<115>愛を囁かれると笑ってしまうのは悪役令嬢です
のんびりコーヒーを愉しんで、それぞれ会計を済ませるとシャーロット達は店を出た。冷たい風が吹き抜けて、思わず肩を竦める。サニーがそっとシャーロットの手を両手で包み込んだ。
シャーロットの手を自分のコートのポケットの中に入れて歩き出したサニーに引っ張られ、くっつくように歩くシャーロットを見て、ガブリエルとクラウディアは嬉しそうに微笑んだ。言葉のない二人の世界が素敵だと思われているとは知らず、シャーロットは東側の街へと向かって歩いて、クラウディアの希望の鉱物雑貨店を目指した。
店の外観が見えてきた。あれは、ロータスだったローズとサニーと行ったお店だわ。シャーロットは懐かしくて心が震えた。まさかあの時入った店にまたサニーと来ることになろうとは、思いもよらなかった。
「ここでお兄さまはお土産を買ったのよね?」
クラウディアは嬉しそうに指差して尋ねた。店のすぐ傍まで近付いていた。
「これですよ?」
サニーは立ち止まると、コートの袖をめくって、腕にしているさざれ石のアメジストのブレスレットを見せた。
「シャーロットと交換したんです。」
やっぱりそうなるのか~と思いながら、シャーロットもコートとセーターの袖をめくって、手首に嵌めたブレスレットを見せる。
「お揃い…、素敵だわ…!」
クラウディアは目を輝かせてシャーロットとサニーを見つめた。
「アメジストは私の国では絆を深める石ですわ。私の瞳の色に近いので、私の好きな石です。」
これを買ったのは3人で、もう一人、ローズって女の子がつけてるのよ、シャーロットは心の中で呟いた。3人での思い出の品なのに、ローズとは心に隔たりが出来てしまっている。
「私も何か欲しいですわ。」
ガブリエルが指でシャーロットの手首のブレスレットをつつきながら言った。
「私達も何か記念に買いませんか? きっと、この4人で来ることって、しばらくはないでしょう?」
「楽しかった記念のお土産ですのね、素敵ですわ。」
クラウディアとガブリエルがどんどん話をまとめていってしまう様子を、シャーロットは微笑んで聞いていた。たぶん、もう、この4人で出かけることはないだろうなと思いながら、サニーを見上げた。
サニーはシャーロットの手を自分のコートのポケットの中に入れながら、指でシャーロットの手を撫でていた。シャーロットの視線に気がつくと、優しく微笑んだ。黒い瞳がキラキラしていた。
お店に入ると、ガブリエルとクラウディアは瞳を輝かせながらあちこちを二人で見て回っていた。高級宝飾店で見るような大粒の石は並んでいないことが珍しいのだろうな、とシャーロットは思いながら見守っていた。
ブルーノの国でシャーロットは宝石の値段を知った。お金の価値が違っても、書かれている数字の価値はどの国でも同じだろう。ここに並ぶ石は、王女様にとっては小石くらいの価値なんだろうな。さざれ石だって、違う意味で見たことがなかったんだろうな。彼女達が舞踏会で身に着けている宝石は、この店の石を全部お金に換えても買えないものばかりなんだろうな…。
すぐ近くの棚に並んだ小さな懐中時計飾りを眺めながら、シャーロットはそれでも私はこっちの方が好きだわと思った。まるで夜空の星のようなんだもの。月のような宝石も素晴らしいけれど、夜空に星座を探すような鉱石を探す楽しみには、物語を思う喜びがあるもの。
幾千もの星のような煌めきだわとうっとりと店内を眺めているシャーロットと、黙って寄り添っているサニーを覚えていたのか、男性店員達は目が会うと会釈してくれる。一度来たきりなのによく覚えてるわねー、とシャーロットは感心しながら会釈を返した。男性客の一人が焦げ茶色のジャケットの胸ポケットに紫色のポケットチーフを入れているのを見つける。お城で見かけたことのある顔だった。目が合うと、お仕事お疲れ様、と微笑んでおいた。
シャーロットはサニーを見上げて、「そろそろ見たいから手を放して?」とおねだりした。サニーは微笑んで、ポケットからシャーロットの手を出すと、近くにあった指輪を嵌め始めた。大きさを確かめながら、人差し指、中指、薬指、小指、それぞれ色の違う指輪を嵌めて、もう片方の手を取ると、そこにも指輪を嵌め始める。
「サニー?」
両手をサニーに取られてしまったシャーロットは、不思議そうに首を傾げた。見たいのは指輪じゃないんだけどなー?
