<110>ヒロインvs.悪役令嬢?
王族のミカエルの部屋にそのまま向かうと、二人は制服のまま、並んでソファアに座った。
ミカエルは、シャーロットが話すローズとのやり取りの話を黙って聞いていた。話し終えたシャーロットの顔を見て、「ふうん、」と呟いて上目遣いに尋ねた。
「シャーロットは、僕に言いなりになってほしい?」
ふるふると首を振って、シャーロットは答えた。
「そんなこと、望んでいないわ。私は今の、ミチルもミカエルも好きだもの。」
「それなら良かった。」
ミカエルはシャーロットの手を握って、ふふっと微笑んだ。
「ローズは、好きな人の言いなりになるような恋愛をしてるんじゃないのかな。」
「どうしてそう思うの?」
「好きな人の願いを叶えてあげたいって思うのは、誰でも同じだと思うよ? 僕だってシャーロットが望むことは叶えてあげたい。でも、僕の中で譲れないことはあるし、シャーロットにやってほしくないことだってある。そういうのを口に出せるかどうかって、結構重要じゃない?」
「お互いに、気持ちが言いあえる関係ってことかしら。」
ミカエルをまっすぐ見つめて、シャーロットは尋ねた。
「そう。僕は結構言ってるけど、あんまり言うと、僕の言葉は命令になっちゃうから言わないようにもしてる。」
「国王になる王子様と、私が臣下だから、だよね?」
二人の間には越えられない身分の壁がある。
「シャーロットを臣下って言っちゃうと嫌なやつだね、僕って。でも、そう聞こえちゃう時って、やっぱりあると思うんだ。貴族って王族の言う言葉には従うように育てられているでしょ?」
一応ね、とシャーロットはこっそり思う。
「だから、僕は自分の望みを最低限は言うようにはしてる。言わな過ぎて君を不安にさせるのは好きじゃない。」
それでも、シャーロットは時々ミカエルの気持ちが見えなくなる。
「ローズはそういう感情のやり取りを、エルメとあんまりしてないんじゃないのかな。エルメの言うことが絶対で、自分を殺してエルメにすべてを捧げてしまっているのかもしれないね。」
「エルメは、それを望んでいるのかな。」
「さあ? 僕はシャーロットがシャーロットらしくしてるのが好きだから、そんなのは嬉しくないけどね。」
「ありがとう。」
シャーロットは嬉しくて照れていても、猫を被って冷静を装って微笑んだ。
「さっきの…、シャーロットは理解できなかったローズの王様観の話は、ただ単にローズは王様って何なのかよくわかってないだけだと思うよ? 役職だけが見えていて、生きた人間だと思ってないんじゃないかな。」
「ミカエルのお父さんなのに?」
背が高い大男で、王妃と寵妃を愛する豪快な男性だ。
「シャーロットが思ったみたいに、王様はお城の持ち主で、お城の図書館の本の持ち主でもあるって思ってないんじゃないのかな。」
「私は…、ローズに説明しようかなと考えた時に、私の家の本をローズは借りに来た時に、ちゃんと、貸してねって言って借りるのかなって考えてしまったの。何度かうちにロータスとして遊びに来てたけど、何か物が無くなったって話は聞いたことがないもの。それを考えると、図書館の本は勝手に持ち出せてしまえる発想が理解できなくなったのね。」
「王様ならなんだってやっていいっていうのは、誰かに教えて貰ったのかな。僕もこれはよくわからなかった。絶対王政とか専制君主とか世界史で習ったけど、そのことを言いたいのかなとは思ったけどね。」
「専制君主とか世界史って、前世で学んだ知識のこと?」
ミカエルは困ったように頷いた。「この世界では学ばないようなこと、なんだ。」
なんとなく、シャーロットは良くない言葉なんだと思った。
「ゲームだと、ローズは貴族のあり方や考え方を攻略対象者と過ごしていくうちに学んでいけるけど、今のローズはシナリオから遠い存在だもんなあ。」
「じゃあ、ミカエルが教えてあげるの?」
「え。嫌だな。シャーロットと一緒にいる時間が減るじゃん。」
ぶーたれるミカエルが可愛くて、シャーロットは思わず笑った。
「きっと、修道院でわかりやすく優しく教えてくださると思うわ。神様にお仕えされている方達だもの。」
「ローズの耳に届くといいね。」
ミカエルは肩を竦めると意地悪く言った。
「ねえ、シャーロット。僕は聞いてて思ったんだけど、ローズと話すのはもう止めた方がいいよ。」
「どうして?」
「君は会話の中で、いろいろローズに対して言動が無礼だと感じたんだろう? それって、ゲームの中のシャーロットがローズに感じる、庶民なローズが無礼な振る舞いをしているのが許せない、っていう感情と、かなり近いんじゃないかな。」
