<116>エリックルートはどちらも海外へ出るようです
月曜日の朝、シャーロットはミチルなミカエルとガブリエルと一緒に登校して、教室でリュートが来るのを待っていた。ガブリエルは昨日買った髪留めをシャーロットが使っているのを見ると、自分の髪につけた髪留めを見せて嬉しそうに微笑んだ。
今日も朝からリュートといくつか一緒の授業があった。シャーロットは教科書やノートをまとめて、いつでも席を移動できるように準備していた。リュートと一緒に授業を受けるようになって、リュートのノートの取り方を覚えて、同じ授業を受けていても学び方が人によって違うのだと理解し始めていた。今までは自分の取ったノートだけが情報源だった。リュートのノートを見せて貰うと、講師の話したことの要点のまとめ方が自分とは視点が違っていて面白かった。その視点に寄せていくようにノートを作っていくと、今までとは違う幅が出来ていた。私にとって実はいい機会だったのかもしれないわね。シャーロットは得をしたなと思う。
ぼんやりと窓の外を眺めながら、ミカエルとガブリエルが楽しそうに話している笑い声を聞いていると、足音を立てないようにエリックが忍び寄ってきて、シャーロットの右耳の上の髪留めをつついた。
「痛いわ、エリック。そういうのはやめて。」
「お姉さま、今日のお昼はおじいさまのところで3人で食べるからな。学食に行かないでおじいさまのところへ来るんだぞ。」
「エリック一人で頑張る訳にはいかないのかしら。」
昼間っから祖父の高笑いを聞きたいと思わないシャーロットは、眉間に皺を寄せて答える。
「そんな訳にいかないから、朝から誘いに来てるんだろう?」
「昨日教えてくれればよかったのに。」
シャーロットが口を尖らせると、エリックは嫌そうな顔をした。
「あんなもの見せられた後でそんな話できるか。いいから来いよな?」
そういえばそうだったとシャーロットは思い出した。ミカエルとキスしていたところを見られたんだっけ。シャーロットは頬が熱くなるのを感じた。
「なんですの、シャーロット。あんなものって。」
ガブリエルが嬉しそうに寄ってくる。ミカエルはガブリエルの後ろでシーっと人差し指を立てていた。
「リュートが来たから行くね、」
シャーロットは席を立って猫を被って微笑んだ。恥ずかしくて、言えないわ。
教室に入ってきたリュートはシャーロットを見ると、嬉しそうに目を輝かせカバンの中から手紙を出し、可愛らしい花柄の封筒を恥ずかしそうにシャーロットに手渡す。
「これは?」
まさかリュートの趣味じゃないよね?
「私の妹達がシャーロットにって。」
一緒に席に座りながら、シャーロットはリュートを見上げた。なんだ。つまらないなー。意外性がないなー。
「昨日はおうちに帰ったの?」
「ああ、家にいる方が気が楽だからね。医者も見に来てくれたし。跡が少し残るかもしれないらしいが、仕方ないさ。」
「そう…。」
シャーロットはリュートの左手を擦った。大きな骨太の手は、シャーロットの手を悠々と包み込みなおしてしまう。
「手紙、今ここで読んでくれて構わないよ?」
「ありがとう。」
微笑んで早速封を切ると、黒いジャケットを着た可愛らしいうさぎが懐中時計を持って飛び跳ねた絵が描いてあり、色鮮やかな花の絵が字よりも沢山描かれた便箋が広がった。便箋の上の可愛らしくて少ない文字は、『親愛なるシャーロットお姉さま、8日の午後にお茶会をいたしますので、ぜひとも遊びに来てください シルヴィア エリーゼ』とあった。2枚目の便箋には、出来ればしてきてほしい服装として細かい要望が書いてある。膝下丈の黃色のワンピースに白いエプロン…? 髪は括らないで白いレースのカチューシャ? 白い靴下に赤色の靴? 宝飾品は身に付けない?
