<120>一番会いたい人は、一番自由がない人で、一番我慢している人
昼食を済ませたシャーロットが応接室で窓の外に降る雪を眺めながら待っていると、アルウード侯爵家の馬車が馬車寄せに到着した。
リュートが黒いコートを羽織って馬車から降りて、執事の案内で屋敷に入ってきた。
シャーロットは侍女にコートを持ってもらって出迎えた。
「シャーロット、迎えに来たよ、」
リュートはシャーロットの格好を上から下まで眺めた後、ゆっくりと微笑んだ。
「招待状の通りにしたの。これで合ってる?」
「ああ、それで合ってる。」
侍女が明るい灰色のコートを肩にかけてくれた。あの白いコートは、母が縁起が悪いと言ってどこかへ持って行ってしまった。綺麗に手入れしてもらってまた着る機会があるといいんだけどなと、少し残念に思う。貴重品を入れたオレンジ色のハンドバッグを手に、シャーロットはリュートを見上げた。
「今日はお招きありがとう、」
「こちらこそ。妹達の遊びに付き合ってくれて感謝する。」
「これ、お土産なの。」
シャーロットが執事が持っていた手提げ袋をもらおうとすると、リュートが黙って手を差し伸ばして持ってくれた。結構重いんだけどなーと思いながら見上げると、リュートはふっと微笑んだ。
「じゃあ、行こうか、」
そう言うと、リュートは黙ってエスコートしてくれる。
馬車に一緒に乗りシャーロットの隣に座ったリュートは、シャーロットの手を取ると、掌の傷を丁寧に確認していく。
「もう、痛くはないのかい?」
「ええ、こけただけだもの。」
そう言って微笑んだシャーロットの髪を優しく撫でて、リュートは自分の肩にシャーロットの頭を寄せた。
「何があったのかは知ってるんだ、シャーロット。君が言いたがらない訳も。言えば、婚約解消の原因になると思ってるんだろう?」
そうとも言えるし、そうとも言えないわ。シャーロットは黙って瞳を閉じた。
「私の元にはいろんな情報が集まってくる。騎士団の知り合いは多いし、騎士コースの友人達との関係は君も知っているだろう? 君は目立つから、みんな気がついて調べて、知っているんだよ。」
「それは…、チーム・フラッグスのみんなも…?」
「ああ、君の手の包帯に気がついて、君が何も言わずに生活している様子を見て、誰もが心配したんだよ。マリエッタは泣いていたぞ。」
可愛いマリエッタの微笑んだ顔を思い出して心が痛んだ。
「昨日、ラファエル様のご学友や力を借りている者達に会っただろう?」
そんなことまで知ってるんだ…。
「私の元に来れば、君をこんな目に合わせることはしない。君を守るよ。怪我をしても我慢して黙っていなくてはいけないなんて、私はおかしいと思っているよ?」
何も言えないシャーロットは、黙ってリュートの肩に頭を凭れて座っていた。大きな骨太の手が、優しく肩を抱いている。リュートは優しい人だったんだ…。
リュートはそれ以上何も言わなかった。
馬車がアルウード侯爵家に到着すると、馬車寄せに集まってきた大勢の執事やメイド達に迎えられた。
背が高いリュートはシャーロットを抱き抱えるように馬車から降ろすと、メイド達はシャーロットを優しく取り巻いて屋敷の中へと寄り添った。ここでも怪我をした話はバレているんだろうなとシャーロットは思った。
暖かい屋敷の中で待っていた白いカーディガンを肩に羽織り膝下丈の紺色のニットワンピースを着た侯爵夫人は、入ってきたシャーロットを優しく抱き寄せて、「ようこそ、シャーロット様。ここは怖い者などいませんからね。今日は楽しんでいってくださいね、」と微笑んだ。
メイド達にコートを脱がせてもらうと、夫人は屈むと「ごめんなさいませ、」と言ってシャーロットのスカートの裾を少し捲って、両膝小僧の包帯を確認した。
「痛みますか?」
メイド達は心配そうにシャーロットを見つめている。
「いいえ、大丈夫ですよ?」
大袈裟だなーと思いながらシャーロットは微笑んだ。コートを脱いだタキシード姿のリュートが持っていた紙袋を夫人に渡すと、シャーロットは慌てて説明した。
「母からのお土産です。前回と同じで申し訳ないのですが、母が是非にと言っておりましたの。」
袋の中身はいつもの領地の美容クリームと蜂蜜とシロップだった。今回は母のスパの招待状まで持たされていた。