「この中で一番好きな色はありますか、シャーロット。」
色とりどりの石は、赤も緑も青も黄色もある。それぞれの石を見つめて、シャーロットは呟いた。
「この石はあなたの瞳の色に似ていると思うわ。」
黒曜石の指輪は、シャーロットの右手の薬指に嵌められていた。親指の爪よりも大きな黒曜石が、金細工の花のような台座に嵌め込まれている。
「私は、この色が好きよ?」
自分の瞳の色に似た、青い石の指輪の嵌る左手の人差し指を指差して、青い瞳のシャーロットは微笑んだ。小さな青い石は指輪の太さとあまり変わらなかった。
「私の瞳に色に似ているでしょ?」
指で自分の瞳を指差すと、サニーは驚いたような顔になった。シャーロットの指から一つずつ指輪を外し、黒曜石の指輪を改めて左手の薬指に嵌めた。
「私からの今日の記念のお土産です、と言ったら、受け取ってくれますか?」
サニーは嫌いじゃない。でも、これ以上仲良くはなれない。心を支配されたくはない。貰っても、机の引き出しにしまってしまうだろう。シャーロットはサニーの指を撫でた。
「そうね、身に付けないかもしれないけど、それでもいいのなら。」
「良かった。」
嬉しそうな顔のサニーを見てしまうと、なんだか心苦しくて、シャーロットは上目遣いに提案する。
「私も指輪を記念にあげましょうか、」
シャーロットは大きそうな指輪で、青い石のものを探した。絡まる蔦のような金細工が美しい指輪に青い石がささやかに輝いていた。それでも値段は黒曜石の指輪とあまり変わらない。
サニーの左手を手に取ると、薬指に青い石の指輪を嵌める。ちょうど嵌った指輪をサニーは光にかざして眺めた。
「今日の記念に、私の瞳と同じ色の石を。」
サニーとローズは赤い石か、青い石の指輪を交換すると言ってたけど、私は青い石じゃないからきっと大丈夫ね? シャーロットはそう思った。確か婚約が赤い石だったっけ?
何かを考えているような表情で黙ったサニーは、シャーロットと自分の指に嵌めた指輪を抜いて、掌にくるんで持った。くるりと背を向けてお会計へと行ってしまう。
「サニー、一緒に行くわ。」
シャーロットは慌ててお会計に向かって、サニーと並んでお会計をしてもらった。サニーは青い石の指輪を買い、シャーロットも黒い石の指輪を買う。こんなものを買って貰ったりしたら、またゲームがどうのこうのとミカエルが言いだしそうだなと思う。せめて一個分は自分でお金を出しておきたかった。
会計係の男性店員は二人を見て、「プレゼント用ですか?」と尋ねた。
「いいえ、ここで嵌めて帰ります。」
店員は微笑んで、指輪につけてあった値札の紐を取ってくれ、シャーロットとサニーの掌に載せて、「幸運がありますように」と言ってくれた。
二人はお会計を済ませて店の出入り口まで行くと、サニーはシャーロットに向き合い、さっそくシャーロットの薬指に黒曜石の指輪を嵌めた。
異国の言葉をぶつぶつと呟いていたサニーは、シャーロットに青い石の指輪を渡して、「お願い」と言った。
深く考えずに微笑むとシャーロットはサニーの手を取り、左手の薬指に金細工の美しい青い石の指輪を嵌めた。サニーはその間も、何かをぶつぶつと囁いていた。
「ねえ、その言葉はなあに?」
シャーロットがサニーの手を握ったまま尋ねると、サニーは優しく微笑んだ。
「おまじないですよ。私の国の、おまじない。」
意味は教えてくれないのね、とシャーロットは首を傾げた。
呟き終わると、嬉しそうに微笑み、サニーはシャーロットの耳元で囁いた。
「私の国では、婚約指輪と結婚指輪は違うんですよ?」
「私の国もそうよ?」
シャーロットは微笑むと、黒曜石の指輪の輝く左手を眺めた。この国では結婚指輪は男女で違うもの。花嫁は鉄の指輪を花婿に贈るし、花婿は金の指輪を花嫁に贈るのよ? シャーロットがサニーに贈ったのは金細工の指輪だった。あなたにあげたのは結婚指輪ではないの。そう、思った。
ガブリエルとクラウディアはそっと棚の影から二人の様子を見ていた。
「私の国では、お互いの瞳の色の石の指輪を、結婚する時に贈り合うのですよ?」
クラウディアは嬉しそうにガブリエルに囁いた。
「結婚式が終わると、一緒に神殿に納めに行くんですの。婚約指輪は大事に持ってますが、結婚指輪は神殿で管理するので指輪の価値は重要ではないのです。お互いの為に買った指輪を二人で納めに行く事が重要なので。」
