<102>リュートルートをどんどん攻略することになりそうです
夜一人で眠ったはずなのに、いつの間にかミカエルが一緒のベットで寝ている朝が毎日続くと、シャーロットはじわじわと体力の消耗を感じるようになった。寮の狭いベッドは二人眠っても寛げるような広さがない。
今朝も起きると隣でミカエルが眠っていたので、シャーロットは眉間に皺を寄せて、ミカエルの頬をツンツンとつついた。
「ミカエル、朝だよ?」
起きないミカエルを無言で跨いでベッドから這い出ると、シャーロットは大きく伸びをして体を捻った。あちこちが強張っている気がして、寝た感じがしないわ…。心の中で呟いて、顔を洗いに行った。
ミチルなミカエルと登校すると、ざわつく雰囲気がいつもと違っていた。週明けの月曜日で本格的に授業が始まるからだろうか。シャーロットはみんな元気ね、と思った。
「どうしたんだろう、何かあったのかな。」
ミカエルとあたりを見渡すと、険しい顔をして歩くリュートの隣を、俯いたローズが歩いていた。黒いだぼだぼのダッフルコートのローズは首にベージュのマフラーを巻いて、リュートのカバンを持って俯いて歩いていた。ふわふわと風に揺れる琥珀色の髪の毛が朝日に輝いていて、シャーロットの目には眩しく映った。
水色の地に黒い星模様の手袋をしたローズの手元を見て、シャーロットは嬉しいけど複雑な気分になった。素直に喜べない。ローズがくれたマフラーをしてこなかったシャーロットは、今日は母が持たせてくれたピンク色の上品なマフラーを首に巻いていた。ミカエルはマフラーが違うことを何も言わなかった。
俯いて視線を逸したシャーロットに、ミカエルは囁いた。
「リュートは困った顔してるよ、シャーロット。あの二人が並んで歩くと、お似合いだけど、漂う空気が怖いね。」
シャーロットにも、とても甘い雰囲気には思えなかった。
教室に入ると、ガブリエルがすでに待っていて、ガブリエルはリュートとローズを見て、小声で状況を説明してくれた。
「リュートの怪我を知った宰相夫人が学校に問い合わせて、職員や事件があった時に居合わせた馭者達に、聞き取り調査をさせたらしいんですの。本来歩いてはいけない馬車用の道を横切って飛び出したあの女の所業が明らかになって、宰相も学校の管理の不行き届きに改善を申し入れをして、男爵家の方にも抗議を行ったんですって。」
シャーロットはミカエルと顔を見合わせた。
「男爵家はすでにあちこちから話を聞いていたらしくて、賠償金を持参して謝罪したみたいなのですけど、当のあの女は自分は悪くないって言い張ったらしいのですわ…。」
「ガブリエルはえらく情報通なんだね。」
ミカエルが呆れたように言うと、ガブリエルは照れて笑った。
「私、たまたま金曜からお城に帰っていましたの。もうお城の侍女達はその話題で持ちきりで、お母さまからもお話を聞きましたのよ?」
「怪我をしたことは知れ渡ってるんだね。」
シャーロットは驚いた。学校での出来事というよりは、個人の出来事として噂されている気がした。
「リュートってそんなに有名人なの?」
「宰相の息子ですから、それなりに注目されていますわよ? ああ見えて将来有望ですからね。あの真面目な感じが苦手で私はあまり好みではありませんが、そういうところが好ましいと思う者もいるのでしょう。」
真面目なガブリエルが真面目なリュートを苦手って言うとか、どんな冗談…とシャーロットは思わずくすりと笑いだしそうになるが、ぐっと我慢する。
「なんでも、後妻にと決まりかけていた伯爵家から破談の通知まで貰ったそうですのよ、男爵家は。」
「え?」
「貴族の間では、結構な噂になっているのですわ。侯爵家の令息に怪我を負わせた男爵家の暴力娘って呼ばれているのですって。」
「それは…、言い過ぎだと思うわ…。」
シャーロットは少しローズが気の毒に思えてきた。
「事実は事実ですから、仕方のない事ですわ。シャーロットはあの女に肩入れしすぎです。」
ガブリエルは腕を組んでシャーロットを見つめた。
「関わってはいけませんよ、シャーロット。また倒れるようなことがあってはいけませんからね。」
