<131>悪役令嬢として国を裏切る?
朝食を済ませたシャーロットは、寄ってたかって美容担当の侍女達に磨き上げられ揉まれ絞られしてコルセットを付けられると、髪を結い込んでお化粧を施されてスズランの香水を吹き付けられ、滑らかに光沢のある美しい青いドレスを着させられた。ドレスは昔ながらのバッフルが後ろで大きく膨らんだ形で、胸元も谷間を強調するように大きく開けられていて、袖は布ではなくレースが何枚も花弁のように重ねられていた。袖丈は肘までもなかった。仕上げに、首に大粒の真珠のネックレスをかけられる。
毎度のことながら寒いのにどうしてこう露出の多い恰好を私はしているのだろう、とシャーロットは鏡の前で着せ替え人形になりながら黄昏ていた。
肩に白いローブをかけられていると、ノックもせずにエリックが入ってきた。ドアを開けっぱなしにしている。
「お姉さま、今日はやけに青いドレスだな。」
にやりと笑うと、タキシード姿のエリックは椅子に足を組んで座った。
「エリックはもう支度が済んだの?」
シャーロットは鏡の中のエリックを見つめて、両手を侍女に磨かれながら尋ねた。
「ああ、タキシードなんて制服を着ているようなものだからな。」
男の子は楽でいいわね、とシャーロットは思った。
「昨日の舞踏会、ブルーノも来ていたぞ。」
「そう。」
「あの人は相変わらず王女達と一緒だった。遠く東方の国から来た王族は、王太子夫婦と第三王子のシュトルク、妹の姫が二人来ていたな。」
シュトルクはうちにも来たよ? とシャーロットは心の中で答えた。
「ブルーノはいろんな令嬢と踊っていたが…、昨日は酒を飲んでいたがおかしなことはしなかった。」
「そう…。」
自制心を身に付け始めているのね、とシャーロットは思った。
「シャーロット、用意はできて?」
母が開けたままのドアから入ってくる。母は黄緑色の輝くようなドレスを着て、ピンク色と黄色と白色の花のコサージュを結い込んだ髪に付けていた。首周りには大きなエメラルドのネックレスをしていた。
「まあ、素敵な出来上がりね。でも…、すこし色が乏しいわね。」
侍女がシャーロットの髪に付けようとしていた白い色とオレンジ色の薔薇のコサージュを見て、母は眉を顰めた。十分可愛いと思うけどな~とシャーロットは思った。小さな青いリボンが沢山結ばれてている可愛らしいコサージュだった。
「お母さま、お姉さまは真っ赤な薔薇のコサージュを持っているんだ。」
「え? エリック?」
エリックは口元だけで笑うと、鏡の中のシャーロットと目を合わせた。
「あら、素敵ね。シャーロット、見せてごらんなさい。」
「これだ、お母さま。」
勝手にエリックはテーブルの上の白い箱を手に取り、母に見せた。
「あら、髪に飾るときっと素敵ね。私も今日はコサージュを頭に付けているし、ちょうどいいじゃない?」
「流行りなのですか?」
「昨日バレンタインだったでしょ? 貰いましたってアピールなのよ?」
「では、お父さまからですか?」
「当たり前じゃないの。」
母は照れくさそうに言うと、赤い薔薇のコサージュをシャーロットの髪に当てた。
「お母さま、困ります。それは見ているだけのものですから。」
「いいじゃないの。華やかになって素敵よ?」
「そうだぞ、シャーロットお姉さま、くれた人に会うんだから、喜ぶぞ?」
「エリック、これをシャーロットは誰に貰ったの?」
「ブルーノだよ、お母さま。」
母は難しい顔をして黙り込んでしまった。
「お母さま?」
「いいわ、つけていきなさい。シャーロット、これは命令です。外してはいけません。」
母の命令は逆らうと後が怖い。でも、つけたくないな~。
ちろりと母やエリックを見ると、シャーロットを微笑んだ表情で見つめていた。あれは本心では笑ってないわ…。母の迫力に負けてシャーロットは項垂れた。
「わかりました。仰せの通りに。」
シャーロットは美容担当の侍女に結い込んだ髪に飾ってもらった。
命令までして髪にコサージュを付けさせるなんて、変なの。そう思ったけれど黙っておいた。