お茶会にしてはなんだか変わってるわね、とシャーロットは思った。
「可愛いわ…、女の子のお手紙って感じね。」
もしかしたら、初めて同世代の女の子から貰うお茶会の案内状かもしれない。今まで、母のお茶会に付き合わされたり母が招かれたお茶会に付き合わされたりすることはあっても、基本学校にも通っておらず舞踏会にもあまり出掛けないのシャーロットにはお茶会をするような友達がそもそもいず、お茶会に誘われる機会もなかった。
同じ年頃の子が主催するお茶会ってこういう感じなのかしら、と大人ばかりのお上品なお茶会にしか参加したことのないシャーロットは、手紙を胸に抱き締めて微笑んだ。
リュートも微笑んで、シャーロットの髪を撫でながら尋ねた。茶色の瞳が柔らかくシャーロットを見つめている。
「この髪飾りは? もしかしてガブリエル王女とお揃いなのか?」
「ええ。昨日一緒に街の鉱物雑貨屋さんに行ったの。クラウディア姫と3人でお揃いなの。」
シャーロットの隣にサニーが当然のように座った。「おはよう、シャーロット。髪飾り、使ってるんですね。」
「おはよう、サニー。」
微笑んだシャーロットに、「シャーロット、大丈夫かい?」とリュートが急いで囁いた。聞かれたくない話なんだろうか。シャーロットも急いで手紙を教科書に挟んで隠した。
「ええ、大丈夫よ?」
土曜にチョコレートを届けてもらう約束があるから金曜には家に帰るのとは言いにくいなあ、と思いながら、小声で答える。サニーは首を傾げていた。シャーロットの前の席にはブルーノとエリックもやって来た。
「良かった。妹達も喜ぶよ。」
リュートがそう小声で言って微笑むと、授業のチャイムが鳴り出した。
エリックと一緒に理事長室に向かっていると、廊下を歩くローズとすれ違った。ローズは購買に行った帰りなようで、パンの入った袋を抱えていた。
ローズはシャーロットに気がつくと、口を閉じて睨みつけてきた。挨拶もなく無言のまますれ違った態度にも驚いたけれど、あまりの表情にシャーロットは言葉を失くした。
「ローズはたぶん、修道院で聞いたんだぜ。」
エリックが面白そうに言った。「お姉さまの謎かけを自分で解かずに他人に聞くなんて、あの女は本当に馬鹿だな。」
「エリック、」
シャーロットが窘めるように言うと、エリックはにやりと笑った。
「これでもまだ、お姉さまはあの女を助けたいと思うのか? いい加減に目を覚ませ。」
シャーロットには何も言えなかった。ローズに何かある前に、覚悟が必要になる日も来るのだろう。煩い弟が面倒臭いことをし始める前に、自分に出来ることをしなくてはいけない日もくるのだろう。
理事長室のドアをノックして、エリックが先に入った。シャーロットも後に続いた。
「おじいさま、お姉さまを連れきました。」
「おお、エリック、シャーロットもこっちにこい。学食からランチを持って来てもらってある。そこのソファアに座って食べながらで構わん。ちょっと話に付き合え。」
祖父は理事長の机の上に腕を組んで座っていた。ソファアの前のテーブルには3人前のプレートが並べてあった。エリックと並んでソファアに座ると、口を尖らせてシャーロットは2人分のプレートをエリックの方へ寄せた。私が一人で呼ばれる時は何もないのに、これは待遇に差がある気がするわ。
「おじいさま、ありがとうございます。」
そう言うとさっそくエリックは2人分を食べ始めた。シャーロットも、「ありがとう、おじいさま」と微笑んで食べ始めた。今度からはお昼ご飯がないならいかないと言って断ろう。
「お前達には悪いが、頼まれ仕事だ。修道院にローズが学びに行っているのは知っているだろう。」
「はい、本人からも聞きましたし、ガブリエル第二王女からも聞いています。」
シャーロットが答えると、エリックも頷いた。
「ちょっと大変なことになってな。一昨日、修道院の院長があまりの怒りに倒れてしまった。」
「はい?」
シャーロットは思わずフォークを落としそうになった。
「お姉さま、どうせあの女は、余計なことを言って怒らせるようなことをしでかしたんだろう。簡単に予想できるじゃないか。」
エリックは鼻で笑っていた。
「ローズがいろいろ尋ねたりしたらしいんだがのう、あまりの態度の太々しさに注意をしたら逆に、無駄な話が長いと言われてしまったらしくてな。まあ、その後は察しの通りだ。」
祖父は手元にあった資料をめくっていた。
「で、お前達は公爵家の子息、子女として、シュトルク殿や遠く東方の国の大使を接待してほしい。」
「はい? どうしてそうなるのですか?」
「調印式に向けて、この国の文化や暮らしの様子をあの遠くの東方の国からくる使節団に紹介することになっていたんだがのう。人当たりもよく語学が堪能な修道院の院長が接待することになっていたんだが、ローズの世話もあるし体調を考えるといけないと言われてしまった。」
祖父は苦笑いを浮かべて言った。
「『自分の足で渡ってくるような者には手助けなど必要ありませんが、正しき道へと導く手助けが必要な迷える者が私の傍にいるのです』、…とまで言われてしまったからのう。」
