<122>家族会議、エリック
昼食が済むと誰が言い出したわけでもなく、家族全員が父の執務室に集まって家族会議が始まった。シャーロットは一人掛けのソファアに座り、斜向かいの3人掛けのソファアに父と母に挟まれて座るエリックをニヤニヤと眺めた。
祖父はシャーロットの隣のソファアに一人で座って、優雅に寛いで足を組んでいた。
「ワシは良い話だと思うぞ、エリック。」
「何がです、おじいさま。」
首を傾げてシャーロットは尋ねる。
「シャーロットはそういう意図であのように話したのではないのか? サバール侯爵家は古くからある由緒正しい家柄だ。ああいう決断力のある女性なら、うちの家に嫁いできても何の問題もない。」
え? クララとエリックが婚約するってこと? シャーロットは目をぱちくりしてエリックを見つめた。
「そうね、私も賛成ですわ。あなたもそう思うでしょう?」
「ああ、よほどリルル・エカテリーナ王女が嫁いで来られるよりも理想的な婚姻だな。父上が望まれたように国内の貴族で、しかもあのように潔い気持ちのいい女性だ。」
エリックは悩んでいるらしく、顰め面をして黙っていた。
「エリックが婚約してしまえば、シャーロットが婚約破棄をして貰えて国外に嫁ぐことになっても、我が家は安泰だからなあ。相手が見つかっていない状態での婚約破棄は、この先いい条件の娘を見つけ難いだろうなと思っておったが、何よりだ。」
「私は婚約破棄など願いません。これまで通り、ミカエル王太子殿下と婚約を続けます。憂慮する心配もなくなったではありませんか。」
シャーロットは得意げに言った。
「私のこけた問題は解決して、サバール侯爵家の皆さまが私の婚約に反対していないと判ったのですから、いいですよね、お父さま?」
父は目を瞑って腕を組み、悩ましげに唸っている。
「シャーロット、まだ解決はしておらんだろう。虫除けの婚約とお前達の婚約を認識しているシュトルク殿、国王へ自ら願ったブルーノ殿、お前が気の毒だとワシと意見が合ったリュート、妹を王太子妃に送り込もうとしているサニー殿、ほれ、まだ4人もおるぞ。」
祖父は指を折って数えながらニヤニヤと笑った。
結構みんなしつこいよねーとシャーロットはうんざりしつつ思った。どうしてミカエルと婚約してるって言ってるのに、今更婚約解消させようと頑張るんだろう。
「ミカエル王太子殿下と婚約しているって判ってるのに、どうして婚約破棄を願うのでしょう。誰もが私以外の誰かと結婚してくれれば、みんな平和に解決すると思いませんか?」
「シャーロット、そんなことを言ってはいけません。結婚は何度もするものではありません。教会の教えもあるし、死別でもしない限り再婚はありえないのですよ? 一度しかない結婚だもの。誰だって最良の相手と結婚したいと願うわ。あなたをそういう対象と思ってくださる方が、少なくとも4人はいるということでしょう? ありがたいことじゃないの。」
母は諭すように言った。
「シュトルク殿と結婚すれば、国と国とを結ぶ懸け橋になる。父様は公爵家の領地以外の者達のことを考えれば、この結婚が一番大きな益を生むと思うのだよ。」
「私は、あなたがローズのことや子供との生活とのことで苦労しない相手を望みますわ。リュート様は自分も害を受けたから、あなたを一層守ってくれるでしょう。サニー様もシュトルク様も、みんなローズのいないところであなたを守ってくれるわ。」
母はブルーノの名前を出さなかった。変なの、と、シャーロットは不思議に思った。あれだけ気に入っていたのにね。
「ワシはやはりリュートが良いのだがなあ。家同士の付き合いも長いし、真面目だし、浮気をしなさそうだし、リュートでいいと思うんだがなあ。」
私はミカエルでいいんだけどなあ、とシャーロットは思った。
「あのね、ラファエル様の親しい人達は、ミカエル王太子殿下と結婚する将来を歓迎してくださっていると思うわ。誰も反対ばかりじゃないと思うの。」
「それよのう。シャーロットは青い姫君なんぞと呼ばれて、庶民や騎士団の者どもにえらい好かれておるようだものな。ワシは、そういうのは危険だからやめておけと言いたい。」
「どうしてですの、おじいさま、」
「昔から戦争が近くなると、祭り上げられて武力を正当化する象徴にされてしまう者が必ずおる。お前にそうなってもらいたくはないからのう。」
シャーロットもそういうのは嫌だなと思う。
「お父さまが仰ったみたいに、誰からもお祝いされて結婚がしたいわ、ミカエル王太子殿下と。」
