<112>悪役令嬢は二人だけの思い出を作りたいようです
ミカエルと一緒に馬車を降りたシャーロットは、街の案内板の前に並んで立って街の地図を見上げた。ミカエルは行き先を決めているのか、指であちこちを差して道をなぞっている。ライトは、付いて歩くだけで行き先には干渉せず黙っている、と馬車の中で言っていた。
「コーヒー屋さんにも行きたいし、からくり屋敷にも行きたいし、植物園にも行きたい。」
ミカエルの希望は、どう考えたってかなり時間に無理があるように思えた。
「あのね、ミカエル。」
シャーロットはミカエルの瞳を見つめた。翡翠色の瞳は拗ねたようにシャーロットを見ていた。
「何? どれもサニーと行った場所でしょ? 僕とはいけないっていうの?」
「違うの。ミカエルとの思い出を作るなら、誰かと行ったことがある場所じゃない方がいいかなって思ったの。」
ミカエルが目を見開いた。
「私は、何年かたってミカエルと学生時代の話をする時、ミカエルとだけの秘密の場所の話がしたいの。」
ミカエルは以前、ゲームの中でサニーとローズは街探検をしたと言った。その中に出てこない場所に行けたら、私とミカエルだけの思い出になるんじゃないかな。シャーロットはそう思った。
「王子様とロータスがどこに行ったのか、ミカエルは知ってるんでしょう?」
近くにいるライトに聞かれてもいいように、あいまいな言い方で尋ねた。
シャーロットの意図を察したのか、ミカエルは瞬きをして空中の何かを見つめながら答えた。
「何を食べたのかは出て来たけど、なんていう名前のお店なのかは出てこなかった。何かを買ったのかは出て来たけど、どういう名前のお店なのかも出てこなかった。だから、どこへでも行けるけど、どこへも行けないかもしれない。」
「何を食べたのかを知ってるなら、ミカエルが知ってる中で、その食べ物が出てこないお店を探す事は出来るの?」
「そうだな…。」
考え込んでしまったミカエルに、シャーロットは尋ねた。
「ななしやは出てこなかったってことだよね? 何を食べたのか覚えている事を教えて?」
「ロータスはパスタが好きなんだ。おしゃれなお店で、パスタとアイスクリームと紅茶をよく頼んでいた。行きたいのは、そういうものが出てこない店、じゃないかな。」
シャーロットがこの前サニーとローズと3人で行った店もパスタ屋で、ナポリタンを食べた。ななしやにも付け合わせにパスタはあったし、学校の授業で来た時も喫茶店でナポリタンを食べた。植物園でチョコミントのアイスクリームを食べていたローズの顔を思い出す。
ゲームの内容とはいえ、ローズに詳しいミカエルに、シャーロットはちょっぴりイラッとする。
「じゃあ、パスタもアイスも出てこない店を考えましょう。」
「ここは?」
ミカエルは中央広場から南西側寄りの一件の店を指差した。
「チーズ鍋の店。シャーロットも食べたことないよね?」
「ええ、どこかの国の料理なんでしょう? 聞いたことのない名前だもの。」
「えっと、ネーヴェ・フロマッジョ?」
ミカエルは面白そうにつぶやいて、「そこに行こう」と言った。傍にいるライトを見上げると、ライトは黙って頷き、3人はお店に向かって中央広場を目指して歩き始めた。
目の前を歩く殿下とシャーロット様は自然と手を繋いで歩いていた。
二人はぽつりぽつりと話をしていて、時々何がおかしいのか笑っていた。
後ろを歩くライトは、一緒にいる時間が長すぎて友達みたいになっちゃてるなー、と思いながら二人の様子を見て歩いていた。
自分が妻と初めてデートした時は、緊張しすぎて会話なんて何を話したか覚えていない。それでも、手が触れるだけでときめいたし、目が合っただけで幸せな気分になった。
それがどうだろう、この長年連れ合った夫婦か、進展のないまま関係を続けている幼馴染みたいな、甘酸っぱさのない空気は…!