ローズは相当悩ましい存在なんだろうなとシャーロットも苦笑いをする。エリックはそんな二人の顔を見比べて眉を顰めながら言った。
「おじいさまはブルーノの国で俺やお姉さまが受けた扱いを知っていて、そうお考えなんでしょうか。」
「知っとるよ? シャーロットは3度ばかり一緒に食事もしておるだろう? 向こうからは結婚を前提にと話も受けているし、まあ、たいしたことなかろう。」
「やはり結婚を前提に、調印式ではお姉さまを公の場に引っ張り出すんですね。」
「だろうな。お前は結婚自体には反対ではないだろう? シャーロットが嫁げば、航路が広がるからのう。お前が公爵になる頃にはわが領地の港はもっと充実した貿易が可能だろう。」
「ええ。ブルーノだと海運王の息子、シュトルクだと軍事大国の軍師ですから。どっちでも俺は構いません。」
「ちょっと、エリック。勝手に人の人生を決めないでちょうだい。」
シャーロットはむすっとした表情で呟いた。
「それで、シュトルク様の接待って具体的には何をするのでしょうか。」
「2月の15日に調印式がある。その前後にかけて歓迎の舞踏会やパーティがあるのだが、お前達には公爵家として14日の夜にある舞踏会と15日の記念の祝賀パーティに、修道院の院長の代わりとして16日の王都の礼拝堂や街の案内を頼まれて欲しい。そうだな、16日の公務にはジョシュアとバランをつけてやろう。」
ジョシュアもバランも、海外研修旅行でブルーノの国に一緒に行った執事達だった。語学に堪能なジョシュアと格闘好きで警護も兼ねるバランがいてくれれば、シャーロットは向かうところ敵なしに思えた。
「週末にお父さまがお話があるとのことでしたが、それは同じ内容でしょうか?」
「それは違うな。土曜の家族会議の議題はお前の婚約破棄の話だからな。」
「ミカエル王太子殿下とは婚約解消なんかしません。」
「そうもいかんのだ、シャーロット。まあ、詳しい話はその時に。」
祖父は微笑んでシャーロットに言った。
「ほら、急いで食わんと時間が無くなってしまうぞ。」
エリックはもうすでに1人分食べ終えていた。シャーロットも急いで食べながら尋ねてみた。
「エリックは、シュトルク様と私が結婚してもいいと思ってるの?」
あんなに悔しがっていたのに、そんなに簡単に態度を変えちゃうんだ…とシャーロットは思った。
「お姉さま、ものは考えようだ。」
エリックは口の中のものを飲み込んでから答えた。
「向こうが手を差し伸べてきているなら掴むのが一番早い。背を向けているなら追いかけるまでだ。いつかまた向き合う時が来る時までに、お姉さまを隠れ蓑に俺は力を蓄えて、あいつにひと泡吹かせてやりたい。」
姉を結婚させて隠れ蓑にするとか、どういう発想なのかしら、とシャーロットは首を傾げた。
「14日はエリック一人で可能なら、エリックにお任せくださいな、おじいさま。」
「そうだなあ…。公爵家の跡取りとしてエリックがこなせられるなら、14日はシャーロットはおらんで良かろう。エリック、出来そうか?」
「15日の調印式は二人とも出席が決まってるし、仕方ないですね。俺は14日に、お姉さまは16日に分けても構いませんか。」
「わかった、では、そのように。」
良かった。14日はミカエルの誕生日なのよね。少しでも一緒にいたいもの。シャーロットは食べながら思った。歓迎の舞踏会に出ることになれば、14日は朝から家に帰る支度が必要になってしまう。それに引き換え、使節団と礼拝堂の見学なんて、よくある公務と割り切れる仕事だわ。
機嫌良さそうに食べ始めたシャーロットを、胡散臭そうに見ながらエリックは食事をしていた。
「あの女の後始末を俺達がしているなんて、あの女は思いもよらないだろうな。」
理事長室で昼食を食べ終え退室したエリックとシャーロットは、二人で教室に戻りながら話をしていた。
知ってたとしても、どうしようもないじゃない。シャーロットは心の中で答える。私達は公爵家の子供で、理事長の孫なんだもの。大人に使われてしまうのは当然だわ。
「お姉さまはここのところ、休みの日が充実していて羨ましいな。」
エリックはぽつりと言った。
「あなたも家に帰って楽しくしてたんでしょ?」
ミカエルが言ったように、公爵家での家族会議だったんだろうなとは判っていても、尋ねてみる。
「お姉さまにご褒美をおねだりしたい気分だ。」
「そうね、」チョコレートをあげるわ。
不満そうに顔を顰めたエリックに、シャーロットは心の中で呟いた。
「お、意外だな。本当にくれるのか?」
エリックが嬉しそうに言った。甘党のエリックにはチョコレートが妥当だろう。
「14日にあげましょう。」
シャーロットが微笑むと、エリックはまた顰め面をした。
「14日の夜は舞踏会が決まったし、昼休みの間にバレンタインは済ませないといけないな…。俺は14日の午後から授業は出られないからなあ。」
「私はその後帰るから、ありがとうね、エリック。」
少しでもミカエルと一緒にいられるといいな、シャーロットはそう思いながら微笑んだ。
ありがとうございました