部屋の中が静まり返る。誰も、賛成をしてくれない。誰も、同意もしてくれない。シャーロットは唇を噛んだ。
祖父が沈黙を破るように言った。
「良かろう、調印式までに結論をと昨日は言ったが、もう少し猶予をやろう。あの軍師は調印式で何かを仕掛けてきそうじゃが、それも面白かろう。シャーロット、望まれる結婚になるように努力をしてみよ、」
祖父はにっこりと笑みを作った。
「おじいさま、今のお言葉、お忘れになってはいけませんよ?」
「ああ、その代わり、今よりも望まない者が出てきたら、お前は諦めて婚約破棄を願い出るのだぞ? いつまでもお前を欲しいと言ってくれる者の気持ちが続くとは思えんしな。」
それでもいいわ、と、シャーロットは頷いた。前よりちょっとは状況はましになってきた。
「それでは、そろそろ私は寮へ帰ります。エリック、あなたはどうするの?」
「…お姉さまと一緒に帰る。」
ずっと黙っていたエリックはそう言うと、立ち上がった。
「先に失礼します。明日はお母さまの御助言通り、お姉さまとクララ嬢と食事をします。では、14日は早めに帰りますので、舞踏会の用意をお願いします。」
お辞儀をして部屋を出たエリックを追いかけて、シャーロットも立ち上がる。
「私は14日には帰りますが、舞踏会には出ませんので、夕方に帰ってくると思います。お父さま達がお出かけになる前には戻ると思います。お渡ししたいものがあるので、待っておいてくださいね。」
シャーロットは微笑むと部屋を出て自分の部屋に戻った。
執務室を出て行った子供達を見送って、公爵は夫人に尋ねた。
「私に渡したいものって何だろう、」
「さあ? 私もその日、あなたに渡したいものがあるから、楽しみにしておいてね?」
首傾げた公爵を見て、夫人は微笑んだ。
「お父さま、あなた。クララ様とエリックのご縁は、良かったのですか?」
「ああ、構わんよ、ワシは国内の貴族であれば。ただ、ユリス様と遠縁になるのはいただけないが、シャーロットがミカエル殿下と結婚してしまえば、ちょうどいいかもしれんのう。」
「そうですね、公爵家は中立と宣言するようなものですから。でも、そのつもりはありません。私はシャーロットは国外に出そうと考えています。」
「私も王妃様とお話をする機会がありましたが…、ローズはますます危険ですわね。どうやったらああなってしまうのでしょう。近しいからと、シャーロットまで同じ考えをしていると事情を知らない者に受け取られてしまうのは、本当に損しかありませんもの。」
「それに引き換え、エリックはまともな娘と婚約できそうでよかったのう。2歳も年上だが、そんなものはどうとでもなりそうな年齢差だものなあ。」
「あの娘には悪いことをしましたね、お父さまの被害者でしたのね。知っていればカードぐらいどうにでもしてあげましたのに。」
「そうだのう。恋とは秘めたるものだものなあ。まったく気付きもせなんだ。」
「エリックは乙女心がよくわかっておりませんもの、これから鍛えなくてはいけませんね。」
オホホホホと、夫人は笑った。
「リルル・エカテリーナ王女に婚約辞退の申し入れをしておきます。無理だとは思いますが、しないよりはましでしょう。」
「あのペンタトニークでさえ、婚約辞退を許してもらえなかった国のしきたりだからのう…。面倒だが実績を作るためだ、仕方ないのう、」
はーはっはっはっはと前公爵の高笑いが屋敷の中に漏れ聞こえ、シャーロットは早めに部屋を出ておいてよかったと首を竦めた。
寮へ戻る馬車の中で、向かいの席に足を組んで座るエリックは、シャーロットに困った顔をして尋ねた。
「お姉さまは、クララ嬢のことをどう思う?」
「どうって…、どう?」
シャーロットは質問の意味がわからず首を傾げる。
「頼りにならない姉だなあ。しっかりしろよ、シャーロット。」
「失礼な弟だなあ、姉を敬いなよ、エリック。」
二人は顔を見合わせて笑った。
「お姉さまみたいに話ができるような女性だといいんだが、クララ嬢を俺は知らないんだ。お姉さまの誕生会で声を掛けたことは覚えているが、何しろ、学年が違うだろ? 基本学校の時なんて2年上の先輩だ。」
「あなたはまだいいわよ? 私は基本学校へ行っていないわ。知らないことだらけなのよ?」
「俺は、シャーロットお姉さまよりは顔見知りってだけだろうな。」
「そんなもんなの?」
「そもそも俺は女子学生に友達がほとんどいない。見てれば判るだろう?」
