従の入れたグラスは酒が入っている。酒と水をそれぞれ入れた。」
シュトルクは説明すると、テーブルの上でトレイを何回転か回した。どれがどちらの侍従が入れたグラスなのか判らなくなってしまった。
「乾杯しようシャーロット。どれでもいいから一つ選んでほしい。」
「どうしたの、いったい?」
「私の国の遊びだ。」
シュトルクはにやりと笑った。「こういう場では、余興が好まれるからな。好きなものを選んでほしい。」
悪趣味な余興ね~。シャーロットは心の中で毒付いた。
「さあ、どうする?」
「一緒に取りましょう?」
シャーロットは真ん中あたりのグラスを摘まんだ。シュトルクも一つ、シャーロットの近くのグラスを摘まむ。
「これがお酒だったらどうするの?」
「私と3回続けて踊ってもらおう。」
シャーロットはシュトルクを睨んだ。
「その条件なら、賭けに参加しないわ。」
「よかろう。では2回ならどうだ?」
秘密の関係も嫌だな…。
「1回なら。」
「シャーロットはワガママだな。仕方ない。」
ちょっとだけシャーロットはほっとした。
「では、お水なら?」
「踊らなくてもいい。」
水を引き当てる自信はなかった。シャーロットは顔を顰めた。
「引き分けた時はどうするの?」
これだけの数のグラスなら、そうなる可能性が高い。
「可能な限り続けて踊ってくれ。」
それ、言い方変えただけで、お酒の場合と条件が同じよね? シャーロットは冷静にシュトルクに突っ込みをいれた。
「1曲。ね?」
「1曲を何回か、にしよう。」
途中に誰かを挟むのなら、まだ妥協できる。
「それならいいわ。1回を何回か可能な限り、ね?」
シュトルクは満足したように頷いた。
「では、乾杯、」
シャーロットと微笑み合うと、シュトルクはグラスを飲み干した。シャーロットもグラスを飲み干す。
ほんのりとアルコールが香った。
ん?
瞳を閉じて感覚を研ぎ澄ませていたシャーロットは、手にしたグラスをシュトルクが取り上げたのを感じた。
グラッツィイ!