<106>悪役令嬢は郊外のレストランで密会するようです
土曜は朝から美容担当の侍女達に捕まり磨き上げられるとお化粧を施され、ガーターベルトを着けシルクの白いストッキングを履いた下着姿のシャーロットは、スズランの香水をまずは吹きかけられた。
「?」
いつもは仕上げにするんじゃないの? まさかこの格好で外でに出る訳じゃないよね、とシャーロットが思っていると、髪を巻き上げられ、耳に大きな青い花のようなイヤリングを付けられる。
白い長い手袋を嵌められ、ますます?マークで頭がいっぱいになっているシャーロットに、侍女達がシャンパンイエロー色の光沢のあるマーメードラインのドレスを着せた。身体にぴったりと添った形で、とても一人で着れないとシャーロットは思いながらじっと立っていた。オフショルダーで袖はなく、素材がシルクとはいえ、真冬に朝から着る格好ではないようにも思った。行き先を知らないままドレスを着るのはおかしい気がした。
「こんなドレス、いつの間に作ったの?」
白いヒールの高い靴を履かせてくれる若い侍女に尋ねると、にっこりと微笑んで答えてくれる。
「お嬢様に内緒で、奥様は時々、仕立て屋を呼んで作らせておられますよ?」
「これもお母さまの趣味なの?」
「お嬢様の趣味ではございませんね。」
「ねえ、今日はどこに行くのか知ってる?」
答えそうになる若い侍女を「しーっ」と黙らせて、他の侍女が「秘密だそうですよ、お嬢様、」と先に答えてしまう。作戦失敗ね、とシャーロットは思った。質問の流れで答えてくれると思ったのにな。
ますますわかんないわねーと思いながら支度を終えたシャーロットは、光沢のある白いハンドバッグを手に持たされ、部屋を出た。
誰も見送りにも来てくれないのかしらとシャーロットが思っていると、エリックが黒いセーターにカーキ色のズボン姿で、眠そうな顔をして見送りに来てくれた。
「エリックは出掛けないの?」
「ああ、俺は留守番。髪を切ったり服を仕立てたり、細かい用事があるんだ。」
長くはない髪のエリックの頭を見て、こんな時期に短くするなんて寒くはないのかなとシャーロットは思った。
「美しいドレスだな、」とシャーロットのドレス姿を上から下までしげしげと観察して、エリックは「まあ、似合ってるし、いいんじゃないのか?」と言った。執事が白いローブを肩にかけてくれる。
「ねえ、もしかして今日私が行くところ、エリックは知ってるの?」
一瞬ぽかんとした顔になって、エリックは驚いたように呟いた。
「お姉さまは聞かされてないのに、そんな恰好をしているのか?」
「ええ…、誰も教えてくれなかったの。」
「ま、楽しんで来れば?」
そういって背を向けて執務室の方へと去って行った。
みんな行き先を知ってるってどういうことなのかしら。シャーロットは顰め面のまま、玄関を出て、馬車へと向かった。
馬車にはすでに、黒いタキシードに黒いマント姿の父と、紺色のローブに紫色の落ちついた色のドレス姿の母が乗っていた。シャーロットは二人の向かいの席に座った。馬車は動き出し、3人だけの会話は外に漏れる心配がなくなった。
「シャーロット、そういうドレスも似合うわね。良いんじゃないかしら?」
背筋を伸ばして座るシャーロットをしげしげと観察していた母は、そう言って微笑んだ。
「あの、お母さま、今日はどこへ行くのですか?」
「王都で流行りのレストランよ?」
ヴァレントの実家のレストランのことだろうか?
