<123>悪役令嬢にどうしてもゲームのシナリオは干渉するようです
寮に帰って着替えると、シャーロットはトランクの中に入れたチョコレートをどこに隠そうかと悩んでいた。部屋の中は空調が効いていて暖かい。この部屋の中で一番涼しいところってどこなんだろう。部屋のあちこちを手でかざして考えてみた末、ベッドの下段の床との隙間に隠すことにした。丁寧に布でくるんで、下に差し入れ、一見して判らない程度に奥へと隠した。
シャーロットは安心して着替え始め、モスグリーン色のニットのワンピースに黒いタイツを履いて、髪をポニーテールに括った。ミカエルの部屋に行こうと部屋を出ようとすると、誰かがドアをノックしていた。
「どうぞ?」
エリックはちゃんと話を覚えていてノックをしてくれているのね、と思ったシャーロットは、にこやかにドアを内側から開けた。
目の前に立っていたのはマリエッタだった。
「姫様、こんにちわ。突然お邪魔して申し訳ありません。」
「いいえ、構わないわ。マリエッタ、こんにちわ。」
マリエッタはいい子だなー。寮での部屋にお邪魔するのに予約するのはいらないと思うわ、とシャーロットは思う。マリエッタの傍には女子生徒ばかり何人か、よく見ればチーム・フラッグスの学生達の婚約者達がいた。その中にはリリアンヌとエミリアの姿もあった。
「姫様、お怪我はもう大丈夫ですか?」
「ええ、ほら、もう大丈夫よ?」
掌を見せて、シャーロットは微笑んだ。包帯巻いてたのが見られていたんだろうなと思った。
「足は、大丈夫ですか?」
そっちもバレてる…。
「まだちょっと、治ってないの。でも、大丈夫よ?」
シャーロットはスカートの裾を捲って、タイツで隠している包帯を巻いた両膝小僧を見せた。マリエッタたちの表情は険しいままで、安心した様子などなかった。
「何があったのか、教えてはいただけませんか?」
マリエッタが緊張したように言った。シャーロットは首を振って、「こけただけよ、」と小さく答えた。
クララのことを考えれば、これ以上は言う必要などないだろうとシャーロットには思えていた。
「姫様、私達は姫様を守りたいのです。姫様が傷付くようなことは許せません。」
婚約者達の一人の女子学生が意を決したように言った。
「誰が何をやったのか、私達は知っています。姫様がこけたと仰る理由も、なんとなくは判ります。でも、…、」
シャーロットはゆっくりと微笑んで、優しく答えた。
「私は、こけただけです。あなた達がこうやって心配して下さる気持ちがとても嬉しいです。」
「悪いことをした人は罰を受けるべきだと、私達は思っています。」
そういった誰かの意見に、マリエッタ達は頷いている。もう、クララは罰を受けている、と言っても、見ていない彼女達は信じないだろう。シャーロットは意識して優しく微笑んだ。
「明日、弟のエリックと一緒に、この怪我に関わる方と学食でお昼を一緒に過ごす予定です。私は、その方の勇気に免じて許してあげて欲しいと思います。」
「姫様は、それでいいんですか?」
黙ってしまったマリエッタの代わりに、後ろの方から声がした。
「ええ、私はこけただけですから。私が何かをすれば、ミカエル王太子殿下にご迷惑が掛かります。」
シャーロットは、シャ-ロットの怪我をミカエルの失態として扱われて婚約破棄になど国王に宣言させたくなかった。今シャーロット達がいる状況をいちいち誰かに説明する気もなかった。
「姫様は…、そういう覚悟もお持ちで、婚約をされているのですか?」
マリエッタが悲しそうに尋ねた。
「ええ、国に仕える者として王族を支えるのですから、王族と婚約していると言うだけで誰かに恨まれたり嫌がらせされたりする場合もあるでしょう。この国は大きな国ですから、いろんな考えを持つ人が住んでいます。自分の親の利益の為に害をなそうと考える者がいても不思議ではありませんからね。」
婚約者達は不安そうな顔をして黙ってしまった。シャーロットは優しく微笑んで、ゆっくりと言った。
「私は、こけただけ、です。大丈夫ですよ?」
「姫様、そんな風に言わないでください。」
泣きそうな顔をして、マリエッタは言った。
誰かと婚約するだけで危険が付きまとうなんて、まだ彼女達は思わないんだろうなとシャーロットは思った。嬉しいばかりの時期が過ぎれば、不安や危険に気が付きはじめる時もやってくる。
「これ、姫様、うちの商会で取り寄せてもらった傷薬です。」