お城の大広間で開かれた調印式には、事前に聞いていたように、遠く東方の国から来た王族と貴族、軍人達と、この国の王族、宰相、主要な港を領地に抱える公爵や侯爵、シャーロット達ハープシャー公爵家の者達が円を描くようにテーブルの周りを囲んで並んだ。シャーロットやエリックの周りには騎士団の団長や各地方の騎士団の団長達が並んでいた。部屋の入り口に警護も、近衛兵と一緒に騎士団の団員が行っていた。微笑みながら会釈をすると、みんな一様に、嬉しそうに頷いていた。
「お姉さま、青い姫君効果だよな、これ。」
エリックが囁いた。シャーロットも自分に対する団長達の愛着を強く感じていた。
「そうみたいね。私じゃないみたいだけど、私のことなのよね?」
「今日も青いドレスだからな。みんな嬉しそうだ。」
振り返れば騎士団の団長達がにっこりと微笑んでいる。筋骨隆々な騎士達に囲まれているとなんだかこの辺りだけ部屋の温度が上がっている気がするのよね、とシャーロットはこっそり思った。
モーニング姿の国王が入室すると、事前に運び込まれていた大きな丸いテーブルに椅子が3脚運び込まれた。
調印は向こうの国とこの国の2国だけでするんじゃないのかな、とシャーロットは思って見ていた。王族側に並んだ中に、ミカエルの姿を見つけた。じっと見ていると視線に気が付いたミカエルと目が合った。柔らかく微笑んでくれたので、シャーロットもミカエルに柔らかく微笑みかけた。傍には薄い水色のドレスを着たラファエルと淡いピンク色のドレスを着たガブリエルもいた。
「これより、友好的な未来を目指して、我が国との調印式を開始する。」
国王が宣言すると、両国の関係者が拍手を始めた。
国王と東方の国の王太子とが握手をし、お互いの国の言葉で、宣誓書が読み上げられた。友好的な国交の回復と半永久的な武力行使の廃棄、お互いの国の港を優先的に利用する権利、お互いの国での刑法に則っての処罰を許す権利などが交互に読み上げられていく。通訳はいちいち確認するように頷いている。
シュトルクによく似た茶金髪に水色の瞳で髭を生やした背の高い王太子と背が高い大男であるこの国の国王は、一席開けて椅子に座ると、何枚かある書類にサインしていった。
二人がサインし終わったのを確かめると、侍従達が頷いた。
「つきましては、この国の王に提案したい。」
シュトルクが一歩前に歩み出た。
「2国間での調印を終了させる前に、もう一国、我が国とこの国との間で欠かせない国との3国での調印としたい。」
「よかろう、今日この場に呼んでおるのだな?」
「では、ここへ、」
侍従が控えの間のドアを開けると、ペンタトニーク公夫妻と、ブルーノが入ってきた。
ブルーノの姿を見つけたシャーロットは、息を呑んだ。ブルーノは正装していた。黒いタキシードのジャケットの中に、ペンタトニーク公と同じ、白い詰襟の服に首元に大きなサファイアのブローチを付けている。
ペンタトニーク公と並んで立つブルーノは、シャーロットと目が合っても硬い表情を変えなかった。夫人も、俯き加減に微笑んでいた。
真ん中の空いた席にペンタトニーク公が座ると、書類にサインし始めた。
3国の王族が並んでいる姿に、シャーロットはどの国の王様も美しい人ばかりなのねと妙な感動をしてしまった。
「この国と、私の国との友好的な国交回復に際して、もう一つ、この重要な国との友好的な調印を結びたい。」
遠く東方の国の王太子は、王太子妃の傍にいた若い女性を手招きした。あどけない顔立ちで、シュトルクと同じ水色の瞳に、白い肌、茶金髪の柔らかそうな髪に桃色の花を結い込み、黄桃色の華やかなドレスを着ていた。私と同じくらいの歳なのかしら、とシャーロットは年齢を想像した。
「友好的な国交の証として、私の妹のマリア・ジョーネがペンタトニーク公の子息、ブルーノ殿に嫁ぐことになった。ペンタトニーク公の妃はこの国の伯爵家の娘だ。ペンタトニーク公の国を、この国と、我が国とで支える。この調印に意義のある者は申し出よ。ない者は拍手して歓迎してほしい。」
誰もが感嘆の声をあげながら、にこやかに拍手をしていた。ブルーノは瞳を閉じて、黙って話を聞いている。シャーロットは驚きつつも、エリックと一緒に拍手をした。
テーブルにブルーノとマリアが揃って着席すると、侍従達が書類を渡した。二人は無言のまましっかりとサインしていた。事前に話が詰めてあったのだろうな、とシャーロットは思った。