シャーロットは目をぱちくりとして、ミカエルを見つめた。翡翠色の瞳は優しく微笑んでいる。
「僕のお父さまを大事に思ってくれる君の気持ちは嬉しいけど、そのことで君がローズを責めて、無理に悪役令嬢にならなくてもいいと思うなあ。」
「私は、普通の感情を抱いたと思うけど、それが、いけないことなの?」
「いけなくないよ? でも、注意したくなったし、説明したくなったんだよね?」
「ええ…。」
「そういう言動を、ローズはシャーロットが自分をいじめていると感じたら、どうするの?」
シャーロットは言葉を失ってしまった。少しでも理解してもらいたくて説明しようと何かを言えば言う程、ローズを責めることになるなんて、ちっとも思ってもいなかった。
「ローズの周りに、君のように注意できる人はいるかな。きっと、いないんじゃないのかな。」
ローズは周りと一歩距離を置いて、目立たないようにして学校生活を送っている。注意してくるような強烈な個性の持ち主と接触しているとは思えない。
「ローズは庶民の生活をして庶民の友達はいても、貴族の友達がいないから、貴族が王族に対してどういう感情を抱くように育てられてきているかなんて、知らないと思う。」
考え込んでいたシャーロットは、わからなくなってしまって首を傾げた。
「そういうことって、誰から学ぶものなのかな。私は、なんとなく親がそうしてきているからそれが正しいのだと思って刷り込まれてきているけど…、基本学校でそういう感情は学んだりはしないのかな。」
「僕も基本学校行ってなかったから、それはよく判んないんだ。シャーロットとお城で学んだから。」
「そうなのよね、私達、ラファエルとガブリエルとミカエルの4人だけの世界だったものね。」
寄宿学校にラファエルが入学してからは3人の世界だった。
「ロータスとはそういう話はしなかったの?」
「しなかったわ。ロータスも学校の話をしなかったし、いつの間にか来てくれなくなってたから、寄宿学校で再会するまでのこともよく知らないの。」
知らないことだらけだわ。学校に行かなかったことがこんなに大きな差になるなんて、ちっとも考えたことが無かった。
「ねえ、」シャーロットはミカエルの顔を見て、静かに微笑んだ。
「ミカエルがいつも私の傍にいてくれるから、私は悪役令嬢にもならずに、私らしくしていられるのね?」
「君と結婚するのが一番、僕が僕らしくいられるからね。」
ミカエルは微笑んで、シャーロットの頬を撫でた。
「楽ちんをするんだっけ?」
シャーロットは笑いながら、ミカエルのおでこに自分のおでこをくっつけた。
「そうだよ? 僕は君が傍にいてくれると、一番楽ちんなんだよ?」
ミカエルはそっと、シャーロットにキスをする。抱き締め合って、シャーロットはミカエルの肩に頬を寄せた。
「今度から、ローズには話し掛けられても、微笑んで何も言わないのがいいよ、シャーロット。何かを言って君が損するなら、何も言わなくていいよ。」
ミカエルを守る為でも?
そう言いかけて、シャーロットは言葉を飲み込んだ。自分がミカエルと守るためなら悪役令嬢になってもいいと思っていると、気がついてしまった。
ああ、この気持ちが、好きな人のためになら何でもしてあげたいと思う気持ちなんだ。でも…、ミカエルは悪役令嬢に私がなってしまうことを望んでいない。
ミカエルを好きでいてよかったとシャーロットは思った。ミカエルが傍にいてくれるから、私は私らしくしていられるんだわ。ぎゅっと抱きしめて、ミカエルから香る甘い花の香りに酔いしれた。
金曜日のお昼は、ミチルなミカエルはガブリエルとラファエルと一緒に、シャーロットがリュートやエリックと学食に行く後ろをこっそりついてきていた。シャーロットはガブリエルだけならともかくラファエルも一緒なのを見つけると目を見張った。
さらっと王家の3姉弟が揃っているよね?! そう思うとドキドキしてしまう。
学食での席も、3人はシャーロット達の近くに座った。ブルーノの後方の4人掛けの席で、振り返ったガブリエルと目が合う。ガブリエルの隣にはミカエルが背を向けて座っていて、向かいの席に座ったラファエルがシャーロット達を見るとはなしに見ている。そんなに近くなんて、話し声、聞こえちゃうんじゃないの?! とシャーロットはさらにドキドキしてしまう。
席順がこの前と同じなエリックやリュートやブルーノは気にしていない様子で、サニーは気がついている表情だった。シャーロットをちらりと見て、訳知り顔で頷いた。
