<103>2月14日に悪役令嬢は攻略対象者たちとイベントをするようです
火曜は朝からミカエルの機嫌が悪かった。
シャーロットのベッドにまたいつの間にか侵入して抱きついたまま眠っていたミカエルを、自分の体から剥がす作業からシャーロットの朝は始まった。
「ねえ、ミカエル、起きて、」
シャーロットを抱きしめたままピクリともしないミカエルに話しかけると、ミカエルはうっすらと目を開けた。柔らかい翡翠色の瞳にシャーロットが映っている。
「このまま一緒に寝ていようよ…、起きたら学校じゃん…。」
「起きて学校へ行くんでしょ? 学校に行く学生でしょ?」
「そうだけど、今日からシャーロットはリュートのお手伝いをするんでしょ…?」
「おじいさまに言われたんだもの、お手伝いくらいするわ。ミカエルは今日はミチルの日でしょ? お昼も一緒に食べるし、一緒に放課後も帰るんじゃないの?」
「んー。」
ミカエルはシャーロットを抱きしめる力を強くした。
「キスしてくれたら考える。」
「考えるだけ?」
「支度してもいい。」
シャーロットがチュッと頬にキスすると、ミカエルは無理やり顔を手で近付けてキスをした。甘いキスに、シャーロットはうっとりとしてしまう。いかんいかん…流されてはいかん…。
「じゃ、手を放してね?」
力が緩んだ隙に、シャーロットは急いでベッドから転がり出た。床から起き上がると、大きく伸びをする。今日も疲労から朝が始まるんだわ、と万歳をして体を捩じっていると、ミカエルがベッドから出てきた。
「朝から元気だね、シャーロット。」
違うから。ミカエルと一緒に狭いベッドで寝てる影響だから。シャーロットはそう思うけど黙っておいた。広いベッドで一緒に寝ようと言われても困る。王族用のミカエルの寝室のベッドは大きい。
私はこの狭いベッドで今はまだ十分だもの。また伸びをすると、シャーロットは着替え始めた。
教室にローズと入って来たリュートに、シャーロットは勉強道具を持って近付いた。大丈夫。怖くなんてないわ。猫をしっかり被って微笑む。ミカエルとガブリエルはいつもの窓際の席に座って黙って様子を見ていた。
「おはよう、リュート、ローズ。」
シャーロットが話し掛けると、ローズが険しい表情になるのとは反対に、リュートはほっとした表情になった。教室中央の真ん中あたりの机に荷物を置いたローズに、リュートがゆっくり話し掛けた。
「フリッツ、シャーロットが授業の手伝いをしてくれるんだ。シャーロットと重なる授業は半分だけだから、それ以外は君に頼むけど、それも、無理なら君には手伝ってもらわなくてもいい。」
「姫様には関係のない事です。私が全部お付き合いします。」
ローズはシャーロットもリュートも見ずに、俯いたまま言った。
「君は奨学生だろう? 自分の勉強が出来なかった言い訳を、私の怪我のせいだとしてほしくはない。自分の勉強をしてほしい。」
シャーロットはリュートとローズを見つめた。周囲に座る学生達が自分達を注目しているのが判る。
「私は私のしたことの責任を取ります。それがあなた達の望みなんでしょう? 勉強くらいどうにかします。やらせてください。」
どうしてそういう言い方するのかな…。シャーロットは心の中で呟きながらローズを見つめた。出来るだけ優しく言い聞かせるように話をする。
「私は、理事長の孫娘として責任があります。リュートのお手伝いをすることで、リュートもローズも救われるのなら、私がすればいいと思います。ローズ、気にしないで?」
「シャーロットもそう言ってくれてるんだ。そうしてほしい。」
「…わかりました。」
ローズはシャーロットを一度も見ないまま、教室の後方奥のいつもローズが好んで座っている出入り口付近の席に移動した。
「あれで…、納得してくれたのかしら?」
シャーロットが呟くと、席に座ったリュートが、シャーロットの手を握った。
「隣に座って、シャーロット。気にしなくていいから。」
リュートの左側の席に座ると、シャーロットはリュートを見上げた。右側に座ると、ケガをした右手に当たったら悪いなと思ったからだった。
「君は何も言わなくても左側に座ってくれるんだね。フリッツはどうしても右側に居たがるから、少し不快だったんだ。」
そう言ってリュートはカバンの中から教科書を取り出した。
怪我をしたのが右手だから右側にいて助けようと思ったんじゃないかな、とシャーロットは思った。でも、想像だけの話を不自由を強いられているリュートに伝えるのは躊躇われた。
「字は書けるけど、腕が机に触れると傷口に当たって書きにくいんだ。出来るだけ自分でもノートは作りたいんだが、あとでノートを借りてもいいかな。」
「ええ、お休みをしていた分のノートも、大丈夫よ?」
シャーロットはいつもの習慣で、3学期も同じノートを2冊作っていた。いつもならミカエル用のノートだった。
「じゃあ、借りたい。ありがとうシャーロット。」
ほっとした表情のリュートは痛々しく思えて、シャーロットは気の毒に思えてならかかった。毎日いくつかある重なる授業で、リュートをどれだけ助けられるんだろう。シャーロットは自分に出来ることを考えていた。
