<101>悪役令嬢はエリックルートに心が揺れるているようです
出かける支度するシャーロットが薄化粧をしながらエリックとブルーノと話したことを話すと、ミカエルは椅子に座って眺めながら聞いてくれた。
「エリックは毎度のことながら、即断即決だね。頼もしいけど危うくもあるな。君達姉弟が仲がいいのはお互いに埋め合っている関係なんだろうなって、旅行の話を聞いた時も思ったけど、ほんと、そう思うよ。」
「ナニソレ。別に、私達、埋め合うような関係じゃないと思うわよ?」
シャーロットは黒いセーターに膝丈のふんわりとした千鳥格子のスカートを履いた。黒いタイツもしっかりと履く。
「そうかな。君はエリックが先走ろうとするとやんわりと助けるし、エリックは君が迷っている時には方向を助言している気がするけどね。」
「そんな綺麗な関係じゃないと思うけどな~。」
髪の毛をハーフアップに括りながら、シャーロットは考える。煩い弟が面倒臭いことを言いはじめる前に回避しているだけだし、弟が煩く言うのでシャーロットが仕方なく付き合っている、という感覚だった。
「ブルーノは君のことが好きなんだね。僕も何か筋トレした方がいいのかな。」
キントレ? また聞きなれない言葉が出てきたな~。シャーロットには食べ物じゃない事だけは想像ついた。スズランの香水を吹きかけくるりと回った。
「僕も、エリックが言うように、ローズには当分関わらない方がいいと思うけど、果たしてそんなにうまく距離が取れるのかな。僕やシャーロット達が知ってなくたって、そんな大勢の前であった出来事なんでしょ? リュートがローズを庇って黙っても、息子を怪我をさせられた宰相や夫人が黙っていられるのかな。」
「そうね…。」
チャコールグレイ色のダッフルコートを用意して、ピンク色のクマリュックに貴重品を入れて準備を整えた。
ミカエルの前の椅子に座って、シャーロットは姿勢を正して膝に手を置いた。
「今までそういう事態が起こったことがないから、私は知らないんだけど、怪我をさせたりした生徒は何か罰を受けたりとか、あるの?」
「僕もそういう事態になったことがないからわかんないけど、前世で通ってた高校なんかだと、トラブった生徒同士、親も呼ばれて治療の費用を加害者側が払って謝り合って握手して、表向きは円満解決だった気がする。」
「トラブった? えっと…?」
「揉め事を起こしたって意味ね。あ、そっか。こっちは貴族対貴族の階級社会だから、平民同士の円満解決にはならないのか…。」
「前世のマリちゃんは平民だったんだっけ? お医者さんの話をしていた時、そう言ってたね。」
「そう。美大生。永遠の16歳。」
へへっと笑うと、ミカエルは得意そうに笑顔になる。
「その情報はいいわ。じゃあ、この学校だと、そういう解決にならないのね? リュートの家は宰相だもんね…。」
宰相は爵位は侯爵で、男爵家のローズよりも上級貴族になる。地位はこの国の国王に次いで高い地位にあった。ハープシャー公爵家は侯爵よりも爵位は高いが公的な役職では単なる領主に過ぎない上級貴族なので、役職的にはリュートのアルウード家よりも地位が低い。
「ローズが責任を取らされない代わりに、何か別の代替案を出してくるかもしれないね。例えば、君、シャーロットに対して。」
「え、どうして?」
「君は理事長の孫娘で、リュートと同じ統治のコースのクラスメイトなんだよ? お世話しろとか言ってきそう。」
シャーロットはローズが罰を受けないなら、それも仕方ないかなとも思った。侯爵家が男爵家に求める賠償を、馬車の帰宅時間ひとつで兄に気を遣うようなローズが出来るとは思えなかった。
「あ、その表情は、ローズのためなら無条件で頑張っても良いかなとか思ってる顔だよね? ダメだよ、断らないと。ローズのためにならないじゃん。」
「ローズのため?」
「そう、ローズが自分で自分のやったことを知らないと、また同じようなことをすると思うよ? 今度は馬車を大破させるとか、馬車に乗ってた誰かが怪我をするとか、そういう具合に。」
「それは困るわ。」