「昨日、お姉さまにローズが接触してきた。」
エリックがさっそく食べながら話始める。シャーロットはこの話、今したくないなあと思いながら食べていた。後ろに聞かせたくない人達、いるじゃん。
「お姉さまは食べるのが遅いから俺が説明するけど、いい?」
「いい。お願いエリック。」
食べながら話すのは構わないけど、2人分食べてる人達よりも遅くなるのは、ちょっぴり負けてる気がして嫌なのよね。シャーロットは急いでもぐもぐと食べながら思った。
エリックは昨日シャーロットがローズに言われた話を、シャーロットが話した通りに丁寧に説明した。しかも食べながらなので、シャーロットは少し悔しく思った。
「どう思う? こういう考え方をしているのは、俺には理解できないと思った。」
「私は、シャーロットと同じ場にいてその話を聞いていたら、ローズを軽蔑しただろうな。」
リュートが吐き捨てるように言った。
「父がローズが言うような王様に仕えていたのだとしたら、父が哀れだ。本のことにしてもそうだ。王族の持ち物を拝見させていただいている立場だと思うと、許しがたい言動だな。」
シャーロットにはブルーノの背の向こうにいるガブリエルとラファエルが、うんうんと頷いている様子が見える。
「僕は国では王子だけど、王族だからといって好き勝手したいとは思わない。むしろ、王族だからこそ、国を守らなくてはいけないと思案する父の日常を見て知っている。」
ブルーノはフォークを動かす手を止めて、考えながら静かに言った。
「僕の父は潰れかけていた国を、自分が成功して得た財産で買った。もともとはただの潰れかけの伯爵家の長男だ。わざわざ公主にならずに財を成したままでいても良かったのに、祖国が破綻するくらいなら自分が背負おうと言ったと母から聞いた。そういう父の思いを考えると、僕の国の国民にローズが言ったのと同じことを言われたら、冷静に話が聞けるかどうかわからない。」
シャーロットはブルーノを見つめた。はじめて聞く話だった。ブルーノの気持ちを考えると、シャーロットも冷静には聞けないと思った。
エリックがブルーノを労わるように話しかける。
「ブルーノにそんなことを言う奴がいたら、俺が潰しに行くから安心しろ。お姉さまが俺とブルーノにご褒美くらいは用意してくれるだろうから、二人で蹴散らしてやろう。」
「私も微力ながら加勢しましょう。シャーロットのご褒美があるなら、ブルーノを助けましょう。」
サニーが冗談めかして言って笑った。
「私はローズはおかしいと思います。私の国で同じことを言ったら、不敬罪で死罪です。父や兄が国を守るのを、国民は見て知っています。少し考えればわかることです。私は国へ帰ったら、外交官として父や兄を助けるつもりです。」
サニーはシャーロットを見て微笑んだ。「その時に、傍にいてほしいのは、ローズ・フリッツではありません。シャーロット。」
「だいたい…、ローズは誰から、みんなは王様の為に我慢しているって話を聞いてきたんだ? 自分の頭で考えてそういう答えが出てくるのか?」
エリックが唸るように呟くと、リュートが眉間に皺を寄せながら言った。
「お城の図書館の本を持ち出し禁止にしたのは、王族ではなく学者だろう。貴重な資料が多いから閲覧のみにして保管しているのだろう。王様の横暴で持ち出せないという発想は、どこから出てくるんだろうな。」
「私の国でも、貴族に閲覧は許しますが、王族以外の持ち出しは禁止しています。本一冊で横暴といわれたことはないですね。」
サニーはふっと微笑んだ。リュートは頷いて、続きを話した。
「私は陛下が好き勝手されていると父から聞いた例がない。むしろ父は、陛下が無理をされていると話してくれた。」
シャーロットも、謁見の時、国王がずっと立ったままでいた姿を思い出すと、とても横暴なんて言葉は使えないと思った。
食事をあらかた食べ終えたエリックが、静かに言った。
「公爵家は、領地に港を抱えている。各国からいろんな船がやってくるし、いろんな人間も入ってくる。良からぬことを考えて、良からぬことを為そうとする者も確かにいる。それでも、この国が好きで、この国にわざわざ遠くからやってきている。国王陛下がああいう立派な方だから、戦争もないし平和に暮らせていると俺は思う。」
珍しく弟がまともなことを言っている! シャーロットはエリックを見直した。その隣には、うんうんと頷くガブリエルがいた。え、ガブリエル?!