「とっても素敵なところなの。そこでお食事するのよ?」
「こんな格好で、ですか?」
「お会いする方が普通の方じゃないの。」
普通じゃないとか、さらにわかんないわね。シャーロットは首を傾げた。
「あの、私、王都の街へ行くのなら、連れていってほしいところがあるのですが、」
シャーロットが上目遣いにおねだりをすると、父は微笑んだ。
「すぐ済みそうなら寄ってもいいよ、シャーロット。」
「毎年ミカエル王太子殿下のお誕生日に、チョコレートを買って来ていただいている、あのお店に行きたいのです。」
「ほう、それはどうしてだい、シャーロット。」
父に頼んでばかりいるのでシャーロットが自分で行きたいと言うのは珍しいと、父も母も思った。ミカエルと婚約が決まってからのシャーロットは、護衛が増えるのを気にして、あまり出掛けなくなっていた。公爵家に出入りの商人を呼んで用を済ませることが多くなり、どうしてもそうすることが出来ないような物が欲しい時は、父におねだりするのだ。
「チョコレートを渡したい人が他にもいるの。学校でお世話になった人達がいて、その人達にあげたいの。」
「どういうお世話になったのか、言ってごらん? 」
母は父をちらりと見て、小さく頷いた。昨日シャーロットが家に帰っても、父も母もシャーロットにローズの話を聞かなかった。その代わり、先週の土日に帰ったエリックから、リュートの怪我の一件でシャーロットがどういう風に関ったのかを聞いていたし、今回の一件でも、エリックから既に詳細を聞かされていた。
シャーロットの口からどういう話が出てくるのか、二人は興味深く見守った。
「私が困った時に、お友達に助けてもらったの。バレンタインは、チョコレートをあげて感謝の気持ちを告白する日だって、ミカエル王太子殿下に教えて貰ったわ。だから私、ありがとうって伝えようと思っているの。」
父も母も、バレンタインは男性が女性に花束を渡して愛の告白をする日だと知っていた。何故ミカエルがシャーロットにそんなでたらめを教えたのか不思議だったが、シャーロットにお世話になったと言える友達がいることが二人は嬉しかった。
「その困ったことが何なのかを、教えてくれるかい、シャーロット。」
シャーロットは躊躇いながら、金曜の朝の件を話した。本当は出来るならローズのことは話したくはなかった。ローズがリュートのカバンを持っていた理由も、避けることが出来なかったので話す。自分がローズに対してあまりよくない感情で接してしまった理由も誤魔化せなかったので、泣いた訳から話した。
黙って話を聞いていた母は、話終えたシャーロットの顔を見てしばらく考えた後、「あなたの行動は正しいわ、シャーロット、」とだけ言った。
「トミーと、マリエッタと言ったね、その、シャーロットを助けてくれた二人は。」
父は何かを考えている様子だった。
「ええ。トミーは騎士団一家で、マリエッタのおうちは制服を専門に扱う商会をやってる商家なの。とっても手先が器用で、私にそっくりな姫様人形っていうお人形まで作ってくれたの。しかも二人は婚約しているのよ。」
嬉しそうに話すシャーロットは、父に微笑んだ。
「エリックも、リュートも、ブルーノも、サニー王子も、ガブリエル第二王女も私を励ましてくれたの。だから、お礼をしたいと思っているの。チョコレートなら私も好きだし、甘いしみんなも好きかなと思ったの。」
「わかった。まだ時間もあるし、そこへ行こう。いいだろう。」
「そうね。渡すのはすぐじゃないのでしょう? 数を揃えて屋敷に届けさせましょう。」
「ありがとう、お父さま、お母さま。」
話が終わると、シャーロットは機嫌よく微笑んで、黙って窓の外を見た。
父も母も、昨日聞いたエリックの話と、さっき聞いたシャーロットの話を自分の中で照らし合わせていた。二人は目を合わせると頷いて、お互いが同じことを考えているのだと確信していた。これ以上ローズを放置しておくといろんなところに悪影響が及ぶ。どうにか手を打たないといけない。
馭者が交差点で通過待ちをしている際に、窓から話しかけて行き先の変更を告げた父は、馬車をチョコレート専門店へと向かわせた。
王都の繁華街の中心にあるチョコレート専門店のひとつであるその店は、公爵家がよく利用していて、貴族や裕福な商人を対象に商品を販売している店だった。一般の民衆に門戸を開いていなかったので、一見すると普通の民家に見える店舗で看板すらなかった。あるのは窓だけで、部屋の中で赤い蝶ネクタイをした焦げ茶色のスーツ姿の鳶色の髪に青緑色の瞳をした支配人が、本だらけの棚壁を背に机に向かって座って帳簿を付けているのが見えた。