「そうだったかしら?」
「そうなんだ。だから、今日言われたみたいに…、」
エリックは言葉を詰まらせた。
「あなたがくれると言ったキスが欲しかった、なんて口説かれたことはないんだ。」
「あれは口説き文句だったの?」
「違うのか?」
「うーん。口説かれたことがない気がするわ…。」
口説かれ過ぎて感覚が麻痺してしまい、口説かれた経験がないという錯覚に陥っているシャーロットには、あの程度の言葉は日常茶飯事に思えた。
「お姉さまは弟の前でキスができるような、ふしだらな女だからな。そんな口説き文句に縁が無いのだろうな。」
「しっつれいねー! ノックもせずに部屋に入ってきたエリックには言われたくないわよ。私だって見られたくなかった!」
シャーロットは鼻に皺を寄せた。
「キスが好きなお姉さまに質問なんだが、」
「…エリックは一言多い気がするわ。なあに?」
「好きな人のキスって欲しいものなのか? クララ嬢はそう言っただろう?」
「そうね…、」シャーロットの頭の中には真っ先にミカエルが思い浮かんだ。
「私は嬉しいわ。キスして貰えると、自分を特別だって思えるの。不思議ね。」
ミカエルがよく私にキスしてって言うのは、自分が私の特別だって確認したいからなのかしら。シャーロットは首を傾げた。いつだって特別なんだけどなあ。
「キスすると、どう思うんだ?」
エリックは真面目な顔してとんでもないことを聞くのね、とシャーロットはまじまじとエリックを見つめた。今は好奇心が勝っているのね、普通ならそんなことを尋ねたりしないでしょうに。
「好きだから触れたい、一番近くで特別を感じたいって思う、かな?」
弟相手に何の話をしているんだろう、私は。段々恥ずかしくなり頬を染めて、シャーロットは照れて俯いてしまう。
「今度クララ嬢にキスしてみたらいいじゃないの。もっと触れたくなったら、エリックがクララ嬢のことを好きになっていってる証拠でしょ?」
「そんな簡単に言うなよ。明日一緒に昼ごはん食べなくてはいけないのも面倒なのに。」
エリックは投げやりに言った。「面倒な女子はお姉さまで十分だって!」
「何よ。私も一緒だからいいじゃないの。」
「お姉さまと3人かー。ブルーノも一緒じゃダメか?」
「趣旨を考えるとよくないと思うけど、一人くらいいいんじゃないかな。」
あんまり人が多いとクララと一緒にいる印象がぼやけてしまう。
「4人なら会話もまだ続きそうだしな。」
「そうか、会話をしなくてはいけないのを忘れていたわ。」
「シャーロットお姉さまは、本当にご飯を食べるだけの集まりにするつもりだったんだな。」
呆れたようにエリックは言った。
「エ、ソンナコトナイワヨ」、とシャーロットは片言で話して誤魔化して微笑んだ。本当は本当にご飯を食べるだけのつもりだった。シャーロット自身もクララと接点がなさ過ぎた。シャーロットの中のクララの印象は、ミカエルの愛の詩集の朗読を頬を染めて聞いていた、というくらいだった。あとはユリスの遠縁ということで新しい婚約者候補になった、という受け入れがたい存在になったという事実だけだった。
「あの人、愛の詩集が好きなの。何かエリック読んでおいた方がいいわよ?」
「俺は、そういうふわふわとした実体のないものは苦手なんだ。最近読んだのは、健康的な体作りのための食生活の料理本だぞ。」
それ以上健康になってどうするんだろう…。シャーロットの中でエリックと母とガブリエルは血の気の多い人達の代表だった。喧嘩っ早いのは血が有り余ってるからだろうに、と偏見の眼差しで弟を見た。
「そういえば、ブルーノの国で買ったお土産の本も料理本だったわね。」
「そうだぞ、あれはあれでなかなか興味深い本だった。」
エリックは何を目指しているんだろう…、シャーロットは弟が真面目に公爵家を継いでくれることを期待した。
「そういうお料理のお話でいいんじゃないかな。私はやったことないけど、お菓子を作ったりするのが好きな人って、結構いるよね?」
ミカエルの部屋で、クララ嬢達はフォンダンショコラでお茶会してたんだよね、確か。ほろ苦い思い出が胸を過った。
「そうか、なら安心だ。明日話題に困ったら、料理の本の話でもしよう。」
エリックは安心したのか笑顔になった。
私の弟は黙ってればかっこいい部類なんだけど、喋らすとどうも残念な気がするのは何故かしら。シャーロットは身内の厳しさで、エリックの翡翠色の瞳を見ながら、思った。
ありがとうございました。