「ブルーノ殿には我が国の歴史と文化、加えて、マリアとの関係を深めて貰う為に、この4月から我が国で学んでもらう運びとなった。この国で学んだ知識を生かし、我が国での知識も生かして、より素晴らしい国の発展の糧となるように、研鑽してほしい。若い二人の努力を、大いに期待しようではないか。」
東方の国の王太子が高らかに告げると、割れんばかりの歓声と拍手が東方の国の軍人達から沸き起こった。実質遠く東方の国の属国化なんだろうな。シャーロットは軍人達の盛り上がりを見て沖に軍艦が停泊する様子を思い出した。あの光景が常態化するのだろう…。
シャーロットは王族の並んだ中にいたミカエルを見つめた。ミカエルは笑顔こそ浮かべていたけれど、何か考えているような瞳をしていた。
隣のエリックを見ると、ぽかんと口を開けていた。
「知ってた?」
囁きかけると、エリックは表情を引き締めた。
「知らなかった。」
「私も。」
二人は改めて拍手しながら、ブルーノの様子を見つめていた。ブルーノは美しい顔に表情を浮かばせていなかった。無表情のブルーノの傍に、顔を赤らめて俯いて並んだマリアの表情が対照的だった。
「大丈夫かな、ブルーノ、」
エリックは不安そうに呟いた。拍手がひと段落すると、遠く東方の王太子がシャーロットを見た。
「では、次に。ハープシャー公爵家のシャーロット嬢、こちらへ。」
突然名を呼ばれ、シャーロットは猫を被って落ち着いた表情を装いながら、並み居る王侯貴族の前を進み出ると、東方の王太子の前に出て淑女の礼を丁寧にした。事前に聞いていなかったことをこんな大勢の前で始めるなんて無茶だわ、と思ったが黙っておいた。
「あなたの功績によって、この国と、我が国との友好的な国交が回復されたのだと深く感謝する。面を上げられよ。」
私、何もしてないんだけどな~、と思いつつ、シャーロットが淑女の礼を解いて微笑みながら姿勢よくその場に立つと、当方の国の貴族や軍人達から礼賛と感嘆の声が漏れた。
「そなたのような美しい姫が望むのは世界か? 我が国にまいられよ。いかがかな?」
ミカエルと婚約破棄して嫁いで来いってことね。シャーロットは微笑んで、はっきりと答えた。
「私が望みは、この国での安定した生活と平和な世界です。この国で婚約者の元へ嫁ぎます。」
背中越しに、騎士団の団長達の安堵の声が漏れ聞こえる。ミカエルがほっとしている様子が視界の隅に見えた。
「私と結婚すれば、この国との関係はより強固なものとなる。そうなる方が望ましいと思うのだが?」
一歩前に出たシュトルクが、言い聞かせるように言った。
シャーロットは猫を被ってにこにこと微笑んだまま、うんともすんとも言わなかった。心の中で、望ましくないわ、と思っていた。こういう場は余計な発言をしないに限る。
何も言わないシャーロットにしびれを切らしたのか、王太子が尋ねた。
「そなたには婚約者がいるのか?」
おいおい、そんなことも調べないで国に来いとか言っちゃうのか~? とシャーロットは微笑んだまま心の中で突っ込みを入れた。もちろん声に出したりはしない。
「シャーロット嬢は、私の息子の婚約者だ。」
国王がゆっくりと言った。「ミカエル、そうだな?」
「はい、私の婚約者です。私の、最愛の女性です。」
ミカエルが答えると、東方の国の王太子は残念そうに言った。
「そなたが尽くすのは、将来の王太子妃としての役割を果たしているだけなのだということなのだな。」
シャーロットは微笑んだまま、こくんと頷いた。
「その婚約にはそなたの意志はあるのか?」
虫除けの婚約かどうかを聞いているのだろう。
「私は、」
シャーロットは横を向いてミカエルを見つめた。ミカエルはシャーロットを見て頷いていた。ブルーノは、シャーロットの後ろ髪に飾られた赤い薔薇のコサージュを食い入るように見つめていた。
「私は、自分の意志で婚約を維持しています。」
「そうか、」
憮然とした表情のシュトルクは、王太子を見てからシャーロットを見て、下がった。シャーロットも一礼をしてその場を離れると、国王が手招きして手元に呼び寄せてくれた。横に並ぶと、ほっとした表情でミカエルがしっかりと手を握ってくれる。
「大丈夫だよ、シャーロット。僕がいるから。」