マリエッタが小さな包みをシャーロットに手渡すと、他の者達も続いた。
「これは私の家の秘伝の軟膏です。傷跡が残りません。」
親が薬学博士のリリアンヌは、真剣な眼差しで小さな包みをシャーロットに手渡した。エミリアも袋を手渡す。
「私の家は医療用の布物を扱っています。包帯の替えに使ってください。」
残りの二人も、それぞれに可愛らしい袋を手渡してくる。
「私達は姫様のお心を慰め出来るようにお菓子を。」
手渡されていく重みは、優しい重みだった。シャーロットは胸が熱くなった。
「ありがとう…。」
「私達には夫となる人が姫様をお守りしてくれるよう願うことしかできません。ですからこれぐらいしかできませんが、姫様の為に何かをさせてください。」
マリエッタは微笑むと、ぺこりとお辞儀をした。
「こんなことがないように、もっと学校の生徒の動向に気を配ります。姫様がお覚悟を決められているのを知って、私は自分はまだまだだと思いました。」
ふるふるとシャーロットは首を振った。自分の無防備さが原因なのに、これ以上何を望めばいいのだろう。
「お時間を頂いてありがとうございました。また、私達と一緒に、姫様とお昼ご飯をご一緒させてください。」
「ええ、楽しみにしているわ。」
マリエッタがお辞儀すると、婚約者達はみんな揃ってお辞儀をして去って行った。
シャーロットは扉を閉めると、貰った袋や包みを机の上に並べた。こけただけなのに、心配してくれる人がこんなにもいた…。嬉しい気持ちはくすぐったかった。
「もっとチョコレート、持ってきたらよかったな。」
お母さまに手紙を書いたらハウスキーパーに持たせてくれるかしら。そんなことを考えながら、部屋のドアに鍵をかけて、シャーロットはミカエルの部屋へと急いだ。
ミカエルと夕食を済ませた後、王族用のミカエルの部屋に寄ってから、シャーロットはミチルなミカエルと部屋に戻ってきていた。
「ミカエルの部屋でもよかったんだけどなー。」
シャーロットが自分の椅子に座って文句を言うと、ミカエルはゆるいだぼだぼの水色の膝下丈のニットワンピースの部屋着に着替えながら、口を尖らせて言った。
「ミチルだと、いつまでこっちで話が長引いてもシャーロットの帰りの心配をしなくてもいいじゃん。」
「え、そんな心配してくれてたなんてびっくり!」
「してたよ、だから、いつも早めに部屋に返してたでしょ?」
「そうだっけ?」
「そうなの。今日はお話長い予定なの。シャーロットからいろんな話を聞く予定だからね。」
「えー、それも嫌だなー。」
「じゃ、こっち座ってよ?」
ラグの上に座ると、ミカエルはトントンと自分の横のラグを叩いた。シャーロットはしぶしぶ隣に座った。床の上には広げたノートと鉛筆が転がっていた。
「家族会議があったんでしょ? 何を話したのか教えてよ。」
「気が進まないなー。」
「ふうん。そういう内容だったんだ。」
「なんていうか、いろいろあったの。」
シャーロットは金曜に調印式までに諦めを付けろと言われた話、日曜日にクララが来た話、その後に家族で決めた話をした。エリックとの馬車での中での会話は黙っておいた。恥ずかしすぎて本人を目の前に話すなんて出来なかった。
ちょこちょこ質問をしながらミカエルは話を聞いていて、シャーロットが話し終わった後、何かを黙って考えていた。
目を細めてシャーロットを見つめると、ミカエルはシャーロットを上目遣いに見て言った。
「シャーロット、僕にキスして?」
「はい?」
「いいから、はやく。」
言われるままに、シャーロットはミカエルの頬にキスをした。首を抱きしめてキスをすると、そのままミカエルに抱き締められる。ゴロンと二人はラグの上に転がって、床に倒れたまま向かい合った。
「あのさ、シャーロット。」
「なあに?」
「明日、僕はミカエルで学校へ行ってもいい?」
「いいけど? どうして?」
「エリックとクララが話している席に、僕も一緒にいたい。」
「ん? どうして? ブルーノじゃダメ?」
「ダメ。ブルーノとシャーロットが特別な関係に見えちゃうでしょ?」
「え。そうなの?」
シャーロットは、ブルーノが一人で食事するのが可哀そうでエリックが呼んだのだと思っていた。
「クララはシャーロットと仲直りするところをみんなに見せつけるんでしょ? そしてこれからはエリックと婚約を前提にお付き合いするんだよね?」
「たぶん、そういうことになると思うわ。」