「私もそう思いますわ!」
エリックの手を取って、ガブリエルが熱く言った。いつからそこに立っていたんだろう…。シャーロットは眩暈を覚えた。盗み聞きなんてお行儀悪い…。
「お父さまがいるから、安心して私は他国へと嫁いでいけますの。エリック、あなたのことを誇りに思いますわ!」
ラファエルまでリュートの傍に立っていた。
「リュート、私達はあなたの味方よ。怪我が治るまで、あの女をあなたの周りに寄せ付けないように、私達からもお父さまにお願いするわ。」
ラファエルまでもがローズのことをあの女と言い出したのか…。シャーロットは頭痛がする思いがした。
「あの、ラファエル様? いつから話を聞いていたのかしら?」
「シャーロット、あなたと私の仲なのに、様付けなんて止めて欲しいわ」と、ラファエルは拗ねた表情になって、口を尖らせた。
いや、一応、学校だから。いろんな人いるから。
「話はそうねえ、昨日シャーロットが言われたあたりから全部に決まってるじゃない?」
「私も腹を立てながら聞きましたわ。エリックはお話が上手と思いましたわ。」
ガブリエルも得意そうに言う。
それ、盗み聞きって言うんだよ? シャーロットはあまりのことに項垂れてしまう。
「シャーロットを置いて昨日帰らなければよかったですわ。私がいたら、思いっきりやっつけてやりましたのに。」
いなくてよかったって。やっつけるとか、それ、王女様がやったらあかんやつだから。
「ガブリエル王女も、今度からこういう会議に呼んだ方がいいのか?」
エリックがニヤニヤとしながら尋ねた。
「もちろん。お昼休みでしたらご一緒しますわ。皆さんもよろしいですわね?」
「ちょっと、私も呼んでほしいわ。一緒にシャーロットを守らなくてはいけないもの。」
視線が自分に集まってきたのを感じて、内心冷や汗をダラダラ流しながらシャーロットは猫を被って微笑んだ。
「えっと、平和にお昼ご飯を食べましょ…?」
「そんなことを言ってるから、あんな女に舐められるのですわ。もうあの女と話してはいけませんよ? シャーロット。」
ガブリエルが説き聞かせるように言った。
「言われて一番傷付いているのはあなたでしょう、シャーロット。私達があなたも、お父さまも、守るからね。」
ラファエルがそう言うと、エリックもリュートも頷いた。
「僕はシャーロットを守るよ。同じ守るなら男性より女性がいい。」
ブルーノが妖しく微笑んだ。
「同感です。国王陛下はご自分でどうにでもおやりになりそうですが、シャーロットはか弱い。」
サニーが優しく微笑んで、シャーロットの手を撫でた。
「決まりね、理事長のところへ話をしに行ってくるわ。ガブリエルも行くでしょう?」
「ええ、ぜひ。修道院の院長のところへも使いを出しましょう。」
なんだか大変なことになっていっている気がする…。そう思いながらシャーロットはランチを食べ終えた。王女様二人も参加する会議に、私もこの先呼ばれてしまうんだろうか…。
ブルーノの背の向こうに見えるミカエルが、何も言わずにずっと話を聞いている様子が気になった。シャーロットは後で聞いてみようと思った。
ミカエルに何か話しかけて、ラファエルとガブリエルはトレイを持って先に行ってしまった。
一人トレイを片付けて学食を出て行くミチルなミカエルの後ろ姿を見送って、シャーロットもリュート達と学食を出た。
「明日、出かけませんか? シャーロット。」
教室への帰り道、サニーが提案すると、ブルーノとエリックも興味深そうに振り返った。
「出かけないわ。約束があるの。」
「そうですか。」
じっと見つめてサニーは、シャーロットの手を取って手を繋いだ。
「先週もシャーロットはいませんでしたね。誰かと約束でも?」
サニーの追及に、エリックが即座に振り返って答えた。
「お姉さまは公務だ。仕方ないだろう。」
あれはやっぱり公務だったんだ…。シャーロットがエリックを見ると、エリックはにやりと口元を少し上げた。
「やっぱり学年末テストで勝って堂々と約束した方がよさそうですね。」
サニーが言うと、ブルーノも振り返って「当然だろ、」とにっこりと微笑んだ。
「シャーロット、」
リュートが大きな手を差し出してくる。これは手を繋ごうという意味なのかな。シャーロットが手を見つめていると、リュートはしっかりと大きな骨太の手で、シャーロットの残りの手を包むようにして握った。
「午後の授業はあと一つ、一緒だな。」
そうね、とシャーロットは思った。早く授業を終わらせて、ミチルのところへ行きたい。堂々とミチルなミカエルと手を繋いで歩きたい。ミカエルの後ろ姿が気になって、シャーロットは気持ちが晴れていかなかった。
ありがとうございました