「子供の頃に買った指輪でも、高価な指輪でも、一緒に納めに行けばいいのですわね?」
「ええ。こういう店のものでも大丈夫なのです。お兄さまは知ってて黒曜石の指輪を薬指に嵌めたのですわ。シャーロットに買って貰う為に。」
「シャーロットは知らないで選ばされたの?」
「でしょうね。お兄さまは策士ですから。」
「どうしましょう。私、ドキドキしてきましたわ。」
ガブリエルが頬を染めてクラウディアを見つめた。
「あの二人が仲がいいのはなんとなく今日一緒にいて判りましたけれど、まさか指輪まで買ってしまうなんて。」
「ミカエル様ではなく、お兄さまをお選びになるのかしら。」
「それも素敵ね。私達は本当に姉妹になるのね?」
「なんて素敵なんでしょう。また一緒にこうやってお出かけできるようになりますのね。」
「じゃあ、今日の記念の何かを私達も探しましょう!」
「そうですわね!」
飛び切りの笑顔で、王女様達は手を取り合った。
ガブリエルとクラウディアが興奮したように髪留めを持ってきた。シャーロットは何でそんなに興奮しているんだろうと少し身構えた。
「これ、綺麗だからお揃いで付けましょう、シャーロット。」
同じものが3つ、ガブリエルの手の中にはあった。
「そうね、それくらいなら学校にも付けていけそうね。いいかも?」
細長いの形の透かしレースのような金細工の中に、赤い石が3つ並んでいた。
「可愛いでしょ?」
嬉しそうにクラウディアが微笑んだ。
「そうね、とっても可愛いわ。」
シャーロットも微笑み返した。ミカエルの妹と、サニーの妹とお揃いでものを持つなんて変な感じね…とこっそり思う。
それぞれお会計に持って行って、シャーロット達は仲良く購入した。シャーロットはサニーに跡をつけられていない方の耳元に、そっと髪留めを付けた。
「シャーロット、少しずれていますわ、」
ガブリエルが困ったように言うと、サニーがシャーロットの髪から髪留めを外して、優しく撫でてしっかり止め直した。
「ありがとう、サニー。」
指輪を嵌めている手で髪留めを撫でてシャーロットが微笑むと、サニーも優しく微笑んだ。
店を出たシャーロットを見送って、店員達は、「見てるだけでドキドキするような美しい光景だったな。あの綺麗なおねえさんと同じように、恋人の瞳の色の指輪を交換するのは素敵だな。そう案内して売り出そう、」と興奮していた。見つめ合う二人が指輪を交換して嵌める様子を、店内にいた者がすべて注目して見ていたとは、シャーロットは知らなかった。
帰りの馬車の中で、ガブリエルとクラウディアは嬉しそうに、向かいの席に座るシャーロットとサニーを眺めていた。しかも、「なあに?」とシャーロットが聞いても、「別に」としか答えてはくれない。
シャーロットは変なの、と思い馬車の窓の外の流れていく景色を眺めていた。膝の上に重ねられた手に光る指輪を、二人が嬉しそうに見ているとは気がついてもいなかった。
「今日はいい日でしたわね。」
ガブリエルがサニーに微笑みかけた。
「連れて来てくださってありがとう、サニー様。また機会があればご一緒したいですわ。」
「お兄さま、お邪魔はしませんから、私もご一緒させてください。」
クラウディアもにこやかに言った。
「そうですね、シャーロット。次会う時はその指輪、忘れないでくださいね。」
え、嫌かも? シャーロットが眉を顰めていると、ガブリエルが慌てて言った。
「シャーロット、学校へ持って来てはいけませんよ? 大事にしまっておくんですよ?」
ガブリエルが真顔になると、クラウディアまで顔色を変えていた。
「そうです。失くしてはいけません、大事にしてくださいね。」
面倒だなーとシャーロットは思い、サニーに預けてしまおうかと思った。サニーを見上げると、目を細めてサニーが言った。
「ずっとそのまま、指に嵌めていて欲しいですね、良く似合っていますよ?」
「…失くさないように大事に保管することにするわ。」
しめしめ、とばかりにガブリエルとクラウディアが微笑んだことに、自分の薬指の指輪を見ていたシャーロットは全く気がつかなかった。
「さすが策士ですわね。」
「そうでしょう?」
二人が囁き合った声にも、気がついていなかった。