ミカエルが「ガブリエルっておかーさんみたーい、」と茶化すと、ガブリエルはくすくすと笑った。
「お母さんでも何でもよいのです。私は、あなた達の方が大事ですから。」
シャーロットはガブリエルの手をそっと握った。心配してくれる人がここにもいた…。ガブリエルの気持ちが、嬉しかった。
授業が終わりミカエル達とお昼ご飯を食べに学食に行こうとしたシャーロットを、講師が呼び止めた。理事長が呼んでいるとの伝言だった。嫌な予感しかしない。ミカエルが言ってた通りになるのかしら…。
ミカエル達に断って理事長室に行くと、紺色のスーツ姿の祖父と、灰色のニットワンピースのスーツ姿の宰相夫人が窓辺に立って話をしていた。二人の仲良さそうな和やかな雰囲気に、深刻な話を想定していたシャーロットは安心して声をかけた。
「失礼します、お呼びでしょうか?」
シャーロットがお辞儀をすると、宰相夫人は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「まあ、シャーロット。いつ見てもどんな格好をしていても、あなたは美しいのね。」
「ありがとうございます。あの、私、お邪魔でしたら失礼しますが、大丈夫でしたでしょうか?」
首を傾げて尋ねたシャーロットに、祖父は「構わんよ、」と言った。
「今日は、宰相の奥方と、お前に話があるんだよ、シャーロット。」
「なんでしょうか?」
部屋の中央で立ったままのシャーロットは微笑んだまま、じっと手をおへその前あたりで握り合わせて、姿勢を正す。猫をしっかり被って、優雅に見えるように肩の力を抜いた。
「宰相の息子のリュートが、怪我をしたのはもう知っておるだろう?」
「はい。直接原因も伺いました。」
「そうか。一応謝罪があって解決したことにはなっておるが、いささか、解決しておらんのだ。」
祖父は困ったように微笑んだ。宰相夫人が続きを話し始める。
「私は、リュートの傍にあの者が一緒にいるのが不愉快でなりませんのよ、シャーロット様。聞けばあの者が原因で、シャーロット様も過労で倒れられたことがあるとか。そんな不吉な者を傍に近寄らせてリュートにまた災難が降りかかったらと思うと、安心して夜も眠れないのですわ。」
大袈裟だな~とシャーロットは思ったけれど、黙って猫を被り続ける。
「謝罪自体も、最後まで自分は悪くないと言い張って、男爵が無理やり頭を下げさせましたのよ? そんな謝罪なんて意味があるのかしら。」
夫人の怒りはまだ収まっていない様子だった。シャーロットもその話を聞いてしまうと、ローズにますます同情できないなと思ってしまう。印象を悪くしに行ったようにしか思えなかった。
「学校側がいくら常識を解いても、常識のない者の耳に届くのかしらね?」
「そうだのう。こちらとしても、今後そういうことがないように、考えさせてもらった。」
祖父はシャーロットの顔を見て、宰相夫人の顔も見た。
「あの者は幸か不幸か奨学生だ。今後、あの者が一桁の順位に入ることが出来なかった場合は、猶予を与えず退学を勧告することにした。当然次回の学年末テストが対象になる。奥方殿、それでいいかな?」
退学? びっくりしてシャーロットは目をぱちくりした。滞納とか、そういう猶予が無くなるっていうことなのかしら。
「ええ、それなら構いませんわ。私も納得することにしましょう。」
宰相夫人は優雅に微笑んだ。
「そこでだ。理事長の孫娘として、ワシを助けてほしい、シャーロット。」
「はい。私に出来ることであれば、努力いたしますわ。」
話の流れから考えて、リュートを勉強面で支えるのだろうと思ったシャーロットは快諾した。あとでノートを貸すとか、そういう協力なのかな。それならできなくはない。
宰相夫人はにこやかに微笑んだ。
「私は、リュートと同じ授業をシャーロット様が受ける場合は、リュートの傍に付き添ってお手伝いをお願いしたいですわ。あの者が傍にいてリュートを手伝うと言っていましたが、そんなことをされても嬉しくはありませんですからね。」
「よかろう、そういう役割だ。」
は? はい? どういう役割?