シャーロットがリュートの傍でいくつかの授業を受けるのが知れ渡ったのか、ミカエルやガブリエルと離れてリュートの傍にいるシャーロットの近くの席に、サニーやブルーノ、エリックが次の授業では集まっていた。シャーロットの左隣にしれっと座るサニーは優しくシャーロットの左手を取ると何度も撫で指を絡め、柔らかく微笑みかけた。その度にシャーロットは手を引っ込めるが、またサニーに手は捕まってしまう。
シャーロットの前にはブルーノとエリックが座っている。二人は時々シャーロットを振り返って、目が合うとまた前を向く。
リュートを見上げると、シャーロットに静かに微笑んだ。
「ごめんね、弟まで来ちゃったね。」
「フリッツに比べると、たいしたことないからいい。」
たいしたことないとか思うなんて、そんなに嫌だったの? シャーロットは言葉を飲み込んだ。ゲームだと、みんなローズが大好きじゃん…。
「お姉さま、あの女と俺達とを比較するところから間違ってるぞ。」
エリックが振り返って言った。
「俺のノートも貸してやろうか、リュート。いくつか授業、一緒だろ?」
「ああ、助かる。エリック、ありがとう。」
「お姉さまが、また、あの女に変な同情しても困るからな。これぐらいで済むなら、いくらでも貸してやる。」
変な同情って、随分なことを言ってるなーとシャーロットは心の中で呟き口を尖らせていると、リュートが思い出したように尋ねた。
「…シャーロット、フリッツに怒鳴られて泣いたんだって?」
エリックと振り返って座っていたブルーノが、説明した。
「リュートの怪我の原因を、ローズに確かめに聞きに行って、怒鳴られたんだよね? シャーロット。」
そうと言えばそうだけどそうとも言えない気がする。シャーロットは迷ったけれど、頷いた。
サニーが静かに怒ったように、言った。
「リュートの怪我の原因は、ローズなんですか?」
「ああ、そうだ。」
エリックがサニーを見て言った。「あとで教えてやるから、ちょっと時間をくれ。」
「フリッツは…、」
リュートが言いかけた時、授業の開始のチャイムが鳴った。
「昼休み、一緒に学食で食べないか? シャーロット。」
早口で言ったリュートに、エリックとブルーノ、サニーも頷いた。
「もちろん、お姉さまと、俺達も一緒だよな? リュート。」
エリックがそう言うと、シャーロットが返事する前に話が決まってしまった。
「あーあ、こんなことだろうと思った。」
ミカエルに文句を言われガブリエルに困った顔で見送られながら、別行動を詫びて、シャーロットはお昼ご飯をリュートやエリック達と食べに学食へ向かった。シャーロットを囲むように歩く背が高いリュート達を見上げて、まるで護送されているみたいだわ、と思いながら歩いた。この顔ぶれで一緒にご飯を食べるなんて、変な感じだわ、とも思う。
学食で6人掛けの席を確保して、シャーロットを真ん中に、左隣をサニー、右隣をリュート、向かい正面がブルーノ、リュートの向かいにエリックが座った。彼らは誰も、肉と魚の両方の今日のランチのプレートを広げていた。今日のランチはメインが肉料理だとハンバーグにニンジンのグラッセ、魚料理だと白身魚のムニエルにブロッコリーのペペロンチーノだった。ニンジンよりブロッコリーが好きなシャーロットは魚料理を選んだ。みんな、背が高いとよく食べるのが普通なのかしらと思った。サニーは魚料理を選んだシャーロットのプレートを見て、にっこりと微笑んだ。
「サニー、さっきの続きだけど、」エリックが食事をしながら話す。「あの女がリュートの怪我の原因なんだ。」
まるで見ていたかのように状況を丁寧に説明したエリックに、「だいたいあってる、」とリュートは食事しながら頷いて、シャーロットを見た。
「どうして、ローズのところに行ったりしたんだ? シャーロットが怒鳴られる理由がよく判らない。」
そうよね、今思うと、余計なことをしたと思うわ…。シャーロットは反省しながら、エリック達に話したように、ローズとのやり取りをサニーとリュートにも話した。怒鳴られたことを思い出すと、手が震えた。シャーロットの手を、サニーがゆっくりと包むようにして握った。
「なるほどね。だから、私のうちに謝りに来た時も、最後まで自分は悪くないと言ったのか。」
リュートは溜め息をつきながら言った。
「リュートが邪魔をしたと思ったのでしょうか。リュートが助けなければ、いくらローズでも、そのまま馬に蹴り飛ばされていたでしょう。」
サニーも静かに言った。
「シャーロットは悪くないと私は思います。私も、リュートを可哀そうだと同情します。シャーロットが怒鳴られるのは違うと思います。私はこの話の中で、リュートの次に可哀そうなのはシャーロットだと思います。」
なんだか誰が一番可哀そうかの心証実験みたいになってきたわね…。シャーロットは困ってしまってサニーを見上げた。話題を変えようと、少しずらした質問をする。
「サニーはいつ帰ってきたの?」