寮の部屋に帰ると、ミカエルはミチルの格好でラグに寝転がっていた。水色のセーターに紺色のキュロットパンツを履いて、星柄の黒いタイツを履いている。手元には落書きノートのようなマリライクスのお仕事帳が広がっていた。どうやら新しい商品の図案を描いているようだった。
「お帰り、」というミカエルは上から下までシャーロットの格好を眺めて、「今日はお土産、髪飾りだけ?」と尋ねた。掌の中に隠した指輪を見られなくてよかったわとシャーロットは思いながら頷いて、コートを片付けた。
髪留めと一緒に、黒い指輪は丁寧にハンカチで拭いてからこっそり引き出しの中にしまった。ミカエルが床で寝転がっていてくれて助かったわ、とシャーロットは椅子に座って作業をしながら思った。背を向けて絵を描いているミカエルに安心している自分に気がついた。
枕元に置いておいたスノードームも、机の上に移動してきていた。ミカエルがシャーロットのベッドでいつの間にか眠るようになってから、隠すのが後ろめたく思えて、堂々と机に置くことにしたのだった。
距離を置きたいと言いながらも、一緒に思い出の品を買って帰ってくるなんて、私はどうかしている。シャーロットは自分の甘さ加減に思わず苦笑いを浮かべた。
背を向けているミカエルに背を向けて水色のふわふわした膝丈のニットワンピースに着替えると、シャーロットもミカエルの傍に寝転がった。
「今日は何をしていたの?」
「午後までミカエルで過ごして、帰ってきたラファエルとお茶をして、お城の話を聞いた。その後ミチルになってこっちに来て、着替えてごろごろしているところ。」
「そう、ラファエル、何か言ってた?」
「だいたいはライトが昨日言ってた感じで、後は、お城の図書館に行ってあの本を厳重に管理するように司書に言いつけて来たって言ってたよ?」
「それって、ミカエルが困るんじゃないの?」
「全然。」
くすくすとミカエルは笑って、シャーロットの鼻を指でつついた。
「僕の薔薇は困った人だから、もう本はいらないんだ。愛の詩集も、読んで聞かせようとすると笑い出しちゃうような薔薇だからね。」
シャーロットはミカエルの脇を指でつついた。
「そういうこと言うんだ、ひどいね、ミカエルって。」
ミカエルはシャーロットにキスをして、優しく微笑みかける。
「ラファエルが言ってたよ、ローズは一度きちんと教育を受けた方がいいって。シャーロットに馴れ馴れしすぎるのも問題だけど、あれじゃ、男爵家での立場もないだろうって。」
リュートへの賠償金に、学校理事としての祖父からのお小言に、修道院からの箴言かあ…。私が男爵の立場でも、どれもうんざりだろうなとシャーロットは思った。
「明日学校ね、」
シャーロットは首を傾げて伝え漏れたことはないかを考える。
「また土日に家に帰るの。ごめんね、ミカエル。」
「いいよ、その分、優しくして?」
シャーロットに微笑みながらキスをするミカエルに、シャーロットも微笑んでキスを返した。
かちゃりと微かな音がして、「お姉さま、手紙を持って来てやったぞ、」とエリックが部屋に入ってきた。
キスをしていた二人と目が合うと、エリックは不快そうに手紙をシャーロットの方へ投げ飛ばし、ミカエルを睨んだ。
「自重しろ、王子様、」
そう言うと、部屋をさっさと出て行ってしまった。弟に見られるとか、すごく恥ずかしいわ。シャーロットはきまりが悪くなって立ち上がった。
「ごめんね、あんな弟で、」
シャーロットは部屋のドアの鍵をかけ、床に落ちている手紙を拾った。
「いいよ。油断したね。ノックもなく部屋に入ってくるとは思わなかった。」
ミカエルは床に胡坐をかいて座り直した。照れているのか少し顔が赤い。可愛すぎる…! とシャーロットはキュンキュンしながら見つめていた。
「何の手紙?」
公爵家の封蝋で閉じられた封筒には手紙が2枚入っていた。ざっと目を通して、シャーロットは答えた。
「え、ああ、調印式に出ることになったから、ドレスを仕立てに帰ってきなさいっていう手紙。」
シャーロットは微笑んで誤魔化した。もう一枚の手紙には、国王からの婚約破棄を前提とした家族会議があるという内容が書かれていた。遠く東方の国の出方次第では調印式で現実にありうるとあった。
そんなこと、言えないよ。動揺を見せないようにゆっくりと歩いて手紙を机の引き出しにしまうと、シャーロットは溜め息をついた。
ありがとうございました