去年までお城で学んでいた頃は、二人とも姉妹のように女友達のように可愛らしい姿で一緒にいた。
寄宿学校に通うようになって殿下は背も伸びたし、男子学生としてそれなりに学校に通っているみたいだし、以前よりも男性らしい恰好をするようになった。昔馴染みの贔屓目で見ても、綺麗な顔をしているし、かっこいい王子様だと思う。
シャーロット様はどんどん父の公爵に似て穏やかで品も良く、どんどん母の公爵夫人に似て華やかな雰囲気で美しくなっておられる。こんな美人な女子学生に言い寄られたらうっかり道を外してしまいそうだ。二人とも魅力的なのに、どうしてこの目の前の二人には甘い空気が漂っていないのだろう…?
何が足りないんだろう? 何がいけないんだろう?
ライトが頭を悩ませながら歩いているうちに、目的の店についた。ミカエルがドアを開け、シャーロットが微笑んで先に入る。ライトは後ろを振り返り、他の護衛の近衛の騎士の姿を確認すると、一緒に中に入った。
目的の店は丸太の積み上げたような外観の店で、白いチーズという店名はドア近くの丸太の看板に綴り文字で彫り込んであった。ミカエルが「姫様、お先にどうぞ、」と執事の真似をしてドアを開けてくれたので、シャーロットは優雅に微笑んで中に入った。
暖かい店内は壁も床も木目調で綺麗に磨き上げられていて、クッションの赤色やテーブルクロスの赤色といった布物は赤色ばかりだった。入り口でコートを預かってくれたので、身軽になったシャーロットはミカエルの前でくるりと回った。水色のワンピースの袖口や裾に重ねられている青いレースと紫色のレースがひらひらと揺れた。
「そういう色よく似合う。さすが青い姫君、」ミカエルは冗談めかして笑った。
茶色と赤色のお店で、店員さんのエプロンは緑色なのね? とシャーロットは、席を案内してくれる若い女性店員のエプロンを見ながら思った。
「ちゃんとライトも食べるんだよ? いいね?」
同じテーブルに無理やりライトを座らせて、ミカエルが言った。「ここはお鍋にチーズが溶けてて、それを串で刺したパンや野菜につけて食べるんだ。一人で食べてもつまんないから、一緒に食べよう?」
「あら、ミカエル詳しいのね。」
「こういう知識は覚えてるんだ。」
前世の日本で食べたんだろうなとシャーロットは思った。
「遠慮しないで食べるんだぞ、ライト。」
にこにこと注文を取りに来た店員は、「いらっしゃいませ」と挨拶をすると、「チーズ鍋の店へようこそ。当店では、お子様も食べれるように白ワインは風味付け程度にして牛乳を多めにしたチーズ鍋を提供してございます。3人前のご用意でよろしいでしょうか。」
頷くと、店員に「ついでに、炭酸水も3人分下さい、」と、ミカエルは壁に貼られたメニューを指差しながら言った。店員は「ごゆっくりどうぞ、」頷くと厨房の方へ去って行った。店内には家族連れが何組か鍋をつついて楽しそうに食べていた。
ミカエルはシャーロットとライトの向かいに座っていて、テーブルに肘をついて組んだ手の甲の上に顎を乗せた。
「お酒控えめだって。シャーロット、よかったね。」
ライトはシャーロットをちらっと見て、「成人されてから、何度かお酒をたしなまれていらっしゃるのでしょうか?」と尋ねた。
無言で頷いたシャーロットを見ながら、ミカエルはニヤニヤと笑った。
「少しでも酒臭かったらライトが食べるんだぞ。シャーロットは歩けなくなっちゃうからな。」
歩けるから。大丈夫だから。シャーロットは心の中で文句を言った。
ミカエルが念を押すと、ライトは「任せてください、」と言って笑った。
分厚い手袋を嵌めた店員は、にこにこしながら熱々の鍋を持ってきた。テーブルの真ん中の分厚い鍋敷きの上に熱々の大きな鍋を置いて、一緒に来たもう一人の店員が串にささった野菜やパンが山盛りになった大皿を2枚、鍋の両脇に置いた。
「この串ついたパンや野菜を鍋につけてお召し上がりください。おかわりが必要ならお声を掛けてください。」
湯気がもうもうと上がる鍋に、早速ミカエルは串を手に取りパンを鍋に付けて、チーズを絡めた。
「手本を見せよう、」
「そうやって食べるのね?」
「そう、じゃあ、お先に。」
フーフーしながら食べているミカエルを見て、シャーロットも真似をしてパンの串を付けて食べてみる。恐縮していたライトも、おっかなびっくりにパンの串を手に取り食べ始める。