馬車を降りた公爵夫妻とシャーロットをいち早く見つけドアを開けて出迎えた支配人は、突然の来店にもかかわらず、丁寧に接客してくれた。
「お嬢様がいらっしゃるなんて、何年ぶりでしょう。嬉しい限りです、」そう言って微笑んだ。公爵家に時々商品を届けに来てくれていた支配人は、シャーロットの顔を覚えてくれていた。
店内は清潔な白い床と白い壁で、ほんのりと甘い香りが漂っていた。廊下を進んで奥の部屋へ通され、ソファアに座るように案内される。赤い絨毯の敷かれた部屋の中央にあるピンク色のソファアに母と並んでシャーロットが座ると、支配人とお茶の用意を整えた焦げ茶色のメイド服に白いエプロン姿のメイド達が部屋へと入ってきた。焦げ茶色のテーブルに、お茶の用意が整えられていく。父は所在なさげに窓辺に立って窓の外を眺めている。
「今日はどういったものをお探しですか?」
問いかけに、支配人の傍まで近寄って、父が答えていく。予算と個数、日にちを決めると、シャーロットにひとつの箱の中にいれるチョコレートの種類を尋ねた。支配人の傍で執事が懸命にメモを取っている。
「味はできれば二種類で、種類はトリュフがいいの。」
シャーロットは微笑んだ。ミカエルに貰った異国のトリュフは甘くて美味しかった。
「ちょっと甘くて、ちょっとほろ苦いくらいの、トリュフがいいの。ここのお店では扱っていますか?」
「ええ。作り方を異国で学んだ職人を雇い入れたので、この冬から扱い始めました。もし宜しければ、ご試食なさいますか?」
母をちらりと見ると、母は頷いて、「そうね、楽しみだわ、」と微笑んだ。
メイド達が持ってきた丸いお皿に乗せられたトリュフを、添えられたフォークで差して食べると、少し砂糖の甘みが強く牛乳の甘さもあって全体に甘い気がした。
父も母も目を細めて嬉しそうに食べている。
「これと、もう一種類はもう少し、ほろ苦くは出来ますか? 」
シャーロットは思っていたよりも甘すぎると思った。
「お嬢様用に、そうさせていただきましょう。」
「では、もう少しほろ苦いくらいで、二種類を揃えてほしいです。」
「畏まりました。他には何かご入用ですか?」
支配人の横でメモを取っていた執事が頷く。
「毎年お願いしている、お誕生日用のチョコレートなのですが…。」
「ええ、承っておりますね。今年はどうなさいますか?」
「キャラメルみたいな、甘くてちょっと苦い感じにしてほしいんです。」
「甘苦い感じですか?」
「ええ。出来ますか?」
「では、お嬢様のお好きなコーヒーを足して、キャラメルヌガーにしてみましょうか?」
支配人はシャーロットがコーヒー党なのを知っている。
「それはいったい…?」
「ご用意がありますので、こちらもご試食なさいますか?」
「ええ、お願いします。」
さっき出てきたトリュフのように小さなチョコレートは、形は正方形で、一見普通のチョコレートだった。ティースプーンに一粒ずつ置かれていて、手が汚れない配慮がされていた。
「これは…?」
「まあ、おひとつどうぞ?」
支配人がにこにこと勧めるので、シャーロットはスプーンを手に取った。口に入れると、舌の上で溶けたチョコの中からやわらかいドロッとした甘苦い何かが溶け出した。飴のような何かは、甘苦いまま口の中で溶けていく。
「この季節しか売らない商品なのです。甘いチョコレートが売れるので、通好みの味ですしご存知ない方も多いですね。お嬢様はさすがです。」
「面白いチョコレートね。」
母は言った。「これ、私のスパでもお客様にお出ししたいわ。」
「ありがとうございます。では、奥様のところへも、後日商品を納めさせていただいてもよろしいですか?」
「ええ、詳しいお話はその際にしましょう。シャーロット、これで決まりでいいかしら?」
「ええ、では、このチョコレートは別にお誕生日用にしてくださいね。」
シャーロットは目をキラキラさせて支配人に微笑んだ。
「畏まりましてごさいます。試作品はいつお持ちしましょう。もし宜しければ、明日、お屋敷に伺ってもよろしいですか?」
「明日は、午前中なら大丈夫よ? 午後には学校に帰ってしまうの。」
「それはそれは…、では、午前中にお伺いいたします。」
支配人は微笑んでお辞儀した。シャーロットは父に会計を頼んで、母とラッピングを選んだ。ミカエル用にはピンクの箱と薄桃色のラシャ紙の包装紙に赤いリボン、お世話になった人用にはミルクティー色の箱と白いリボンにした。
「喜んでいただけるといいわね?」
微笑む母の言葉に、シャーロットはほんのりと頬を染めて頷いた。