「これは、ぜひ侯爵様とご一緒にお過ごしくださいと、母から預かりました。」
コートのポケットからスパの招待状の入った封筒を手渡すと、夫人は満面の笑みで喜んだ。
「嬉しいわ。ぜひ利用させていただきますわね。」
「母も喜びます。」
シャーロットは嬉しそうに答えた。まさかその招待状がないとスパの予約も取れないのだとは知る由もなかった。自分の母が見極めた人しかスパには招待しないのだということも、知らなかった。
「じゃあ、行こうか、シャーロット。」
リュートに促されて大広間に向かったシャーロットを、夫人は嬉しそうに封筒を胸に抱き締めながら見送った。公爵夫人の招待状を貰えるなんて、なんて素敵なんでしょう、と夫人は瞳をキラキラさせていた。
大広間にはお茶会の用意がされていて、部屋の中央の大きなテーブルはどう見ても10人分はお茶の用意がしてあって、どう見ても15人分のケーキやお菓子がお皿にのせてあった。椅子は10人分用意してある。なのに、スプーンやナイフ、フォークと言ったカトラリーは5人分しかなかった。
「これはいったい…?」
シャーロットが首を傾げていると、リュートは知っているのか微笑んで誤魔化した。
「ようこそいらっしゃいませ、シャーロットお姉さま、」
白いシャツに赤い蝶ネクタイをして膝丈のキュロットで黒と白の縞々の靴下を履いた双子の妹のどちらかと、白いシャツに灰色のジャケットを羽織りシルクハットを頭に乗せて黒いズボンを履いて赤い蝶ネクタイをした双子の妹のどちらかが毛の長い白い猫のシャルを抱いて、二人一緒に部屋に入ってきた。その後ろには二人と同じくらいの背の高さの少年がついて入ってくる。髪は茶金髪で青緑色の瞳をしていて、鼻の頭にはそばかすが散っていた。その少年は茶色い耳のついた帽子を被って、茶色いジャケットに茶色いキュロットを履いていた。
「お姉さま、今日に私はシルヴィアじゃなくて、トゥイードルダムと呼んでくださいませ、」とキュロットの方が言うと、隣の眼鏡をかけた方を指差した。
「今日はエリーゼじゃなくて帽子屋と呼んでくださいませ、」とシルクハットを乗せた方が言った。猫のシャルは腕から放たれると、ニャーンと鳴いて二人の足元で佇んでいる。
「あの、僕は3月ウサギと呼んでください。初めまして、シャーロット様、こんな格好で申し訳ありません。フレット・バルバットと申します。」
「この子は私達の母方の親戚なんだ。バルバッド侯爵家の一人息子だよ。エリーゼ達と基本学校で仲が良いんだ。」
「お兄さま、私は帽子屋ですのよ?」
「私はトゥイードルダム、こっちは3月ウサギですのよ?」
わけわかんないわねーとシャーロットは心の中で呟いた。名札でも書いて胸に貼っておいてほしいものだわ。
「お兄さまには、お情けで白うさぎの役を譲ってあげたんですからね?」
エリーゼが口を尖らせると、シルヴィアはシャーロットをテーブルの真ん中あたりの椅子に座らせた。
「白うさぎなのにちっともかわいくありませんわ。」
リュートに可愛さを求めたら酷だとシャーロットは思った。
「シャーロットお姉さまはお客様ですからアリスですの。良くお似合いですし、理想的なアリスですわ。今日はお茶会なので、ぐるぐる回りますわよ?」
お茶会なのにぐるぐる回るの? 全く意味が判んないわ。シャーロットは戸惑った。こんなお茶会は初めてだった。ゆっくり腰を据えてお話をするのがお茶会だと思っていた。
「では、はじめますわよ?」
エリーゼがお茶を並べられたカップに次々注いでいく。
「冷めないうちに召し上がって下さいね、お姉さま。」
は?
全部のカップにお茶を淹れたら冷めるよね? シャーロットは目をぱちくりとした。
とりあえず落ち着いて、目の前の紅茶の入ったカップを手に取ると、立ち上る薔薇のような甘い濃い香りを嗅いだ。この席のケーキはアップルパイだった。ケーキは席によって、イチゴのタルト、チョコレートケーキ、チーズケーキと品が違った。シャーロットの隣にはリュートが座って、紅茶を楽しみながらチョコレートケーキを食べている。
「今日のお茶会の議題は最近覚えた新しい言葉、にしましょうか。」
席に座ったシルヴィアが微笑んだ。
ナニソレ?