「同じ授業の際は、ローズと代わってリュートの傍で手伝いをするように。わかったな、シャーロット。」
理事長の孫娘として祖父の顔を立てるしかないのだろう。シャーロットは猫を被り直して微笑んだ。
「わかりました。お手伝いさせていただきます。」
祖父と宰相夫人は機嫌良さそうに微笑んで、シャーロットを見ていた。
「では、午後の授業の支度がありますので、失礼いたします。」
お辞儀をすると、シャーロットは理事長室から優雅に退室した。優雅に廊下を歩き、ある程度理事長室から距離を持つと、一目散に走り始めた。長居をしてしまった。お昼休みが終わってしまう。おなかが空いているのか考えがまとまっていかなかった。何か食べて落ち着いて考えよう…。
お昼休みを終わるチャイムが鳴り響きはじめ、購買にも寄れずに、シャーロットはすごすごと教室へと戻って行った。
放課後、シャーロットはミカエルとガブリエルが先に寮に帰ってもらって、一人学食で遅い昼食がわりのおやつを食べていた。頭に糖分を補給するための食事なので、誰かと優雅に時間を過ごす気にもなれなかった。一人で考えたかったという気分でもあった。
カフェオレを飲みながらケーキだのスコーンだのといったおやつを黙々と食べていると、ヴァレントが商業のコースの女子学生達と連れ立ってやって来た。制服を着ているだけなのにおしゃれに見えてしまうのは、ヴァレントが持つ雰囲気なのかもしれない。
「こんにちわ、姫様。おひとりですか?」
「ええ、ちょっとだけのつもりで、おやつ中なの。」
「その割にはしっかりおやつですね。」
「ふふ。ヴァレントは?」
「僕も、みんなとおやつにするところです。」
取り巻きの女子学生達がトレイを片手に、好奇心に目を光らせてシャーロットを見ていた。どの女子生徒も、勉強よりも自分の容姿に時間をかけているような、華やかな雰囲気をしていた。
「お元気そうで何よりです、姫様。今週末はご予約ありがとうございました。両親が大喜びしてました。王都で噂の青い姫君を間近で見られる絶好の機会だと。」
え? ナニソレ?
シャーロットが戸惑っていると、女子生徒達に袖を引っ張られて、ヴァレントは「それじゃ、また、」と言って奥の方のテーブルへと去って行った。
ヴァレントのおうちって、王都でレストランを経営してるんだったっけ? いつの間に私はそこを予約してるんだろう? シャーロットは首を傾げて考えた。
みんな勝手だわ。勝手に何かを決めて、勝手に決めたことを私にやらせようとする気がするわ。
残りのケーキやスコーンを食べ終わる頃には、考えても仕方ないわと結論が出てしまった。やってみないと対策は練れない。
リュートの傍に行くとローズと顔を会わせることになるだろう。会いたくない。顔が、見れない。でも、猫を被ってやり過ごそう…。
思っていたよりも自分はローズに言われたことで傷付いていたんだなと自覚して、シャーロットは小さくため息をついた。
寮の自分の部屋に戻ると、ミカエルが制服のまま待っていた。ガブリエルが話がしたいとの伝言だった。気が進まなかったけれどシャーロットはコートやマフラーを片付けカバンを置くと、制服のまま、ミカエルとガブリエルの部屋に急いだ。
「待ってたわ、座って?」
部屋に入ったシャーロットとミカエルを、制服姿のラファエルとガブリエルが迎えてくれた。二人がソファアに座ると、ガブリエルがシャーロットの隣に座った。ラファエルは一人でソファアに座っていた。
「シャーロット、今日理事長のところへ行ったんでしょ? それって、宰相の息子の件でしょ?」
ラファエルが面白そうに目を細めて言った。
「お城で噂になってるもの。みんな興味を持ってる話題だわ。知ってる情報があったら教えて?」