馬車に3人が乗り込むと、父も母も黙ってしまった。二人の緊張した表情から、今日の本当の目的地に行くのだろうなとシャーロットは思った。
しばらく沈黙のまま馬車は進み、レストランへと到着した。王都の繁華街から少し外れたところにあり、閑静な庭園の傍にあった。ヴァレントの両親が経営するレストランなのだろう。
白い大きな塀に囲まれた建物で窓は見当たらず、通りからは中が見えないようになっていた。馬車を降り店内に入ると、細い通路が奥まで続いていた。
レストランの支配人夫妻が出迎え、挨拶してくれる。ヴァレントの両親なのだろう。ヴァレントに似ておしゃれな雰囲気の支配人と、華やかな雰囲気の夫人は、満面の笑みでお辞儀した。
「ようこそ、ハープシャー公爵様と奥様。今日はシャーロットお嬢様まで、来ていてだけて光栄です。ささ、もうお待ちですので、こちらでございます。」
先頭を行く支配人に続くように、父も母も来たことがあるのか、慣れた様子で奥へと進んだ。シャーロットはそわそわと落ち着かない気分でついていった。後には何人かのメイドが続いて歩いてくる。入り口こそ明るかったが、奥の方や曲がり角に床に置かれた青白い照明があるだけの、薄暗い通路だった。店内は暖かく、これならローブはいらないなとシャーロットは思った。
青白い間接照明で照らされる壁は紺色で、天井も紺色だった。目を凝らすと、白い石がところどころ埋め込まれていた。床は黒くて、まるで夜の中を歩くような不思議な世界だった。
一番奥の部屋に案内された。窓がない部屋で、ここの部屋も、床に置かれた照明でほんのりと部屋が明るかった。外はお昼前の明るい世界なのに、この店は一日夜なのかしら、とシャーロットは思った。
広い部屋の真ん中には大きなテーブルがあり、椅子がいくつか囲んでいた。テーブルの向こうには大きな絵が見えた。絵の下の床に置かれた青白く淡い照明で、描かれた中に泳いでいる魚が浮かび上がっている。白いふわふわしたクラゲが、暗い海の中をいくつもふわふわと泳いでいる不思議な絵だった。
シャーロットは近寄ってきたメイドにローブを預けて、ドレス姿になった。父や母にはメイドはコートやローブを脱がせようとしなかった。
「ハープシャー公爵様ご夫妻と、お嬢様をご案内いたしました。」
絵を背を向けて見ていた人物が、振り返った。タキシード姿で、髪を後ろに流した精悍な印象の青年は綺麗な顔をしていて、水色の瞳でシャーロットを見つめていた。
「やあ、シャ-ロット。今日は黄色いドレスなんだね。」
シュトルクは、ハスキーな声で優しく言って、微笑んだ。
「お父さま、お母さま。私、来るところを間違えたようですわ。」
シャーロットは即座に優雅に微笑むと宣言した。
「申し訳ないのですが、心の準備ができておりません。粗相をする前に失礼いたしますわ。」
遠回しに、シュトルクと食事する気はないと伝える。
「そう言わずに、今日は正式に申し入れがあった食事会だから、ここにいなさい。」
父はシャーロットを宥めた。
「国王陛下も御存知だ。正式に大使を通して申し入れがあった。私達が個人的な感情で判断できる状況ではないのだよ。父様もお母さまも一緒に隣の部屋で食事しているから、安心してお付き合いなさい。」
「隣の部屋で、私達はこの方の国の大使と食事するの。あなたが、呼んでくれたらすぐにここへ来るわ?」
「一緒に、ではないのですね。」
「シャーロットと二人きりになりたいと、私が望んだ。心の準備などなくていい。飾らない君と話がしたい。」
状況に内心イラっとしつつ、シャーロットは猫を被り直し、勧められるまま席に座る。
父と母がメイド達と部屋を出て行ってしまうと、シュトルクはシャーロットのすぐ傍に立った。シャーロットの頬を撫でて、ゆっくりと、頬にキスをした。
「再会を祝して。」
なーんも祝してないわっ、とシャーロットは思ったけれど黙っておいた。
よりによってこんな動きにくいドレスで、こんな薄暗いところにいるなんて…!
「私にもキスしてくれないのか? シャーロット。」
「しないわ。」
親密な関係じゃないもの。
シャーロットが答えると、シュトルクは隣の椅子に座りながら言った。
「これからなるんだ。そう聞いてないのか?」
何も聞いてないからこんな格好でここにいるのよ? とシャーロットは思った。
料理やキャンドルの乗ったワゴンを押したメイド達が、連なって部屋に入ってきた。テーブルにキャンドルライトをいくつも置いて、明かりを足していく。シャーロットは黙って並べられていく料理を見つめた。
こんなに食欲の沸かない食事会は初めてだわ。そう、心の中で呟いた。
ありがとうございました