「私は、11日です。10日から寮が再開されると聞いていたので、早めに帰ってきました。クラウディアが入寮するのが12日と決まっていたので、早めに帰ってきたのです。」
「クラウディアは元気?」
「ええ。別室で語学の授業ばかり受けていますよ? 経済史の講師や地理学の講師に語学が堪能な方がいますからね。」
だから姿を見かけないんだね~とシャーロットは納得した。
「ちょっと聞いてほしいんだ、」リュートが躊躇いがちに話し出した。
「フリッツは、私が宰相の息子だから特別扱いされている、と思い込んでいるところがあるように感じた。自分は被害者なのに自分の意見が潰されて、宰相の息子の私の意見が通されていると思っているようなことも、私のうちに来た時言っていた。」
ローズは意固地になっているのかな、とシャーロットは思った。
「フリッツが傍にいると、嫌悪感が伝わってきて一緒にいると疲れるんだ。正直言って、近くにいてほしくない。」
エリックが、溜め息をついたリュートの顔を見つめて、不快そうに尋ねた。
「それは、俺がリュートの立場だったとしたら、公爵家の息子で、理事長の孫だから特別扱いをされて、あの女の主張は無視されるとでも言い出すってことなのか?」
黙ってしまったリュートは、肯定しているとしか思えなかった。
「僕も、同じ扱いを受けるのか。気を付けないといけないな。」
黙って食事しながら聞いていたブルーノも、苦笑いをしながら言った。
「では当然、私もでしょうね。」
サニーもさらりと答えた。「ローズはつくづく、変わってますね。」
どうしてローズはそんなこと言ったんだろう…。シャーロットはフォークとナイフを持つ手を止めて考え込んでしまう。謝りに行った先で言うことじゃない気がした。
エリックが、リュートを宥めるように言った。
「おじいさまは、今度の学年末テストであの女が一桁の順位から落ちると、奨学金の対象から外して学校から放逐すると仰ってたぞ。リュートに逆恨みが向かわないように、お姉さまを傍で手伝わせるとも仰ってた。だから、安心して治療しろ? 俺もノートくらいなら貸してやるから。」
そんな理由で私を巻き込んだのね。シャーロットは少し祖父を見直した。
「では、気の毒なリュートに、私もノートを貸してあげましょう。」
サニーが優雅に微笑んだ。「シャーロットを独占するのはやめてほしいですからね。」
「心配しなくても、独占は出来ない。シャーロットも自分の授業があるだろう?」
リュートはシャ-ロットを優しく見つめた。
「私はこの一件で、一番可哀そうなのは君だと思う、シャーロット。心配した相手に怒鳴られて、関係ないのに手伝わされて、気の毒だと思う。でも、手伝ってくれるのが君で嬉しい。」
「シャーロットにはご褒美をあげないと、可哀そうだね。」
食事をいち早く終えたブルーノが微笑んだ。「傷が治るのは、だいたいどれくらいなんだ? ひと月くらい?」
「ああ、医者の見立てだと、それくらいだろうと言ってた。」
「なら、バレンタインに間に合うね。僕がご褒美をあげるよ。」
エリックとリュートも食事を終えて、ナイフとフォークを置いた。急いで食べないと…と思いつつ、バレンタインを知らないシャーロットはついつい尋ねてしまう。
「バレンタインて、なあに?」
「意外だな。シャーロットは知らないんだね。庶民の文化で、男性が女性に花を贈る日だよ。プレゼントをあげる国もあるね。」
ブルーノに頷いて、リュートも続ける。
「特別な日なんだ、シャーロット。」
「それはいつなの?」
「2月14日。」
あれ? ミカエルの誕生日じゃないの? シャーロットは首を傾げる。毎年ミカエルにねだられてチョコレートをあげている気がするけれど…?
「私もシャーロットに贈りましょう。」
食事を終えたサニーも言った。シャーロットは慌てて食べ始める。
「お姉さまには俺からも何かあげよう。俺もお姉さまが可哀そうだと思う。」
ニヤニヤしてエリックが言うと、リュートが頷いた。
「私は感謝しないとな。もちろん何か贈らせてもらうよ。シャーロット。」
「という訳だ、お姉さま。2月14日はまたこの5人で集合だからな。」
えー。
「そんな。そういうのはリュートにあげてほしい。」
「リュートは君にって言ってるんだから、いいんだよ。」
ブルーノは優しく微笑んだ。
貰わなくていいんだけどなーとシャーロットは思った。必ずお礼が待ってる気がするのは、気のせいだろうか。
「その日じゃないとダメなの?」
「その日が特別な日なんだよ、シャーロット。」
最後のひと口を食べ終わったシャーロットは、紙パックのカフェオレを飲みながら考えた。ミカエルになんて言い訳しようかな。また不機嫌になりそうだな…。
お昼休みを終わるチャイムが鳴り始め、プレートを持って席を立ったシャーロットに、サニーが囁いた。
「私の国では、バレンタインは愛を確認しあう日なんですよ?」
「この国でもそうなんですか?」
「さあ? 知っていても、誰もあなたに教えないでしょうね。」
サニーはくすくす笑った。
ありがとうございました