シャーロットはローズからもリュートからも話を聞いていたので、話せる話は沢山持っていたけど、話す気がまったくなかった。噂話にするような軽い話に思えなかったのだ。
黙ってしまったシャーロットを見つめ、ガブリエルは首を傾げた。
「今日は理事長に、何を言われたの?」
シャーロットは仕方なく、祖父と公爵夫人との会話を伝えた。リュートと一緒になる授業は半分でも、シャーロットはミカエルとガブリエルと別行動を取ると伝える必要がどっちにしろあった。
「そんな…。シャーロットはあの女の巻き添えじゃないですの。横暴が過ぎますわ。」
話を聞いたガブリエルは絶句していた。
「あの女があまりいい印象ではないのは、宰相夫人に同情しますけれど、シャーロットがその代わりを勤めなくてはいけない理由が理解できませんわ。」
「シャーロットは理事長の孫だからでしょ? 私達だって、お父さまが何かへまをやらかしたら、王女として代わりに償うのよ? まあ、そんな日は来ないでしょうけどね?」
「僕は個人的に、リュートとシャーロットが仲良くするのは嫌。」
黙って話を聞いていたミカエルがぶーたれて腕を組むと、ラファエルが優しく微笑んだ。
「ミカエルは、シャーロットとリュートと一緒になる授業をどれぐらい取ってるの?」
「僕はほとんどシャーロットと一緒なんだ。だから、シャーロットが半分一緒なら、僕も半分一緒なんだけど…、実際はミカエルで2年生の授業を受けてるから、今まではシャーロットに甘えてノートを借りててさ。3学期はミチルの日を増やしたから、一緒になる日が増えるのかな。」
「ミカエルはシャーロットがリュートと授業を受けてるのを、悔し涙を浮かべて見守るのね?」
くすくす笑いながらラファエルが言うと、ガブリエルも面白そうに言った。
「シャーロットに優しくしない罰が当たったのですわ。この前も、ミカエルはシャーロット以外の女生徒達4人と楽しそうにお茶会をしていましたのよ?」
「あら、ミカエル、それは誰なの?」
「よりによって、あのクララ・サバール達となんですの!」
ラファエルの表情が冷たく変わる。
「ミカエルはユリス様の親戚と結婚したいのね? お母さまが可哀そうよ?」
「そんなことは言ってないよ。ただ単に、美味しいお菓子をくれただけだから。」
「ふうん? シャーロットはリュートと仲良くなってもミカエルと結婚してくれるって言ってるんだし、それぐらい我慢したら?」
「ラファエルは時々僕に冷たいよね。」
「ミカエルがシャーロットを大事にしないからですわ。私も同じことを思いますもの。」
「もういいの、シャーロットと僕は帰るからね? じゃあね、またね。」
ミカエルは立ち上がると、シャーロットの手を引っ張って部屋の外へと連れ出した。そのままミカエルの王族用の部屋へと向かう。
「ちょっと、待って、ゆっくり行こうよ?」
シャーロットがそう言うのもお構いなしに急ぎ足でミカエルの部屋へ連れ込むと、しっかり鍵をかけてから、ミカエルはシャーロットを抱きしめた。ミカエルから香る甘い花の香りが、シャーロットの胸に広がる。
「リュートの傍に行かないで。」
「ミカエル…。」
「授業中、ずっといつも傍にいてくれたのに、目の前で違う男の傍にいる君を見たくないよ。」
囁く声は切なくて、シャーロットは瞳を閉じた。
「そんなことを言われても、私は理事長の孫娘だから、やらないといけない時がやっぱりあるの…。」
ミカエルが口を塞ぐようにキスしてきた。シャーロットは瞳を閉じたまま、ミカエルのキスを貪るように求めた。二人は抱き合ったまま、しばらくそうしていた。シャーロットはミカエルが自分に執着してくれるのが嬉しくて、いつしか微笑みながらキスをしていた。
ありがとうございました