シャーロットはますますお茶会の趣旨がよくわからなくなってきていた。
「きちんと意味も披露しましょうね。」
すべてのカップにお茶を注ぎ終えたエリーゼが、シャーロットの向かい側の席に座って微笑む。シルヴィアはシャーロットの側の一番端の席だし、フレットはシルヴィアと対局線上の端の席に座っている。
「私は最近、どうしようもない、を覚えましたわ、」シルヴィアが端っこの席から言った。「腹が立ってもどうしようもないし、情けなくてもどうしようもない。世の中、不条理だらけですわ。」
「上手いですわ、さすがトゥイードルダム。本をよく読んでいますのね。」
私は読んでないから無理じゃないかしら。シャーロットは猫を被って微笑んでいてもハラハラし始めた。このお茶会は何をしたいのか判らない上に無茶なお題を振ってくる。
「僕は、なるようになるさ、を覚えました。失敗しても、なるようになるさ、成功してもなるようになるさ。なんてかっこいいんでしょうか。」
「3月ウサギくんは普段が真面目過ぎて、時々無頼な大人に憧れる傾向がありますね、」
エリーゼが顔を顰めて難癖をつける。シャーロットはアップルパイを食べながら様子を伺っていた。どういう話を求められているのかよく判らなかった。
「ちょっとつまらないですわ。お兄さまは?」
「そうだな…、恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす、って古い歌だな。」
ゲホゲホゲホゲホ…と、リュートの言葉に、シルヴィアはお茶を飲み損ね噎せている。
「ちょっと、お兄さま、気持ち悪いですわ。なんですの、それ。」
まだ少し咳き込みながら、シルヴィアが自分の体を抱き締めて震えている。
「そのままの意味だよ、美しいと思わないか?」
うーん、ちょっと、リュートが言うと確かに違和感を覚えて気持ち悪いなとシャーロットは思った。申し訳ないけど、堅物な印象のあるリュートの口から聞きたい言葉ではなかった。
「はい、ではお兄さま失敗でしたから、席を変わりますわよ。さあ隣にズレてズレて、」
エリーゼは席を立って、左隣の席に移動した。シャーロットは自分の席にリュートが座るのは飲みかけの紅茶を飲ませるみたいで嫌だなと思い、カトラリーを手に念のため2つ隣の席に移動した。
「あ…。」
シャーロットの座った席は、さっきまでシルヴィアが座っていた席だった。目の前のカップには飲み終わった紅茶のカップと、食べ終わったケーキ皿が二枚が残っていた。隣のリュートを見ると、困ったような顔をしている。
リュートが綺麗な席に座れたならいいかとシャーロットは割り切って座ると、食事には何も手を触れず眺めるだけで我慢することにした。足元にシャルが寄ってきた。シャーロットを見上げて、ニャーンと鳴いた。お前を抱っこすると、家に帰ったら大騒動になっちゃうの、ごめんね、と心の中で謝ってシャーロットが頭を撫でててやると、シャルは嬉しそうに目を細めた。
シルヴィアは向かいの席に移って、新しい紅茶とケーキを食べ始めている。そうか、ここのうちの子はよく食べる子ばかりだから、新しい席でも何も困らないんだわ。シャーロットは納得した。
エリーゼも新しい席でチョコレートのタルトを食べながら、リュートに話しかけた。
「お兄さま、もう一つくらい何か言葉を教えてくださいな。さっきのだけでは物足りないですわ。」
シャーロット側の席に移動してきているフレットも紅茶を飲みながら、リュートを見ている。
「嫌なお方の親切よりも、好いたお方の無理が良い。」
聞いていて顔が熱くなってくるのが判る。シャーロットは恥ずかしくなってきた。
それ、恋の歌だよね? リュートってどんな本読んでるの?