「そう、だから、言って判らないローズに、現実を見せないと。」
「そっか…。」
ミカエルの言葉に、シャーロットは希望が見えてきた気がした。ローズの価値観が、私達の価値観に歩み寄ってくれるのなら、それがいい。そう思った。
「シャーロット、時間はそろそろいい?」
「そうね、そろそろ行こうかな。」
シャーロットはミカエルにキスをして、立ち上がる。
「ミカエルは今日はどうするの?」
「王子様のミカエルに戻って、自分の部屋で勉強でもする。学年末テストで、どっちも10位以内とって有終の美を飾りたい。」
「もう2年生で必要な単位は取り終わったんじゃないの?」
「冬の補講で取れたからね。余裕だよ。だから3学期は週3日か4日、ミチルで過ごすつもり。」
「そう、頑張ってね。」
微笑んでコートを着たシャーロットにミカエルがピンク色のクマリュックを渡すと、二人は部屋を出た。
待ち合わせの時間に寮の玄関の前まで行くと、ブルーノが一人で立っていた。黒のトレンチコートから黒いタートルネックのセーターが見えていた。下には焦げ茶色の毛織のズボンを履いている。
コートのポケットに突っ込んでいた手を出すと、シャーロットの手を握って、ブルーノは歩き出した。シャーロットは慌ててついて歩いた。
「今日はエリックはいないの?」
「ああ。昨日、あの後、エリックは帰っちゃったんだ。」
「え? 王都の屋敷に?」
「そう。だから、僕一人。よろしくね、シャーロット。」
「こちらこそ。コーヒーを飲みに行くだけだけどね。」
二人の吐く息は白く、歩いているうちにだんだん寒さに慣れてくる。
「今朝、リュートを見たよ。話しかけたら、笑ってた。」
「何か言ってた?」
「シャーロットから事情は聞いたよって言ったら、そうかって言って、笑ってた。」
「もしかして、怪我の理由、話したら嫌だったのかな。リュートはローズを庇ったんだよね?」
「ああ、リュートには、そのあと、ローズに怒鳴られてシャーロットが泣いてたから、泣いてる事情を聴いた時に怪我の理由を聞いたって説明したから。」
「は? はい?」
そんなことまで言ったの?
「それで、リュートは?」
「何か考えてたな。黙ったから、元気出せよって励まして別れた。」
「ねえ、その時、他に誰か傍にいた?」
「いたかな…。男子学生が結構いたな。いつもリュートが一緒にいる奴ら。女子学生もいたかな。」
それって、騎士コースの、チーム・フラッグスの学生達だよね…?
ブルーノを見上げると、碧い瞳が優しくシャーロットを見つめていた。
「あのね、ローズのこと、みんな誤解してるだけだと思うの…。」
「まだシャーロットはそんなこと、言ってるんだね。今日はその話はもうしない。判った?」
「そうね。」
「次その話題をしたら、何かしてもらおうかな?」
ブルーノがシャーロットを見てにやりと笑った。シャーロットは慌てて宣言する。
「今日はブルーノと一緒にいる時間を楽しむことにする。」
ミカエルとは違うブルーノの優しさが、やっぱりブルーノは異国の人なんだと思えてくる。
私とブルーノとの価値観の違いを、私達はお互いに歩み寄って埋めていっているのかしら。シャーロットは美しい人の横顔を見上げながら、そう思った。
街の入り口の案内板の前に二人で立って、地図を指差してウルサンプリュシュの場所を伝えると、ブルーノは判ったと言ってシャーロットの手を握ると中央広場に向かって歩き、そこから北東の方向へ歩き出した。
「地図を覚えちゃったの?」
シャーロットが尋ねると、ブルーノは微笑んだ。
「こういうの、得意なんだ。」
感心しながらシャーロットは鼻歌を歌うブルーノと並んで歩いた。
やがて、住宅街の中に、オリーブの木を緑色のドアのすぐ傍に植えた店が見えてきた。以前見た時と同じように、店の壁には小さな茶色いクマの形をした看板が立てかけて置いてあった。
「シャーロットが好きそうな店だなあ。」
ブルーノは笑ってシャーロットのリュックを指差した。
「そうなの。中も可愛いの。」