シャーロットはチーズを絡めながら、パンよりもブロッコリーがおいしいかもと思った。ソーセージも野菜もどれも茹でてあって、それだけでも食べられる柔らかさだった。さりげなく人参は避けて食べる。ミカエルは人参が割と好きだ。シャーロットが食べなくても喜んで食べてくれるだろう。
「旨いですね、」
慣れて来たのかパクパクと食べながらライトが呟いた。「ウィンナーにチーズって、初めてですが美味しいです。」
「こういうお店は、家族で来るのが良いんでしょうね。」
他のテーブルの家族連れを見ながらシャーロットは微笑んだ。チーズ鍋を囲んで大人も子供も嬉しそうに串で絡めて食べている。
「ライトも、家族を連れてそのうち、こういうところへ来るんじゃないの?」
「そうですね、あと何年か先のことでしょうね。」
嬉しそうに目を細めたライトに、シャーロットは羨ましいなと思った。奥さんがいて、子供がいて、仕事もあるライトは、未来を具体的に想像することが出来る。
「僕達は無理だろうな。」
茹でたジャガイモにチーズを絡めながら、ミカエルがぽつりと言った。
「そうね、」
シャーロットも、手元にある串を見つめながら呟いた。
王様になったミカエルと結婚すると、こういう庶民が和気あいあいとする店に来る機会は無くなるだろう。お忍びで、といっても、貸し切ってしまうか護衛だらけの中で個室のある店に行くのだろう。
「ミカエルと、ライトとここに来れてよかったわ。私、何年か先にここで食べた光景を思い出して、ミカエルと話ができるもの。」
王族の子供は基本的に乳母達と一緒に、国王や王妃とは別の部屋で食事をとる。同じ部屋に王族が集まっている時に剣を持った凶賊が入ってきてしまうと全員が危機に晒される可能性があるため、一か所で同じ時に食事をせず、いつも有事に備えていた。平和になったと言われる時代でも、謀反や反乱や逆恨みは、消えることなどないのだろう。そう思うと、ミカエルと結婚すると、自分の子供と食事できる機会なんてないんだろうな…。
「そうだね。」
小さく答えたミカエルは遠くを見つめてしまう。何かを考えているように見えた。
困ったような顔をして、ライトが微笑んだ。
「お城で、いつかチーズフォンデュをしましょう。その時は、私が食べ方を、お二人のお子様にお教えしますから。」
やっぱり一緒に食べられないんだわ、とシャーロットは残念に思った。公爵家では家族で鍋をつついたりはしないが、同じ時間に同じ場所で家族で食事していた。父は公務でもない限り、一緒に食事をとってくれていた。そういうシャーロットにとっての当たり前の経験を、ミカエルはしてきてはいないし、しないのだろう。そして子供も、同じように育っていく。
「ライトはおじいさんになってるかもしれないぞ。ライトおじいさんって呼ばれてそうだ。」
ミカエルが揶揄うように明るく言った。ライトもおどけたように明るく言う。
「まだきっとおじさんにもなってないですよ、ライト先生って呼んで貰ってますよ、きっと。」
シャーロットはくすくす笑いながら、二人を見た。
「結婚もしてないのに、お子さんなんてやめてよね、恥ずかしいじゃない。」
「シャーロット、ほら、味を覚えて帰るんだよ? 再現するには基本を覚えないとね。」
くすくす笑いながらシャーロット達は沢山あった野菜もパンも食べきった。ミカエルと一緒に食べられて、馴染みのある従者のライトも一緒で、シャーロットは嬉しかった。いつかお城でまた3人で食べられたらいいな。到底無理なことだろうけど、出来るといいなと思った。
ライトが「経費ですから、」とお会計を済ませ、3人は店を出て中央広場へ向かった。
広場はいつも通り混雑していて、中央市場といい、人の賑わいで音が溢れていた。家族連れが目についた。両親の間で手を繋いで貰っている嬉しそうな子供が眩しく見えた。ギュッとミカエルの手を握って、シャーロットは心を誤魔化した。
「やっぱりあった、土曜市。」
立ち止まったミカエルが安心したように言った。隣に立ち止まってシャーロットとライトが辺りを見回すと、公爵家の執事や、お城の近衛の騎士の顔がちらほら見えた。私服でも顔つきで任務中なんだろうなと判る。