ミカエルの囁いた声に、緊張していた心が震えた。私を最愛の女性と言ってくれてありがとう、シャーロットはミカエルの手をぎゅっと握り返した。
「今後ともに、我らの国が発展していく未来を願って、」
国王が手を挙げると、東方の国の王太子も手を挙げた。
「ともに、共存の世界を!」
ペンタトニーク公も手を挙げた。
両方の国から沸き起こった拍手が鳴り響き、調印式は無事に終了したのだった。
会場を大広間に移して記念のパーティが開かれるというので、シャーロット達は広間から移動した。途中、母に捕まり、貴族用の控室に連れ込まれた。
「シャーロット、もうそのコサージュはいいわ。」
母はシャーロットを化粧台の前に座らせると、連れてきていた美容担当の侍女に髪飾りを変えさせた。真っ赤な薔薇のコサージュは白い箱の中に戻され、代わりにオレンジ色と白色の薔薇のコサージュが髪に飾られた。ところどころに青い小さなリボンが結ばれている。家で最初に見ていたものだった。胸には黄色い薔薇のコサージュを付けてもらった。
「さあ、美しく仕上がったわ、ミカエル様がお待ちよ。シャーロット、行ってらっしゃい。」
母は微笑むと先に部屋を出て行ってしまった。
振り回された気がするわ、と思いながら、シャーロットは侍女を労うと部屋の外へ出た。タキシードで正装したミカエルはドアの外で待っていて、にっこりと笑って手を取った。
「美しい僕のお姫様、お色直しは済んだかい?」
「ええ、ありがとう。」
微笑み返すと二人は歩き出した。ミカエルはエスコートしながら話をしてくれた。
「君が昨日舞踏会を欠席した際に、僕の婚約者を決め直す話が東方の国から出たんだ。」
小さい声で囁くようにミカエルは話す。
「遠く東方の国の姫は今回、二人来ていてね。16歳だと言う姫はブルーノに凄く執着していて、誰が見ても一目惚れしたのだと明らかだった。もう一人の姫はまだ14歳だと言うから、僕と結婚するにはあと2年はかかるだろ?」
「そうね。」
この国での成人は16歳だった。
「それで、調印式で、シャーロットが望んだ国の方を選ばせようという話になったんだ。」
「あの~、どうして私が選ぶのかしら?」
「その方が向こうの国は正々堂々と君を手に入れられるだろう? 無理に婚約破棄して妹を押し付けた、とするよりも、君が選んだ結果そうなった、とした方が、向こうの国の対外的な印象は悪くならないだろうし。それが、君に対しての褒美と決まった。」
あのね~、何も褒美じゃないね、それ。シャーロットは肩を竦めた。もともとミカエルと私って婚約してるよね?
「昨日、シュトルクは君のうちに行ったよね?」
「ええ、すぐにお帰り頂いたわよ?」
ジュアンにうまくあしらってもらったけどね。
「遠く東方の国としては、シュトルクが君を連れて帰って、僕に妹を押し付けて、ブルーノからは資金を期待しているんだろうな。」
「そうすれば、3国が同じだけの価値の交換が出来るってことね。」
「そうだね。実際はそうならずに君は僕の元へ残ることに決まったね。ま、思っていたよりも向こうの国の王太子が常識的な人物で助かったよ。」
シャーロットは苦笑した。有無も言わさず大国としての軍事力を振りかざして話をするような人じゃなくて良かったと思った。
「それにしても、シャーロットの今日の格好は官能的だね。青いドレスなのにとてもいやらしい。」
「胸かな?」
「寒い中、その露出の多さなんだろうね。」
「お母さまの趣味なの。」
シャーロットは先の方を歩いている父と母の後ろ姿を目で追った。
「そうそう、チョコ食べたよ。懐かしい味だった。」
「懐かしいの?」
意外な答えに、シャーロットは目を丸くした。
「コンビニでレジの横に並んでたあのちっちゃいチョコに似てて、懐かしいな~って思った。名前が思い出せなくて昨日から悩んでるんだよ。使わない言葉って忘れちゃうもんだね。」
コンビニ? シャーロットは首を傾げた。
「僕が知ってるのは、もっと小っちゃくてもっと固いチョコだったけど、懐かしかった。もっとたくさんあるといいな。お店の場所、また今度教えてね。」
ミカエルが嬉しそうに微笑んだので、シャーロットは、ま、いっかと思った。
ありがとうございました