ブルーノがドアを開けてくれ、中に入ると、「いらっしゃいませ」と低い男性店員の声が聞こえ、店の中には女性店員と、カウンター席の奥の方に男女が座っていた。長い金髪の三つ編みがちらりと見えた。二人は見つめ合うように外に背を向けて座っていたので、顔が判らなかった。
シャーロット達は入り口の近くに並んで座り、コートを脱いで隣の椅子に丸めて置いた。シャーロットの顔を覚えていたのか、おしぼりとメニュー表を持ってやって来た高齢の女性店員は優しく微笑んだ。
ブルーノとおしぼりで手を拭きながら、シャーロットはブルーノが店内をゆっくりと見まわしている様子を眺めていた。
「今日は何にされますか? 今の時間ならランチもご用意できます。」
「ランチだって。私、頼んでみたいな。」
「じゃあ、そうしよう。今日はゆっくりする予定だから、そういうのもいいだろう。」
ブルーノは優しく微笑んで、言った。
「コーヒーはそうだな…、僕はこれを。シャーロットは?」
「私は、それを。」
シャーロットはブルーノがメニュー表で指差した産地の名前の下の名前を指差した。前回男性店員におすすめは全部と言われてしまったので、今回はメニュー表の文字だけで選んだのだった。
「それ、適度な苦味と柔らかな酸味と香りが特徴の豆だよね。シャーロットってもしかして詳しいの?」
「全然。」
微笑んでシャーロットは誤魔化した。ブルーノが違うものを指差していたら、やっぱりその近くを指差して決めただろう。
「ブルーノの選んだのって、どういう特徴があるの?」
「甘みがあって切れのよい上品な苦味が特徴だったと思う。」
ブルーノの言葉に、男性店員が頷いている。「お客さん、詳しいですね。」
「たいしたことないよ、」
そういってブルーノは小さく笑った。
「船乗りの楽しみは食べることぐらいだからね。コーヒーの産地を覚えて港に寄るたびに珍しい豆を買って帰って楽しむんだ。」
「お酒も?」
「そうだね。そういう者もいたね。」
ブルーノはシャーロットを見て、言った。
「もう船には乗らないの?」
「今は休憩中。また時間ができたら。」
ゆっくりとシャーロットの膝をなでて、ブルーノはシャーロットを掬い上げるように見た。
「春になったら、ちょっと遠くまで出かけないか?」
「ん?」
「泊りじゃなくてもいいけど、移動する時間を考えると、泊りだろ、やっぱり。」
「んー。」
シャーロットは首を傾げた。
「場所にもよるかな。泊りだと、みんなで一緒じゃないと無理だと思う。」
「エリックとなら?」
「エリックが行かないって言ったら終わりね。」
シャーロットはくすくす笑った。女性店員が、出来立てのプレートを二つ持ってくる。
「今王都で流行りの『姫様プレート』って言うんです。この街でも流行ってます。いろんな料理をちょっとずつ盛り合わせたランチなんです。」
姫様プレート…、どっかで聞いたことがあるわ…と、シャーロットはローズを思い出して心の中で呟いた。
楕円形のプレートの上には、ハーブや黒コショウやあらびきといった特徴の違うソーセージやサラダ、丸いライスボール、ジェラートが入った小さな容器が乗っていた。お子様プレートじゃダメなのかしらとシャーロットは思ったけれど、『姫様』という言葉が流行りものなのだろう。
「ハシという道具を使うのも流行ってるんですよ? お使いになりますか?」
女性店員の手にしたトレイの上には、黒い棒のような道具が白い布の上に乗せられていた。ハシは、シャーロットは鉄板焼き屋さんでサニーに使い方を教えてもらっていた。
「シャーロットは使える?」
「ええ。」
「じゃあ、それを。」
ブルーノも使えるんだね、とシャーロットは意外な特技に目を見張った。
ハシでライスボールを半分に割りながら、ブルーノはシャーロットに、「この国はほんとに何でもあるんだね、」と囁いた。
「いろんな国と交流があるからね。」
「いい港があるから、僕もここへ来れたんだよ。公爵領で会えてよかったよ、シャーロット。」
シャーロットの瞳を見つめて、ブルーノは微笑んだ。
「ブルーノは優しいね。落ち込んでると思ってるでしょ? 」
「落ち込んでないの?」
「いろいろあったけど、今日はそういうのは忘れるんでしょう?」
「そうだった。」