からくり屋敷の大きなテントの前で、シャーロットと手を繋いだミカエルはライトに言った。
「ライト、二人で見に行きたいんだ。何かあったら呼ぶから、二人だけで入ってもいいか?」
「では、先に、私が見てまいります。その後に続いてください。」
ライトはチケットを買うと、一人で中に入っていってしまった。しばらく待ってから、ミカエルはシャーロットの手をぎゅっと握った。
「じゃあ、行こうか、シャーロット、」
からくり屋敷の受付でチケットを買おうと向かうと、ハーディとガーディがチケットの半券の回収係として入り口の傍に立っていた。二人は黒いジャケットを着て胸のポケットに真っ赤な薔薇を挿している。
入り口を挟んで立つ二人にそれぞれチケットを渡すと、どっちがハーディなのか判らないガーディかもしれない青年に、「お久しぶり、お姫様、」と微笑まれた。
「今日はクマのリュックなんだね、お姫様。」
ミカエルにチケットの半券を返してくれた方の青年も、シャーロットに声を掛ける。
「今日は楽しんでね、」
二人に手を振られながら、ミカエルとシャーロットは中へ入って行った。
中に入ると、洞窟を模した暗い通路の床に、本物なのか造花なのか、花が奥へと続くように点々と置かれていた。壁際には小さな蝋燭がグラスに入れられて、等間隔に奥へと続いていくように置かれている。軽快で陽気な音楽が奥の方から聞こえてくる。
「花を追いかけて歩いていけって案内なんだろうね。」
ミカエルが微笑んだ。奥の方から甘い花の良い香りが漂ってくる。
「ライトはもう見えないね、先に出ちゃったのかな。」
「そうね、お休みなのに私達の都合でここに来てるんでしょう。お仕事、お疲れ様よね。」
シャーロットは何気なく呟いた。ミカエルはびっくりしたように目を見張った。
「ん? そうだっけ。」
「確か去年まで、土曜日ってライトはお休みにしていたわ。日曜の夜から夜勤だって言ってたことがあるもの。」
最近はお城で会っていないので、シャーロットの情報は去年までのものだった。
「ふうん、よくそんなこと覚えてるね。」
「月曜の朝に会うとおはようじゃなくて、決まって眠そうな顔しておやすみなさいって言われたもの。」
「あそこのうちはほんと、奥さんがしっかりしてるなあ。休日手当を見込んでの出勤なんだろうな。」
「ライトはああ見えて奥さんには弱いのよね。」
シャーロットはミカエルと顔を合わせてくすくすと笑った。
「ねえ、シャーロットはこの奥、何があると思う?」
「なんだろう…、お花は沢山ありそうだわ。」
「僕は、花の泉があるかなって思った。」
「花の泉?」
「香水の泉。」
「私は花、ミカエルは香水。ね、外れたらどうする?」
くすくすと笑ったシャーロットに、ミカエルが答えた。
「外した方から、キスをする、っていうのは?」
「頬に?」
「口に。」
え、ここではキスをするのが普通になってきてるわ。おかしくない?
無言になってミカエルを見つめるシャーロットに、ミカエルは溜め息をついて頷いた。
「わかった。シャーロットが外したら頬でいい。僕が外したら口ね?」
ふふっと笑ってシャーロットはミカエルを見つめた。
「どっちも外れるといいのに。 」
「またそんなことを言う。キス、好きでしょ? シャーロット。」
くすくす笑うミカエルと最奥へと進むと、そこは、床も天井も花で囲まれていて、中央にある沢山の花の浮かんだ泉の中から吹き上がる香水の甘い花の香りで、部屋の中は充満していた。陽気で楽しくなるような軽快な音楽が花の影から聞こえ、泉の周りを機械仕掛けの小さな茶色いクマ達が花を手に踊っている。
「どっちも当たりだね。」
ミカエルはシャーロットを抱きしめた。シャーロットもミカエルの背中に腕を回して、しっかりと二人は抱き合った。
「そうね、当たったら、どうするんだっけ?」
「まずは僕だね。」
ミカエルがシャーロットの唇を貪るようにキスをした。長くて甘いキスに、シャーロットは瞳を閉じた。離れていく唇を、シャーロットは追いすがるように瞳を開けて見つめた。
「じゃあ、シャーロットも、ご褒美を頂戴?」
シャーロットは頬ではなく口に、そっとキスをした。
「二人だけの思い出が、増えたね。」
ミカエルが微笑んで、シャーロットの頬を撫でた。
ありがとうございました