「お兄さまが仰ると気持ち悪いですけど、言葉自体は素敵ですわ。」
エリーゼが身を震わせながら呟いた。
「ねえ、もっと他には?」
シルヴィアがリュートを見た。「フレットも気になるでしょう?」
「ええ、リュート様が案外人間臭い人なんだなって判ってほっとしてます。」
ふふふふとエリーゼとシルヴィアが息を合わせて笑った。リュートは真面目な顔で暗唱する。
「泣いた拍子に覚めたが悔しい、夢と知ったら泣かぬのに。」
目の前でエリーゼが身悶えしている。判る、身内の恋歌なんて聞きたくないよね。シャーロットはうんうんと頷いた。
リュートがシャーロットを見て恥ずかしそうに尋ねた。
「シャーロットはこういうのは嫌かい?」
猫を被って冷静な気持ちを作って、シャーロットは微笑んだ。
「いいえ。初めて聞いたから、びっくりしたけど、最初の蛍のが一番素敵だわ。」
「ああ、恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす、だね。」
「きっと、蛍の姿を思い出すときは、切ない気持ちになると思うわ。」
エリーゼが緑の目を光らせてにやりと笑った。
「では、シャーロットお姉さまの、最近覚えた新しい言葉は何ですの?」
シャーロットは顰め面をして考えて、しばらく考えた後、呟いた。
「バレンタイン?」
くすくすと笑いだして、エリーゼとシルヴィアは顔を見合わせた。
「お姉さまほどの方が知らないなんて! いったいどんなお育ちでいらしたの? 本当にお姫様なのね!」
「よせよ、エリーゼ。青い姫君に失礼だろう?」
フレットが窘めた。ここでも青い姫君ってバレてる!
「だって、みんな知ってる行事をこんなに美しい人が知らないなんて、びっくりじゃない? 」
「シルヴィアまで。」
シャーロットはそんなに変なのかなと少し寂しくなった。基本学校に通っていると知っている行事なんだとしたら、通っていなかった私が知らなくても仕方ない。でも、私が基本学校に通っていない事実を知っている人は少ない…。
シルヴィアが緑色の目に涙を浮かべて、笑いを堪えながら言った。
「いいですわ、シャーロットお姉さま。バレンタインの日になったら、学校中が大騒ぎですから、私達がお教えしなくても大丈夫ですわ。楽しみにお待ちになって?」
ますますわかんないじゃん。
シャーロットはモヤモヤとした気分のまま、心の中で呟いた。
帰りの馬車の中で、リュートはシャーロットの隣に座って、シャーロットの手を握った。あの後、入って来たメイド達が一斉にお茶のカップを交換してくれ、ケーキ皿も入れ替えられた。お茶会は何度か議題を変えて、何度か席が変わった。シャーロットはその都度、答えに詰まって「降参、」と匙を投げた。いろいろとモヤモヤが溜まるお茶会だった。終わってほっとしていたのは内緒だった。
「妹達の我儘に付き合ってくれてありがとう、シャーロット。疲れただろう?」
「楽しかったけど、ちょっと疲れたわ。」
シャーロットは肩を竦めた。ほんとは、随分疲れたわ。
「リュートは、蝉とか蛍とかの…、ああいう本好きなの?」
「ああ、たまたま資料を見てた時、見つけたんだ。」
何の資料を見ていたのかすごく気になるけど、聞かないでおいた。
「他には、何か覚えていたりする?」
シャーロットを見つめながら、リュートはゆっくりと言った。
「そうだな…、遠く離れて会いたい時は、月が鏡になればいい。」
「遠く離れて会いたい時は、かあ…。」
シャーロットは馬車の窓から空を見上げた。雪がやんだ夕焼け空には丸い月が雲間に微かに見えた。
「ねえ、リュートは月が好き?」
リュートを見上げると、リュートは目を見開いて、シャーロットの頬を撫でた。
「嫌いではないけれど…、それほどでもないな。」
「そう。」
ミカエルなら満月が好きってすぐに言いそうだなと思った。
「シャーロットは?」
「私は…、どっちかと言うと、月よりも星を見るのが好きなの。星座を探すのが、好き。」
「星座、詳しいの?」
「あんまり。でも、星をつなげて物語を考えた人ってすごいなあって思いながら見上げるのが、好きなの。」
「私の家の領地は高地だから、星が綺麗に見えるよ? 何なら泊りに来ればいい。」
シャーロットは目を見開いて驚いて、ふっと微笑んだ。
「そうね、いつか行けたら、ね。」
リュートにしてもブルーノにしても、堂々と泊りの旅行に誘うのね。ミカエルは、王族だから旅行なんて無理だろう。一番会いたい人は、一番自由がない人で、一番我慢している人だ。
「月が鏡になればいい、か…。」
空を見上げて呟いたシャーロットの顔を、リュートは眩しそうに見つめていた。
ありがとうございました。