ブルーノはくすりと笑った。
「あの、貰ったオルゴール、寮にも持ってきたわ。」
螺子を回して流れる曲を聴きながらオレンジの薔薇の花の蓋を眺めては、島での生活を思い出していた。
「あれ、一応国歌なんだよ? 僕の国の子供はみんな学校であの歌を習って、建国記念日に大人と歌うんだ。酒の席でも歌うよ。」
「楽しい歌だね。」
えらく陽気な国歌だとシャーロットは思った。
「この国だってあるだろう、そういう歌。」
「あるわね…。でも、あんまり歌わないかな。」
「どうして?」
「胸に手を当てて心の中で歌って、終わり。だから、歌えるけど、歌わないの。」
「変わってるね。」
「ふふ。歌って、上手い人も下手な人もいるでしょう? 合わせるために練習も必要だし。でも、心の中だといろんなことを考えながら国を思う時間になるから、いつの頃かの王様の時代から、歌わないの。」
「きっと、優しい王様が決めたんだね。」
「そういうことって、きっと、沢山あるよね。」
微笑み合って、ブルーノと並んで食事をして、一緒に食後、コーヒーを淹れてもらった。
ブルーノの言う特徴の通りの適度な苦味と柔らかな酸味と香りのコーヒーは、砂糖とフレッシュを入れると個性が消えてしまった。それも個性のうちなんだわ。シャーロットはそう思いながら飲んだ。
二人で並んでコーヒーを飲む時間は穏やかで、静かに時間が満たされていった。いつの間にか奥に座っていた二人はいなくなり、店内にはシャーロットとブルーノしか客はいなかった。
「シャーロットはチョコ、好きなの?」
ブルーノが自分の皿の上に2粒添えられたクマのチョコレートを指で摘まんだ。
「好きだけど…、好きじゃないわ。」
ブルーノとトリュフを分かち合ったことを思い出して、シャーロットは言葉を濁した。
「あーん。」
シャーロットの口に、クマのチョコを滑り込ませ、ブルーノは自分もクマチョコを口に入れる。二人は見つめ合って、チョコを舐める。
「これくらいなら好きだよね?」
ふふっと笑ったブルーノの顔がとても魅力的に見えて、シャーロットは頬を染めて俯いた。
それぞれ会計を済ませ店を二人で出ると、ブルーノが「ちょっと歩かないか?」とシャーロットを誘った。
ブルーノは歩くのが好きなのかしら、とシャーロットは思った。前に街に来た時も、結構歩いた気がする…。
「少しだけね?」
シャーロットと手を繋いで歩くブルーノは中央広場に行かずに、静かな住宅街を選んで歩いていく。角を曲がったり、まっすぐ歩いたり…。
「もしかして、探検してたりする?」
シャーロットが見上げると、ブルーノは優しく微笑んだ。
「僕の国で、そういうこと、出来なかったんだろ? エリックが残念がってた。せっかくお姉さまが計画して迷子になるつもりでいたのにって。」
「あれは…、散歩に行きたいって言っただけなの。」
「だから、散歩がてら、今日は計画して迷子になろうか?」
「知ってる街だから、安心なのね?」
「そうだね。」
ブルーノは優しい。シャーロットはぎゅっとブルーノの手を握った。
冬の優しい午後の日差しが、街路樹に植えられているクリスマスローズの白い花を照らしていた。
ブルーノが小さく歌う鼻歌を聞きながら、シャーロットは腕を絡めて手を握って散歩した。時々船旅で見つけた異国の街の話をしてくれるブルーノは、機嫌が良さそうにシャーロットを見ては微笑んでくれた。
寮の前まで帰ってきた二人は、向かい合って手を握って微笑み合うと、「またね、」と別れた。ブルーノに手を振って背を向けると、急に寂しく思えてきた。
振り返ると、ブルーノはコートに手を突っ込んで、立ち止まったままシャーロットを見つめていた。
「一緒に、帰る?」
ブルーノが優しく問いかける。
ふるふると首を振って、シャーロットは、改めて、「またね」と言って背を向けて歩き出した。
一緒に帰るって、島へ帰るってことなんだろうなとシャーロットは思った。私は一緒に帰れない…。
シャーロットは唇を噛んで、自分の部屋へと急いだ。ゆっくり歩いていると、ブルーノの元へ帰ってしまいそうだった。
ありがとうございました。