エリックはリルル・エカテリーナ王女と既に婚約している状態なので、何とも言えないんだけどね、とシャーロットは思った。
「その場にいるのは、シャーロットが今後お付き合いする人なんじゃないのかな。」
「え?」
「ブルーノとお付き合いするの? 僕じゃないの?」
「ミカエルがいい…。」
ミカエルはシャーロットを床に仰向けに寝かせた。シャーロットは横向きに寝そべり自分を見つめるミカエルの瞳を見つめた。翡翠色の瞳はまっすぐにシャーロットを見ていた。
「私は、ミカエルがいい。」
「だったら、その場に呼ぶのは僕にして?」
「わかった。」
ミカエルの唇が、そっとシャーロットの唇に触れた。キスしてくれたらいいのに。シャーロットはミカエルの唇を見つめる。
「私はあなたの特別になりたい。」
キスしてくれたら特別になれる気がするの。
「僕も、シャーロットの特別でいたい。」
ミカエルはそう言うと、微笑んで、シャーロットにキスをした。手を伸ばしてミカエルの頬を撫で、垂れてくるミカエルの髪を耳にかけて、シャーロットはミカエルの瞳を見つめた。
「王子様なミカエルと、エリックとクララと、ブルーノと、お昼ご飯を食べるのね?」
「そうだね。ブルーノはエリックの友達で、僕達の立会人てことにするかな。」
それならいいんだ。シャーロットはちょっとほっとした。横向きに寝転がって、ミカエルと向き合った。
「相変わらず、君んちの家族の僕への評価は低いね。それは想定の範囲内だけど、シュトルクは確かに何かを仕掛けてきそうで嫌だな。」
「なるべく会わないようにするから大丈夫よ、きっと。」
「14日は、僕は午後の授業をたぶん休んでお城に帰ると思う。今のところ、予定だと13日はミチルでこっちにいて、14日の朝ミカエルに戻って学校へ行く、かな。」
「せっかくのお誕生日なのに、残念だわ。ミチルでずっと一緒にいられたらよかったのに。」
「仕方ないよ。調印式なんてものがあるんだから。歓迎の舞踏会だっていらないと思うけど、そうはいかないよ。」
「15日の調印式で会えるのね。」
「そうだね。シャーロットは16日公務なんだよね?」
シュトルクや使節団に礼拝堂を案内する公務が待っている。
「そうなの…。もしかしたら遅く帰ってくるかも。そうならないようにさっさと切り上げてしまおうとは思ってるわ。」
早寝早起き派のシャーロットは、寮へ帰ってくる時間があまり遅くなりたくはなかった。
「それも僕も参加しようかな。」
「王子様まで来たら観光じゃないよね、それ。」
「完全に視察だねえ。」
二人は顔を見合わせるとくすくす笑った。
「一応、お父さまに話をしてみるよ。たぶん行けると思うけどなあ。」
「公爵家の公務の接待だから、行かなくていいって言われそうよね。無理しないでね。」
ミカエルはシャーロットを眩しそうに見つめた。
「ねえ、シャーロット。これ以上反対する人を増やさない一番簡単な方法って判る?」
「ん? わからないわ。教えて?」
「みんなふっていけばいいんだよ。あなたなんて大嫌いって言って、バイバイって手を振るの。」
「それ、本気で言ってる?」
下手したら外交問題になるよね?
「シャーロットには絶対出来ないだろうなって思いながら言ってる。」
ミカエルは愛おしそうにシャーロットの頬を撫でた。
「君がゲームの中で悪役令嬢だった時、きっと、すごく不安で寂しかったんだろうなって今なら思うよ。基本学校にも行かないでずっと僕達とお城で過ごして友達もいなかっただろうに、僕はローズと仲良くなっちゃって君を一人にしてたんだから。ずっと、寂しくておかしくなっちゃったんだろうなって思うよ。」
私もそう思うわ。シャーロットはゲームの中の自分を哀れんだ。自分のいた場所にローズがいるって辛かったんだろうなと思う。
「ゲームの中のシャーロットもたぶん、本当は誰からも好かれるような優しい人だったんだろうなって思うよ? そんな人がおかしくなっていったから、みんな理解できなくなって排除したんだろうね。」
「私は今、大丈夫だと思う?」
ゲームの中の悪役令嬢と同じことをしているのかしら。
「…大丈夫じゃないと思う。」
「え?」
ミカエルは困った顔をしている。
「今まで通りに気を付けていれば、悪役令嬢にならないんじゃないの?」
「今日の話を聞いてて、そうならないかもと思えてきた。」
シャーロットの手を握りしめて、ミカエルは静かに言った。
ありがとうございました